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夜更けの夢  作者: 理春
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第一章

夢を見ていたような気がする。

そんな風に思って目覚めることは多いだろう。

何故か歳を追うごとに、夢の内容を忘れるようになった。

夢の中で、「これは夢だな」と気づくことも、無くなってきた気がする。

故にいつまでも彷徨って夢が続いて、なかなか目覚められなくなっていることもあった。


固く冷たい感触、体が重い。

いつもよりずっと、着物の匂いが鼻についた。

ゆっくりと頭を上げると、少し違和感を覚えたが、どうやら机で突っ伏して眠っていたようだ。

痺れた腕を動かすと、机の上に置いた書類にくしゃりとしわがついた。

手元にピントを合わせるように目をこする。それには写真付きの個人プロフィールが書かれていた。

なんとなくぼーっと手に取り、目に入った名前を寝ぼけた頭で読んだ。


高津たかつ みのり・・・」


その瞬間自分の声色に驚いて立ち上がった。

体を見下ろすと、見慣れない着物の柄。

慌てて辺りを見渡し、目についた襖を開けバタバタと寝室に入った。

裾を踏みそうになりながら姿見に手を伸ばし、カバーを乱暴にはがした。


何がどうなってる・・・


鏡に写った自分は自分ではなかった。この着物、見覚えがあると思ったら当主のものだったのか。

なんて質の悪い夢だ・・・

けれども掌から伝わる鏡の冷たさ、箪笥や柱の木の匂い、何より少し外から雑音が聞こえるのが、妙に現実感を演出していた。

いったい何でこんな夢を・・・。

そこに写る青白い顔は、見たことない表情をしていた。


「はぁ・・・あいつはこんな顔はしないな・・・。」


お世辞にも健康とは言えない彼の顔は、歪に笑った。

自分の喉から白夜はくやの声がするのが気持ち悪い。

少し目眩がするし、手足の先は冷たい。

とりあえず息をついて、眠る前の記憶を遡ろうにも、具合の悪さが思考回路を阻害する。

だが夢の中だからか、自分の状況よりも先ほど目についた書類の方が気になった。

おぼつかない足取りのまま、机に戻り、何枚か落ちていた他の書類もまとめて拾い上げた。

しゃがんで立つ度に、体の重さを感じる・・・。

寝起きだからというのもあるだろうが、低血圧だと無理もない。


「あいついつも寝起きはこんなに具合悪いのかぁ?そりゃイライラもする・・・」


そう独り言をこぼすと、聞きなれた声で聞きなれない言葉遣いを耳にするのは、やはり混乱してくる。

ペラペラと紙をめくる音だけが、彼の声と共存していた。

白夜の奥方である実様のデータ以外にも、何人か知らない女性のデータも見受けられる。

出生の詳細のほか、病気の既往歴や遺伝子調査の結果まで書かれていた。


「いったい何のためのデータだ・・・これ・・・」


夢の中といっても、余りに正確に記入されているそれに不信感しかない。

手書きのようだが、見た感じ白夜の筆跡ではないように思う。

一つずつ目を通していると、ある一枚で手が止まった。


「・・・何で・・・小百合のが・・・」


直後、嫌な悪寒に襲われる。

目にした一枚の書類は、間違いなく妻の個人データだった。

微かに歪んでいく視界の中、震えながら目を通す。

自分が主治医をしていたこともあってか、既往歴や病状など知りうる情報もあるが、理由も分からない嫌悪感を覚える一つの項目には、こう書かれていた。


「適応度 良」


どこかで見たことがあるこの書かれ方

俺はこれを知っている・・・


その瞬間、まるでやっと水面から顔を出したかのように目覚めた。


ベッドの上だ。いつもの事務室の天井だった。

胸騒ぎと体の震えが止まらない。

ただの悪夢だ。けれど、確かめたい。

あの書類が本当に存在したとしたら、白夜の部屋にあるのだとしたら、これは何だと詰問すべきだ。

だが、それはただの夢からの情報で、実物を見つけられなければただの戯言。

ついに気でも狂ったかと、奴は俺を蔑むだろう。

いや、その前に・・・


「ああ・・・白夜も小百合も、とうの昔に死んだじゃないか・・・」


夢の感覚が現実を乱す。

ぐしゃぐしゃにした紙を強く握りつぶすような、絞り出した声は紛れもなく自分の声で・・・

だけど少し何かが、違う気がした。

その時ドアのノックの音が、再び俺の意識を引き戻した。


更夜こうや様、起きてらっしゃいますか。失礼しますよ。」


そう言っていつものように、倉根が俺をたたき起こしに来た。

俺は起こした体をやっとの思いで動かし、ベッドから足を出した。


「午前の回診を・・・・て、大丈夫ですか。顔色悪いですよ。ほらほら、さっさと目を覚まして、疲労は若さでふり切ってください。」


若さ・・・?確かに俺は倉根よりはだいぶ年下だが、もう34だぞ

と思い・・・何やら嫌な予感がして、足をもつれさせながら洗面台へ向かった。


「更夜様、本当に大丈夫ですか?今日はお休みされます?」


少し心配げな声は、脳内をすり抜けていった。

大きな鏡に写った自分は、信じがたい程幼い顔だった。

17か18か、おそらくそれくらいだ。


「何なんだよ・・・今度は・・・。」


思わず心の声がそのまま漏れた。


「ほら、顔色思ったより悪いですよ?」


そう言って鏡の横からのぞき込む倉根だが、仕事はしてもらう!という意思が見え見えの目をしていた。

少しにらみつけたが、彼は眼鏡の奥の表情を変えない。

そんなことより、何が起こったんだ。目覚めたと思ったらこの始末。夢の中で夢を見ることもあるのか?

どうせならタイムスリップしてくれたらいいものの、夢なんて自分のご都合主義の塊だ。

そう、ここで何かを確認したり誰かに問い詰めたりしたところで、それが自分の脳内で起こっていることだったら意味がない。


「さ、更夜様、回診行きますよ。今日は小百合様も含め10件だけですので」


「小百合・・・?」


「?はい、小百合様の回診もございます。先週も申し上げました通り、ひと月前から抗うつ剤を継続中です。持病の方は少し治まっておいでですが、体重が少し減少傾向にあるのが心配されますので、・・・て、もちろん覚えていらっしゃいますよね?」


いつ頃の話だろう・・・。

過去の記憶と現在の状況と、夢の中なのか、という混乱の渦の中で、もはや何から考えていいのかもわからなくなってきていた。

後、患者の情報を連絡されると、以前診たときの状況や情報を思い返そうとしてしまう職業病が発生しているが、そもそもそんなこと意味ない気がするんだよな・・・。


「はぁ・・・。倉根、悪いが今日の回診は小百合だけにしてくれないか。」


「ほう・・・。というかどうされたんですか、いつもは「島咲さん」とお呼びしていたのでは?」


倉根は意味深にニヤニヤと口元を緩めた。


「そんなわけないだろう!一族の主治医なんだからほぼ全員「島咲」だ!」


「ええ、そうですね、ですが先週までは呼び捨てにはされてなかったかと・・・。何か親密になることがあった、ということでよろしいですか?」


こいつ・・・・


「当主をからかうのも大概にしろ。」


とりあえず夢ならさっさと覚めてしまいたいところだ。

だがもし、何か奇妙なことが起こってタイムスリップしているのなら、さっき見た書類の有無くらいは確認できるだろうか。

まぁ突飛な話だが・・・。

俺の机の上の物を集めて仕事の準備している倉根に、おもむろに声をかけた。


「倉根、これは夢だろうとわかったとき、覚めるためにお前ならどうする。」


「夢ですか?・・・はぁ・・・試みたことはありませんが、テレビか何かでこう・・・顔を思いっきり後ろに勢いよくそらすと目が覚める、と聞いたことはありますよ。どうしたんですか、まだ寝ぼけていらっしゃるんですか?」


よし・・・。ものは試しだ。

俺はまた鏡に向き直り、勢いよく首を後ろにそらせてみた。


「・・・いかがです?」


「・・・他に手はないか?」


「何なんですかいったい・・・。時間は有限ですよ?」


「本当に夢だとしたらその時間を今まさに無駄にしているかもしれないんだよ!ほかに何かないか!」


彼は呆れかえった表情で投げやりに答えた。


「ではこういうのはいかがです?リスキーですが、シャワーを浴びてみるなど。夢なら現実で災難が起こりそうです。」


「シャワー・・・?湯浴みがなぜ目覚めることにつながるんだ。」


倉根はカルテをあれこれ見ながら答えた。


「ほら、子供の頃にありませんでした?海で泳ぐ夢を見ていたらおもらししていた、とか。水に濡れるような夢を見ると、そういうことが起こることもあるのだとか・・・。」


「貴様ぁ・・・俺に漏らして起きろというのか・・・。」


やれやれ、と言いたげに彼はドアに手をかけた。


「寝ぼけるのも大概にしてください。小百合様に御用があるなら、後は私が全員診ておきます。多忙な一日の朝に当主の寝言に付き合って、仕事も減らして差し上げて、感謝されるならまだしも、憎まれ口を叩かれる覚えはありませんね。」


失礼、と言葉を切り、倉根は眼鏡をキラリと光らせて部屋を出ていった。



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