鍵
第三章
夢の中の本家は、とても忠実に再現されているようで、歪な景色も多々あった。
何となく時間が流れているように感じる雑音や、屋敷の雰囲気はそれなりだが、いくつか部屋を覗いてもそこには誰もいなかった。
先ほど倉根と現実のように会話をしていたのが嘘のようだ。
島咲家から二つほど大きなくぐり戸をあっさり抜けて、白夜の自室の前までたどり着いた。
「・・・誰一人家の者がいなかったな・・・。」
本来、当主の目通りはそう簡単には叶わない。
俺はかつて白夜の主治医もしていたが、あいつは元来人嫌いの医者嫌いで、重い持病があるくせに生活習慣を整えず、無理をして倒れては病状を悪化させる、そんなことが日常茶飯事だった。
本家の人間はたとえ身内ですら当主の顔を見ることはほぼなく、実際高津家の先代の当主は、そのまま家族と疎遠になり、次に連絡が来たのは訃報の知らせだったとか。
遺伝性の病気を持つ当主らは、ほとんどの者が短命だ。
だから白夜も建前上、病死ということにされていた。
襖を開けると、畳と着物の匂いが鼻についた。
始めに目が覚めたと勘違いしていた、あの部屋。
そこに人の気配は無く、夢の中の白夜はいなかった。
部屋に入り辺りを見渡すと、白夜の机の上に見覚えあるものが置かれていた。
「この書類・・・!」
夢の中とまったく同じ書類だった。
だが先ほどと違うのは、綺麗にファイリングされており、わざとらしく広げられていたこと。
俺はそれを今度は隅々まで確認することにした。
以前と同じ人物の個人データ、小百合のものも、実様のものもある・・・
そして最後の書類をめくったとき、ファイルの隙間から何かが滑り落ちてきた。
机にカツンと落ちたそれは、鍵だった。
「何だ・・・どこの鍵だ・・・?」
机の引き出しの鍵、というわけではなさそうだった。
古い作りだが、金庫や何かの入れ物の鍵、というのとも少し違う気がする。
その時、背中から不意に風が流れ込んでくるのを感じ、慌てて振り返った。
「・・・白夜・・・?」
すっかり暗くなった夜、月光を透かした障子窓に、彼は腰かけていた。
逆光でよく表情は見えないが、その独特な雰囲気で白夜だとわかった。
すると徐に立ち上がり、俺の前にやってきて、その無表情な目でまっすぐ俺を見据えた。
そして俺が口を開こうと息を吸い込んだ時、白夜は先に口火を切った。
「それをお前にやろう。」
長いまつげを伏せて、視線は俺が手に取った鍵を見つめていた。
「・・・どこの鍵なんだ、これ。」
俺の問いかけを待たず、白夜は視線をそらして部屋を出る障子へと歩き出した。
「おい!白夜!」
慌てて駆け寄ろうとしたとき、白夜は静かに振り返り、踵をトントンと鳴らして見せた。
呆気に取られ、追いかけようとした拍子に、その場に躓き勢いよく転んだ。
大きな音を立てて体に衝撃を受けた時、目の前の景色は途切れてしまった。
「いって・・・。」
そしてまた、辺りの空気が変わったのをハッキリと肌で感じた。
ゆっくり顔を上げると、そこは本家での仕事を辞めた後、移り住んだ離れの部屋だった。
紛れもなく、現実の風景。
一息吸い込むと、しんとした周りの空気が、夢の中の空気と明らかに違っていた。
どうやらベッドから落ちた拍子に、本当に目が覚めらしい。
「はぁ・・・妙に疲れたな・・・。」
体を起こすと、握った手に硬い感触を覚えた。
何だ?・・・これ、さっきの・・・鍵?
俺はまた洗面所に向かい、自分の顔を確かめた。
それは間違いなく現在の自分の姿だった。
部屋に戻り、枕元にあったスマホを手に取り、日付も確認した。
引っ越す前に、こんなことが起こるなんて・・・
本家の屋敷はもう一族解体に伴い、じきに出ることになっていた。
高津も松崎も財閥解体し、両家の当主は死亡したため、残った島咲の当主である自分が、全ての後処理を担う結果になった。
「・・・この鍵・・・本当にどこの鍵なんだ・・・。」
手に入った経緯はどうあれ、本家のどこかの鍵なら使ってみるべきだ。
白夜の部屋にもともとあった鍵、ということでいいのか?
俺は先ほど夢で逢った白夜を思い返した。
薄暗い部屋の中、振り返って佇んでいたあの時・・・
白夜は、そう・・・踵を踏むような動作をした。
「・・・まさか・・・」
馬鹿げた話だとは思う。
あれらは全て夢の中の話で、俺が都合よく作り上げたものだ。
それをたまたま鮮明に覚えていて、たまたま思い当たるような意味深な出来事が起こり、何故か夢の中で手にした物がここにある。
はたまたこれもまた夢なのかもしれないとさえ思った。
そう思いながらも、足は動き出していた。
スマホで時間を確認し、ポケットにしまう。変な時間に寝てしまったがために、もう16時を回ろうとしていた。
問題なのは、高津家は使用人達に部屋をほとんど片付けられてしまい、屋敷の入り口自体を閉鎖してしまっている。
鍵の在処はわかるが、わざわざ大きな扉を開けるとなると人目につくし、当主である俺自ら鍵を持ち出すとそれはそれで怪しまれる。
「となると・・・どっかから忍び込むしかないか・・・。」
誰かに協力を求めるのも一つの手だが、事情を説明するには難しいし、思い当たる抜け道や通路を通るのが安全策だろう。
人目につかないためには・・・
「そうか・・・。地下通路だ。」
高津、松崎、島咲の本家の屋敷は約500年前から存在する。
もちろん何度か建て直されてはいるが、戦時中に爆撃を逃れるために作られた地下通路は、今も存在していると聞いたことがあった。
それは各家を行き来出来るものだった、と。
「そんなに複雑な構造でなければ、すんなり高津家の庭辺りに出られるかも・・・」
地下への入り口は検討がついていた。
各家には必ず中庭があるのだが、そこには目立たないようにマンホールの蓋のようなものがあった。
蓋には何の模様もなく、周りの石畳に溶け込んでいた。
同じようなそれを、各家の中庭で確認していた。白夜は知っていたにしても、他の者が知っているとは考えにくい。
というのも、それぞれの家の者はあまり別の屋敷に出入りすることがないからだ。
御三家それぞれの屋敷は外への出入り口があるため、各家を通過しない。
唯一うろうろする者がいるとすれば、彼らの主治医として往診する島咲家の者だけ。
両家当主の主治医をしていたことがある俺は、当然色んな場所を目にしていた。
誰かが存在に気付いていたとしても、それが隠された地下通路だ、とは思いもしないだろう。
何とか日が暮れる前に白夜の部屋に着きたい・・・。
そう思いながら中庭に入り、人気のないことを確認した。
木々に囲まれた中庭は、すっかり夕日に染められていた。
石畳をうろつきながら、噴水のある場所から見つけた時の記憶を辿り、付近の木の葉を足で避けた。
すると以前よりだいぶ見つけにくくなってはいたが、うっすらと入り口の縁を見つけることが出来た。
「あった・・・。開くのか?これ・・・」
蓋に鍵などはなく、使われていた様子はない。
土埃をかぶったところを払い、やっとのことで指をかける溝を見つけた。
ずらすように力を入れながら重たい蓋を持ち上げる。
かなり重量はあったが、何とか暗い入り口を広げることが出来た。
「はぁ・・・はぁ・・・急がないと。」
昼が短い季節、日の傾きは早い。
体が入るほどの広さだけ開けて、梯子に足をかけながら中に入る。
思った以上の寒さと、埃っぽい空気。入り口をなんとか内から閉めて、ポケットに入れていたスマホでライトをつけた。
足元に重々気を付けながら静かに降り、一本道をライトで照らす。
人一人通れる程の幅しかない道が、長く続いていた。
スマホで方角を確認し、頭の中で歩数を数えながら歩き出した。
淀んだ空気と閉塞感、外の音が届くこともない静寂。自分の息遣いと足音だけが、時間の流れを紡いでいる気がした。
だんだんと空気の薄さを感じてきたため、足を速めていった。
するとやがて分かれ道が現れた。
「はぁ・・・方角的に・・・こっちが高津家のはずだ・・・。」
御三家の屋敷はそれぞれが向かい合うように建っている。
同じ角度の分かれ道はそういうことだろう。
「意外と・・・しっかりした造りだな・・・。壁の劣化もほとんどない・・・。」
独り言を漏らしながら進んでいくと、少しずつ道が広くなっていった。
埃っぽさは増すが、ある程度行くと一部屋程の広さがある場所に出た。
ライトを照らしながら見回したが、特に何もない。
もしもの時の避難用の空間なのだろう。
俺はその場を抜けて更に奥へと進んだ。
歩数的にそろそろ高津の中庭辺りのはずだ。
すると案の定、突き当りの壁に梯子を発見した。
「ふぅ・・・ここまで来て、向こうから既に閉じられていて開かない、なんてことになったら最悪だな・・・」
梯子に手をかけ、慎重に登って行った。
出口の蓋を片手で開けるのは、なかなか至難の業だ。
「頼む・・・!開いてくれ・・・」
すると「がこ・・・」と手ごたえのある音が聞こえ、わずかに夕日の明かりがさした。
「よし・・!」
そのまま腕で押し上げるように持ち上げ、夕日に目を細めながら抜け出した。
「はぁ!はぁ・・・何とかついたか・・・。」
蓋をどけて体を外に出し、ゆっくりと元通りに閉めた。
頭や肩の埃を払いながら辺りを見渡す。幸い人の気配はない。
スマホで時間を確認すると、五分ほどで移動できたようだった。
足音に気を付けながら、足早に中庭を抜け、白夜の部屋がある辺りまで人目に気を配りながら移動していく。
屋敷はほとんど片付けが済まされて、空っぽの状態だ。
人気がないのは当たり前だが、無人にしておくわけにもいかないはずだ、多少の監視はいるだろう。
すると少し離れた場所から話し声が聞こえてきた。
「それにしても、この間はすごい爆発だったな。」
俺は傍らにあった木の陰に身を隠し、過ぎ去るのを待った。
『地下の研究室が爆破されたんだってな・・・。お偉いさん方、あれで大騒ぎだったらしいぞ。』
「そりゃそうだろうよ。・・・まぁ俺ら下っ端には事情知らされないし、呆気なく財閥も解体されたな。」
『両当主が亡くなったし、残された更夜様もそうするしかなかったんだろう。噂だけど、国から研究情報を共有しろと言われてたが、白夜様が拒否していたらしいぞ。』
「なるほどな・・・。」
どうやら管理の者たちにも、案外的を射た情報が流れてるらしい。
過ぎ去っていく声を聴きながら、白夜の部屋が見える場所に着いた。
部屋には縁側があり、小さな庭がある。外が微かに見えるほどに木々が植えられ、簡易な塀があるのみ。
人目を避けるには、もうここを乗り越えるしかない。
何より長居して見つかりたくはないし、日が暮れるまでには戻りたい。
「ふぅ・・・。なるべく音を立てないように乗り越えないとな・・・。」
そう自分に言い聞かせながら、念のためスマホの電源を切り、もう一度人目がないか確認する。
幸い、足をかけやすそうな木製の塀だ。高さは二メートル半ほど。
息をついて、ゆっくり足をかける。
多少軋む音がするが、慎重に登り、難なく内側に降りることに成功した。
その時、得体のしれない威圧感のようなものを感じ、身構えた。
反射的に高津の入り口方向に目を向けると、息を吸い込むのも待たぬスピードで、刃物の光が眼前に迫ってきていた。