7 巫女からの贈り物
始業式を前日に控えた本日夕方、俺は有紗に言われた通りに杠葉神社に足を運んでいた。
鳥居を潜り石畳の階段を上り境内に辿り着くと、左側には手水舎があり、その更に後方にも何かの建物があり、右側には社務所があった。
参道をまっすぐ進んだ先に拝殿があり、その更に奥にあるのが本殿だ。
今まで新年になった時、それも夜にしか来たことがなかったから気が付かなかったが、境内は大変奇麗でゴミ一つ落ちている様子もない。
神社の落ち着いた雰囲気に心を澄ませ、周りを見渡すと一人の巫女さんが掃き掃除をしていた。
境内が奇麗なのはこのおかげだろう。
参拝する前にまずは手を清めるべきだと思い手水舎に向かった。
だがここである問題が発生。
右手で柄杓を持つことが出来ない為、左手を清めるのに思いのほか手こずってしまう。
手水の時は先ずは左手から清めなければならない為、そもそも第一段階すら突破出来ない。
「あの、手伝いましょうか?」
そんな感じでひたすら困っていたのだが、突然左側から声を掛けられた。
「――ふぇっ?」
声を掛けてきたのは先ほどまで掃き掃除をしていたと思しき巫女さんだった。
思い掛けず話しかけられたことで思わず変な声が出てしまった。
だが目が合うことはない。
巫女さんは決して目線を合わせようとはしてくれず、俺の左手に視線を落とし続けて俺からの返答を待っている。
その為、どのような顔をしているのかわからなかった。
俺の中では、巫女さんは超美人で可愛いと決まっているから顔を覗き込みたかったが、欲望をグッと堪えた。
「すいません、お願いします」
そう返事をすると巫女さんは無言で俺の左手に水を掛け、そのまま右手にも掛けてくれ、次に左の手のひらに水を注いでくれたので口を清め、最後に再び左手に水を掛けると足早に去ってしまった。
その後ろ姿を只々見つめていると、お礼を言ってないことを思い出したが時すでに遅し、巫女さんの姿はなくなってしまった。
参道を進み拝殿に辿り着き、お賽銭を入れ、二礼二拍手をしてお祈りをする。拍手は傍から見たら雑に見えるだろうが右手がうまく使えないのだから仕方がないと割り切った。
(願いが叶いますように)
お祈りをしていて自分で天才かな? と思った。傲慢かもしれないが願いは一つではないし、なら全部叶うようお願いしたほうが良いんじゃないかという考えだ。
最後に一礼をして参拝を終えた俺は、最後の目的の場所であるお守りを授与してもらえる社務所を視界に入れる。
何を根拠に言っているのかは分からないが有紗曰く、杠葉神社のお守りは効果絶大らしい。
そんなことを言われると、今までお守りとかは買ったことがないのだが興味が出てきて、今日の昼にわくわくしながら色々と調べてしまった。
というわけで、健康祈願のお守りを買うことを決めたから、ウキウキしながら社務所に向かったのだが……。
「なん、だと……」
社務所の前に辿り着いた俺は、只々絶望していた。
まさかの社務所が閉まってしまっていたのである。
どうやら十七時に閉まってしまうらしく、現在の時刻は十七時七分。たった七分だけオーバーしてしまっていた。
お守りについて調べたは良いものの、肝心の社務所が閉まっているのではお守りが手に入らないではないか。
意気消沈して立ち尽くしていると、社務所の裏から巫女装束に身を包んだ一人の女性が出てきた。
先ほどの巫女さんだろうか、今度はしっかり目が合う。
白い肌に大きな瞳、そして奇麗な艶のある肩の先まで伸びた黒髪がさらさらと揺れているその姿は、まるでこの世のものとは思えないほど美しかった。
やはり巫女さんは超美人で可愛いの定義は間違っていなかったと再認識させられてしまう。
「――えっ……?!」
巫女さんはこちらを見るや、何か驚いたような表情を浮かべた。
「あ、あのさっきはありがとうございました」
「――えっ、ええぇっーー?!」
お礼を言ったら更に驚かれてしまった。
目を大きく見開き口を大きく開けてしまっているが、その姿も当たり前のように可愛いのだから反則だ。
それよりも何かまずいことをしてしまったのだろうか。
いったん邪念を振り払って思い返してみるが、まったく心当たりがなかった。
ここは一旦、目的を果たす為にお守りを授与してもらえるか一応聞いてみることにしよう。
「お、お守りって、まだ頂くことってできますかね?」
「――お、お守り?! あ、あの、その……」
なにやら非常にテンパっていらっしゃる。
おそらく困らせてしまっているのは俺だろう。
そもそも、社務所はもう閉まっているのだから、時間外にお守りをもらおうとしている方がおかしいのだ。
仕方ないから、今日は諦めて後日ということにしよう。
「あ、やっぱだいじょ――」
言いかけたところで巫女さんは逃げるように走り去ってしまった。
「えぇー……」
俺はただ、茫然と立ち尽くすしかなかった。
※※※※※
先ほどの出来事でそれなりにショックを受けたがなんとか立ち直った俺は、既に杠葉神社を出て自宅への帰り道を歩いていた。
自宅から杠葉神社は徒歩で三十分ほどの距離で、今は自宅と杠葉神社の丁度中間地点の図書館付近を歩いている。
突然ポケットの中のスマホが震えた。
【神社行った?】
姫宮有紗からのメッセージが届いたからとりあえず返信をする。
【行った。超可愛い巫女さんがいた】
するとすぐに返信が届いた。
【でしょ! で、ちゃんとお守りは手に入れたんでしょうね?】
【いや、社務所が閉まってた。七分間に合わなかった】
【はあぁ?! あんたバカじゃないの。せっかく私が教えてあげたのに】
【はいはいどうせバカですよー。でもな、一応巫女さんには聞いたんだぞ。まだお守りって貰えるのかって。ま、逃げられましたけど】
【あんた、何かしたんじゃないの?】
【あそこまで天使なら逃げられたのは俺に原因があるに違いないな。もしかしたら俺、思っている以上に容姿がひどいのかもしれん】
【やっと気づいたの?!】
否定してもらわないと悲しくなるんですが……。
事実、特別容姿が良いわけではないんだけどさ、そこまでひどいはず……、ないよね? 不安になってきた。
間髪入れずにもう一通メッセージが届く。
【今のは冗談よ。で、あんた、今どこにいるの?】
よかった。冗談だったんだ……。ちょっと安心した。
【図書館の近くだけど、何で?】
【じゃ、そこで待ってなさい】
【いや、普通に帰るけど】
【ダメに決まってるでしょ】
【はぁ? ……わかりましたよ】
待ち合わせする事に対して了承の返事を送ったところで、小学生の頃によく通っていた公園の前に着いていた。
テニススクールが休みの日は学校が終わると毎回ここにきて壁打ちをしていた。
壁打ちをするのに丁度いい壁がこの公園にはあるのだ。
その懐かしさに無意識の内に足を踏み入れ、壁打ちをしていた壁の前まで歩を進めていた。
見渡す限り人っ子一人見当たらず、辺りは静寂に包まれている。
もう既に日も落ち始めているから当然と言えば当然なのかもしれない。
「――あ、あのっ……!」
発せられた一つの声が静寂を切り裂いた。
驚いて後ろを振り向けば、そこには先ほどの巫女さんが息を切らし膝に手をつきながら立っていた。
「――な、なんでっ……」
衝撃のあまりそれ以上の言葉が続かなかった。
彼女は固まる俺をしっかりと見つめ、こちらに近づいてくる。
遂に俺の目の前まで来た彼女が何の前触れもなく俺の左手を握った。
その理解不能な行動に心臓が激しく動き出す。
「これを、受け取ってください」
彼女が俺の左手に何かを握らせる。
「これは……?」
「お守りです。受けとって、もらえますか……?」
やや不安そうにこちらを見つめてくるが、そんなこと答えは決まってる。
「い、いいんですか?」
「はい。あなたに受け取ってほしいんです」
「あ、ありがとうございます。でも、どうしてここに? てっきりあの時逃げられてしまったのかと……」
「――に、逃げてませんっ! 急いで家にそのお守りを取りに帰ったんですっ……! でも、戻った時にはもう神社にはいなくて……。そこで気付きました。何も言わずに私は急に走り出したのだと……。でも、そのお守りだけは絶対に渡したかったので、諦めずにあなたを探しました。だから……、よかったです」
巫女さんは大慌てで弁明をしてくれたが、その言葉には疑う余地なんてない。
心を打たれてしまった。
こんな可愛い巫女さんが俺にお守りを渡す為にこんなところまで探しに来たなんて、都合のいい夢でも見ているのかと錯覚してしまいそうだ。
自分の頬をつねり夢でないことを再認識し、お金を支払わなければならないことに気付く。
「あの、いくらですか?」
「えっ?」
「お金払おうと思って」
「い、いりませんよ!」
巫女さんは両手を胸の辺りで左右に振って苦笑いを浮かべている。
「で、でも……」
「それ……、私が作ったんです」
「へっ?」
作った? このお守りを、この巫女さんが? それを俺に……?
「そ、そのお守りは、わ、私が作ったものですので、そのまま受け取ってもらえればうれしいです」
な、なんでだ……?
なぜそのような素晴らしきものを俺に?
いや、めちゃくちゃ嬉しいけどね。
これまでの人生でトップクラスに嬉しいからもちろん受け取るけどね。
俺、このまま死んだりしないよね?
「じゃあ、ありがたく受け取らせてもらいます。ホントにありがとうございます」
「いいえ、こちらこそ受け取っていただきありがとうございます。でも……、無くしたりしたら怒りますよ……?」
「絶対無くしません。一生大切にします!」
「約束、ですよ……?」
彼女はそう言うと、僅かに微笑んで俺と彼女の左手の小指を絡ませた後、それはもう美しく微笑んだ。
そして、彼女のその姿は――。
俺にあの日この場所での出来事を、想起させた。