2 幼馴染は待っていた
三学期も終わり高校生としての一年目を無事終えた俺、椎名佑紀は春休みも終盤になった四月三日の本日より新生活を迎える。
いや、よくよく考えたら全く無事終えてなどいないのだが、とある事情により転校することとなったのだ。
とどのつまり今日は引っ越しの日である。既に引っ越し先にも到着している。
まぁ、ただ単に実家に帰って来ただけのことなんだけどね。
だが以前とは違うこともある。
昔は家族で住んでいたが、今はこの家には俺の他に誰もいない。俺の高校入学と同時に父親の海外転勤が決まったことにより、両親と妹はアメリカに住んでいる。
俺も同じ県内だが実家から離れた高校にスポーツ推薦で入学したため寮生活を送る決まりだったこともあり、残りの三人揃って海外に行くのに都合も良かったのだろう。
「それにしてもちょっと埃っぽいな」
正月に家族一同集まって以来誰も使っていなかったこの家は特別散らかっているわけではないが、無人で三ヶ月も空ければ埃が蓄積されるのは必然なのかもしれない。
「換気して掃除機でもかけるか」
玄関の扉を開き家中の窓を開けて準備を整え準備万端だ。
掃除機を手に取り、コンセントに繋ぐ為屈んだ所で両目を何かが覆った。
暗いんですけど……。
「だーれだ? ヒントは――」
「陽歌」
「わぁー。正解だよー。よく分かったねー」
一発で当てられたことが相当気に入らなかったのか、陽歌はやたら冷め切った声で薄ら笑いを浮かべている。
「いや声で分かるわ! てかわざわざお前の遊びに乗ってやったのになんだその棒読み」
「だってー、ヒント出す前に当てちゃうんだもん! せっかくとびっきりのヒントを考えたのに」
「ちなみにどんなヒント考えてたんだ?」
「可愛くてプリティーでキュートなあなたのたった一人の幼なじみの御影陽歌だよってヒントを考えてたんだけどー」
何言ってんだこいつ。可愛いのはとりあえず認めてやるけどヒントじゃなくてただの答えだ。
「何かすごく私のことをバカにした目をしてるような気がするんだけど、なんでかなぁ?」
陽歌は再び薄ら笑いを浮かべ、冷め切った声で聞いてくる。
「バレた?」
「――もうバレバレ……って! ホントにバカにしてたのっ?!」
自分で聞いてきておいて、それに答えてあげたにも関わらず、陽歌はあたかもこの返答を予想していませんでしたよと言わんばかりに驚いた様子を見せる。
「だってヒントじゃなくてただの答えじゃねーか」
「えっ?! それって、私のことを可愛いって認めて……」
そんなこと言った覚えはないが、陽歌は勝手にそう解釈したらしく何故か期待を込めていそうな眼差しを向けてくる。
「あー、はいはい可愛い可愛い」
「何で棒読みなのかなぁ」
相変わらず喜怒哀楽が変化しまくって表情がコロコロ変わるやつだ。
「お前、ヒントって言っときながら『御影陽歌だよ』って思いっきり答え言ってたからな」
「――えっ……?! あっ……! てへっ!」
どうやら気付いてなかったらしい。
セミロング程度の長さの栗色の髪をひらひらと揺らしながら笑っているこいつは俺の幼馴染。
わざわざうちまで来てくれたらしい。おかげで後で顔を見せに行く予定だったがその必要は無くなった。
今日はまだ俺を貶していないが陽歌はよく俺を貶す発言をする。慣れてはいるが時折、予想外の方向から攻めてくることがあるから要注意だ。
それはさておき……。
「でさ、すっかりペースに乗せられて気付かなかったけど、なんでナチュラルに上がり込んできてんの?」
「玄関の扉開いてたから」
陽歌は玄関の方を指さしながら、入ってくるのが当たり前だと言わんばかりの顔をしている。
「不法侵入だぞ」
「不法侵入じゃないよ。ここは私の家同然だもん」
「お前の家はうちの斜向かいな?」
「細かいことは気にしない気にしない」
そう言いながら陽歌は当たり前のようにソファーに腰を下ろす。
仕方ないから、とりあえず俺も一旦ソファーに腰を下ろすことにして用件を尋ねることにした。
「で、何か用か?」
「ただ会いたかったから来たんだよ! 帰ってくる日は教えてくれても、何時に着くのか教えてくれなかったじゃん? 今日何回もメッセージ送ったのに既読スルーするし」
「ああ、それなら返そうと思ったんだけど、秒刻みでお前からの通知が来てうざったくてソッコー電源落としたわ」
「え……。ひどいよ。うざいなんて言わないでよ」
「あーはいはいすいませんでした」
「全然謝られてる気がしないんだけど……」
陽歌は心なしか涙ぐんでいるように見える。
えっ? 今の昔からのいつもの茶番じゃなかったの?
普段と変わらぬ扱いをしたつもりだったのだが、この様子を見るとなんだか罪悪感が出てきてしまった。
「い、今のは悪かったよ。すまん……。あ、あとこうしてわざわざうちまで来てくれてありがとな」
「うん! そう言われると、窓から佑くんが帰って来るのを今か今かと瞬きせずに見張ってた甲斐があったよ!」
悪いと思って謝り、来てくれたことへの感謝を述べたのだがそれを台無しにする言葉が返ってきた。
「いや普通に引くわ。さっきの発言を反省した俺がバカだったわ」
「あ、瞬きせずは流石に盛ったけどね!」
「そっちじゃねー!」
俺が引いたのは瞬きせずじゃなくて窓から見張ってやがったことだけどな。
ぶっちゃけ瞬きせずは左から右に流れてたよ。
あとやっぱさっきの涙ぐんでたのは演技だったんだな。普通に騙されましたよ。
「でさぁ、なんで家中の窓が全開なの? 空き巣に入られちゃうよ?」
陽歌は少し心配そうな顔で聞いてくる。
「そうだなー。見事に侵入を許したよ。空き巣じゃなかったけど」
「私を空き巣扱いしないでくれる?」
「今空き巣じゃなかったって言ったよね? 話聞いてた? ……はぁ、見ての通り、掃除機をかけようと思ってな」
「なるほどねー。確かに少し埃っぽいかも。で、窓も全開にしたわけだ」
「その通りっ!」
「何でそんなしたり顔なの? もしかして、窓を開けるのが正解とか思っちゃってる?」
陽歌は俺を小バカにした顔をし、やれやれといった具合に両手を広げる。
その顔ちょっとムカつくんだけど。
「え? 違うの?」
「窓を開けちゃうとね、埃が舞い上がっちゃうんだよ。空気中に紛れた埃は吸い込めないでしょ?」
「確かに、言われてみればそうかも」
「あ、でもね、数ヶ月放置されてたわけだから埃も大分溜まってたと思うの。だから、窓を全開にした分結構な量の埃は外に飛んでったかも。そう考えると、窓を開けたのはあながち間違いじゃなかったかもね」
「ホッ……」
今までの流れからして明らかに間違った手順を踏んでしまったと思ってたから、陽歌のフォローで少しだけ安心した。
「安心するのはまだ早いよ。埃は空気中に浮いちゃってるわけだから、とりあえず床に落とさなきゃ。はい! 手分けして窓閉めるよ」
そう言いながら手をパンっと叩いて陽歌は立ち上がり指示を出してくる。
「了解」
そう返事をしてから陽歌の指示通りに手分けして家中の窓を閉めていく。
手分けしたから意外とすぐに全部屋の窓を閉め終わった。
「これで全部閉め終わったね。埃が床に落ちるまで時間掛かるしお昼ご飯食べに行こうよ!」
陽歌ニコッと笑いながら提案してくるが俺は既に昼食は済ませている。
「え、もう食った」
「え、なんで?」
陽歌は明らかに不満そうな声音で聞いてくる。
「え、普通に腹減ってたからだけど。だからハンバーガー食ってきた」
「そうなんだ……。ならしょうがないね……」
しょうがないとか言いながら言葉の中に込められた強い圧力を感じる。
ああわかった、わかりましたよ! せっかく久々に会ったんだしな! 今日ぐらい付き合ってやるよ!
「じゃあ、どっか食い行くか」
昼食を食べに行くことを了承するとすぐに明るい表情に変わった。
「いいの?!」
「あぁ、まだ食えるだろ多分。何処がいい?」
「ハンバーガー!」
「おい……」
さっきハンバーガー食ったって言ったろ。
またおんなじもん食わす気がコラァッ!
※※※※※
結局陽歌の要望通り、駅前のハンバーガーショップでの二回目の昼食を終えた。
シェイクしか頼んでないけど……。シェイク美味かった!
というわけで今は近所のスーパーに来ている。とりあえず食料品を買っておきたいと思ったからである。
「ごめんねー、今日の夜はクラスの集まりがあってさぁ。焼肉に行く事になってるんだぁ。本当は夕ご飯とか作ってあげたいんだけど……」
陽歌は申し訳なさそうな顔で言ってくるが、そんなことまでしてもらうつもりも元々ない。
「惣菜でも買うから気にすんな。つか陽歌って料理できたっけ?」
そんな疑問が頭に浮かび聞いてみる。
「んー? 何? その疑いの目は。高校に入学してお母さんがパートで働き出してからは、たまに私が夕飯を作ったりしてるんだから!」
「へー、じゃあ得意料理は?」
「カレー! シチュー!」
「ほぇー、結構すげーの作れんだな」
陽歌にそんな高等料理スキルが備わっていたとは。一年の間に随分と成長したようだ。
「えっとねー、カレーやシチューは結構簡単な方……かも」
「あ、そうなんだ。知らなかった」
「――あっ! しまったっ……!」
陽歌は焦ったような表情を浮かべ、両手で口を覆った。
「ん? どうした?」
「黙っとけば料理できる系女子で通せたのに」
そんなことか……。
「おばさんの代わりに料理作ることあるんなら料理できる系女子って事でいいんじゃね?」
女子高生で家族のために料理するような人ってあんまりいないよね?多分。
もうそれだけで個人的には料理できる系女子なんですが。
「佑くんが私を褒めた!」
「え、なに? なんかおかしかったか?」
「もしかして……、惚れた?」
褒めただけで何故そうなるのか理解できないが陽歌は少しだけ顔を赤らめている。
「ちょっと何言ってるかわかんないわ」
「もぉー! ノリが悪いぞ! というか、勘違いしないでよね? 冗談だから! じょ・う・だ・ん!」
勘違いとは……。お前が惚れたって聞いてきたんだろうが。
仮に勘違いしてるとしたらお前の方だよ!
そもそもいつもの茶番だってわかってるわっ……!
「はぁ……」
このよくわからないやり取りに少し疲れて、ついため息が出てしまった。
「んー、なんでそこでため息が出るのかなぁ?」
ニッコリ笑って聞いてくるけど全く目が笑ってないから怖い……。
なんかちょっと怒ってるな……。
「あー、お前、アイスでも食うか? 食うなら買ってやるけ――」
取りあえず機嫌を直してもらうためにアイスでも買ってあげようかと思ったのだが、言いかけた途中で走ってどこかに行ってしまった。
どう見ても冷凍コーナーの方だけど、とりあえず店内は走るんじゃありません! 周りのお客さんに迷惑です!
「ねぇ、あんた」
「ん?」
誰かに話しかけられたような気がして周囲を見渡すが、知り合いらしき人物は見当たらない。
「誰かに話しかけられたような気がしたけど、ま、いっか。とりあえず陽歌を追わねーと」
そう独り言をボソッと呟いて冷凍コーナーの方に向かおうと歩き出した瞬間、目の前に人が回り込んできた。
「何無視してんのよっ!」
謎の金髪ツインテール美少女が俺に話しかけてきたんだが、どういう展開ですか?
こんな知り合い、俺にはいないんですが。
「あのー、申し訳ないのですがどちら様でしょうか?」
「私が誰かなんてどうだっていいでしょ! あんたこそはるちゃんとどういう関係よ!」
「はるちゃん? 陽歌のことですかね?」
「そうよ。で、どういった関係かしら?」
どうやら陽歌の知り合いらしい。
はるちゃん呼びしてるくらいだから、おそらく親しい間柄なのだろう。
俺は陽歌のことを、陽歌が引っ越してきたばかりの頃は人見知りなんだなって思っていたが、きっかけを掴めば周りと打ち解けるのも早かったものだ。瞬く間に友人をたくさん作っていた。
勝手な推測だが、きっとこの金髪ツインテールとも高校に入学してすぐに打ち解けたのだろう。
「幼馴染と言いますか、家が近所と言いますか、そんなところです」
「ふーん、なるほどね。……あんたがねぇ」
「あのー、それを知ってどうするんですか?」
「別に、特になんもないけど」
じゃあなんでわざわざ初対面の俺にそんな事聞いてきたんですかね?
それと、やたら当たりが強かった気がするんですけど?!
「佑くーん! これに決めた!」
「それに決めたのはいいけど店の中を走るな」
他のお客さんのご迷惑になるから、一度だけちゃんと叱責してやる。
「あっ……、つい舞い上がっちゃって」
「全く、子供じゃねーんだから。で、この人なんだけど――って、あれ?」
「ん? どうしたの?」
いつの間にか金髪ツインテール美少女がいなくなっている。
一体何だったんだろうか。一方的に質問だけしてどこかに消えてしまった。
「いや、なんでもない」
「ふーん、変な佑くん」
※※※※※
「じゃあ私が掃除機かけちゃうから佑くんは休んでて良いよ」
「ん? 別に掃除機くらいかけれるぞ?」
「いいからいいから。右手は使えないんだし、休んでなって。怪我人に無理はさせられないよ!」
そう言って陽歌は俺の背中を押し、ソファーに座らせてくる。
「ほーん、じゃ頼むわー」
「お任せくださいご主人様!」
陽歌は掃除機を片手にニコニコと笑っている。
は? 何これ超可愛いんだけど。こんなことならメイド服も用意しておけばよかった。
「ん? どうしたのかなぁ? ボーッとしちゃって」
掃除機をかけながら陽歌はこちらに視線を向け聞いてくる。
「い、いや、別になんでもない」
「あっ! はっは~ん。ふむふむ、そういうことかぁ」
陽歌はジト目でこちらを見てくる。
「な、なんだよ」
「もしかして、メイド服を着てほしいとか思っちゃった?」
あのさ……、えっ、何この子。エスパーなの? なんでピンポイントで当てちゃうの?
「な、なに? 掃除機の音でよく聞こえない」
本当は聞こえていたが、認めると調子に乗ってからかってくるのが目に見えているので誤魔化すことにした。
「嘘はよくないよ! 聞こえてるってわかってるんだから! メイド服でも着て欲しいとかおもっちゃったの?!」
「――べ、別にそんなこと思ってない。思ってないから……」
ここで認めると、十中八九俺を貶す発言が飛んでくる予感がしたから何とかして誤魔化したい。
「ホントかなぁ~? 怪しい」
「お前こそ、相当メイド服を着たいんだな。だが残念、この家にはありません。多分……」
「それがうちにはあるんだなぁ」
「マジで?!」
「嘘、無いよ。佑くんのメイド服願望を確認するためにテキトーに言った」
は、嵌められた……。
こんな、人を騙すような子に育てた覚えはありません!
別にこいつの親じゃないけど!
「はぁ、はいはい。少しだけ、ほんのすこーしだけ着て欲しいと思いましたよはい」
もう誤魔化してもいつまでも言ってきそうな気がした為、認めてしまうことにした。
「やっぱりねぇ~。まぁ私が可愛いのが原因なんだけどっ!」
予想外なことに陽歌は俺を貶してこなかったが、どちらにせよこの反応自体は予想していた反応だ。
この際だから今まで聞いてこなかったことを聞くことにしよう。
「前々から聞こうと思ってたんだけどさ、お前っていつから自分の事可愛いって思うようになったんだ?」
「うーん……、小学校三年生の頃くらいかなぁ?」
「そんな大昔からそんな事思ってたのかよ。わかっちゃいたけどかなりのナルシだよな陽歌って」
「違うよ~? 私だって周りに気づかされちゃったんですー。……あんまり思い出したくないんだけどね」
「あっそ」
何となく聞いただけだったけど、やっぱナルシストだわこいつ。
喉渇いた。お茶飲も。
先程スーパーで買ったお茶っぱ片手に台所に向かい、やかんに水を入れる。
肩を脱臼して手術をした為、左手しか使えない。
既に手術から三週間が経っており装具は外れておりここから二週間は三角巾で固定することになっている。
「転校早々三角巾登校とか萎えるな……」
俺はこれまでに三回脱臼している。三回目の今回にして手術に踏み切ったのである。
最初の脱臼は昨年八月の事だった。
テニスの夏のインターハイの団体戦に一年生ながら当然のようにエースとして出場していた俺は準々決勝の試合中にスマッシュを打った瞬間に肩に違和感を覚えた。いや、違和感というより激痛だっただろうか。
すぐに顧問の判断で棄権させられ、団体戦も敗退した。
その時の三年生の夏の終わりを告げる表情は今でもたまに思い出す。
それと観戦に来てた母と妹、陽歌の心配する顔も……。
さらには周りの観客たちのがっかりするようなため息や、対戦相手の学校の盛大に喜ぶ姿は思い出すだけでも少しトラウマだ。
「そういや母さんや陽歌はともかく、渚沙にあんな心配されんのとか初めてだったっけな。それだけ顔に痛みが出てたってことか……」
自然療法を選択した俺は、その三ヶ月後の十一月に競技復帰をしたが、直ぐに練習中に再脱臼してしまった。
正直心は折れかけたが、俺にはたった一つだけ叶えたい願いがあったからテニスに縋ってきた為、再び自然療法を選び今年三月に競技復帰をしたのだが、またしても再脱臼してしまった。
その時心は完全に折れた。
よくよく考えてみればこのままテニスを続けていてもプロにでもならない限り、それもATPツアーで優勝するような、ニュース番組で特集を組んで貰えるような圧倒的強さの選手にでもならない限り俺の願いは叶わないと思う。
いや、それでも叶う保証なんて何処にもない。
そもそも、今の日本のエースは本当に凄いのである。
全米オープン準優勝を筆頭に世界のトップクラスの選手として圧倒的な成績を残している。
簡単に凄いなんて言葉で表現していい次元じゃない。
只々次元の違う強さ。
日本の高校生がインターハイを優勝した程度では仮にプロには成れても、そもそもATPツアーにすら挑戦できない。
下部ツアーのフューチャーズすら勝てないのだから。
何年かに一度そのフューチャーズで勝てるような選手が出てきても、当然ATPツアーでは勝てない。
初戦突破でも大拍手だ。
正直、自分がそんな選手になる事ができる気がしなかった。
中学の終わりまで当たり前のように勝ち続けていた時は少なからず信じていたのだが……。
高校生にもなれば、全国にも三人ほど自分より実力が上であると思われる選手が上級生にいた。
中学時代にも対戦したが、その上級生たちは急速に強くなったと思う。年齢的にも大きく成長する時期なのだろう。
そう考えるといつの間にか諦めてしまった。現実が見えてしまった。
なにせ自分は高校一年をほとんど棒に振ってしまったのだから。それにこれから先再び脱臼する可能性も十分にある。
俺は両親に部活を辞めたい旨を電話で伝え、寮生活はできなくなるし、推薦で入ったくせに進学校に居座ることの周囲への申し訳なさに耐えられない気持ちを弱々しく吐き出し、退学したいことを伝えた。
それでも両親は激怒したりせず、俺の気持ちを優先してくれた。
だが、退学はやめてくれとも言われ、転校を提案してくれた。家から徒歩で通える花櫻学園なら転校を受け入れてくれるはずだと。
正直両親には感謝してもしきれない。将来への途切れたレールに新しい別のレールを用意してくれたのだから。その行き着く先は俺にも両親にもわからない。
ただ一つだけ言えることは、両親の厚意を無駄にしない為にも、これまでほとんどやってこなかった勉強くらい頑張ってみようということだ。
「ただ一つ後悔があるとすれば、あの日交わした約束――」
今日も夢に見た少女との約束は、忘れたいと思っても何度も俺の頭に浮かんでくる。
「どうしたの? ぶつぶつと独り言なんか言って」
どうやら掃除機をかけ終わったようだ。陽歌が台所まで来て顔を覗き込んできた。
「あぁ、いや、なんでもない」
「そう。ならいいけど……。何やらボーッとやかんを見つめてるなぁと思ってたら、急にぶつぶつ言い出すから心配しちゃったよ」
無意識にやかんなんか見つめてたのか俺は。
火を使ってるわけだし見張っとくのは普通だよな、うん。実際見張ってたわけじゃないけど。
「陽歌、いろいろありがとな」
「え、急にどうしたの珍しい。熱でもあるの?」
「掃除機かけてくれてありがとよ! 今お茶入れてやるから待っとけ!」
「ああ、そういう事ね! 佑くんも素直に感謝を言える子になるなんて……。もう感激!」
「普通に昔からお前にもありがとうくらい言ってたけどな」
「ふふっ! 冗談だよ。あっ! そういえば佑くん、今更だけど、おかえりなさい」
笑顔全開でそう言ってくる陽歌に自然と言葉が出ていた。
「ただいま」
「うん!」
その時、家のインターホンが鳴る。恐らく寮から送った荷物だろう。
「――あっ、はーいっ!」
陽歌は足早に玄関に向かって行った。
「まったく、なんでお前が行くんだよ」
そう呟きながら、急須にお茶っぱとお湯を入れ、今日一日の感謝も込めて湯呑みにお茶を注いだ。
あれ? そういや今日は未だに貶されてないぞ? もしや陽歌も成長したってことか?
幼馴染の精神的成長を嬉しく思うも、貶されないことにやや寂しさを感じる。
「あれ……? まさか俺って……、ドМ?!」
「――やっぱ佑くんってドМなの?! 気持ち悪ーい」
玄関に行ったと思ったらすぐに戻ってきた陽歌に独り言を聞かれてしまった。
「――やっぱってなんだよ、やっぱって……! 違うわ! てか戻ってくるのはえーよ!」
「だって宅配の人がサインしてくれって。ほら、早く行きなよドМ」
言われるがままに玄関に向かいサインする。
この時俺は、少しでも幼馴染が成長したと思ってしまったことを後悔すると同時に、貶されないことに寂しさを感じてしまったことを反省した。