6 幼馴染はご機嫌斜め
有紗と別れ、自宅の前まで来ていた俺はふとあることを思い出す。
そう、これこそが何よりも早くやらなければいけないことだったではないか。
数学の課題? いや違う。
陽歌の母親に挨拶をしに行くことだ。
家に入る前に、足早に陽歌の家に向かいインターホンを鳴らすと、すぐにドアが開き母親と同い年ぐらいの女性が出てきた。
陽歌の母親、御影彩歌である。
「あらぁ! 佑紀くんじゃない! お久しぶりね」
「お久しぶりです。あの、本当はもっと早く来ようと思ってたんですけどちょっと色々立て込んでて」
「いいのよ気にしなくて。戻ってきたばかりだからやることも色々あって疲れたでしょう?」
「まあ、そうですね。でも昨日陽歌も色々手伝ってくれたので後は数学の課題を終わらせるくらいですかね」
「あの子ったら、すごい張り切ってたからねぇ。今度は私が助けるんだって。迷惑かけてなかったかしら?」
「いえまったく。むしろ俺との生活力の差にちょっとショック受けましたよ」
掃除は上手だし、聞いただけだが料理もできるようになったと言っていた。いつの間にか生活力の面で差が開いたのは事実だ。
「私の教育の賜物かしらぁ。でも佑紀くんは男の子なんだからむしろできないくらいの方がいいのよ」
「え? そうなんですか?」
「できなさすぎるのはダメだけどねぇ。あ、それはそうと佑紀くん晩御飯はもう食べたかしら?」
「いえ、まだですけど」
「ならちょうどいいわ。今日はおばさんがご馳走してあげちゃいます!」
急な申し出に少々びっくりしたが、以前から陽歌の家とは家族ぐるみでの付き合いがあるのでこれも普通のことだった。
「ホントですか?!」
「主人は単身赴任中だし、陽歌は友達と外で食べるっていうから私一人なのよぉ。というわけでおばさんは家で一人寂しくお留守番なわけ。だから佑紀くんが来てくれてよかったわぁ。じゃ、そうと決まれば上がった上がった!」
「じゃ、お邪魔しまーす」
言われるまでもなく家の中に上がり込む。
挨拶に来ただけなのに晩御飯をご馳走してもらえることになってしまった。正直めちゃくちゃありがたい。
※※※※※
料理ができるまでダラダラと待っているところまではよかったのだが……。
「はい、あーん!」
なぜか彩歌おばさんは箸で肉じゃがをつまみ俺の口の近くに掲げてくる。
昔から親切にしてくれたが流石にこんなことされた覚えはない。
しばらく見ないうちに何があったんだ……。
「いや、自分で食べられますけど」
「でも、佑紀くん右利きじゃない? だから左手で食べるのは大変でしょう?」
「長い間左手ばかり使ってたのでもう慣れました」
「えー、せっかくおばさんが食べさせてあげようとしたのに。それとも、私に食べさせられるのが嫌って言うのかなぁ?」
「そ、そういうわけじゃないんですけど……」
「けどぉ?」
何が悲しくて自分の母親と同じ年くらいの女の人にあーんされなきゃならないんだろうか。
正直この肉じゃがは非常においしそうだけどさ、でも左手使えるって言ってるじゃん?
なのにどうして脅し文句のようなこと言ってまであーんしようとしてくるの?
「えっとその……」
えーい、もうこうなったらどうにでもなれだ!
覚悟を決めて口を開くと――。
「えいっ!」
――肉じゃがが口に放り込まれた……。
まぁ、うまい。
というか、『えいっ!』じゃねえよ! あんた年いくつだよ!
「何……、してるの……?」
「――えっ?」
声が聞こえた方に視線を移すと、不機嫌そうに顔をしかめている陽歌がいた。
え、何でいるの?
「あら陽歌、帰ってきたの」
「お母さん、何やってるの! 信じらんないんだけど!」
陽歌は彩歌おばさんに向かって軽蔑の目を向け声を荒げた。
「佑紀くんが自分で食べられないっていうから食べさせてあげただけじゃない。なんか文句ある?」
おい、俺は自分で食べられるって言ったよな?
何捏造してくれてんの?
「文句あるよ! 佑くん、最初は断ってたもん! とはいえ、結局食べさせてもらうなんて……」
陽歌は俺が断っているところを見ていたらしく、やはり彩歌おばさんには文句があるらしい。
しかし、文句は俺にもあるようで……。
目が強烈に怖いんですけどっ……。
すごい軽蔑されてる気がするんですけど……。
というか、初めから見てたならすぐに助けてくれよ。
「というか、陽歌は外で食べてくるっておばさんから聞いたんだけど、帰ってくるの早くない?」
陽歌の家に上がる前に彩歌おばさんが言っていたことを思い出し、陽歌にそのことについて聞いてみた。
「――はあぁっー?! 私、そんなこと言ってないんだけどっ?!」
「――なんですとぉっ?!」
「えへっ!」
彩歌おばさんは、俺が陽歌から真実を告げられあっけに取られているのを見ると、舌をペロッと出しへらへらと笑っている。
『えへっ!』じゃねえよ。この人騙しやがった。
何故騙したかはわからないが、普通に騙された。
「おばさん寂しいアピールをすればうちで食べてってくれるかと思って」
「わざわざそんなことされなくてもありがたくご馳走になりましたけどね」
「もういい! お母さん! そこどいてよ」
陽歌は彩歌おばさんの腕をつかんで立ち上がらせようとする。
「はいはい。じゃ、すぐ陽歌の分も用意するから待っててねぇ」
陽歌は俺の隣に座ってきたのだが、とりあえず怖いから視線を合わせないようにして食べ進め、すぐに陽歌の分も用意され、陽歌も無言で食べ始める。
やばい、早く帰りたい。
「ほら、陽歌もいい加減機嫌直しなさい」
「ふんっ」
親である彩歌おばさんの言葉に陽歌は聞く耳を持とうとしない。
まぁ、気持ちはわかるけどね……。
「佑紀くんからも言ってあげて、いい加減機嫌直せって」
それ、完全に火に油を注ぐようなものなんですけど。
今の陽歌の顔めっちゃ怖いし。やべ、目が合った。
「なに、なんか言いたいことでもあるの?」
陽歌は俺を睨みつけながら聞いてくる。
「いや、その……。な、なんでもないです」
「ヘンタイ」
あまりの迫力に何も言うことが出来ずとりあえず黙ることにしたのだが、俺のその様子を見るや陽歌は畳みかけるようにそう言い放った。
「――はっ?!」
普段と違って貶しているわけではなく、本当に只々軽蔑されていることが伝わってきて聞き流すことが出来なかった。
「あんなおばさんにあーんしてもらって喜んでるなんて、どう考えてもただのヘンタイでしょ。気持ち悪い」
「どう見たらそう見えんだよ。あれは仕方なくだなぁ」
「どうだか」
陽歌は、まるで信じてませんよとでま言いたげな視線を送ってくる。
「そうだ、なら陽歌が佑紀くんに食べさせてあげればいいじゃない」
その様子を見かねてかどうかはわからないが、彩歌おばさんが口を挟んだ。
「――はあぁー?! なんで私がっ!」
陽歌は慌てたように大きな声を発した。
やばい、この流れはなんとなく予想がつく。
この人のことだ、陽歌に俺にあーんをする流れに強制的に持っていくに違いない。
「なんで急に大急ぎで食べ始めるの。お母さんにはあーんさせても、私にあーんされるのは嫌なんだ?」
陽歌は呆れたと言わんばかりに口を開いた。
全く嫌じゃない。
陽歌のような美少女にあーんされるなんて奇跡みたいなもんだろ?
むしろ大歓迎なんだけど、本音を言ったら貶されるのは確定しているし言えない、絶対。
「ま、頼まれてもしてあげないけどね。あっかんべーだ」
「あらあら、あいかわらず仲のいいこと」
その様子を見て彩歌おばさんは楽しそうに笑っている。
「別によくないもん」
それに抵抗するように、陽歌はふんっと鼻を鳴らしながらご飯を食べている。
この場に長居すると彩歌おばさんのペースから抜け出せないような気がした為、俺もさらにペースを上げてご飯を食べることにした。
「ごちそうさまでした」
「お粗末様でした」
「食べ終わったなら早く帰ってよね」
陽歌が早急な帰宅を促してくる。俺ももちろんそのつもりである。
「はいはい」
席を立ち食器を台所に持っていく。
「あ、そこに置いておいてくれればいいからね」
「え、でも洗わなくていいんですか?」
「それはおばさんがやっておくからいいのよ」
「そうそう、このおばさんがやるからいいの。第一その右手でどうやって洗うの。いいから早く帰って」
言われてみればそうなので言うとおりに指定された位置に置き、陽歌も機嫌が悪い為、さっさと退散することにした。
「じゃ、お邪魔しました」
そう告げ玄関に向かい靴を履いていると、
「ごめんねぇ、あの子ったらあんな態度で」
彩歌おばさんが見送りに出てきた。
「別に慣れてるんで大丈夫です」
というより、今日の場合はほとんどあんたのせいだけどな。
「でも、私たち親としてはあの子がああやって感情を表に出してくれるのは嬉しいことなのよ。それもこれも佑紀くんのおかげね。いつもありがとね」
「特にこれといって何かした覚えはありませんけどね」
「でも、引っ越してきたころのあの子、あんなんじゃなかったでしょ? だから佑紀くんのおかげなのよ」
「よくわかんないけど、じゃあそうゆうことにしときます」
確かに引っ越してきたばかりの陽歌は非常におとなしかったし、周りの人間と関わろうとしてなかったが、それは単に新しい環境に慣れてなかったのが原因だと思う。
だから別に、俺のおかげと言われると違う気がするが悪い気もしなかった。
「あ、そうそう、数学の課題、頑張ってね!」
「あっ……。忘れてた。今日はありがとうございました。おやすみなさい」
すっかり数学の課題をやることを忘れてしまっていた。簡単に別れの挨拶をして陽歌の家を後にした。
※※※※※
自宅に帰り、数学の課題に手を付ける。
とはいっても数学はかなり壊滅的だから、時折答えを見たい衝動に駆られるがなんとか堪え、教科書を参考に進めていく。
問題をすべて解き終わり答え合わせをすると、教科書を見ながらやったからだろうか、いつもより正解数が多い気がした。
普通に半分以上は間違えているのだが、少しだけ嬉しかった。
シャワーを浴び、自室に戻ってベッドに寝転がりスマホを見ると一件のメッセージが入っていた。
【明日ちゃんと杠葉神社に行きなさいよね! 約束よ!】
メッセージの相手は金髪ツインテールこと姫宮有紗だった。
わざわざ忘れないようにメッセージを送ってきてくれたらしい。
スタンプで返事をしてから布団に潜ると、すぐにスマホが震えた。まだ何かあるのだろうか。
【ヘンタイ】
俺はスマホをそっと閉じ、瞼を閉じた。




