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4.



「お礼? まさか……」


 戸惑ったライラは、耳を疑った。だって、ユーシスに――クロードに感謝してもらうような覚えはない。


 世話役だったのに、クロードがイフリートに体を奪われるのを防げなかった。討伐隊のひとりとして何度も対峙したのに、クロードの体を奪い返せなかった。最後は『魔王』として、クロードごと葬った。


 クロードのために、エルザは出来たことは何もなかった。なのにユーシスは、ライラの戸惑いを否定する。


「君だけなんだ」


 眉根を寄せるライラに、ユーシスは静かに続けた。


「君だけが俺を、最後まで人間扱いしてくれた。エルザには、それがどれだけ俺の支えになっていたか、きっと想像もつかないだろう」


 ――初めて会ったとき。


 王宮魔術師長に呼び出され、理由も聞かされず、森の中にある寂しい石造りの塔に連れていかれた。そこで、エルザはクロードに会った。


「エルザも言われたと思うけど、王だった父は、生まれつき悪魔に呪われた俺に、誰も近寄ってはならないと厳命していた。生まれつき早贄の印を刻まれた俺は、もはや悪魔と同じに見えたんだろうな。水や食料を与えられるだけまだマシで、あとは生きていても死んでいても同じような扱いを受けてた」


 言われなくても覚えている。わけもわからず対面したエルザは、クロードが置かれていたあまりに悲惨な環境に絶句した。だが、王宮魔術師長はこう言い放った。


 悪魔の所有物にいらぬ情を抱くな。お前も魂を喰われるぞ、と。


 こんなの間違っていると、エルザは繰り返し魔術師長に訴えた。


 クロードを虐げ、隔離しても意味がない。むしろクロードの体が衰弱し、心をすり減らせば減らすほど、悪魔に入り込む隙間を与えてしまう。早贄の印を刻まれた人間こそ、人の世で保護すべきだと。


 だけど魔術師長は聞く耳を持たなかった。当時、エルザは既にケマリと契約していたけど、王宮魔術師になってすぐで、実績も何もなかった。そんなエルザの言葉には何の力もなかった。加えて、あの頃は魔術師長すら判断を誤るほどに、悪魔への恐怖が人々の世に溢れていた。


 クロードに接することが出来るのは、二日に一度、たった数分の間だけ。それを、エルザも守らざるを得なかった。


「……私も、何も出来なかった。他のひとと同じで、あなたをあの場所に閉じ込めた」


「全然違う。エルザは俺の目を見てくれた。俺の肌に触れてくれた。俺の声を聞いて、俺の耳に語り掛けてくれた。俺は最初、困ったんだ。これまで、俺にそんなふうに関わってくれた人がいなかったから。困って、戸惑って、それから喜びを感じた。君に会いたい。そう、はじめて誰かに対して思った」


 やせ細った体を思い出す。厳しい寒さにひび割れた肌を思い出す。何もかも諦めたような、昏い瞳を思い出す。だけどほんの少し――ほんのわずかだけ。エルザが顔を出すと、その瞳は光を取り戻した。あれは、エルザの願いが見せた幻覚じゃなかった。


「君が来なくなってからは、本当に寂しかった。すぐに、君が魔術師長に罰せられたのだとわかった。あの人は、父以上に俺を怖がっていたから」


 苦しくなって、ライラは目を閉じる。


 まさしくクロードが推測した通りだ。エルザが謹慎を言い渡されたその日、エルザは言い付けを破った。


 その日は強く冷え込み、前日の夜から早朝にかけて王都にも深く積もるほどの雪が降った。そのせいで身体が冷えたのだろう。エルザが塔に到着したとき、クロードはひどい熱を出していた。


 エルザは急ぎ、クロードに治療を施した。幼い少年の体は衰弱しきっていて、いつ命を落としてもおかしくなかった。緊急策として回復魔術により体力を少しでも取り戻させ、そこから負担のないよう、魔術薬により徐々に症状を抑えてていく。それは数分のうちに済ませられることでなく、ライラは言いつけを守ってほぼ丸一日をクロードの牢獄で過ごした。


 それが、魔術師長の逆鱗に触れた。


“なんて余計なことをしてくれたんだ!”


 激昂した魔術師長に頬を張られて、エルザはようやく理解した。王も、魔術師長も、クロードに死んでもらいたかったのだ。王族だから処刑することが出来ないなら、病気や衰弱で穏便に。だからクロードは、あんな劣悪な環境で閉じ込められていた。


「意識が何度も飛んだけど、エルザが必死に看病してくれていたのはわかった。だから、エルザが姿を見せなくなって、すごく心配だった。魔術師長が君にひどいことをしていないだろうか。君が二度と俺の前に現れなかったらどうしようって」


「そんな。クロード様の方が、ずっと辛い目にあっていたのに」


「だとしてもね。それくらい、エルザの存在は俺の中で大きくなっていたんだ」


 まさかクロードがそんなふうにエルザのことを思ってくれていたなんて。つんと鼻の奥が痛んだが、ライラは必死に我慢した。泣いちゃだめだ。ライラに、泣く権利はない。


「私は……。私はずっと、クロード様に謝りたかったです」


 きゅっと、ライラは膝の上の手に力を込める。ひりりと喉の奥が痛んで、心が軋んだ。


「私が魔術師長を説得できていたら。他の魔術師たちを巻き込んでいたら。私に、イフリートを上回るほどの魔力があれば。――色んな可能性を考えました。考えて、思い知りました。そのどれかひとつでも叶えられていれば、クロード様は死ななかった。私が、私だけが、クロード様の惨状に疑問を抱けたんです。なのに、私は……」


「そうやって、君は俺の心に光を灯してくれた」


 ユーシスが、ライラに手を重ねた。夜風で冷えたライラの手に、ユーシスの大きな手は泣きそうになるくらい温かった。


「イフリートに体を奪われて、俺は何度も消えそうになった。だけど、そのたびにエルザの顔が浮かんだ。そして思ったんだ。俺は人間だ。悪魔なんかに負けちゃいけない。負けるものか。知っていた? 俺、あいつの中で結構頑張っていたんだぜ」


「だから、イフリートは……」


 思い当たることがあって、ライラは目を瞠った。討伐隊との戦闘中、イフリートが何度となくミスを重ねることがあった。大技の発現をしそこなったり、防御が遅れたり。そういうとき、イフリートは苦々しく「しぶといやつめ」と呻いていた。


(あれは、クロード様がイフリートの中で戦っていたのね)


 今度こそ涙が零れそうになって、ライラは慌てて上を見た。それに気づいているのか、いないのか。ユーシスは優しく微笑んでから、真剣な表情をした。


「それでもやはり、俺の体が多くのひとを傷つけるのは、耐えられなかった。もうあんな思いはしたくない。奴に――イフリートに、俺の体を好きにさせるわけにはいかない」


「だからこんなに夜更けに、修練場に来たんですね」


「ああ。まさか、君に見られているとは思わなかった」


 納得して頷きながら、ライラはユーシスの気持ちがわかる気がした。


(前世で何もできなった罪滅ぼし。……そんなふうに思っていたけど、もっと強い願いがあったのね)


 深呼吸をしてから、ライラはユーシスを見上げた。


「ユーシス様、私も同じです。――私も、イフリートに負けたくない。屈したくない。そのために、あなたとの契約婚約に乗った。ようやく、それが理解できました」


「ライラさん……」


「勝ちましょう。今度こそ、絶対に!」


 ライラの青い瞳がきらりと輝き、ユーシスを強く射抜く。


 星々の瞬きが映る明るい瞳の中で、ユーシスが息を呑み、続いて唇を引き結ぶ。


 魔術灯の光を背負って少し暗く見えるユーシスの美しい顔を、ライラは不思議に思って見上げた。


「ユーシス、様?」


「ライラさん」


 初めて聞くような真剣な声音で、ユーシスがライラを呼ぶ。なんとなく邪魔をしては悪い気がして、ライラは口をつぐんで続きを待つ。


 触れてしまいそうなほど近くで、ユーシスの薄水色の瞳が、ライラをまっすぐに見つめる。瞬きすらも許されない心地がして、ライラも魔法をかけられたように、ユーシスをじっと見つめ返す。


 世界中に二人だけになってしまったような夜空の下、ユーシスは真剣に続けた。


「すべてが終わったら。協力者を見つけ出して、イフリートの分身を倒して、すべてが元通りになったら。そのとき俺は、あなたに――――」


「私に?」


 ライラが首を傾げたとき、ざあっと強い風が吹いた。きちんと押さえていなかったのがいけなかった。ユーシスが肩にかけてくれたマントが風にあおられて、ひらりと舞って地面に落ちてしまう。


 ユーシスは立ち上がってそれを拾うと、砂を払ってから、再びライラの肩を包んでくれた。


「そろそろ戻ろうか」


 そう言ったユーシスは、いつもと変わらない彼に戻っていた。その笑顔が、少しだけ残念そう――。そんなふうに見えるのは、先入観によるものだろうか。


「ライラさんが風邪を引いたら大変だ。部屋まで送るよ」


「ありがとうございます」


 ユーシスに並んで歩き出しながら、ライラはこっそり首を傾げた。


 ユーシスは一体、何を言おうとしていたのだろう。


 その続きを、教えてくれる日はくるのだろうか。


(その時は、少しだけ緊張するかもしれない……)


 なぜだかライラは、そんなことを思った。



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