水見さんは海に誘いたい ①
大学生の夏休みは意外と長い。平均するとだいたい一ヶ月半ほどあり、長いところだと二ヶ月あるところもある。夏休みの間はバイトに精を出してもいいし、留学や資格の勉強をしたりと自分磨きをしてもいい。休みだからと遊びまくるのも自由で、どう過ごすかは個々人の自主性に丸投げされている。
その点、小寺春樹という人間はというと、去年はメインのバイトの合間に短期のバイトを入れまくって、労働に勤しんだ。そのころには市成や川村とはすでに仲が良かったが、成人していたのは川村だけで、酒を飲むということはまだしていなかった。また時間的な余裕もなく遊ぶこともほとんどなく、帰省することも遠出することもなかった。
そうしてお金を稼ぎに稼いだが使うことがほとんどないまま夏を終えた。資格も恋人も遊んだ楽しい思い出も得られなかった代わりに、充実した達成感というべきものを預金通帳を眺めれば感じることができた。
しかし、今年の夏休みは去年とは違っていた。バイトのシフトと時間を増やしたが、他のバイトはしないことに決めた。
「それで、小寺くんはお盆はどうするの?」
「バイトするくらいだよ」
「実家には帰らないの?」
「うん。もう連絡してる。年末年始は帰って来いって言われたけど。水見さんは?」
「私は実家は近いし、なにかあればすぐに帰れる距離だから」
そんな話をしながら、俺の実家からの仕送りで送られてきたそうめんをお昼に水見さんと一緒に食べている。
いつの間にか水見さんの部屋で一緒に食事をすることも生活の一部になりかけていた。こうやって当たり前のように雑談しながら、そうめんをすすっているのがいい証拠だ。
こういう水見さんとの何気ない時間を大事にしたくて、今年はバイトに追われない夏休みにしようと決めたのだ。
「それで、水見さんは夏休みはどうする予定なの?」
「私? 私はバイトを始めようかなって思ってる」
「そうなんだ」
「うん」
その話を聞きながら水見さんはどんなバイトをするのだろうかと興味が湧いた。似合いそうなのは事務系のバイトで、淡々と働く姿は容易に目に浮かぶ。キッチンスタッフも水見さんの料理の腕を考えれば向いているように思える。逆に接客は見た目がいいから向いていそうに思えるが、表情の変化や声の抑揚に乏しいので難しいように思えた。
「どんなバイトをするか決めてるの?」
「うん。もう働くところも決まっているんだ」
「ちなみに、どこ?」
「パン屋さん」
「そうなんだ。今度、買いに行くからどこのお店か教えてよ」
「前に一緒に行ったことあるよ」
「えっ? もしかして、近所のあそこ?」
水見さんは首肯して見せる。そのことがなんだか意外で、食事の手が止まってしまった。そもそもあのパン屋がバイトを募集していることすら知らなかった。
「どうして、また」
「あそこのパン屋さん、あれ以来気に入って、ちょくちょく行ってたの。それでバイト募集の張り紙しようとしてるところ見かけて、私でよければって」
「それで働くことになったんだ。仕事はどんなことするの?」
「基本はレジと接客。あとは時々作る方も手伝うことになってる」
「そうなんだ」
「うん。だから、そのうちおいしいパン作ってあげるよ」
水見さんは真っ直ぐに俺を見つめながら、真顔でそう口にする。水見さんなら本当に生地からパンを作りかねないなと思ってしまう。だから、その言葉を受け止めるにも、「期待はするけど、無理はしないでいいから」と、こんな具合に保険をかけてしまう。
水見さんもそれ以上は何も言わず、食事に戻っていった。
水見さんとの時間は静かな時間が多いが、それでも一緒にいたいと思ってしまうのはどうしてだろうか? 水見さんと一緒に歩いて帰ったあの夜から、自分の中で水見さんが占める割合が大きくなっていくのを感じる。
この気持ちを恋と呼んでいいのか分からないまま、ただ時間を共有したいと願っていた。
そう思いながら、なんとなく水見さんの顔を見つめていると、水見さんが視線に気づいたのかふいに視線を合わせてくる。最近、視線が合うことが多くなったなと変化を感じていると、
「小寺くん、どうかした?」
と、不安そうな声音で尋ねられてしまった。慌てて視線を外し、「何でもないから、気にしないで」と誤魔化すと、いつものように短く「そう?」と返ってくる。
「それで小寺くん。話を戻すのだけれども、お盆は暇?」
「えっと……バイトがないときは暇だよ」
「そっか。じゃあ、来週の週末は空いてる?」
水見さんに言われて、スマホを取り出して、予定を確認する。来週は世間ではお盆休み真っただ中だ。スケジュールを見る限り毎日のようにシフトが入っている。月曜日から木曜日までは毎日、金曜日は休み。土曜日はシフトで日曜日は休みになっていた。
「来週の週末は金曜と日曜が休みで土曜がバイトかな」
「そっか」
水見さんは視線を落とす。視線だけでなく肩も落としているように見えた。
「何かあった?」
「えっと、お姉ちゃんが暇なら小寺くんも誘って遊びに行かないかって、昨日ご飯作りに行ったときに言われたんだ」
「そうだったんだ。それで遊ぶって、何する予定なの?」
「土曜日から一泊二日で海に行かないかって」
「一泊二日!!!?」
「うん」
海に行くことより、泊りがけということの方に驚いた。
「どうして泊りがけ?」
「お姉ちゃんの彼氏のヨシさんが、会社の人から海辺の別荘地にある貸しロッジの優待券貰ったから、一緒にどうかって」
「それさ、千冬さんと彼氏さんの二人で行ったらいいんじゃない?」
「私もそう言ったんだけど、ご飯は自分たちで作らないといけないから」
「それで水見さんが呼ばれたわけなんだ」
「うん。それだけじゃなくて、お姉ちゃんなりに私が寂しくないようにって、気を遣ってるのかもしれない」
話を聞いて、千冬さんらしいなって思った。水見さんの言う通りご飯作ってというのを口実に水見さんを連れ出して、楽しませたいのだろう。さらに自分の目が届く範囲なら何があってもすぐにフォローできる安心感があるのだろう。
千冬さんは水見さんに甘くて、過保護なところがあるのかもしれない。そう思うと、なんだか少しだけ笑えた。
「それでどうかな?」
「わかった。シフト代わってもらえるか相談してみるよ。たぶん大丈夫だ」
「本当に? よかった」
水見さんは顔を上げて、目をぱちくりと何度もした後、分かりにくいけれど嬉しそうな表情に変わっていく。そのことに自分まで嬉しくなって頬が緩んでしまいそうだった。
シフトの方は繁忙期だが、元々働き過ぎで雑なシフト組みをされていたので、休みたいと言えば一日くらい誰かと代わらせてもらえるだろう。それくらいの信用は得ているつもりだ。
その証拠に担当の社員に休みたいとテーブルの下で水見さんに気付かれないようにメッセージを送ったら、すぐに了承と代わりを用意すると返信がきた。ちょうど今、休憩時間か裏方にいたのかもしれない。
水見さんに休みが取れて何の心配もなく行けると伝えたら、どんな顔をするだろうか?
「ねえ、水見さん。来週のことなんだけど――」
水見さんは不安そうな表情を浮かべるも、休めることになり行けそうだと話すと、次第に頬が緩んでいき、見たもの誰をも虜にしそうな最高の笑顔を浮かべる。ここまでの反応は予想外だった。
今から来週に向けて、胸の高鳴りが収まる気がしなかった。
それは水見さんも同じなのだろうことは表情が物語っていて、その夏の太陽にも負けない眩しい笑顔に俺の胸はきっと焼かれている最中なのだろう――。