第二章3 岡谷市と上り坂
今日は部活でみほとサイクリングだ。今日のコースは岡谷駅から塩尻峠を越え、みどり湖を周り、道の駅小坂田公園で休憩。その後、信州スカイパークを回って奈良井川沿いを走り、ゴールは松本城。という結構ハードめなコースだ。正確には塩尻峠がベリーハードだ。後はそうでもない。
駒ヶ根駅を8時30分に出発する電車に乗る。自転車は輪行する。尚、輪行とは、掻い摘んで説明すると、公共交通機関で自転車を運ぶことだ。JRでは自転車は一旦解体して輪行袋という専用の袋に入れて運ばなければならない。交通ルールやマナーを守ってこそのサイクリングだ。
駒ヶ根から岡谷までは少々距離があって1時間と少し程かかる。電車の中でみほと今日のコースを確認する。
「まず塩尻峠なんだけど、結構交通量あって危ないし、ここの専門学校の隣の細い道で行こうと思う。近道にもなるし。」
みほが提案する。交通量の多い峠道を自転車がノロノロ走っていたらそれこそ危険だし邪魔だ。自動車が歩行者や自転車に対して気を遣うように、自転車も自動車に対して気を遣わなければならない。自転車乗りとしては当然のマナーだ。
「ふむ、ちゃんと通れるんだよね?」
「分からん」
分からんのかよ。不安だ。前回の部活ではよく分からん未舗装の細い道を通ったせいでお尻が辛かった。今回はそうはならないことを祈るばかりだ。
電車が揺れる。車輪とレールが擦れたり、ぶつかったりする時の、カタンコトンという音や、風を切る音が、普段はうるさいのに、今はとても心地良い。みほがコースの確認を続けている。眠くなってきた。適当に生返事を返す。適度に管理された車内の温度、足元を温めるヒーター、隣に座るみほの、私よりいくらか高い体温が眠気を誘う。ぴーちゃん(分解済)の入った輪行袋は二人分まとめて、隣の手摺にベルトで括り付けてあるから大丈夫だ。土曜日の朝の時間帯は車内も人が少ない。遠くから、だれかが話す声が聞こえる。瞼が重く…
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ゆうがこちらに体を預けてきた。寝ちゃったか。思ったほど重くない。静かな寝息が聞こえる。いつもは私が隣にいると、どうしても私が妹で、ゆうがお姉ちゃんって感じなのだが、寝顔は割と子供っぽいあどけなさが残る。私の、なかなか強情な、勝手に明後日の方を向く髪とは違う、滑らかで軽い髪の感触を感じる。微かに、ベビーパウダーのような、柔らかく包み込んでくれるような、そんな香りがする。体が重く感じる。いかんいかん、私まで寝てしまう。本でも読んで時間を潰そう。ゆうが寄りかかっている方とは逆の右手でバックの中を漁る。どんな時でも一冊は本を持ち歩いているんだ。本をめくる前に、ふと、「駅に着いたらお姉ちゃんが起こしてあげるからね」なんてゆうに声を掛けたら「んんぅ」と肯定とも否定ともとれない反応を返してくれた。
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「ほら、ゆうってば起きて」
んん?体が左右に揺れる。まだ、もうちょっとだけ、
「あと5分ぅ…」
「もう、ゆうってばぁ。あと5秒で起きないとフーってするよ」
?? ふーってなんだ?
「ふーーーっ」
「ひゃぁっ」
み、耳が、右耳がくすぐったい。耳の奥に吐息が入り込む。や、やめ、まずい、それ以上はr-15指定になっちゃうから、や、いや
「や、やめろぉぉ」
私の手刀がみほの額にクリーンヒットした。
岡谷駅に到着!時刻は9時45分、天気は快晴、気持ちのいい秋晴れだ。ここ岡谷市は長野県のほぼ中央、諏訪湖の西側に位置する工業都市だ。カメラや時計など精密機器の製造が盛んで、これが東洋のスイスと呼ばれる所以だ。みほがまだ額を抑えているが知らぬ。
「さ、行こ行こ」
「ちょっ、待ってよ~」
みほがもたもたしているので先行して出発する。コースはだいたい頭に入っている。ペダルを踏む音が後ろで聞こえる。県道14号線を途中で左に折れ県道254号を北上する。岡谷市の市街は、道が入り組んで雑然と家屋が並んでいる。私はこの町の風景が好きだ。今日は通らなかったが、岡谷駅からみどり湖駅に電車で向かう途中で見える、特に夕暮れの諏訪盆地の景色には、人々の営みと暖かさのような、一種の郷愁を感じる。
市営球場の隣を通り、岡谷市の市街を抜ける。長野自動車道の上を通り過ぎ国道20号線に合流する。ここからが今回の山場、塩尻峠だ。山場早ええな、と思うかもしれないが、30km走った後キツい坂を上るのと、キツい坂を上った後30km走るのでは圧倒的に後者の方が楽だし、どちらにせよ岡谷からスタートでは、この峠を越える以外に道がない。信号で止まったタイミングでみほが前に出る。前代わるわー、とのこと。基本的に自転車で集団縦列走行する場合、前より後ろの方が楽だ。前の人が風よけになる為、後ろは空気抵抗が小さく楽ができるのだ。とは言え、今は風よけが意味を成す程のスピードも出ず、のんびりと、或いは、これでも全力でペダルを回す。
みほのおさげが左右に揺れる。はぁはぁと息を吐く声が聞こえる。みほが前に出たのは、おそらく、かなり前、まだ中学の頃、私が先行し過ぎていつの間にか一人で走っていたことがあったからだ。途中でいないことに気づいて数分待っていたら「ふぇええ待ってぇええ」と追いかけて来たみほの顔が懐かしい。そういえばあの時くらいからか、坂道はみほが先行している。頼もしくなったものだ。今はみほが私を置いていきつつある。まだ子供っぽいと思うことも、たまによくあるが、時折こうやって、私の前に立っていることもあるのだ。私はどうだろう、以前より前に進めているだろうか。あれ、気づいたら目の前を走っていたハズのみほがあんなに遠くに、豆粒のように見える。
「あっ、ちょっ、ま、待ってぇええ」
ペダルを回す足に力を入れた。
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残念なお知らせがある。しかも二つだ。一つ目は、今目の前にどう見ても急な坂が聳え立っていると言うことだ。二つ目は、これからここを上るワケだが、まぁその時に話そう。学校と思しき大きな建物の影に立て、ゆうと一緒に坂を見上げる。
「やばいね、これは」
ゆうが、うわぁ、マジでコレ上るの?と言う顔でこちらを見る。
「いやぁ、グー〇ルマップのストリートビューで見た時は大したことないと思ったんだけど、リアルだとなかなか。やっぱ20号通ってく?」
「うーん、それもなぁ」
20号を行く弊害は交通量が多く坂がキツいだけではない。急な斜面を避ける為に大きく蛇行しているのだ。ここを通れば500mちょっとで済むのが蛇行すればその3倍程走らなければならない。
「悩んでてもしょうがない。5,600mくらいだし、すぐだよすぐ。」
先行して走り出す。急な坂道を立ち漕ぎで上っていく。ゆうが後ろから追いかけてくる。ここで残念なお知らせその二だ。私達は決して体育会系でない。一応分類は運動部だが、筋トレなんて一切していない。要は体力的な余裕が一切ない、ということだ。だから、坂道で翼が生えたり、あるいはアニメソングを歌いながら軽快な回転数でチームを引っ張ったりはできない。おしゃべりしてる余裕も皆無だ。無心で歯を食いしばって上る。最近ちょくちょく見る自転車モノのアニメなら、こういう時走ってる途中で談笑したりするのだろうが、無理無理の無理だ。たかが数百メートルが数キロに感じる。もう秋だというのにうなじを汗が伝う。夏の時より、いくらか冷えた空気を肺に取り込む。
どのくらいかかっただろうか、10分くらい?いや、5分も経っていないか?
「ほ、はぁ、はぁ、思ったより楽勝だったね」
息を切らしながら笑顔でゆうに話しかける。なんとかこの上り坂は走破したようだ。
「はぁ、ふぅ、まだ半分だよ」
ゆうが道を渡った先を指さす。ここからはよく見えないが同じくらいの坂が見えた。
「はは、ガンガン行こう」
この先の坂が本日最難関、斜度10パーセント超えの激坂だったことに気づいたのは翌日。ゆうと活動記録を付けている時だった。
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坂の、終わりが、見えてきた。岡谷市と、塩尻市の、市境だ。肺に穴が開いているのではないかと思うくらい、息が切れる。
「ここでちょっと、休憩~」
みほの声が前から聞こえる。視界の端の歩道に小さな木陰が見える。体力の尽きた状態で、みほと、下り坂を下るのは危ない。どういうことかって?すぐに分かる。自転車を土手に横に倒し二人並んで休憩する。はぁはぁしている。
「いや、キツかったね」
キツかったと言う割に笑顔なみほさん。ちっこいくせに上りは得意なのだ。それ以上に下りも得意だが。しばし脚を休める。秋風が冷たい。汗を拭きつつ体力を回復させる。この辺りは標高が1000mを超えるらしい。どおりで涼しいわけだ。水分と栄養を少しだけ摂って、
「さて行こっか」
「も、もうちょっと待って」
みほさん元気過ぎる。普段はおとなしい読書家なのだが、自転車に乗っている時は別人だ。目が輝いている。これはもしかすると、意外性枠で某北高校自転車部に入れるかもしれない。駒北高校ではない。ううーっと伸びをする
「はやくはやく」
「しょうがないなぁ、」
そう言いつつペダルに足をかけた。
つづく
ノリでパロディ挟んでみたんですがこんな感じですかね?弱〇ペダルもけも〇フレンズも大好きです。