第二章1 お祭りに行きたい
「正弦、余弦の加法定理ってのは昨日やった通り、」数学の教担が教科書の問題を解説している。やっと木曜日だ。結局、今週は学校内でみほに会ったのは3回だけだった。サイクリング部は放課後に活動をしない。学校が終わってからでは時間がないし、私は塾で、みほはアルバイトだ。
さて、なぜ金曜日ではなく「やっと木曜日」かと言うと、明日は祝日、秋分の日で休みなのだ。学校からほど近い神社でお祭りがある。みほと二人で行く為にクラスメイトからの誘いは断った。のだが、肝心のみほを、まだ誘っていない。あんまりお祭りとか好きじゃないだろうし、いつもは祝日でもバイトだし…などと逡巡していたらいつの間にか3日も経ってしまっていた。やっぱり、うーんでも、
「じゃあ次の問題は、葦切。おい葦切~、聞こえてるか~」「葦切さん?あてられてるよ?」
「は、はいっ」
しまった授業中に考え事に耽ってしまっていた。クスクスと笑い声が聞こえる。「えーと、この問題は正接の加法定理を用いて…」塾でやっていたところだったから難なく解けた。なはは、と笑って誤魔化すが正直、鬱陶しい。他の生徒に比べれば一応まじめに聞いていたし、質問には完璧に答えたのになぜ笑われなければならないのだ。他にも寝てるヤツやスマホを弄ってるヤツもいるのに。顔には出さなかったが小さくため息を漏らす。
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もう木曜日だ。結局、今週は学校内でゆうに会ったのは3回だけだった。一昨日、化学の授業の前に一回、同じ日にトイレの前で一回、昨日、生徒会室の前で一回だ。
明日は秋分の日で祝日、近所の神社でお祭りがある。いつもは月曜日から金曜日はだいたいバイトなのだが、明日に限って「今週末秋祭りでしょ、人手は充分足りてるから橘さんお休みでいいよ~」と言われてしまった。バイト先としては優良物件なのだが、スケジュールにルーズなのが気になる。お祭りとかあんまり興味ないのに。
「すさまじきもの。昼吠ゆる犬。春の網代。三、四月の紅梅の衣。牛死にたる…」国語の教担の声が聞こえる。枕草子の一節、「すさまじきもの」だ。すさまじとは現代語で興覚めであるという意味の語だ。つまり、私流にいえば「すさまじきもの。お祭りで休みになるバイト。ゆうと会えない学校。会ってもトイレの前。昼休み前のおなかの空いた時間の授業。云々」となる。
お祭り自体が嫌いという訳ではない。出店で食べるわたあめやチョコバナナや焼きそばは、何かいつもと違う気がしておいしい。地域の大人達が神輿を引いたり、舞を舞ったり、或いは神社の境内から見る花火には感動する。のだが、人混みが嫌なのだ。何の目的もなく、だれかと一緒に行くというわけでもなく、あの喧噪の中に私が入るのは気が引けるのだ。せめてゆうが誘ってくれれば、と思うのだが、ゆうはきっとクラスメイト達と一緒に行くのだろう。その人達と一緒に行く気にはとてもなれない。ゆうは誰に対しても明るくて優しくて、行ったとしても、ゆうの中の私の居場所はとても小さい場所だと分かってしまいそうで怖い。別にいいのだ。行く予定のなかったお祭りだし、週末だけは部活でゆうを独占できる。
はっ、いけないいけない。ついネガティブな考えに陥ってしまっていた。パチンと小さく両手で頬を叩く。それと同時に授業の終わりを告げる鐘が鳴った。ほっと息をつく。国語は得意な方だから当てられてもわからないというわけではないのだが、緊張してうまく喋れないのだ。こんな時、ゆうなら何でもない顔でスラスラと答えてしまうんだろうな。などと取り留めのない考えを彷徨わせる。「よしっ」意を決して立ち上がる。ダメ元でゆうを誘ってみよう。冗談っぽく「お祭りの日、二人でデートしない?」って。
ゆうのクラスは同じ校舎で、一つ下の2階の、一番奥の教室だ。ちなみに2階はA,B,C組と物理系の教室があって、3階はD組と生物系の教室、それに空き教室が2つだ。
ゆうのクラスの前に着く。少しドキドキする。昼休みはいつもならお昼ご飯+読書タイムだから、教室か、居ても図書館だ。クラスの中を覗いてみる。
ゆうは…いた、クラスメイト達とおしゃべり中だ。うう、これは話しかけづらい。急に自信がなくなってしまった。私ではない他の誰かと話すゆうは、やっぱり笑顔で。当然だ、ゆうはみんなのリーダーで誰からも好かれる人気者なんだ。ゆうにとって私なんて2番目、3番目の存在。あそこに加わる余地は私にはないのだ。そう思った。戻ろう。今下りた階段をもう一度上る。
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みほが こちらを 見ている。
ホラーかよっ、と思うほど暗い、不安そうな表情だ。不安と諦めより濃く、失望より薄い感情が5:5で混じった、そんな顔だ。しかも、こちらが気づいている事に気づいていないようだ。どうしたどうした、何があった、というかどうしてわざわざウチのクラスまで来た。クラスメイトの話に適当に相槌を打ちながら考える。このクラスは校舎の一番端だ。何か用がなければわざわざ来ない筈だ。ええ、うーん、ああああ。
「ごめんっ、先生に用があったの忘れてた!」
そう言ってクラスメイトとの話を切り上げた。理由は何であれ、みほのあんな顔は見ていられない。弁当を持って階段を上がる。
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教室に戻る。とりあえずお昼にしよう。味のしないお弁当のおかずを口に運ぶ。正直、今にも泣きそうだ。ゆうのせいじゃない。自分の不甲斐無さにだ。自分に自信が持てない。他人と話すのは得意ではない。ゆうと違って。
「みーちゃんっ!」
「ひゅわっ」
びっくりした。びっくりし過ぎて変な声が出てしまった。振り返る、
「一緒にご飯食べよっ」
そこにはゆうがいた。
「なんで、」
「さっきウチのクラスに来てたでしょ?なんかホラー映画みたいな顔してこっち見てたから何かあったのかなぁ、と思って」
そういいながら昼休みで人のいない前の席に座って自分の弁当を開け始める。
「いただきまーす。あ、その唐揚げおいしそう、一つ貰ってもイイ?」
私が落ち込んでいるのに気づいていたのだろう。努めて明るく振る舞ってくれる。つい、涙が、こぼれ、
「どうしたどうした、そんなにゆうちゃんが来てくれたのが嬉しいのかぁ、このこのぉ」
「ゆうぅぅ、」
ゆうと一緒に食べるお弁当はしっかり味が効いていて美味しかった。
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昼休みのD組は閑散としていた。休み時間には、3階の空き教室はD組の生徒が占拠しているらしいから他のクラスと比べても人が少ないのだ。みほが一人で弁当をパクついている。やっぱりなんだか浮かない表情だ。少し驚してやろう。教室の後ろのドアからこっそり入って、
「みーちゃんっ!」
「ひゅわっ」
びっくりした。想像以上にびっくりされてこちらがびっくりした。
「一緒にご飯食べよっ」
自分の弁当の入った包みを見せながら笑顔で言う。
「なんで、」
「さっきウチのクラスに来てたでしょ?なんかホラー映画みたいな顔してこっち見てたから何かあったのかなぁ、と思って」
そう言って昼休みで人のいない前の席を借りて自分の弁当を開けた。みほのお弁当は唐揚げ弁当だった。多分みほのお母さんの手作りだろう、料理上手だ
「いただきまーす。あ、その唐揚げおいしそう、一つ貰ってもイイ?」
なぜだか分からないが落ち込んでいると思ったからテンション高めに接してみたのだが、みるみるうちに表情が崩れて、涙が落ちる。
「どうしたどうした、そんなにゆうちゃんが来てくれたのが嬉しいのかぁ、このこのぉ」
「ゆうぅぅ、」
ふぇええとこっちに抱き着いてくる。ちょっ、ちょっと恥ずかしいですよ、みほさん。ええい、もうどうにでもなれ。と思いつつ、みほの頭を撫でる。なんだこの状況は。
「よしよし、なんだかよく分からんけど何かつらいことがあった時はゆうお姉ちゃんが一緒にいるからね~」
「ふええ」
鼻水を垂らすのは乙女としてどうかと思う。
そうしてその後、一緒にお昼を食べた。みほのお母さんの唐揚げは美味しかった。
「「ごちそうさま」」
「ところでみーちゃん、なんでさっき教室に来てたの?」
うっ、という表情だ。赤くなって、「どうしよう、言っていいかな」って顔だ。すごく分かり易い。
「さっきの泣き顔に比べればどうってことないって、言っちゃえ言っちゃえ。」
「ゆ、ゆうはすぐそうやってバカにする。」
ぷいっとそっぽを向いてしまう。
「ごめんごめん、言えないなら別にいいんだけど」
「ううん、えっとその」
妙にもじもじしている。なんだコイツ。10秒も溜めた後で耳まで赤い顔で、涙目でこう言われた。
「あの、その、お祭りの日、二人でデートしない?」