狼と8匹の子やぎ
むかし、むかし、森の中の小さな小屋に、お母さんとお父さん、7人の子供達が住んでいました。
お母さんは透き通るような白い肌と金色の髪を持っていて、それはそれは美しかったのです。
ある日の夕方。
その日、お父さんは仕事に行っていました。
子供達がお母さんに聞きました。
「おとうさんはいつかえってくるのー?」
「もうそろそろで帰ってくると思うわよ」
お母さんが答えます。
少しして、子供達がお母さんに聞きました。
「まだかなー?」
「あと少しだと思うわよ」
お母さんが答えます。
もう少しして、子供達がお母さんに言いました。
「おそいねー」
「遅いわね………なにか、あったのかしら?」
お母さんがお父さんを心配し始めた時です。
コンコンコン、と扉が叩かれました。
「おとうさんだー!」
「やったー!」
子供達が鼻をひくひくさせて、扉に走っていきました。
「おかえりなさい! おとうさん!」
そう言いながら子供達が扉を開けると、そこには動かなくなった羊を背負った、まるで大きい人間が狼の皮を被ったような、血まみれの化け物が立っていました。
血まみれの化け物は舌なめずりをし、くちの周りについた血を舐めました。
「おとうさん!」
「ただいま」
お父さんと呼ばれたその化け物は、そう言い羊を戸口の前に置くと、家の中に入りました。
「お母さんただいま」
「あらお父さん。お帰りなさい」
お母さんは化け物にそれだけ言うと、ついとそっぽを向いてしまいました。
「ごめんよお母さん。遅くなってしまって」
「ふん!」
「うう………」
情け無いことに、大きな狼の化け物はシュンと尻尾をうなだれさせました。
子供達はそんな事には気がつかず、パタパタと尻尾を振りながら、化け物に言いました。
「おとうさん、今日は羊鍋?」
「ああ、そうだ。今日は大きいのが取れたからな。お父さんが頑張って解体するよ」
「頑張ってー!」
「そうだ! 今日はお父さんがみんなにも解体の仕方を教えてあげよう」
「ほんと! やったー!」
それを聞いて、子供達は大喜びです。
みんなで耳をモフモフ尻尾をパタパタしています。
「もう。お父さんったら。子供達には構うのに、私には構わないのね」
お母さんはまだすねています。
「すまないよぉ」
「ふん!」
「おかあさん許してあげてー」
「そうだよー」
子供達が化け物を必死にフォローします。
その様子をみて、お母さんのほっぺが緩みます。
「ん。分かった。今日は許してあげるけど、明日はもっと早く帰ってきてよね!」
「はぁい」
この情け無い狼の化け物、本当は凄く強いのに、お母さんにだけはめっぽう弱いのです。
さてさて、どうしてこの狼の化け物はお母さん達と一緒に暮らしているのでしょうか。
そのお話はもっとむかしの話です。
むかし、むかし、お母さんがまだ小さな女の子だった時の事です。
とあるお城の大きな庭で、1人の女の子が歌いながら踊っていました。
女の子の名前は、リットと言いました。小さな国の、二番目のお姫様です。
リットはまるで雪のように真っ白な肌と、金のように輝く髪を持っていました。
リットはむぎわらの帽子を被り、その肌に負けないくらい真っ白なワンピースを着て、楽しそうに遊んでいました。
すると、突然強い風が吹いて、リットの帽子を吹き飛ばしてしまったのです。
「あーん、私のお気に入りのぼうしがー」
帽子はくるくると回りながら、庭の向こうの森の中に落ちてしまいました。
「あそこの森には入っちゃダメって言われてるけど………ちょっとだけ!」
リットは今までお父さんである王さまから言われたその言いつけを、たったの一度だって破った事はありませんでした。
だけど、飛んでいってしまったのはお母さんの女王さまに作って貰った、大切な帽子です。
リットはちょっとだけ、森の中を探すことにしました。
「どこー、帽子さーん」
リットが森に入って帽子を探していると、帽子はすぐに見つかりました。
しかし、その帽子は傷だらけで動かない、狼の上に落ちていました。
「わんちゃん、どうしたの? 痛いの?」
まだ狼と犬の違いがわからないリットは、狼に話しかけました。
すると、目をつぶっていた狼が目を覚まし、ちらとリットを見ましたが、興味なさそうにフンと鼻を鳴らして、また目をつぶってしまいました。
それを見たリットは、何を思ったのか、お城に走って戻り、花壇を運ぶための頑丈な荷車と、大きな麻の布を持ってきました。
「わんちゃん!」
狼がまた目を開けました。
「傷だらけだから、私がかんびょうしてあげる!」
「……………!?」
怪我をしすぎて動けない狼を荷車に押し上げると、リットはそこに布をかけ、狼を隠しました。
そして、ちゃんと帽子を拾って被ると、また歌を歌いながら荷車を引っ張り出しました。
お城に着くと、リットは狼を使われていない倉庫に下ろしました。
「…………っ」
どさっと狼が落ち、痛そうに顔をしかめました。
「今きゅーめいどうぐ持ってくるね」
「……………おい」
狼は話しかけましたが、もう既にリットは走り出していました。
「なんなんだ、あいつは………」
しばらくすると、リットが小さな箱を手に持って戻ってきました。
「きゅーめいしまーす」
「……………」
リットはテキパキと狼の傷を治療しました。
「お母さまから、もしものときのためって、教えられてるんだ」
あっという間に、狼は包帯まみれになりました。
見た目は悪いですが、きちんと傷の手当てはされていました。
「これでよし。暖かいごはん持ってくるね!」
「おい」
またも狼の声はリットに届きませんでした。
しばらくして、リットが底が深いお皿を手に戻ってきました。
「はいおかゆ」
狼は少し嫌な顔をしましたが、全て食べきりました。
「まーかわいい!」
「おい」
今度こそ、狼の声はしっかりとリットの耳に届きました。
リットは不思議そうな顔をして辺りを見回します。
「俺だ」
「もしかして、わんちゃん?」
「ああ。俺だ」
「しゃべれるなんてお利口ねー」
「おい。頭を撫でるな」
「うふふー。どうしたのわんちゃん?」
「俺はわんちゃんでは無いのだが………まあいい。なんで俺を助けた」
「えー、だって怪我しててかわいそうだったから」
「そうか…………」
狼はそう言うと、目を閉じました。
「怪我を手当てしてくれて、感謝はする。だが、俺のことは他の誰にも言うなよ」
「わかってるよー。だーれにも言わないからね!」
それから、何日かが経ちました。
リットは毎日狼にご飯を持ってきたり、包帯を取り替えたりしました。
狼はすっかり元気になりました。
「もう動ける?」
「ああ。死にかけていたのに、まさかここまで良くなるとは………」
「いいお薬使ったからねー」
「……………」
そう、すっかり元気になりました。
リットを簡単に食べれるほどに。
ですが、狼はリットを食べませんでした。
必死で看病してくれる女の子を食べてしまうのは、かわいそうだと思ったのです。
ある日、リットが狼に言いました。
「わんちゃん、今日から私のペットね!」
「ああそうか………はっ?」
「お父さまがわんちゃん、飼っていいって言ってくれたんだー! もう隠れてなくても大丈夫なんだよー!」
「おま、俺のことは他の奴に言うなと………」
「わーい!」
リットは大はしゃぎで狼の話を聞いていません。
狼はあきれかえり、ため息をつきました。
(もうなるようになれ……)
その日、リットは狼を王さまと女王さまに見せました。
ですが、狼と犬の見分けがつかないリットとちがい、王さまと女王さまはきちんと狼を知っていたので、大騒ぎになりました。
しかし、リットがあまりにも狼に懐いているので、王さまと女王さまは狼をペットとして迎え入れることを許してしまったのです。
それから、いくつかの年月が過ぎました。
リットはたくましく、そして美しく成長しました。
狼も、もちろん一緒です。
「ベスティア! 今日も鹿狩りに行きましょ!」
「バウッ」
「リット殿下。お見合いの招待状は……」
「捨てといて!」
「はっ」
そう。凄くたくましく成長しました。
狼はリットからベスティアという名前を貰って、毎日リットのお散歩につき合わされています。
ですが、やっぱる喋れることは誰にも秘密だそうです。
リットがお城を飛び出してしばらく後。
王さまがリットを探していました。
「セバス! リットはどこに行った!」
「ああ、国王陛下。リット様は鹿狩りに行かれました」
「またか!」
王さまは、やんちゃすぎるリットを思い、頭を痛くしました。
「あいつはもう17になったと言うのに、何をやってるんだか」
「あなた。自分の人生くらい自由にさせてあげましょう?」
女王さまが王さまに言います。
「ううむ……第二とはいえ王女なんだがなあ………」
王さまはもう一度頭を抱えました。
ある日。
ベスティアがお城のテラスで日の光を浴びながら、昼寝をしていた時のことです。
ベスティアはお城の中が騒がしいのに気づき、目を覚ましました。
ベスティアは起き上がり、お城の中を歩いてみました。
そして、お城の人々の話に耳を傾けていると、大変な事が分かりました。
(あいつが………さらわれた……?)
リットが攫われたようです。
兵士達がお城の中を走り回り、ガシャガシャと鎧がぶつかり合う音が響いています。
(原因は解っているが……どうしたものか)
誰がリットを攫ったのか、ベスティアは解っていました。
リットのお姉さん、第一王女のメートです。
メートはお世辞にも美しいとは言えませんでした。
前歯は飛び出て目は小さく、ほっぺには大きなほくろがありました。
それでも、心が美しければ良かったのですが、メートは自分の顔を噂する声に囲まれて育ったためか、その心をも醜く歪めてしまったのです。
そして、メートにとって最も目障りだったのが、実の妹である第二王女のリット。
自分とは違い完璧な美しさをもって生まれたリットを、メートはいつしか心から憎むようになってしまいました。
ベスティアは狼でありペットですから、近くで例えどんな話をしていたとしても気にかけられません。
そう、例えリットを誘拐して、暗殺するという計画を話していても。
だから、ベスティアは全てを知っていました。
しかし、知ったとしても事が起きるまでは行動が出来ないので、いつ誘拐されるのかとベスティアは警戒をしていましたが、まさか白昼堂々と誘拐されるなんて、ベスティアの全くの予想外でした。
もっと警戒しておけば良かったと後悔しながらも、ベスティアはリットの部屋に行きました。
リットの部屋は大きく荒らされていました。
花瓶は倒れ、カーテンは引き裂かれ、鏡は割れています。
リットが必死に抵抗した跡がそこいらに残っています。
しかし、犯人の手掛かりは、王国一番の探偵が部屋を捜索してもなかなか見つかりません。
それもそのはず、メートは絶対に手掛かりを残さないように攫わせたのですから。
しかし、どんなに隠そうとしても、匂いだけは隠す事が出来なかったのでしょう。
そして侵入者も、まさか匂いが手掛かりになるとも思わなかったのでしょう。
ベスティアには、リットの匂いと、少しの睡眠薬の匂いと、もう1人の男の匂いがきっかりと嗅ぎ分けられました。
まるで目に見えるように、その匂いは窓の外へと続いています。
(フン………愚かな………)
探偵がまだ部屋を捜索している後ろで、ベスティアは窓から飛び出しました。
匂いを辿って、城下町を駆け抜けます。
気がつけば、街を出て森の中にいました。
匂いはどんどん濃くなってきます。
そして、ベスティアはとうとう一つの山小屋に辿り着きました。
匂いが指し示す場所は、ここでした。
ベスティアは扉に体当たりをしてぶち破りました。
「なんだ?」
中には黒い衣装に身を包んだ男達と、その男に囲まれるようにリットが縛られていました。
リットは気を失っていました。服を破られ、顔には痣があり、目の下には、何かが流れた跡がありました。
まだ攫われて間もなく、汚されてはいないようです。
しかし、もう少し来るのが遅ければ……と考えると、ベスティアは男達に殺意を覚えました。
「狼……リット姫のペットか」
「忠犬だな」
「だが、残念だな。まさか一匹で来るなんてな! せめて衛兵を連れてくるんだったな!」
そう言うと、1人の男はボウガンをベスティアに向け、放ちました。
ベスティアはその矢を握りつぶしました。
「は?」
ベスティアは左の手で、しっかりとその矢を握りつぶしていました。
ベスティアの身体はみるみるうちに大きく変形し、そして、まるで大きな人間が狼の皮を被ったような、化け物になりました。
「な、なんで人狼がこんなところに………!」
男達はベスティアに震え上がりながら武器を構えました。
ベスティアは男達を見回しました。
「8匹か………上等だ」
男達の人数を数えると、ベスティアは舌なめずりをしました。
「か、かかれっ!」
男達が一斉にベスティアに襲いかかりました。
ベスティアは男達の攻撃を身体に受けながら、決してリットに当たらぬよう脚を運びました。
1人、また1人とベスティアが男達を殴り飛ばし、とうとう最後の1人も拳に倒れました。
「ハア……ハア…………」
8人の男に襲いかかられたベスティアも無事ではありません。
肩口からは血が吹き出ており、お腹には矢が深々と刺さっています。
ベスティアは矢を引っこ抜くと、気を失っているリットの頬に触れました。
「リット」
「ん……ベスティア……?」
リットは目を覚まし、目の前の見慣れた顔を見ました。
そして、その身体も視界に入れ、息を呑みました。
「ベ、ベスティア、なんで、その身体……」
「落ち着いて聞いてくれリット」
ベスティアはリットの言葉を遮り、言いました。
「お前の姉が、お前を殺そうとしている」
「そんな………お姉さまが? どうして………?」
ベスティアはリットのその目を見て、溜め息を吐きました。
リットは、なぜメートが自分を殺そうとしているのかを解っていませんでした。
もちろん、恨まれていることも知りませんでした。
ベスティアが溜め息をつくほどに、この少女は清流のように澄み切った心を持っていたのです。
「とにかく、逃げるんだ。殺されたくなければ、遠くに逃げるんだ。話してる時間は無い。追っ手が来ているかもしれない」
「ベスティア………」
リットの瞳から涙が一粒零れました。
ベスティアはリットの身体を縛っていた綱を引きちぎりました。
「ねえ、ベスティア」
「なんだ、リット」
「本当に、お姉さまが………私の事を殺そうと……?」
「ああ」
「そんな………」
リットはボロボロと泣き出しました。
「なんで、あんなに優しくしてくれたのに………ずっと一緒に暮らしていたのに、なんで……?」
いままで優しいと思っていたお姉さんが、自分を殺そうとしているということに、それが事実であるということに、リットはただひたすらに泣きました。
「ぐすっ………ひぐっ、分かった………」
リットはひとしきり泣いた後、顔を上げて言いました。
「私を連れていって………お姉さまが見つけられないところまで………どこか遠くまで、連れていって」
「……ああ」
ベスティアはそう言うと、リットの手を取りました。
それから二人は、一緒に暮らしました。
誰にも見つからないような深い森の奥深くに小さな小屋を建てて。
なぜか、二人はそのうち子宝に恵まれました。
生まれてきた子供達はみな狼の耳と尻尾を持っていました。
7人の子供達とお父さんとお母さんは、それからずっと、幸せに暮らしましたとさ。