6.
「ぶわっ、はっはっはっ!! ひー!! お腹痛い!! ムリ!! 死にそう!!」
ところかわって、北の砦の中に通され、ユーシスの執務室にて。
むすりと腕を組むユーシスの後ろでは、ひとりの男が腹を抱えて息も絶え絶えに笑い転げている。ぽかんと眺めるライラの視線の先で、ユーシスはむっとしたように男を叱責した。
「いつまで笑ってるんだ。というか、よく笑ってられるな。俺が到着するときにウィルフレドが飛び出してこないよう、気を逸らしておくようあれほど言っていたのに!」
「無茶言わないでくださいよ。私だってね、あれが飛び出していかないように書類仕事を手伝わせていたんですよ。だけど、第六感っていうんですかね。あなたが到着した気配を察知した途端、外に飛び出して行っちまって。あそこまで行くと忠犬ですよ、忠犬! ひい! 思い出しただけで、腹がよじれる……!」
「笑いごとか! おかげでこっちは、ライラさんにとんだ迷惑をかけてしまった」
大きなため息を吐いて、ユーシスはさらさらの髪をかきむしる。すっかり落ち込んでいるユーシスに、ライラは困って首を振った。
「気にしてませんってば! 何度も言っていたように、ユーシス様のファンのひとりやふたり、乱入してくるのは想定内でしたし。それより、そちらの方は……?」
「ああ。すみません、私としたことが。あまりにも愉快だったんで、うっかり自己紹介すらしてませんでした」
笑いすぎて滲んだ涙を拭って、その騎士はにっと笑って胸に手を当てた。
「はじめまして。北の砦の副指令をしております、ダグラス・ロックゲインと申します。以後お見知りおきを」
緑がかった髪を揺らし、気さくに笑うダグラスの名は、ユーシスの口からもきいていた。
彼はユーシスとライラの契約婚約のことを知る数少ないひとり。ユーシスの体に浮かぶイフリートの印のことも、ケマリがライラの契約精霊であることも、現在北の砦にいる人々の中では唯一把握している。
(私とユーシス様が、聖女と魔王の生まれ変わりなことだけは話していないのよね)
笑顔のダグラスを見ながら、ライラはこっそり胸の中でおさらいする。ユーシスは、自分がクロードの生まれ変わりであることを打ち明けたのは、ライラ、そして父である現王だけだと話していた。その流れで、ライラが転生していることも秘密にしているらしい。
「ライラです、よろしくお願いします」
『僕はケマリ! ふーん。さすが聖騎士だね。君もすごい魔力持ちだ』
「光の大精霊であるケマリ様にそう言っていただけ、恐縮です。しかし、ライラ様はすごいですね。あの聖女エルザを見出したのと同じ、ケマリ様と契約しているなんて」
好意的な笑顔を向けるダグラスに、ライラは曖昧に笑って「ええ、まあ」と濁した。
ちなみに北の砦の中に住んでいる者の大半は、聖騎士や魔術師だ。当然、彼等は一定以上の魔力を持っている。声が聞こえるのは一部かもしれないが、大半の者はケマリの姿が見えていると考えて間違いない。
だからこそ、契約婚約のことや、イフリートの分身が逃げ出したことなど。ケマリと会話するときは、うっかり秘密について外で口走らないように、これまで以上に注意する必要がある。
(ユーシス様が、私がエルザの生まれ変わりだって気づいたのも、私とケマリが不用心に話しているところを見られたからだし。しばらくの間は、ケマリには私の部屋に隠れていてもらおうかな)
ケマリには悪いけれど、イフリートとその協力者にライラが聖女の生まれ変わりであることを隠しておくためには、仕方がない。
あとでケマリにもそう話しておこう。ライラが頷いたとき、気を取り直したユーシスが、真面目な顔でライラとケマリを見た。
「執務室に来ていたただいたのは、他でもありません。おふたりにこれからのことを――イフリートの分身と、その協力者を捕まえるために、我々が注視すべき相手を共有するためです」
がらりと変わった雰囲気に、ライラの背筋は自然と伸びる。心なしかケマリも、神妙な顔をしている。
続きを待つ一人と一匹に、ユーシスは長い指を絡めて話を切り出す。
「俺の体にイフリートの印が刻まれてから、俺とダグラスは、誰がイフリートの協力者か調査を進めてきた。そのうえで、三人の人間を怪しいと睨んでるんだ」
「三人の容疑者、ですね」
ライラはごくりと息を呑む。それに、ダグラスが頷いて後を引き継いだ。
「大前提として、砦は悪魔にとって要塞であると同時に牢獄です。外から中に入るのはもちろん、中を自由に動き回ることも、結界によって不可能だ。それらを可能にするためには、悪魔は誰かの体の奥底に潜む必要がある。その頭でお考えください」
このとき、体の主導権はあくまで人間側が握る必要があると、ダグラスは話す。悪魔が完全に体を奪ってしまえば、結界はその者を人間ではなく悪魔として認識し、捕らえるよう働くからだ。
以上のことから、イフリートの協力者には二つの条件が欠かせなくなる。ひとつは、ユーシスを含めとする北の砦の幹部の私室が集まる、最北の棟に出入りできる者であること。そしてもうひとつは、悪魔に体内に入られても動き回れる、強い魔力持ちであることだ。
『そっか。悪魔の魔力は人間にとって毒だもんね。その人間の魔力が強くないと、悪魔に体に入られた時点で体が痺れて動けなくなっちゃうし、仮に多少動けても、ユーシスの部屋にたどり着く前に体が砂になって死んじゃうもん』
「かわいい顔してさらっと怖いこと言わないでよ。ということは、つまり? イフリートの協力者は、北の砦の幹部かもしれない……? それ、すっごく大変じゃないですか!」
「本当に、勘弁してくれって話だよね。だからこそこっちも、ライラさんという隠し玉を投入したんだけど」
目を丸くするライラに、ユーシスが苦笑する。
条件が整理できたところで、ダグラスは改めて三人の容疑者に話を戻した。
「一人目は、グウェン・デフリート。彼は北の砦の、魔術部隊のトップ。聖騎士側のトップである私と同じに、砦の副指令を勤める男です」
「副指令? そんなひとが……」
「グウェンは遠縁ではありますが王家の血を引きます。魔術師としての実力もあり、いずれは砦の主になると目されていた男です。――ところが、陛下の鶴の一声で、ユーシス様が北の砦の総司令となった。彼がユーシス様を恨んでいてもおかしくありません」
頷いて、ダグラスは二本目の指を立てる。
「二人目は、ハンス・クレゲイン。彼は文官ではありますが、いろいろと未知数のところがあり、警戒せざるを得ないという状況です」
『なにそれ。同じ砦の仲間なのに、変な感じ』
「ハンスは北の砦の者ではありません。王都から北の砦を監察しにきた役人です」
砦の主は、王の代理として王国の民を瘴気や魔獣から守る、守護者という位置づけだ。それゆえそれぞれの砦には、砦の主が王の代理人として役目を果たしているか、中央の役人が駐在するのがならわしとなっている。
ハンスもそのひとりで、砦に来た時期は、ユーシスにイフリートの印が浮かんだ直後だった。
「はじめ私たちは、記録上ハンスがそこまで高い魔力を持っていないことや、件の夜にはまだ北の砦にいなかったことから、協力者候補から外して考えていました。ですが彼を調べたところ、正体がまったくの別人だとわかったのです」
王城にハンス・クレゲインという文官が勤めており、この一年、監察役として砦に行くよう辞令が下ったのは本当だ。だけど、よくよく調べたところ、本物のハンスはころっと丸い体をした中年の男で、現在砦にいる『ハンス』とは似ても似つかぬ容姿らしい。
しかも、本物のハンスの足取りを追ったところ、王都から砦に向かうまでに立ち寄った街のひとつで、忽然と姿を消している。
「いま北の砦にいるハンスさんは偽物ってことですか?」
『絶対にあやしいじゃん。どうしてさっさと捕まえないの?』
「彼がイフリートの件と関わっている証拠はない。なにか別の思惑があって、北の砦に来ているのかもしれない。だからまだ、彼を泳がせているんだ」
「なるほど……」
現王はまだ、誰を次の王にするかを指名していない。ユーシスと王位継承権を争う誰かが、イフリートの一件とは無関係に、ユーシスの同行を探るため手の内の者を北の砦に送り込んだ可能性もある。
考え込むライラに、ダグラスは三本目の指を立てた。
「最後のひとりは、ライラ様もご存知の男。第一部隊隊長、ウィルフレド・シュナウザーです」
「え!?」
びっくりしてライラは目を丸くした。
「ウィルフレドさんってさっきの、ユーシス様に激重感情抱いてそうな大大大ファン、ていうかもはや厄介オタクな感じの騎士さんですよね? 親兄弟を人質にとられたって、ユーシス様を悪魔に差し出す手引きなんかします????」
「ライラ様、ウィルと元々知り合いだったりします? なぜそんなに、ウィルフレドの厄介具合の理解が深いんですか?」
「見ればわかりますよ、ていうか丸わかりでしたよ!」
盛大にマウントを取った挙句、勝ち誇った顔で鼻で笑ってきたウィルフレドの姿が瞼に蘇る。仮に何かの事情で悪魔の手伝いをしたとしても、「敬愛するユーシス様に俺はなんてことを!!」と自ら首を掻っ切って死にそうだ。
「いや、それは本当にそうなんですが……。あの夜、ウィルフレドがユーシス様の部屋がある最上階になぜか足を踏み入れているんです」




