水見さんは近づきたい ②
ピークには少し早い時間だったが居酒屋の席は大半が埋まっていた。自分たちと同じくらいの年代のグループや、仕事帰りらしき一団もいたりと賑わっていた。
自分たちも通された席に着くなりつまみと酒を注文して、すぐに周囲とは見分けのつかない居酒屋の景観の一部になり果てる。
川村と市成はハイペースでビールを飲みまくっている。俺はというとそれを横目にちびちびと日本酒を飲んだ。以前の記憶が飛んだ一見以来セーブのきいた飲み方しかできなくなっていた。また飲み過ぎて同じような目に合うのが怖かったからだ。
「小寺さあ、最近様子おかしくね?」
何杯目か分からないビールを手にしながら市成が脈絡もなく突然そんなことを言い出した。
「そんなことねえよ。俺はいつも通りだ」
「いや、俺も市成の意見に同意だ」
川村も話に参戦する。そのことで市成は「だよなあ」と声を張り上げ、川村と頷き合っている。面倒くさいことになりそうだと思っていても、このまま話を流しては市成の指摘を認めることになる。個人的には全く自覚はない話なのだが。
「おいおい、ちょっと待てよ。俺のなにが様子がおかしいって言うんだ?」
「何がって、そりゃあ。あれだ。小寺、俺らに何か隠し事してるだろ?」
「隠し事?」
市成の言葉に思い当たるものがない。市成は前のめりになっている。川村は追及は市成に任せたのか枝豆片手にビールに口を付けながら、市成の言葉に相槌を打っている。
「そりゃあ、一つや二つ隠してることなんてあるだろ。性癖とかオープンにしているわけじゃないし」
「違う。そういうこと言ってるんじゃない。というか、まじで自覚ないのか?」
「なんのことだよ?」
「お前さ、もしかして彼女できた?」
「はああああ!!!?」
市成の予想外の言葉に変な声が出る。川村もそれは予想外だったらしく、「まじでか!?」と俺以上に驚いた顔をしている。
「なんでそんなことになるんだ?」
「例えば、最近、スマホ気にする頻度が増えただろ? 今日だって試験終わりに誰かとのやり取りに夢中になってたみたいだし」
「いやいや、誤解だって。お前だって、誰かと短い時間で何往復もやり取りすることはあるだろ?」
「いや、そういうときは電話するから」
「じゃあ、一般論としてだ。別におかしくない話だろう?」
市成はそう言われればそうかもしれないと半歩身を引く形になるも、そこからさらに一歩踏み込んでくる。
「じゃあ、これも誤解か? 試験の少し前くらいかな。小寺が早朝に女の子連れて歩いてるの見たっていう話聞いたんだけど」
それには思い当たる節がある。
「いやいやいや。ないって。そもそも誰からそんな話聞いたんだよ」
「中村」
「えっと、誰?」
「高校からの付き合いで同じ大学の別の学部の友達。小寺も川村も何度かあったことあると思うよ」
確かに市成の友達とは何人かと面識はある。学食で一緒に食べたり、空いた時間に合流して一緒に時間を潰したりとかあったからだ。その中の誰かということなのだろう。
「それで、その中村くんはなんだって?」
「深夜バイトの帰りに見かけたって言って、写真撮って送って来たぞ」
そう言うと、スマホを操作して、画像を表示させテーブルの中心に置いた。そこには確かに自分が写っていた。予想通り、水見さんと朝ごはんを買いに行ったあの日の朝のことだ。ただ、幸いなことに角度的に水見さんの顔は見えないので、これだと相手が誰かまでは分からない。
もし分かっていたら、水見さんは目立つので大学でもっと噂になっているだろう。そうなれば、耳の早い市成にもっと早くに問い詰められていたはずだ。
「で、小寺。誰なんだよ、これ」
「……この人は、俺のお隣さんだよ」
「はあああ!!!?」
今度は市成が変な声を出す。俺は決して嘘はついていない。
「なんでお隣さんと早朝に一緒に歩いてんだよ」
「その日、たまたま早起きしてベランダで涼んでたら、お隣さんも同じようにしててさ、最近引っ越してきて間もないって言うから、案内がてら近くのパン屋に一緒に行ったんだよ」
「下手な冗談はやめろよ」
「いや、まじだって。その写真の真相はそんなところだよ。分かってみれば大したことない話だろ?」
繰り返すが俺は嘘はついていない。全て事実だ。しかしながら、市成はまだ納得できていないようだった。それでも、それ以上に追及する手札はないようで、頭を掻いて何か絞りだそうとしているが、何も出ないようだった。そして、市成はすっと立ち上がり、
「ちょっと便所行ってくる」
と、口にして店内のトイレに向かった。川村も「じゃあ、俺も」と言い、市成の後を追いかける。席に一人取り残され、二人が見えなくなるのを確認して、自分でもびっくりするくらい大きなため息を吐いた。
「乗り切った……」
安堵する気持ちを噛みしめながら、日本酒の入ったコップに手を伸ばし、口をつける。
一息ついて視線をあげると、思いがけないものが目に入り、ゲホッゲホッと日本酒が喉にひっかるような感覚からむせてしまう。
「噂をすれば影というけど、名前はだしてないっての……」
先ほどまでの話のもう一人の当事者、つまりは写真に写ったもう一人の人間に顔を見られないようにテーブルに突っ伏した。そのまま腕の隙間から床の方に視線をやりながら、耳に神経を集中させる。ガヤガヤと騒がしい店内のなかで、パンプスのヒールが床に当たる硬い足音が二つ近づいてきて通り過ぎてゆく。おそらくこことは離れた席に案内されたのだろう。
そのままもうしばらくは何があるか分からないので突っ伏していようと決める。
それにしてもさっきまで酒を飲んでいたというのに頭がとてもクリアだった。何かの拍子に酔いがさめるというのは本当なんだと心底実感する。
本当は顔を隠したりする必要はないのかもしれないが、さっきまでの会話で水見さんのことを相当意識してしまっている。だからというわけではないが、今は何となく水見さんと顔を合わせるのは気まずかった。
今は市成と川村の二人が水見さんの存在に気付かないでいてくれと願うばかりだった。