5.
いよいよライラたちを乗せた馬車は、北の砦へと向かった。
物々しくも壮麗な石造りの門を越え、馬車はもっとも大きいな棟の前へ。ユーシスの婚約者が来ることは、あらかじめ知らされていたのだろう。回廊の柱やあちこちの窓から、興味を隠しきれない顔がちらほらと覗く。
『よかったね、ライラ。ユーシスのおかげで、おしゃれ戦闘力があがって』
「余計なお世話!」
ニシシシと笑うケマリを睨みつつ、ライラは内心胸を撫でおろす。ケマリに言われるまでもなく、着替えさせてもらって本当に良かったと感じる。元のワンピースのままだったら、馬車を降りることすら尻込みしてしまったかもしれない。
完全に馬車が停まったところで、ユーシスがこちらを振り返った。
「行こう、ライラさん。ここでしっかり、君が俺の婚約者だってアピールしたい」
「了解です。せっかく侍女の皆さんが頑張ってくれたんです。ユーシス様ファンクラブの方に卵を投げつけられようが、『あんたなんかユーシス様にふさわしくないわ』と突き飛ばされようが、胸を張ってがんばりますね」
「だから、俺にファンなんかいないってば。………っ、あー……」
苦笑をしたユーシスだが、何かを思い出したように瞬きをすると、なぜか困ったように目を逸らした。見逃さなかったライラは首を傾げてユーシスを覗き込む。
「どうしました? もしかして、やっぱり修羅場になりそうとか?」
「いや……うん。大丈夫だと思う、たぶん」
「たぶん?」
曖昧に笑ったユーシスは、ちょうど御者が扉を開けたので、先に外に出て行った。
ケマリには敢えて、隠れていてもらっている。到着を見守る人々のなかに、イフリートの協力者が紛れているかもしれないからだ。
深呼吸をして、ライラは気合を入れた。
(さ、行きますか!)
わっと、どこからともなく歓声が上がる。その中を、ライラはユーシスに手を引かれながら、馬車から進み出た。あちこちから無数の視線が注ぐのを感じる。笑顔が引きつらないよう、ライラは出来るだけ目の前のユーシスだけを見つめた。
「いいよ、ライラさん。その調子」
唇を動かさないように、そっとユーシスが囁く。耳元で響く声に、ライラの頬は自然と薄っすらと赤くなる。ライラ自身は必死過ぎて気が付かなかったが、頬を染めてユーシスに手を引かれるライラの姿に、集まった人たちから感嘆のため息が漏れた。
「なんだ、あの子。かわいいな」
「ばか、ユーシス殿下の婚約者だぞ。当たり前だろ」
「聖女エルザの末裔なんだってさ」
「マイヤー家だろ? 全然名前聞かなくなっちまったけど、あんなに素敵なご令嬢がいたんだなあ」
(かねがね、好意的な反応かも?)
集まった聖騎士に、魔術師に、文官たち。興味津々な彼らの目に敵意がないことを感じ取って、ライラはちらりと周囲に視線をやる。侍女の皆さんがおめかししてくれたおかげで、「あんな子が婚約者だなんて認めない!」と暴動が起きることは回避できたらしい。
ホッとするライラに、ユーシスがいたずらっぽく微笑んだ。
「ギャラリーも集まったし、もう一押ししておこうか」
「え?」
笑顔で小首を傾げるライラ。その肩を、ユーシスがそっと引き寄せる。かと思えば、マイヤー家で家族の前でアピールをしたときと同じように、ユーシスはライラの頬にそっと口付け――ではなく、口付ける振りをした。
「長旅ご苦労さま。俺の可愛い、婚約者さん」
「ひゃ……!」
「ふふ。耳まで真っ赤になってしまったね」
飛び上がらんばかりに驚くライラに、ユーシスが甘く微笑む。とろけるような極上の微笑みに、女性陣、一部の男性陣から悲鳴のような歓声が上がった。
「うおおおおおおお!」
「殿下のあんなお顔、初めて見たわ!」
「ええもん見たわ! ええもん見させてもろたわ!!」
「な、なにするんですか、いきなり」
ここまでするとは思わず、ライラは小声で抗議する。けれどもユーシスは、却って愛おしげに目を細めて、ライラの細い髪を撫でた。
「ライラさんの可愛さに、みんな目を奪われてしまっているからね。君が誰の婚約者なのか、ちゃんと教えてあげないと」
(あああ、だめ。かんっぺきな溺愛演技モード!)
まぶしい。まぶしくて直視するのがつらい。つらい上に、どきどきと胸の鼓動が暴れまくっている。どうにもライラは、ユーシスの溺愛モードに弱いようだ。
こういうとき、恋愛経験値が低いのが悔やまれる。ライラがもう少し経験豊富なら、溺愛演技にこんなにも翻弄されることはないのに。
とにかく今は、一秒でも早く人目のないところに逃げて、ユーシスに溺愛演技を解除して欲しい。もしくはいっそのことユーシスファンクラブ(仮)の誰かに乱入して来てもらって、砂糖のように甘ったるいこの空気をぶち壊して欲しい。
(ファンクラブの皆さん今ですよ! あなたのユーシス様が、どこぞの田舎娘にたぶらかされてこんなになってますよ! いいんですか!?)
――やけっぱちになって、ライラが心の中で叫んだとき。
ひとりの騎士が、ものすごい勢いで建物の中から飛び出してきた。
「ユーシス様あああああ!!」
突進してくるひとりの騎士に、ライラはぎょっとした。
顔立ちは悪くない。むしろいい。強面ではあるものの、精悍な、ユーシスとはまた誓ったタイプのイケメンである。
だけど、駆け寄ってくる姿が必死すぎて、なんか怖い。なにより、騎士の声が響いた途端、隣にいるユーシスが小さく「ああ……」と呻いたのが気になった。
(え、何? ユーシス様、どうしたの?)
きょとんとするライラをよそに、騎士はすさまじい勢いで駆けよってきて跪く。そして、気を取り直したように向き直るユーシスを、きらきらと見上げた。
「おかえりなさいませ、ユーシス様! 道中、ご無事でございましたか!!」
「問題ない。ウィルも、留守の間ありがとう」
「っ! もったいなき!! お言葉にございます!!」
ウィルと呼ばれた騎士は、感激のあまりカッと目を見開いて叫んだ。腹の底から響く、とんでもない大声だ。いちいち食い気味で熱意がすごい。
制服が他の人たちとデザインが異なるから、もしかして隊長クラスとかなのだろうか。そんなことを思いながら観察をしていたら、ふと、騎士の目がライラに向いた。
「ところでユーシス様。お連れしているこの方が……」
「ああ。俺の婚約者、マイヤー家のライラだ」
「…………………………なるほど」
ユーシスに向けていたのとはまったく異なる、値踏みするような鋭い眼差し。立ち上がってじぃっと見下ろす騎士に、ライラは身構えた。
いや。ユーシスへの対応と雲泥の差すぎる。そう心の中で突っ込むライラに、騎士はにこりともせず頭を下げた。
「よくぞおいでくださいました。私は第一部隊隊長、ウィルフレド・シュナウザーと申します」
「ら……ライラ・マイヤーと申します。よろしくお願いいたします」
「ときにライラ様。あなたはユーシス様をどの程度ご存知なのですか?」
「はい?」
摩訶不思議なことを言いだしたウィルフレドに、ライラは首を傾げる。するとウィルフレドは、すぅーーーーーと大きく息を吸い込んだ。
「たとえば、そう――――――馬上で繰り出す剣技の神々しさだったり魔獣討伐前に自ら我々兵士を鼓舞する猛々しさだったり激しい戦闘の後も真っ先に我々を慮ってくださるお優しさだったり顔に似合わず大胆な決断を下す勇ましさだったり隙のない文武両道な完璧美男子と見せかけて実はちょっぴり天然だったりものすごい猫舌で我々に隠れてこっそりふーふーしてたりうっかりそのまま食べて涙目になっていたり朝が弱くて早朝練のときは実はぽやぽやしてたりあーそのギャップは辛いだろうしんどい無理と我々が頭を抱えているのに本人はよくわかってなかったりそのくせいざというときはめちゃくちゃカッコよくてやっぱり最強最高の大優勝なイケメンだったりそれからあとほかにも」
「とんでもない早口!! じゃなくて、あの……?」
「つまり、あなたはそれらをご存知か!!!!!!」
「すみません存じ上げません!!!!」
勢いに飲まれて、反射的にライラは叫び返した。途端、ウィルフレドは勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「ふん。出会って数日では所詮その程度か」
なんだこいつ。喧嘩売ってんのか。
さすがにカチンときたライラがひくりと口元を引き攣らせたが、ウィルフレドはびしりとライラに指を突き付けた。
「いいか。俺はまだ、あなたがユーシス殿下の婚約者だと認めていない。ユーシス・レミリア=ウェザー殿下は、この国の大事な第一王子であり、我ら北の砦の主であらせられる。そのお相手が半端な娘であれば、我らの沽券にもかかわるからな」
「認め、はい?」
「怪我をされたユーシス様をお救いしたのは褒めてやろう。だが、それだけでいい気にならないことだ。あなたが本当にユーシス様にふさわしい相手か、俺が見極めてやる。せいぜい、首を洗って待っているんだな!」
宣言したウィルフレドは、呆気にとられたライラ――と、穴があったら入りたいとばかりに頭を抱えるユーシス――を置いて、踵を返して颯爽といなくなってしまう。
しばらくして、我に返ったライラは立ち尽くしたまま叫んだ。
「やっぱりいたじゃないですか! ユーシス様ファンクラブの人!!」
「ごめん……本当にごめん……」
顔を覆ったまま、ユーシスは消え入りそうな声で何度も繰り返した。




