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始まりは二日酔いの中で ③

『昨日? いつものメンバーで、いつもより酒を飲んだ。それだけだろ?』

「本当にそれだけ? 何か変わったことなかった?」

『変わったことってなんだよ?』

「いや、俺、昨日飲み過ぎて記憶なくってさ。途中から覚えてないんだわ」

『はあ? 知らねえよ。いつも通りなんじゃね? こっちだってかなり飲んでたんだし、細かいことは覚えてないっての』

「そっか。サンキュー。まあ、もし何か変わったことがあったとか思い出したら些細ささいなことでもいいから教えてくれ。頼む」

『何をそんな切羽詰まってるか知らねえけど、まあ、思い出せたら話すよ。それじゃあな』

「ああ、また」


 川村との通話を終え、スマホを充電器にし直す。

 水見さんの部屋から戻り、シャワーを浴び着替えた後に、川村に電話をかけて話を聞いてはみたが昨日何があったのか手掛かりは掴めないままだった。市成にも電話を掛けたが、出なかったのでまたの機会に話を聞くことにしよう。

 水見さんとどう出会い、部屋に至ったかは依然、謎のままである。

 ため息をつきながら、空き缶をせっせとキッチンに運び、水でざっと洗ってはゴミ袋に入れ、焼酎の空き瓶も水洗いして足元に立てる。それが終わると、別のごみ袋にお菓子の空袋やなんかを捨てていく。テーブルの上に落ちているお菓子のなどのカスをティッシュを使い器用にゴミ袋に落とし、台ふきで拭いて、あらかた綺麗になった。そして、最後に床に掃除機をかけようかと部屋の隅にあるコードレス掃除機を手にしたとき、ピンポーンとインターホンが部屋に鳴り響いた。

 慌てて、玄関のドアを開けると、そこには水見さんが立っていた。大学でいつも見かけているような細身のパンツにシンプルなシャツという出で立ちで、着飾らなくても素材がいいため、そこにいるだけでとても絵になる。

 思わず見とれてしまったが、約束を思い出し、「少しだけ待ってて」と言葉を残し、戸締りをし、財布、スマホ、鍵という最低限の荷物だけを手に玄関を開ける。水見さんは何も言わず表情も変えず立っていて、鍵を掛けながら、


「ごめん。待たせた?」


 と、間を繋ぐ言葉を口にするも、水見さんは静かに首を横に振るのみだった。それを横目で確認しながら、鍵をポケットにしまい、水見さんとアパートの廊下を歩き、階段を下り、オートロックのアパートの扉をくぐる。

 そして、そば屋に向かって歩き始めた。水見さんはアパートの部屋の前からずっと数歩後ろを付いて来ていて、そのことがなんだか居心地が悪く、足を止めた。水見さんも同じように足を止めるので、


「あのさ、隣を歩いてくれないかな?」


 そう振り返って声を掛ける。水見さんは表情を変えないが、どこか不思議そうにきょとんとしているのは何となくわかる。


「水見さん、引っ越してきたばかりだったら、まだこの辺りに詳しくないよね? よかったら少し案内しようか?」

「いいの?」

「いいよ。だからさ、説明するのに後ろより隣の方が都合がいいでしょ? それにそこまであからさまに他人のように距離取られるのはちょっとね」

「ちょっと?」


 水見さんは首をかしげる。髪が一筋垂れてきて、水見さんはそれを耳に掛け直した。

 そんなわずかな仕草にドキッとして、見とれてしまう。水見さんの仕草の一つ一つが洗練されていて、まるでこうすれば綺麗に見えますよという見本のような自然なあでやかさがあった。それは見るものの目をくぎ付けにしてしまうほどで。


「ちょっとだけ傷つく……かも」

「傷つくの?」

「友達――とは言えないかもだけど、同じ学部の同級生でお隣さんで、全く知らない仲ではないんだし、もっと楽にラフに接してくれると嬉しいかな」

「――わかった」


 そう言うと、水見さんは隣まですっと歩いて来て、立ち止まる。


「これでいい?」

「ああ、うん。それでいいよ」


 相変わらず視線は合わせようとしてはくれないが、水見さんとの距離が物理的なものだけでなく縮まったような気がした。


「他にはどうしたら、小寺くんは嬉しい?」


 予期せぬ質問にどう答えようか悩む。今この状況だけで十分嬉しいのに、これ以上を望んでもいいのだろうか? ただでさえ、女性との接点なんてほとんどないままこの歳まで育ってきたので、こういうときに返すべき気の利いたセリフの持ち合わせはなかった。


「俺は水見さんが隣にいるだけで嬉しいよ」


 どう捉えられてもいいように逃げ道のある回答をした。今、隣にいる状況が嬉しいとも、隣の部屋に引っ越してきたことが嬉しいとも言い訳できるような曖昧な答え。

 自分の中ではある意味会心の返しだったのに、水見さんは俯いてしまう。そして、髪の毛の先をいじりながら小声で何かつぶやいているが聞き取れない。もしかして、嫌な思いをさせたか誤解させたのではと焦ってしまう。


「あの、水見さん?」

「……ごめんなさい。何でもない」

「そう? じゃあ、行こうか」


 水見さんと歩幅を合わして歩き出す。歩きながら、時々立ち止まり、この道の先にスーパーがあるだとか、あそこのパン屋がおいしいとか、一方的に説明する。それを水見さんは隣で時折、頷きながら静かに聞いているようだった。最寄りのコンビニの前を通り過ぎながら、


「ここがたぶん一番近いコンビニだから」


 と、説明すると、「そうだったんだ。たしかに近かったね」と唯一分かりやすく反応が返ってきた。そのことに内心では驚きつつも、実際にアパートからは歩いて五分もかからないので、気まぐれで返事をしただけかもしれないと、水見さんの言葉を流すことにした。

 そして、道案内以外の雑談が一切ないまま、目的のそば屋に辿り着いた。

 水見さんの様子を隣から盗み見ると、そば屋の外観を一通り眺めて、店先のメニューに目を落としているようで特に嫌そうにしている様は見てとれなかった。

 こうやって一緒に歩いたりすることに嫌悪感などのマイナスの感情を抱かれていないのだけは分かるので、ホッとする。

 なんだか水見さんといると、事あるごとに緊張してはホッとしてを繰り返しているような気がする。

 水見さんが隣にいる状況に、というか、親族以外の女性と二人だけで出歩いたりするという状況に慣れていないので、緊張に関してはどうしようもないことだった。

 そんな今までの情けない自分の人生に、一つ大きなため息をつきながら肩を落とす。


「小寺くん、大丈夫?」


 隣から心配そうな水見さんの声が聞こえる。声の方に顔を向けると、ふいに視線が合ってしまい、水見さんがすっと視線を外す。それに釣られるように視線を明後日の方に向ける。


「だ、大丈夫だよ。店の前に突っ立っててもあれだから、中に入ろうか」

「うん。そうね」


 はたから見れば初々しいカップルにも見間違われそうなたどたどしさで店内に入った。

 席に着くとメニューを手に取り、向かいに座った水見さんを見ると興味深そうにメニューを眺めていて、


「ここのそば屋は丼モノがおいしんだ。まあ、今日は関係ないけども」


 と、場を和ませようとする。水見さんはメニューを開いたままテーブルの上に置き、


「小寺くんはここでよく食べるの?」


 と、聞いてくるので、「ここは月に二、三度くらいかな」と答えた。


「小寺くんは外食ばっかりなの?」

「まあ、そうだね。さっと食べたいときは牛丼屋やハンバーガー、夜ご飯とかしっかり食べたいときは定食屋や中華とかかな。他には居酒屋とかコンビニ弁当とかも多いかもね」

「自炊は?」

「今はインスタントくらいかな。一人暮らし始めたばっかりの頃は自炊する気満々だったけど、だんだん面倒になってさ。簡単なものしか作れないけど、料理ができないってわけではないんだ」

「そうなんだ。じゃあ、私が作ってあげようか?」


 水見さんは変わらぬトーンで提案してくるので、何を言われたかとっさに理解できなかった。なので、「何を?」なんて気の抜けた返しをしてしまう。しかし、水見さんは変わることなく、「ご飯」と一言口にするのみだった。


「そりゃあ、誰かに作ってもらえたら嬉しいけども」

「じゃあ、作ってあげるよ」

「それはありがたい提案だけど、なんだか申し訳ないよ」

「嫌……かな?」


 水見さんは首を傾げ、視線を落としながら、わずかに震える声で言うので、罪悪感にさいなまれる。正直なところ、嫌どころか嬉しいに決まっている。面識のある同世代の女子の手作りの料理なんて、調理実習くらいでしか口にしたことがない。

 それに自分からお願いするのではなく、提案されている立場なので受け入れても問題ない場面に思えた。


「じゃあ……たまにならお願いしようかな」

「うん」


 水見さんは顔を上げ、今までに見たことないほど自然な笑顔を浮かべた。それは呼吸を忘れるくらいに美しかった。水見さんがすぐにいつものポーカーフェイスに戻った後もその余韻は残り続け、そばの味も水見さんとどんな会話をしたのかも、忘れてしまうほどで、気が付いたら自分の部屋の中で玄関の扉に背を預け、立ち尽くしていた。

 そして、その手にはつい数秒前に水見さんの連絡先を登録したスマホが握らていた――。

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