1 始業式中は事務室で
始業式当日の朝、俺は慌ただしく登校の準備をしていた。
とはいえ、俺は始業式に出るわけではなく、その時間の間は別室で時間が過ぎるのを待つことになっている。
「これと、これと……」
鞄に荷物を詰め込んでいる時にインターホンが鳴った。
出るのが面倒だったが玄関に向かいドアを開けると、いきなり俺を貶す言葉が投げかけられた。
「おはよう、ヘンタイ」
ドアの前に立っていたのは陽歌だった。
「何の用だ? 今忙しいんだけど。あと、ヘンタイじゃねーからヘンタイじゃ」
朝っぱらから、しかも忙しいときに投げかけられた言葉に苛立ちを露にしてしまいそうだ。
「今日は一緒に登校してあげようと思って。あと、普通にヘンタイだから」
「優しいお心遣いありがとうございます。その後の一言で全部台無しだけどな」
「じゃ、早く行くよ」
「まだ支度終わってねーし」
「まだ支度終わってないの? というか、なんで昨日の内に準備してないの?」
陽歌の言い分は尤もだが……俺は昨日、ここ最近で一番嬉しい出来事に巡り合ったことで浮かれすぎていて、支度どころではなかったのだ。
「昨日は色々あって歩き疲れたんだよ」
「ふーん」
「とりあえず中で待ってろよ」
玄関でいつまでもだらだら話していたら支度が進まない為、とりあえず家の中で待っててもらうことにした。
自室に戻り、とりあえず持って行った方がよさそうなものを再び鞄に詰めていく。
「相変わらず雑だなぁ。もうちょっと丁寧にしまおうとは思わないの?」
陽歌は後ろから鞄の中を覗き込むようにしてそう言ってくる。
「俺的には割と丁寧にしまってるつもりなんだけど」
「全然だよ。はぁ……ちょっと貸して」
言われるがままに陽歌に鞄を渡す。
「うわぁ、相変わらずきったなーい」
「悪かったな」
陽歌は俺の鞄の中の汚さに文句を言いながらも、手を止めることなく作業を進めている。
「これでよしっと」
流石は陽歌。掃除もプロだし、こういうことをやらせると右に出るものはいないのではないだろうか。
「課題は抜いといたから。授業が始まってからその教科ごとに提出だし必要ないから邪魔になるだけだし」
「へー、そうだったのか。知らんかったからとりあえず全部詰め込んでたわ」
「じゃ、行こっか」
「あ、そうだ、後はこれを持ってと――」
机の上に置いておいた昨日貰ったお守りをブレザーの内ポケットに入れる。
「何を持ったの?」
「お守り」
「へえ、珍しい。お守りなんて持ってるの見たことなかったのに。心境の変化でもあったの?」
陽歌は意外なものを見るような目で聞いてくる。
「別に、ただ何となくだけど。ほら、行くぞ」
「待ってあげてたのは私の方だけどね」
※※※※※
朝食を食べていなかった為、自宅から花櫻学園への道の途中にあるコンビニでおにぎりを二つ購入し、再び学校へと歩き出す。辺りには今日から学校が始まるからか同じ制服を着た生徒が多く見受けられる。
「これ開けてくれ」
先ほど買ったおにぎりの一つを陽歌に手渡す。
「もう! なんで家で食べてこないかな」
文句を言いながらもおにぎりの封を開け、それを渡してくれる。
「しょうがねーじゃん時間なかったんだから」
「余裕をもって準備してればそんなことにはならなかったでしょ」
陽歌は俺の正面に回り込むと、人差し指を俺のおでこの真ん中あたりに当ててくる。
「ま、そうだけど」
「そういえば気になってたんだけどさ、よく自分で着替えたりとか三角巾付けたりできるね」
「はぁ……良くも悪くもこの生活も長いからな。三回目ともなると、気付いたらできるようになってたんだよ。最初は苦戦したんだけどな。思い出すだけで苦労の日々だったわ……」
「これぞ成長ってやつだね!」
「全く嬉しくないけどな」
おにぎりを食べ終わった為、もう一つのおにぎりを陽歌に渡す。
「くれるの?」
「欲しけりゃやるけど太るぞ」
「喧嘩売ってる? これくらいなら別に大丈夫だけど」
「じゃ、食えば?」
太らない自信があるみたいだし、食べたければ食べればいい。
「生憎私はおうちで食べてきました。なのでいりません」
「ふーん、じゃ、開けて」
「はいはい。でも、これは自分で開けれないんだねぇ」
「開けれるけどお前に頼んだ方が安全だからな」
多分開けられると思うが、落とす可能性も結構あるわけで、陽歌に開けてもらう方が安全なのだ。
「学校でも私に頼んでくれてもいいんだよ?」
「いや、いいわ。流石にそこまでは迷惑だろ」
「そんなことないんだけどなぁ」
陽歌はそう呟き、封を開けたおにぎりを手渡してくれる。
「サンキュー」
「どういたしまして」
封を開けてもらったことに対してお礼を言うと、陽歌は嬉しそうに返事をした。
「そういや、クラス替えとかはあるのか?」
「あるよ! 終業式の日に発表されたから! 私は二年三組なのだ!」
「へぇー。ま、そりゃクラス替えくらい普通はあるか。前の学校は無いっぽかったけど」
「うちも一年から二年に進級する時だけだよ。高校になったらクラス替えが無いのもそう珍しくはないんじゃない? で、佑くんはもう自分のクラス知ってるの?」
お、ヘンタイから呼び方が元に戻った。よかった……。
「いや、知らないけど? 学校着いたら教えてもらえるんじゃね?」
「そうなんだぁ。同じクラスになれるといいね!」
「そうだな」
そんな会話をしているうちに、気付けば花櫻学園の校門まで辿り着いていた。
この前来たばかりだから知ってはいたが、改めて大きい学校だなと思う。
前の学校は決して小さかったわけではないが、それでも二倍くらいの敷地の広さはありそうだ。
その広い敷地を歩いていき、昇降口までたどり着く。
「じゃ、俺は玄関の方から来るよう言われてるから」
「わかった! また後でね!」
昇降口から校舎に入っていく陽歌の背を見送ってから、学校の玄関の方に歩いていく。
流石に大きい学校だからか、玄関に着くまでそこそこの距離があり、たどり着くまで心なしか少し時間がかかったような気がした。
玄関から学校に入り、隣にある事務室のドアをノックするとすぐに事務室のドアが開き、若い女性の職員が出てきた。
「おはようございます。今日から花櫻学園に転校することになっている椎名佑紀です。登校したらまずは事務室に行くよう言われていたのですが」
「はい、お伺いしております。こちらにおかけになってお待ちください」
案内されたソファに腰を掛けると、目の前の机にお茶を用意してくれた。
「始業式が終わったら担任の先生が迎えに来てくれるからそれまでここで待っててね。暇だったらスマホとか使っててもかまわないからね。あ、あと、提出書類って持ってきてくれてるかな?」
先ほどの丁重な言葉遣いから一変して、普通の砕けた言葉遣いに変わっている。
だからといって特に馴れ馴れしいわけでもない為、この距離感が丁度良いと感じた。
「はい、今出すんでちょっと待ってください」
鞄を漁ればすぐにその書類が見つかった。
家を出る前に陽歌が整理してくれたおかげである。
きっと自分で準備した鞄だと見つけ出すのに苦労したことだろう。
「お願いします」
「はい、確かに受け取りました。じゃあ私は校長室に行ってくるからちょっとの間お留守番よろしくね」
事務職員の女性は、そう告げるとすぐに出て行ってしまった。
というか、事務の人あの人だけなのだろうか?
まあ、そんなこと俺が気にしてもしょうがないことだけど。
では遠慮なくスマホゲームに勤しむことにしますか。
※※※※※
しばらくすると先ほどの事務職員が戻ってきた。
「こーら! スマホをいじっちゃダメなんだぞ!」
開口一番お説教されてしまったが、俺としては怒られたことに違和感満載だ。
「さっき良いって言ったじゃないですか」
「そんなこと言ったっけ? おねーさん覚えてないなぁ」
普通にスマホを使っていいって言ってたのだが、面倒なのでちゃんと謝ることにしよう。
「すいませんでした」
「ふふっ」
「どうかしましたか?」
「だって、まじめに謝るんだもーん。少しからかっただけなのに」
ちゃんと謝ったというのに、事務職員はへらへらと笑っている。
こ、この野郎、生徒で遊んでやがる……。
「おねーさんは事務だから生徒と関わることがほとんどないから、ちょっと嬉しくなっちゃって」
「なるほど、そういうことですか。じゃ、あえてこれからは無視しますね」
「えー、つまんなーい」
「冗談です」
たとえ事務職員が相手だとしても、流石に転校早々悪い印象を残すわけにはいかない。
無視なんてしでかしたら、当然印象は最悪なはずだ。
なんかこの人、生徒と関わりたいっぽいしこの俺が一役買ってあげましょう。主に、好印象を残す為に。
「こーら! 大人をからかっちゃダメなんだぞ!」
「そういえば、他に事務の人っていないんですか?」
事務室にはこの若い女性の事務職員しかおらず、この人が校長室に行っている間にも他の職員は来ていない為、疑問に思い尋ねてみた。
「いるよー。今ここにいないだけで敷地のどこかにいるんじゃないかな?」
「へー、一人しかいないのかと思ってました」
「もし、一人だったら?」
「ん……?」
「おねーさんを、襲っちゃう?! きゃーっ!」
この学校、もしかして変な人しかいないのかな? まさか教師までこんなノリだったりしないよね?
とりあえず反応すると面倒そうなのでスルーすることにした。
もう印象とかどうでも良いわ……。あくまで、この人限りだけど。
「ちょっとー! 何か反応してよー。言ったこっちが恥ずかしいじゃない」
「今頃気付きましたか? というか、ちょっかいばっか出してないで仕事したらどうですか?」
「まだまだちょっかい出しちゃうぞー」
ダメだこりゃ。この人が校長室に行く前までは適切な距離感だと思ってたが、そんなものはいつの間にかぶっ壊れてたわ。
「でさぁ、椎名君は好きな子とかいるのかなぁ?」
「――はっ?! 別にいないですけど!」
唐突に事務職員がそんなことを聞いてくる為、びっくりして慌てて言葉を返してしまった。
「その慌て様、どうやらいるんだなぁー」
「いや、ほんとにいないですけど」
「そんなこと言ってー、実はおねーさんに恋しちゃってたりしてー!」
「それはないっすね」
「即答! ちょっと傷つくなぁー。で、誰なの?!」
「いないって言いましたよねっ?!」
もし本当にいたとしたらしつこいから答えてしまっていたかもしれないが、いないのだから答えようがない。
「えー、ほんとにいないんだぁー。もったいない」
「何がもったいないんですか?」
「学生の本分はやっぱ恋愛でしょー」
「学業です」
なんでこの人学校に勤めてるんだろ。本気で疑問に思ってきた。
「冗談はさておき、それでも青春は謳歌するべきだと思うのよねー。私なんか……、おねーさんなんてね……」
なんかすごい辛そう。
そうか、この人きっと学生時代青春を謳歌出来なかったんだな。
「それは残念でしたね。でもこれからです。この先きっと良いことありますよ」
なんだか可哀そうに思えてつい励ましてしまった。
いや、俺も同じようなもんなんだけどね……。
「モテモテだったのよー!」
だが、次に返ってきた言葉は予想とは全く正反対の言葉だった。
「紛らわしいわ! なんなんですか、人がわざわざ励ましてあげたのに。これじゃ励まし損ですよ」
「あはぁ! 楽しかった! 椎名君はからかいがいがあって面白いね! 決めたわ! 好きな子ができたら私に報告すること! いいわね!」
「からかわれるのわかってて報告するわけないじゃないですか! というかなんで一方的に決めてんすか!」
「椎名君とおねーさんの仲なんだし良いじゃない!」
「いや、今日知り合ったばかりですけどね」
「えー、嫌なのぉ?」
そんな涙目で目線を配ってくるのやめてもらえませんかね?
「はぁ、もう良いです。わかりました。できたらで良いんですよね? どうせできないんで良いですよ」
もうこれ以上この話をしていたらいつまでも言ってきそうな予感がした為、ここは一旦妥協することにした。
「じゃあ決まりね! おねーさんとの約束なんだぞ!」
「はいはい、わかりました」
事務職員との約束に形だけ了承しておいた。
「あ、それと、おねーさんの名前は藤崎未来って言うんだぞ! これからは未来先生って呼ぶことを許可してあげるんだぞ!」
「なんで先生なんですか。教師じゃないのに」
「細かいことは気にしない気にしない」
俺の率直な疑問も意に介することなく受け流されてしまう。
「じゃあ未来先生」
「何かな何かな?」
「だぞだぞうるさいです」
先ほどから結構気になっていたことを言ってみると、未来先生は少しだけ困ったような表情を浮かべた。
「それは私の口癖なん……だぞ?」
「なんすか今の間」
「つい素を出しすぎちゃったみたいで急に恥ずかしくなってきて、まあ君ならいっか」
その後もよくわからないくだらない話題に付き合わされてしまったのだが、そのおかげか時間が経つのもあっという間だった。
そして、だいぶ時間が経った頃に事務室のドアがノックされ、一人の女性が入ってきた。
「あ、ヤッホーおねーちゃん」
「お、『おねーちゃん』……?」
「そ、おねーさんのおねーちゃん」
「はぁ……、まったく。相変わらず気が抜けてるなお前は。転校生に油を売ってないで仕事をしろ」
女性は未来先生を見るや、やれやれといった表情を浮かべため息をついている。
「はーい」
「あ、あのぉ……」
「おっとすまなかった、見苦しいものを見せてしまったね。今日から私が君の担任になる藤崎翔子だ」
担任の先生は自分の名を名乗ると左手を差し出してきた。
これは握手ってことでいいんだよね?
「よろしくお願いします」
「うむ」
「あー! おねーちゃんばっかりずるーい」
「何をわけのわからんことを言っている。いいからさっさと仕事に戻れ。では、教室に移動するから付いてきたまえ」
「はい」
藤崎先生に言われるがままに付いていき、移動を開始する。
今更気付いたけど、この人も未来先生も藤崎だから本当に姉妹なんだな。
というかやばい、少しだけ緊張してきた。
「ほーら! リラックスリラックス」
後ろから左肩をポンポンと叩かれる。振り返るとそこには未来先生がいた。
「何で付いてきてんすか」
「ん……? あ、お前というやつは! 早く戻らんか!」
「えー、椎名君が心配なんだもーん」
「し、心配とは……」
言っている意味が分からないが、そんな不安そうな目をされると何故だかこっちまで心配になってくるんですが……。
「ちゃんと自己紹介の挨拶ができるかとかぁ?」
「子供じゃないんでそれくらいできますよ」
俺と未来先生のやり取りを見るや、藤崎先生は大きくため息をついて未来先生に向けてこう言った。
「もういい! 自己紹介が終わったらちゃんと仕事に戻るんだぞ!」
「はーい!」
「ただし、教室に入ってくることは禁止だ」
「わかってるってー」
半ば諦めっぽいけど、許可しちゃうんだ……。
もうこの際なんでもいいけど……。
「ここだ」
「二年三組、ですか」
どうやら陽歌と同じクラスのようだ。
幼馴染がいるということで安堵した俺は、ホッと胸を撫でおろした。
そのおかげか、感じていた緊張が和らいだ気がした。
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