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3.


(男の人、で、いいのよね?)


 ライラがそう思ったのにも無理はない。身長が高く、体格からなんとなくそのように察せるものの、相手は深い茶色のローブを頭からすっぽりかぶっていて、ちっとも顔が見えない。


 領民の誰かだろうか。――いや。顔が見えないのに、このひとは領民ではない気がする。


 そんなふうにライラが警戒したとき、男の体がぐらりと揺れて、地面にべしゃりと崩れ落ちた。


「っ、大変!」


「待って、姉さん!」


 ルイが止めるのも聞かず、ライラは倒れた男に駆け寄った。うつ伏せに倒れているのをなんとか表に返せば、腹に怪我を負っている。「わ!」と後ろで弟が驚く声を聞きながら、ライラはローブの下で苦しげに息を漏らす男に大声で呼びかけた。


「大丈夫ですか! 私の声、聞こえますか?」


「……魔獣に……。魔獣に、この先で襲われた……」


 苦痛にうめく合間に、男がなんとか答える。よかった。意識ははっきりしている。声の感じから、男は意外と若いようだ。命に別状はなさそうだと安堵しつつ、ライラはさらに声をかけ続けた。


「魔獣に噛まれたんですか?」


「爪で裂かれた……が、倒した……。近くに瘴気溜まりはなく、一匹だけだった……。だから、逃げて……」


「わかりました、ありがとうございます」


 深い怪我を負いながらも気丈に状況を伝えてくれる男に、ライラは感心をした。もちろん、ケマリが「悪魔の匂い」と言っていたことは、すぽんと頭から忘れている。


 これ以上の差し迫った危険がないことを確かめたライラは、後ろで呆然とするルイに呼びかけた。


「この人を家に運んで手当てするわ。村に行って人手を集めてきて! それとお医者さまに声をかけてちょうだい。早く!」


「わかった!」


 ライラに言われて、我に返ったようにルイは駆け出す。それを見送ってから、ライラはふと疑問に思った。


(魔獣を倒したということは、魔術師か騎士なのかしら。だとしても、どうして裏山にひとりでいたの?)


 不思議なのはそれだけじゃない。


 大陸から悪魔が姿を消して300年が過ぎるが、時折、封印が弱くなってイフリートの魔力が外に漏れてしまい、瘴気として土地に害をなすことがある。そこから魔獣が生まれて無力な人々が襲われるような事件が、レミリア王国では度々起きる。


 だからライラは、前世に身につけた光魔術を使って、たびたび領内に結界を張って回っている。この裏山だって多分に漏れない。なのに魔獣は、どこから裏庭に潜り込んだのだろう。


(けど、いまは目の前で苦しんでいる人を助けるのが先よね)


 ライラは気を取り直して、応急処置に取り掛かろうとした。男は苦しそうではあるが、意識もはっきりしていて命に別状はない。これなら、村医者の治癒魔術でも十分に回復するだろう。


 けれどもそのとき、男が辛そうに身じろぎした。


「く……、は………!」


「うそ、なんで!?」


 一瞬のうちに容体が悪化した男に、ライラは顔色を変えた。慌ててローブの下の服――そういえば上質な手触りだったと、のちにライラは思い出す――を割いて傷口を確認すると、すぐに理由が明らかとなった。


「悪魔の早贄の印!? なぜこの人に?」


『これだよ、ライラ。ここから、悪魔の匂いがする!』


 驚愕するライラの隣で、ケマリが自信満々に告げる。それでライラも目の前の光景を受け入れざるを得なくなった。


 早贄の印。それは、悪魔が獲物と定めた人間を見失わないように目印としてつけるものと言われている。悪魔ごとに模様は異なるが、独特の紋様を描く紫色のアザという点は共通している。


 この男の場合、左の脇腹から心臓に伸びるように禍々しいアザが浮かび上がっている。その模様に見覚えがある気がして、ライラは戸惑った。


 同様のアザを刻まれた人間を、ライラは一人だけ知っている。――エルザが救えなかった、たったひとりの犠牲者。生まれつき早贄の印を刻まれた悲劇の王子、クロード殿下だ。


『ライラ、はやく! このひとが死んじゃう!』


 ケマリに急かされてライラは我に返った。


 そうだ。いまは治療が先だ。


 なぜか早贄の印を刻まれているこの人は、魔獣の爪による大きな傷を胸に負っている。そこから回った瘴気の毒が、早贄の印に宿る悪魔の魔力と反応して、男を苦しめているらしい。


 目の前で命が失われる悲しさが、悔しさが、まざまざと胸に蘇る。だからこそライラは、両手に惜しみない魔力を集めて男の怪我にかざした。


(もう誰も、目の前で奪わせやしない!)


 ライラの空色の瞳がきらりと輝き、ぶわりと手元で魔力が弾けた!


最大回復(グレイテスト・ヒール)!!」


 ライラが唱えると同時に、眩い光が男の全身を包み込む。回復薬に一切頼らず、傷の回復と同時に体内に潜り込んだ瘴気の毒素をも浄化する、規格外の回復魔術。この技を自在に使いこなし、傷ついた大勢の人々を癒したがゆえに、前世でライラは聖女と呼ばれるようになった。


 またたく間に男の傷が塞がっていく。同時にびりびりと禍々しい魔力を放っていた早贄の印が静かになり、男の呼吸に穏やかさが戻った。


 傷がすべて塞がったのを確認して、ライラは息をつきながら手を下ろす。その横で、ケマリが嬉しそうに空中回転した。


『やったね、ライラ、さすがだよ! この人の中で暴れていた瘴気の毒は、いまの魔術でぜんぶ消えたよ!』


「いま出来ることはこれでおしまいね」


 ホッとしてライラも微笑んだ。ヒールで瘴気の毒を消せても、早贄の印を解くことはできない。それをするには印を刻んだ悪魔に解呪させるか、その悪魔を滅ぼすしかない。


 念のため医者に診せて経過を見る必要があるが、一晩寝ればすっかり元気になるだろう。問題は、うっかりベテラン魔術師顔負けに高位魔術で治療してしまったが、これをどう誤魔化すかだ。


(……あんまり怪我が深くなったことにしちゃおうかしら)


 ライラが簡単な治癒魔術を使えるのは村のみんなも知るところだ。加えて、傷を間近で確認したのはライラだけだし、男が苦しみ出したのはルイが離れたあと。


 瘴気の毒が暴れ回っている間は、男も意識が朦朧としていたはず。つまり、目撃者はいない。少し申し訳ない気もするけれど、男の怪我が実は大したことはなかったことにすれば、ライラが最上級の回復術を使ったことは誰に悟られない、はず。


 ――そんなことを考えていたら、不意に男が体を起こした。


「ありがとう……。通りすがりのお嬢さん」


「へ?」


 面食らって、ライラは瞬きした。さっきまで身体の中で悪魔の力が暴れていたのだ。てっきり意識を失って伸びていると思ったのだ。


(もしかしたらこのひとも、魔力が強いのかしら)


 魔力に耐性がある身体なら、すぐに回復してもおかしくはない。そこまで考えて、ライラは気づいた。もしも彼が強い魔力持ちなら、ケマリの姿も見えているだろうか。いや、それよりも。


(意識がはっきりしていたのなら、最大回復を使っちゃったのも誤魔化せないんじゃない?)


 焦るライラをよそに、男はまだ少し辛そうに地面に座り込んだまた、深いフードを被った頭を下げる。相変わらず顔はフードの下に隠れてよく見えなかったが、深く凛とした艶のある声で、どことなく高貴な匂いを感じた。


「助かりました。あなたが治療してくれなければ、私はどうなっていたか」


「い、いえいえ、いえ! 私は大したことはしてませんから。あはは、お兄さん、見た目の割に傷が深くなかったのかな……? あっさり治ってよかったですね……?」


「この恩は必ず返します。あなたは私の恩人だ」


「い、いいですいいです! 本当に、まったく、これっぽっちも大したことはしてませんので!」


 まずい。話せば話すほど、墓穴を掘る気配しかない。幸い、相手はライラがどこの誰か知っているわけがない。だからライラは、ここはとっとと逃げ出そうとした。


「じゃあ、通りすがりのお兄さん! お身体お大事に、色々と気をつけてくださいね! じゃ!」


 素早くケマリに目配せをして、ライラは身を翻そうとする。けれどもその後ろ手を、男の大きな手が掴んだ。


「そういうわけにはいかない。あなたにはこれから、王子の命を救った恩人(・・・・・・・・・・)になってもらうのだから」


「へ?」


 ぽかんとライラが呆けた次の瞬間、辺りの茂みをガサガサと踏み荒らす音が一斉に響いて、甲冑やら剣やらを身につけたの十人ほどの男が木々の合間から飛び出してきた。


「「「「ご無事ですか、殿下!!」」」」


「きゃ!」


 驚いたライラは思わず悲鳴をあげてしまう。それも仕方ないだろう。魔術師として悪魔討伐に同行していた前世ならいざしらず、今世でこんなにも多くの兵に囲まれることなんかない。


(ていうか殿下って?)


 嫌な予感に、ライラはそろそろと助けた男を振り返る。ちょうどそのとき、男がフードを下ろすところだった。


「大事ない。ここにいる勇気ある女性が、傷を塞ぎ、瘴気の毒も祓ってくれた」


 ぱさりとフードが落ちる。現れたのは、緩やかに編まれて肩に落ちる透き通るような銀髪に、誰にも荒らされていない初雪のように白くきめ細かな肌。すっと通った高い鼻梁と、薄水色の瞳がのぞく切れ長の目は端麗であり、やや膨らみのある唇がわずかに甘さを添える。


 まるで聖域に住まう精霊のような、静謐で高潔な貴公子。だというのに、こんなにも嫌な予感がするのはなぜだろう。


 呆然と固まるライラに、青年は骨ぼった大人の男の手を胸に当てて告げた。


「申し遅れました。私はユーシス・レミリア=ウェザー。北の砦を預かる者です」


「レミリア、ウェザー」


 子供のように、ライラはふたつの単語を唇で転がす。レミリアは王国の、ウェザーは王家の名前。そして兵たちが彼を「殿下」と呼んだことを合わせれば、自ずと相手が誰かわかってくる。


「……第一王子の? 北の砦の総司令をされている?」


「ええ、まさしく」


 なんてことのないように頷いて、ユーシスは涼やかに微笑む。


「なんとしてもお礼をさせてください。通りすがりのライラさん」


 ユーシスの言葉に、今度こそライラはひっくり返ってしまいそうになった。


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