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水見さんは近づきたい ③

 トイレに行った市成と川村が戻ってくるのを待ちながら、不意のことでパニックになった頭のまま、できるだけ冷静になって考える。

 そもそも、水見さんは何でこの居酒屋に来たのだろうか? 見かけたのは一瞬だったが、水見さんは一人じゃなかった。たしかに、居酒屋の場所を教えたのは自分だが、行くのは難しいと断りの返事をもらっていた。

 いくら考えても理由は水見さん本人に聞かないと分からない。だから、突っ伏したまま目を閉じ、店内の喧騒に耳を傾け、今は気分を落ち着かせようと思った。

 しばらくすると、喧騒の中から足音が近づいてきた。


「たーだいま。って、小寺どうした?」

「調子でも悪いのか?」


 その声に頭をずらして、目を開けると、市成と川村の二人が席に着くなり、心配そうな表情を浮かべていた。


「ちょっと飲み過ぎたのかもな。飲んだの久しぶりだったし、疲れで変に酔いが回ったのかも」


 そう言いながら体をゆっくりと起こす。


「本当か? 体調悪いなら先に切り上げて帰ってもいいんだからな」


 市成の言葉に川村も頷く。この二人は本当にいいやつだと思う。そうしみじみと思いながら目の前のコップの残り少ない日本酒を飲み干し、続けて水をぐいっとあおり、口の中をさっぱりとさせる。市成と川村はそんな俺の様子を見て、心配する気持ちが緩んだのかそれぞれ自分のビールに手を伸ばす。


「そういや、小寺。さっきトイレから戻ってくるときに、同じ学部の水見さんのそっくりさんを見かけたんだよ。なあ、市成」

「そうそう。もしかしたら、本人かもしれないけど、照明薄暗いし、横顔をチラッと見ただけだからわかんないんだけどな」

「へ、へえ」


 その後の二人のやり取りを聞くと、どうやらまじまじと見ていないから確証がないということと、誰かと仲良く話していたから本人ではないのではということらしかった。そういうことならそういうことにしておきたい。俺も一瞬のことだから見間違えたと思いたいけど、見間違うとも思えなかった。


「その水見さんさんだけど、最近、変わったって噂よな」


 市成がそう切り出すと、川村が「そうなのか?」と聞き返す。


「ああ。前は人と話すところどころか、スマホをいじってる姿もほとんど見られてなかった水見さんが、最近はスマホをよく気にしているだとか、表情が柔らかくなったとか聞くよ。だけど、人を寄せ付けないのは相変わらずだから、『氷の女王』は健在だって話らしいけど」

「へえ。俺はそういうことをあんまり聞かないからよく分からないんだよな。小寺はどう思う?」


 二人の視線が集まる。そこで話を振られても困る。水見さんの話題は極力避けたかった。もしかしたら、市成の言う変わったと言われる水見さんは、自分のよく知るお隣さんの水見さんがはみ出してきたのかもしれない。そういうことなら、水見さんの変化を一番間近で見てきたのは自分ということになる。


「俺もよく分からないよ。そんなにみんな四六時中、水見さんのことを気にしているわけじゃないだろう? だから、何かの気のせいだってこともあるんじゃないか?」


 そう一般論に聞こえるありきたりな返答をする。


「まあ、そうかもしれないけどさ。もし変わったとしたら、何か心境の変化でもあったのかな? 好きな相手ができたとか」


 そう川村がニヤニヤとした表情で横から言葉を挟む。


「もしそうなら、相手は同じ大学生かな? それとも大人な包容力のある年上の社会人とか?」

「まあ、どっちもありそうだよな。勝手な想像だけど水見さん、年下や同年代に興味なさそうだし」

「めっちゃわかる。そうなると、そういう相手の前では笑ったりしてるわけだろ? あんな美人の好きな人にだけ見せる笑顔って、破壊力すごそう」

「普段クールなのもギャップの振れ幅あるだろうし、普通の男はイチコロだろうな」


 川村と市成の想像の話は続く。たしかに、水見さんの笑顔は心を鷲掴わしづかみにされるほど魅力的だ。笑顔だけでなく、仕草の一つ一つが綺麗だ。いろんな想像をしているであろう川村と市成も、水見さんが料理をしながら鼻歌を歌うのは想像できないだろう。

 そんな今まで見てきた水見さんを思い返すだけで自然と口の端が上がってくる。


「なに、笑ってるんだよ。小寺」

「いや、なんでもない。水見さんって不思議な人だよなって思っただけ」

「はあ? 意味わかんねえよ」


 そう言いながら、なんとなくスマホを取り出すと、気付かないうちにメッセージが届いていた。


『小寺くんに教えてもらったお店にお姉ちゃんと行くことになりました』


 それを読んで、画面をスクロールさせ、その前のやり取りを見直してみる。もしかしたら、水見さんは最初から来る気だったけど、一人で行くのが難しいというか不安だったから、お姉さんを誘って来たのではないか。

 水見さんのことだから居酒屋に来たとしても、遠慮して声を掛けてくるなんてできなかっただろう。

 そう思うと、なんだか無性に水見さんと合流したくなった。

 きっと連絡すれば、水見さんはあっさりと了承してくれるかもしれない。しかし、川村と市成はどうだろうか? 今、このメンバーで相席したとすれば、女性の目を真っ直ぐに見て話せない川村に、女性と話すときぎこちなくなる市成。そんな二人にとって水見さんの会話のテンポの悪さや、『氷の女王』と呼ばれる一因でもある受け手にとっては突き放すかのように感じる会話のぶつ切りや強い目力など、それらはきっと二人の心をえぐってしまう。水見さんと目の前の二人は酒の席でなくシラフの席で時間を掛けないと相いれないもののように思えた。

 そんなことを考えていると、持っているスマホが短く振動する。それは水見さんからのメッセージだった。


『お姉ちゃんが一緒に飲みたいと言ってるのだけど、どうする?』


 それを読んで思わず頭を抱えてしまう。なんでこうも今日に限ってタイミングよく現れたり、メッセージを送ってきたりするのだろうか。


「小寺、どうした? やっぱり調子悪いのか?」


 川村が市成との妄想トークを中断し、声を掛けてくる。川村と市成には悪いが、この場を早々に解散させて一旦店を出て、戻ってくるのが最善に思えた。


「そうかも。ちょっと飲み過ぎて、変に酔いが回ってるのかも」

「大丈夫か? てか、さっきからスマホ見てるけど気になることでもあるのか?」

「ああ、明日のバイトのシフト、代わってくれって回って来たんだよ。試験でシフト緩めにしてたから、試験が終わった身としては断りにくいしでどうしようかなって」

「それは仕方ないとはいえ、辛いな」


 市成が苦笑いをして頷く。川村はきょとんとしているが市成は同じような経験が少なからずあるのか、あわれみの視線を向けてくる。

 しかし、全部とっさの作り話で、平たく言えば嘘だ。


「じゃあ、今日はここらで解散にするか?」


 市成がそう言うが、「解散は小寺だけで、市成はまだ飲むよな?」と川村が言う。市成はそれに付き合ってやるよと同調する。

 そう言うと席を立ち、会計を済ませ一緒に店を出る。店の前で、市成と川村は「また今度ゆっくり飲もうぜ」と言い残し、別の店に行くぞと雑踏の中に消えていった。

 その二人の背中に聞こえないように「すまないな」と謝り、いつかは本当のことを喋ろうと心に誓った。そして、スマホを取り出し、水見さんに電話をする。


『も、もしもし』


 水見さんの声が聞こえる。後ろは相変わらず騒がしい。しかし、次第に静かになっていく。もしかしたら、トイレとか人の少ないところに移動したのかもしれない。


「あのさ、水見さん。これから合流しても大丈夫かな?」

『いいの? でも、小寺くんは友達と飲んでいるんじゃなかった?』

「そうだったんだけどさ、ちょうど今、別れて俺一人なんだけど、他のやつも一緒の方がよかった?」


 しばらく、水見さんからの返事が返ってこない。これで断られたら、恥ずかしいってだけでなく、市成たちと再合流なんて今さらできないので、寂しく一人で家に帰らなければならない。


『私は……私は、小寺くんが来てくれるなら、それだけで嬉しいよ』

「よかった。それで悪いんだけど、どこに座っているのか分からないし、店を一回出ちゃったからさ、一度外まで出てきてくれないかな?」

『うん。わかった』


 そう言うと、通話はぷつりと切れる。しばらくすると、


「小寺くん」


 と、水見さんが店から出て声を掛けてくれる。たしかに、市成の聞いた噂通り、水見さんの表情は柔らかくなった気がする。川村の想像通り心境の変化があったのかもしれない。ただ、今はそんなことより、嬉しそうにほほ笑む水見さんのその表情が自分に向けられているということが嬉しかった。

 そう思ったことを水見さんに気付かれたくなくて、水見さんの顔を直視できないまま、一緒に店に入り直した。

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