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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

霊感令嬢レイラ・ウェールスの事件簿

安い誇りはゴミ箱へどうぞ

作者: 野飯 くてる

 その動物園はかつて盛況を博した伯爵家運営の動物園だった。

 

 

 侯爵令嬢レイラ・ウェールスが廃墟となった動物園に来たのは理由がある。

 まっすぐで癖のない黒髪は邪魔にならないように一つに(たば)ね、若草色の瞳は透徹として悲しい謂れのある動物園の残骸を見据えている。少女の肢体を覆う空色の簡易なドレスが風に揺れた。

 なぜ、侯爵令嬢とあろうものが侍女も護衛も連れず廃墟にいるのか。

 それを語るには一週間前に起きた事件(こと)について思い出さなくてはならない。

 

 

 

 

 

 

 侯爵令嬢レイラ・ウェールスは、筆頭侯爵家と名高いウェールス侯爵家の一人娘だ。デビュタント前の令嬢だが聡明さで鳴らし、既に社交界で注目されている才媛であるが、されどまだ十三歳。

 デビュタント前の少女なことは変わりなく、九月頃に王妃も通ったという名門の寄宿学校フィニッシングスクールへ通うことが決まっている。

 今は七月。今年の雨季は短いため夏は水不足が心配されている。レイラは領民が心配でならず、寄宿学校の準備も滞りがちであった。

 だが、準備が遅遅として進まないのにはもう一つ理由がある。レイラの秘密が理由だ。それは、幽霊が見えるというもの。

 (幽霊、か)

 レイラが生まれたイーンシダエ王国は幽霊、天使、悪魔、精霊、聖霊、幻獣を否定するプセマ教を国教としている。故に幽霊が見えるレイラは異端として処刑されてしまう可能性がある。

 レイラには幽霊がオーラをまとっているように見える為、幽霊か生きた人間かすぐに判別がつく。そのため近づかなければ大丈夫なのだが、何故か厄介事から飛び込んでくるので回避出来た試しが無い。もしくは魅入られてしまい近寄ってしまう。近寄らざるえない状況下に置かれてしまう。

 レイラは苦虫を噛み潰したような顔で溜め息をつく。屋敷に引きこもってるだけでも幽霊から近寄ってくるのに、学校なんて集団行動なんかしたらどうなるのだろうか。

「お嬢様」

「ええ、なぁに」

 ノックが四回聞こえ、次いでロッティの呼ぶ声が聞こえた。たまに幽霊がロッティの真似で中へ入り込もうとするから始末に負えないが。

 自室の扉が開き、紅茶色の髪を結い上げた若い侍女が入ってきた。紫の瞳が優しくレイラを見る。

「ロッティ」

 楚々とした美人である侍女のロッティはレイラの新しい専属侍女であった。深い信頼の眼差しを向けてくれる侍女に、レイラは面映ゆい気持ちになりながらも主人として日々応えている。

「エルゼ様がいらっしゃいましたが、如何なさいますか?」

「エルゼ様が?」

 エルゼ・ツヴェーレンは伯爵家の三人目の娘だ。ツヴェーレン伯爵家の三人姉妹は密かに有名だ。美貌で知られる長女、聡明さで鳴らす次女。

「レイラ!! 聞いてよぉう!」

 ひんひん泣きながらレイラの断わりも無く勝手に入って来た『愚鈍な三女』ないし『かしこいエルゼ(・・・・・・・)』である。長女程では無いがそれなりに整った容姿をしているが、伯爵家の令嬢にしては品が無く周囲からは浮いている。

 十三歳にしても幼すぎる性格なのだ。伯爵夫妻も頭を痛めている。

 レイラは彼女が苦手だ。状況を考えずグイグイ来てデリカシーの無いことを平気で言う。自分のことしか考えず、他人のことを考えない。

 悪い意味で有名なエルゼは座っているレイラに勢いよく抱きつき、レイラは衝撃を抑えきれず黒檀の机に腕をぶつけ痛めた。

「っ痛」

「レイラお嬢様!」

 慌てたロッティの声に、レイラは大丈夫と声をかける。

「ねぇ、エルゼ様」

「うん! 聞いて聞いて! お父様ってば酷いの! お父様ったらね?」

 苦言を呈するために口を開くも、すぐに遮り自分の話を続けようとするエルゼに苛立ちが募る。だが息を深く吸い込み理性で感情を鎮めた。そして、ゆっくりと問い掛ける。

「そう、どうなさったの?」

「お父様ね? エルゼをお嫁に行かそうとするの! エルゼはまだ十三歳よ? 早いわよね!?」

 その言葉に虚を突かれ、きょとんとレイラは返す。

「え? お嫁ですか? 確かにお早めですね?」

「ええ、そうなの!」

 ぷっくりと頬を膨らませぷんぷん怒るエルゼはどう見てもお嫁に行けるほど成熟していない。身体では無く精神面の問題だ。身体はまるで大人のように出るとこは出て引っ込むところは引っ込んでいる女性らしい身体付きだが、だからといってお嫁に行けるかと言うとそうでは無い。まだ十三歳のデビュタント前の子供なのだ。

 (伯爵様はお嫁に出して厄介払いしたいのかしら)

 そうなのだろうと確信する。引く手数多な美貌の長女よりも、聡明な次女よりも、なんの取り柄の無い三女(エルゼ)が嫁入りとはそういうことだ。

「お相手はどちら様でしょうか?」

「ハンス様よ!」

「ええっと、どちらのハンス様ですか?」

「ハンス様はハンス様よ!」

 相手のご実家を知らないのだろうか。それとも知ってて当然なお相手なのだろうか。どちらにせよ失礼な物言いに鼻白む。

「かしこいエルゼがどれほどなのかってやって来て、エルゼをお試しになったの! そしたらエルゼがかしこいエルゼだからお嫁にするんですって!」

「ええっと?」

 勢いよくまくし立てられた内容が支離滅裂でよく理解出来ない。少し考える。

 (つまり、『かしこいエルゼ』と呼ばれているエルゼ様が本当に賢くていらっしゃるかハンス様は試しに来た)

 だが『かしこいエルゼ』は蔑称だ。愚鈍なエルゼを社交界で直球に『愚鈍』と口にするのはマナー違反だからわざわざ『かしこいエルゼ』などと呼んで馬鹿にしているのだ。

 つまりこれは。

 (愚鈍で扱い易い花嫁を探しているハンス様は愚鈍で扱い易い(かしこい)エルゼ様を見つけたのでお嫁にすることにした……と、いうことかしら)

 悪意を感じる花嫁選びに嫌悪感が出る。エルゼは好かないがそんな理由で花嫁にされては可哀想だとレイラは顔を(しか)めた。

「酷いわ! エルゼが呼ばれてる『かしこいエルゼ』が悪口なの、知ってるわよ! なのに!」

 ポロポロ泣きながら言い募るエルゼに、さしものレイラは言葉に詰まる。その通りだと。

「エルゼ様…」

「きっと、きっとお嫁に行ったら馬鹿にされて生涯暮らすのだわ! そんなの、ごめんよ!」

「ええ、ええ。その通りですね」

「もう嫌だわ。あの頃に帰りたい…まだエルゼが五歳の頃はツヴェーレンの動物園も凄かったもん! お金もいっぱいあった!」

 ツヴェーレン伯爵家の動物園とは知らぬものは居ない有名な動物園だった。

 一時期、動物愛護の慈善活動が盛んだった頃があり、ツヴェーレン伯爵家の動物園はその先駆けとして一大ブームを巻き起こしたのだ。

 しかし珍しい動物の乱獲が徐々に増えてしまい、高い入場料を取るなど動物の保護という慈善活動という観点から程遠いものに変わり果て王家から動物の乱獲と高額な入場料を止めるように勅令が出た。

 王家が国立イーンシダエ動物公園を設立し無償で提供したことを機に、貴族が運営している動物園は自然と消滅していった。

 (動物の飼育はお金が掛かるもの)

 例え慈善活動でもわざわざ動物園を造って運営しても旨みがないと多くの貴族が考えた結末である。

 王家は寄付を募り、動物園を手放した貴族達はこぞって寄付をした。寄付者として名を王家に知られた方が安上がりで良いと思ったようだ。

 動物園ブームは珍しい動物を数頭ペットにして領地や夜会でコレクションとして見せびらかす一部貴族の道楽のみが爪痕として残った。

 (慈善活動の末路として最悪だわ)

 その残念な結果は、一大ブームの火付け役だったツヴェーレン伯爵家が一番割を食った。動物園ブーム全盛期に立ち上げられた動物愛護団体により糾弾されたのだ。

 多くの著名な、もしくはその他大勢で名さえ表沙汰にされない貴族達より、善良で大人しいツヴェーレン伯爵家のみを分かりやすく糾弾した方が遥かに楽で簡単だからだ。

 本物の善意で、本当に動物を愛し入場料を安く価格設定して本気で動物園を運営していたツヴェーレン伯爵家は、履き違えた偽物まみれの善意により潰されたのだ。

 ツヴィーレン伯爵家は一時期孤立無援の状態であったが、ウェールス侯爵家の支援によりなんとか立ち直った。

 (お父様は動物がお好きだから)

 世間の風評被害によりどん底まで堕ちた伯爵家ゆえに評判には敏感だ。美貌の長女、聡明な次女の嫁ぎ先に気を配る伯爵夫妻にとって、二人の足を引っ張る三女の存在は目の上のたんこぶなのだろう。だからさっさと嫁にやって、伯爵家から出て行って欲しいのだ。

 (可哀想ね)

 気の毒になり、レイラはエルザを見た。エルザの味方はいないのだと、真に理解した瞬間であった。

「では、如何なさいますか?」

「いかがって、なにが?」

「お嫁に行くのですか?」

 エルザは彼女らしく無い大人びた微笑を浮かべる。

「ええ、それしか無いもの」

 年齢と平凡な容姿と愚鈍な性質に不釣り合いな妖艶過ぎる肢体を持つ少女は、男とその嫁ぎ先によって性的に搾取されるだろう。

 身体ばかり大人になって頭はろくすっぽ足りないおこちゃまと陰口を叩かれる少女の末路を想像してしまい、レイラは歯噛みする。

「やっぱり、レイラは優しいわ。エルザのこと嫌いなのに、本気で心配してくれるのだから」

 ああ、とレイラは知る。わかってたのか。

 思ったより馬鹿ではない少女は、戸口に立ち「さよなら」と微笑んだ。

 

 

 

 そのまま行方不明となり、一週間経った。

 

 

 

「ねぇロッティ」

「はい、お嬢様」

「まだ、エルザ様は見つからないの?」

「…そのようでございます」

「……そう」

 ツヴィーレン伯爵家は本気でエルザを見つける気はないようで、人手を割かないようだ。

 薄情なこと。動物にはとても優しかったのに。実の娘にはその情を与えて下さらないのね。

 レイラは皮肉げに嗤い、ツヴィーレン伯爵家長女からの招待状を横目見た。お茶会をする余裕はおありなのに。

 確かにエルザは評判悪いが、こんな扱いを受けていいほどなのだろうか。貴族にとってはそうなのだろうか。

「よし」

 ツヴィーレン動物園へ行こう。もしかしているかもしれない。たとえ、幽霊でも。

 淡い期待を胸に、レイラは空色のドレスを翻し外へ駆けた。ロッティは仕事で呼ばれいないため、一人で行くには今がチャンスだ。

 

 

 

 

 ウェールス侯爵家屋敷からツヴィーレン伯爵家の動物園まで、馬を走らせれば三時間で着く。

 かつて女騎士として活躍した母に鍛えられた馬術は十三歳の少女にしてはずば抜けている。

 戦場で凄腕の伝令として馬と駆け抜けた女騎士の血を引くレイラは大の大人とも渡り合える馬術を持っているのだ。

 闘争心じみた苛烈な表情を浮かべ馬で駆けるレイラは貴族令嬢というより少女騎士…否、女蛮族のようだと見た者は言うだろう。

 休憩も挟まず通しで駆けたレイラは三時間どころか一時間でたどり着いた。空色のドレスはまくれてくしゃくしゃで、念のために履いた馬術用スラックスが見え隠れしている。まるで一風変わった「ハニワ」のようだが、レイラは達成感で気づかない。

 むふぅ! っと得意気に息をつき、髪を掻き上げる。

「まぁ、当然ね」

 自分の馬術に少々酔いしれながら、廃墟となった動物園へ足を踏み入れる。七月の熱風が、レイラの髪とドレスを揺らした。

『レイラ?』

 まさかすぐに逢えるとは思えなかった。レイラは苦笑して、手を挙げて答える。

「ええ」

『待って? エルザ、幽霊になったのよ? 視えるの?』

「……ええ」

 霞網に似たオレンジ色のオーラを纏ったエルザは悲鳴を上げて、レイラに言い募る。

『駄目よ、なら話しかけちゃ駄目よ! レイラが処刑されちゃう! この国では幽霊なんて視える人は異端なんだから!』

 死んでもなおレイラを心配するエルザに、レイラは安心させようと微笑む。

「大丈夫よ、誰もいないもの」

『エルザ、ハンス様に殺されたの! いきなり網をエルザに投げてきて、ぐるぐるにされて窒息してエルザは死んだの! 鈴の音に似た綺麗な声がした…あの声は、美しい一番上のお姉様のものよ! ハンス様とお姉様は恋仲だったの! エルザが邪魔だから殺したのですって!!』

「!!」

『またハンス様とお姉様が戻ってくるかも! あの二人、いつもここで逢引してるのよ! 子供が出来たって言ってた! 逃げて!! レイラも殺されてしまう!! 逃げて!!』

 死者は死んだときの感情や状況、死因に影響を受けて霊体に反映することが多い。霞網のようなオーラは、エルザの死因が影響したためだろう。よく見れば小さな鈴がついている。姉の存在が強くエルザを苦しめたからだろう。姉への恐怖と印象が小鈴となって枷のごとくエルザにぶら下がる。

 小鈴が不協和音を響かせながら、煽るように揺れた。

「大丈夫」

 レイラは、花咲くように鮮烈な笑みを向けた。

「私、強いもの」

 まるで夏に咲く向日葵(ひまわり)のように明るく。

 多分、人間にはそうそう負けたりしないだろう。

 

 

 

 

 

 

 逢魔が時、世界の時間が移り変わるあわい(・・・)の時間に、涙が出そうなほどの美しい夕暮れの下で美しい人影が重なり愛を語り合う。

 その美貌を謳われたツヴィーレン伯爵長女グレーテルとエルザの婚約者であったハンス青年は、動物園の廃墟で愛を交わしていた。

「ハンスっ! ハンス! ああ、愛してるわ!」

「俺もだよグレーテル! 母さんも君との仲を祝福してくれた! いつでも君を妻にできるよ!」

「嬉しい…そうだわ、これ私から貴方へのプレゼントよ」

「! ありがとう、グレーテル! 嬉しいよ!」

 美しい華の(かんばせ)をうっとりとほころばせ、グレーテルは小さな包をハンスに差し出す。

 上質な茶色の包み紙から飛び出したローズクォーツのカフスピンにハンスは爽やかな笑顔を見せる。圧倒的な好青年ぶりは人殺しには見えない。

「綺麗なピンクだ。カフスピンはいつかわからないけど失くしてしまったから嬉しい」

「ええ、失くしたと言っていたから買ったの」

「今日も乾草のベッドで君を愛そう」

 その言葉に、グレーテルは笑みを引き(つら)せる。

 ハンスは貴族の出身では無く、豪農の長男である。馬や牛が食べる乾草を中心に収穫する家だ。広大で肥沃(ひよく)な土地で育てた乾草は質がよく、ツヴィーレン伯爵家も動物園の経営をしているとき世話になった。

 金銭面で危うくなったときも無償も同然の価格で乾草を融通してくれたので、ツヴィーレン伯爵家は両親も三姉妹もハンスの実家に頭が上がらないのだ。

 ゆえにハンスの実家がハンスの妻を求めた際、ツヴィーレン伯爵夫妻は三女のエルザをハンスの婚約者に選んだ。

 長女のグレーテルは伯爵家を継がなければならないので、貴族の次男以下を婿養子に貰いたいため除外。次女の卓抜した頭脳を恩人といえど農家にやるのも惜しくこちらも除外。残るは三女のエルザのみ。

 しかし、長女はハンスと密かに恋仲となり妊娠してしまった。ハンスの容姿は農家といえど貴族のように整い品があったからだ。

「ま、まぁ」

 だがグレーテルはハンスの嗜好でどうしても受け入れられないことがあった。

 乾草の上で身体を重ねることを好むのだ。

 貴族令嬢であり美しくそれなりに教養ある若いグレーテルが、まるで下賤な娘のように乱れるのに興奮するらしい。美しいモノを穢したいという性癖に、グレーテルは引いていた。

 貴族的に整った美貌でも農家は農家。見た目に品はあっても中身に品が無いと気付き、グレーテルは心底失敗したと悟ったが後の祭り。既に子を孕み、グレーテルの眼の前でハンスはエルザを殺した。

 窒息死させた後、こちらを振り返り満面の笑顔でグレーテルを呼んだあの声が忘れられない。あまりの恐怖でハンスの求婚に頷いてしまった。

 人を殺した直後に求婚するその精神性に(おのの)きながらもグレーテルはハンスと一緒にいる。

 ハンスは異常者であると、グレーテルは知ってしまった。いきなり共犯者にされたグレーテルは、妊婦であるというのに身体を気遣わないハンスに嫌悪感があるが、自分も殺されるかもしれないと思い至り、今日に続いた。

 怖くて怖くて、ただ美しいだけの世間知らずな貴族令嬢には拒否の仕方も逃げ方もわからない。何も出来ない美しいだけの人形であれ。貴族令嬢はそのように育てられる。夫となる男の持ち物だから、逆らわないようにと無知であることを望まれる。

 そういった意味では、グレーテルとエルザは「良き令嬢」だ。実際、ハンスは母親から『かしこい女』を妻にしろと厳命されていた。夫と義両親の言うことを疑問無く聞く『かしこい女』を妻に。

 エルザも良かったが、幼すぎる。なら良い年頃で美しい女が良い。

 (でも、エルザはいい身体していた。一回くらい抱けば良かったな。それから殺せば良かった)

 下卑た思考を巡らせながら、ハンスはグレーテルのドレスに手を伸ばす。舌舐めずりをして、うっそりと目を細め情欲に溺れようとしたそのとき、凛とした声が響いた。

 

 

「それまでです。お二人共」

 

 

 

 紅い空の下、数名の騎士を従えた少女がいつの間にか立っていた。

 臆することのない若草色の瞳は大きく、綺麗な黒髪は貴族令嬢にしては珍しいポニーテール。空色のドレスはシンプルで、風にはためいている。

 そしてそんな少女を護る騎士たちの屈強なこと。グレーテルは状況が飲み込めないものの、たくましい騎士たちに見惚れていた。

「なんですか? 貴女方は?」

「! そ、そうですわ! わたくしは伯爵家の長女よ? いきなり…」

「ええ、存じ上げておりますよ、グレーテル様」

 若草色の少女の美しいカーテシーに、記憶を刺激される。

 (そうだわ、招待状を送ったじゃない!! ウェールス侯爵家のレイラ様だわ! )

 次期宰相と誉れ高いウェールス侯爵の掌中(しょうちゅう)の珠レイラ・ウェールスだと気付き、グレーテルはゾッとする。

 直感したのだ。───知られた、と。

「エルザ様を殺したのは、貴方達ですね」

 ハンスが咄嗟に暴れようとするが、一瞬で騎士たちに取り押さえられる。

「エルザ様の死体が、この動物園の廃墟で見つかりました」

 喚くハンスを無視して、レイラは言葉を紡ぐ。

「エルザの死体に巻き付いていた霞網には、ハンスさん」

 若草色の瞳は瞋恚(しんい)に燃えていて。

「貴方の持ち物と思わしきカフスピンが引っ掛かってました」

 レイラの手には、どこかで失くしたと思っていたハンスのカフスピンがあった。

 |それはツヴィーレン伯爵夫妻がハンスに誕生日プレゼントとして贈ったオーダーメイドのカフスピンで、世に一つしか無いものであった《・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・》。

 レイラが笑みを浮かべた。凄絶で、まるで戦士の如き苛烈な微笑を。

「エルザ様を裏切り殺した貴方達の安い誇り(いのち)では、我らウェールス侯爵家に贖いきれません」

 グレーテルは呆然とする。そうだ。ウェールス侯爵家はツヴィーレン伯爵家に資金援助をしてくれていた。妹から婚約者を略奪した上に殺害までしている。殺害は成り行きで共犯者にされたからだが、略奪はグレーテルの意思で行ったこと。ウェールス侯爵家の心証は最悪だ。資金援助は、絶たれるだろう。

 (エルザは確かに、レイラ様と友人だった)

 レイラはエルザが嫌いだった。それでも、友達だったのだ。レイラはツヴィーレン伯爵家がエルザの捜索をおざなりにしていたことを知っている。

 グレーテルは目を瞑り、嘆息した。

 (終わった)

 グレーテルの今後も、ツヴィーレン伯爵家も、ハンスも、何もかも終わった。

「ふ、ふふふふふ…」

 すべての誇りは、牢獄(ゴミ箱)に行き着くだろうと、グレーテルは乾いた笑いが止まらない。

「あは、あははは!! あははははははは!!」

 止まらない。なんて、滑稽なの。

「あはは! ふ、ふひゃ! あは!」

 涙も止まらない。ああ、なんてこと。なんてこと。なんてこと。なんてこと。なんてこと。

 美しいと謳われたツヴィーレン伯爵家の秘宝(グレーテル)は、最初に淑女らしい品のある笑声を、次に少女らしい快活な笑い声を、最後に狂女の笑声を上げていつまでもいつまでも笑い続けた。

 

 

 

 牢獄に入れられた後もグレーテルは笑い続け、取り調べもろくにできなかったという。

 ただ気になることに、たまにエルザがそこに居るかのように話し掛けるそうだ。

「まぁ、エルザ。いらっしゃい」

「あはははは、エルザエルザエルザエルザエルザエルザエルザエルザエルザエルザエルザ」

「エルザ」

 

 

 

 【終】

 

 安い誇りはゴミ箱へどうぞ

 お題元「トルクチューン https://odai.hziym.net/」


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