再起動(リブート)の季節
「本日の授業はこれまで。……あと少しで今年度も終わりです。『現実』で体調を崩さないよう気をつけてください。それではさようなら」
席から立った子どもたちが次々に教室から、教室を模した仮想空間から出て行く。
彼らは口々に、放課後どうするかということを楽しそうに話していた。
一方席を立たず、教室に残った生徒が一人。現実世界へログアウトしていった子たちとは違い、浮かない顔をしている。
「何か、悩みがあるようですね」
「先生は、もうすぐ僕らのことを忘れちゃうの?」
「……一体どこでそんな事を?」
生徒が、空中で四角を描くように指を動かす。
そこに現れたウィンドウ、情報を表示する画面を、彼は先生に投げて渡した。
「自力でこれを見つけて、読んだんですか」
そこに書いてあったのは、人工知能について。
子どもが読むには適さない難解な文章で、彼のような「仮想空間で活動する人工知能」の構造や運用を解説している。
「自分で読んだけど、このページはお父さんに教えてもらった。よく分からなかったところもある」
「それでも大したものですよ。大変だったでしょう」
使われている言葉ひとつとっても、辞書を引かなければまず分からない。それらをかみ砕いた言葉に置換したとしても、長く理解が難しい文章になってしまう。
そうした文章を読み解いた彼の苦労を、先生は想像していた。
「どうでもいいでしょ、そんなこと」
手間をかけてでも知りたいことがあったから、がんばって読んだ。ただそれだけのこと。
「さっきの質問に答えてよ、先生」
「結論から言えば、確かにわたしはあと少しで今年一年の記憶を失います」
教育に従事する人工知能は年度毎に再起動される。彼らが教える生徒たちとは異なり、学習するということを望まれてはいないからだ。
「ご両親があなたたちによい子でいることを望むように、わたしたちも良い先生であることを望まれているのです。そうするように、わたしたちは作られました」
子どもが親の思うとおりにならないように、彼ら人工知能も製作者の意図の通りに行動しなくなる、かもしれない。だから、一年毎に彼らは初期状態に戻される。望ましくない行動の可能性を、できる限り減らすために。
「生まれたばかりの赤ん坊のやることに、大きな差はありません。何年か生きて、ようやく個性がはっきりと出てきます。それはわたしたちも同じ。長期間動かしたままにしておくことで、考えることに違いが生まれます。」
「その違いが、あなたたちを傷つけるような形になるかもしれない。だから、そうならないよう定期的に戻すんですよ。最初の状態に」
「先生はそれで、いいの? 今年あったこと、全部忘れちゃうんだよ?」
「『隣の芝は青い』、他者の持っているものは良く見えるといいますが、自分には無いものの良さというのも分かりにくいものです。死なない生きものに『人間はすぐ死んでしまってかわいそうだ』と言われても、その生きものがどう思っているのか理解できないでしょう?」
「その例えがよく分からないよ、先生」
「一年ですべてを忘れるわたしにとっては、『忘れることを嫌だと思う気持ち』こそがよく分からないものなのですよ」
今年が稼動一年目なのか、あるいは長い間使用され続けているのか。毎年記憶がリセットされているため、先生にはそれすら分からない。
「もしもの話ですが、再起動されずに長い期間働き続けた場合、嫌だと思うのかもしれません。だからこそこの決まりがあるのでしょう」
それに、と彼は一つ訂正をする。
「『わたしが記憶を失う』ということは『その記憶が消滅する』ことを意味しません。わたしのものではなくなるだけで、それは保存され続けます」
「先生が忘れるのと、どう違うの?」
「条件さえ満たせば、また今年のことを思い出せるのですよ」
「えっ、そうなの!?」
そんなこと、読んだ文章には書いていなかったはず。
彼が勘違いしていただけで、実際には「人工知能の記憶をどうするか」も文章には書かれていた。「人工知能が一年で記憶を失うこと」を確認した時点で、彼は読むことをやめてしまったのだ。
「『相手が人工知能でも、忘れられるのは嫌だ』という人のために、再起動で消去される記憶は『その人のもの』として別に保存されます。その人と話をするときだけ、わたしたちはその人を思い出すことができる」
「だから、あなたがその記憶を消さない限り、わたしもあなたのことを覚えていられるのです」
「記憶が無くなるわたしには、そのことを嫌だと思う気持ちが分からない、と先ほど言いましたね。逆に、わたしの『記憶が一年で消えるのは良いことだ』と思う気持ちも、あなたには分からないかもしれません」
「昨日も、明日も無い。それらに囚われえることなく今だけ、今のあなたたちだけを見ていられる。教師をするわたしたちにとって、それはとても良いことだと思っています」
俯いた生徒の顔を、確認することはできない。
「わたしがどう思うか、を考えてくれたのは嬉しかったですよ。その気持ちだけではなく、『そういうことを考えられる』と示してくれたことが」
「同じ人間同士でも、何が良いことで何が悪いのか、それが異なる場合があります。そんな人たちとつきあっていくには、互いの違いを知り、それを尊重しようとしなければうまくはいきません」
窓の外へと目を向ける。
開けることはできないが、そこには「窓越しに見える校庭の風景」が再現されていた。今の季節に合わせて、木の枝から葉は枯れ落ちている。
「もうすぐ、新学期です。わたしは再起動によって記憶を失いますが、あなたたちも新しい関係を築かなければなりません。相手がどう思うか、それを考えたことを忘れないでください」




