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第一章2 秋の夜空と白い家


 木曽山脈の向こう側に日が沈んで行く。夏の暑さと湿っぽさがまだ少しだけ残るあぜ道で相棒と一緒に(くう)を切る。


 ゆうの背中を見送った後、私はふと、ゆうとの記憶を思い出していた。中学の頃は身長も大差なかった、というか、ゆうも普通だったのにいつの間にあんなに大きくなったのだろう。私はこの4年で5cmほどしか伸びていないのに、ゆうときたらその3倍くらい巨大化している。ゆうと初めて出会ったのは中学2年の時、彼女は横浜からわざわざこんな田舎に引っ越してきたらしい。転校してきたばかりのゆうはクラスの人気者だ。横浜なんていう都会の人が田舎者から見たら珍しかったのだ。だがそれも1週間もすれば下火になっていた。新天地で一人ぼっち。ふっと、突然どこかに消えてしまいそうなゆうがそこにいた。その時、ゆうを見て気づいたのだ。寂しそう、つらそうって。ゆうも、私も。――それまで私は学校にいる殆どの時間を一人で過ごしていた。昔から少しだけ周囲よりませていた私はなんとなく周囲と馴染めずにいた。お父さんやお母さんは「みほのペースでイイんじゃないかな」といってくれた。私にとって一人でいるのは普通の事だった。でも、ゆうを見てやっと気づいた。今まで感じていたこれは寂しいって感情なんだって。私とゆうは似たもの同士、すぐに仲よくなった。それから二人で自転車に乗っていろいろなところに遊びに行った。狭く小さな世界は無限大に広がっていった。世界にはこんなに楽しいことがあるんだって初めて気づいた。私はゆうが好きだ。親友として。仲間として。でもなんだろう、この胸の奥にわだかまった気持は…


 うーん、少し走ってから帰ろう。時刻は17時45分、我が家の夕ご飯は19時を大きく過ぎた頃、けっこう遅い時間だ。そう決めた私は西へと方向をかえ、少し急な山道を上った。この道は地元の小さなスキー場と山奥にある古城跡の公園につながっている。そこは城跡といっても何か建造物や石垣があるわけでなく、せいぜいお堀の跡と低い丘、朽ちかけた東屋があるだけの原っぱだ。中学生の頃は月に一度はゆうとピクニックに来たものだった。何もない、誰もいない空間で二人だけの時間を共有するのは心地よいということを初めて知ったのはこの場所だ。すっかり日も落ち、頬を撫でる風が少しだけ冷たい。夜にこの道を通るのは初めてだが、こんなにも暗いとは。自転車のヘッドライト一つで照らされた道は色彩に乏しく、道の脇や大きな岩の影、ぽつんとある街灯の奥からおばけやら熊やらが出てこないかドキドキする。熊はマジでやめて欲しい。でもおばけはもっとだ。火照った背中に自分の冷や汗が(したた)り、ドキっとした。ゆうがいたら「なに、みーちゃん怖いの?かわいいなーもう」なんてからかってくれるかな?今度誘ってみようかな。


 20分程度で城跡公園に着く。18時を少し過ぎたところだ。空には宵の明星とお月様の他にも小さな砂粒のような星々がいくつか見える。雲の少ない美しい星空だ。ほどよく冷たく澄んだ空気を肺いっぱいに吸い込んだ途端、胸のわだかまりやら恐怖やらが吹き飛んでしまった。東の空にアンドロメダが見える。ギリシア神話ではペルセウスの奥さんだ。たしかペルセウスがメドゥーサの首でもって魔物を退治し、捕らえられていたアンドロメダを助けたのだ。生首を持った男の人に助けられるシチュエーション…正直、意味不明だ。もし私が助けてもらうなら知恵の利いたカッコイイ方法で助けて欲しい。そう例えば、「助けに来たよ、みーちゃん!」―――いや、私は何を考えているんだ。温度の上昇した思考をさわやかな秋風が冷ましていく。やっぱり今度、ゆうを連れてこよう。絶対だ。そう決めてさっき来た道を相棒と下る。


――――――――――


 木曽山脈の向こう側に日が沈んで行く。敢えて振り返らずにひたすら走る。振り返ってしまえば、もう帰りたくなくなってしまう気がする。夜の(とばり)が下り始め、西の空に金星がみえる。所謂(いわゆる)、宵の明星だ。ぽつんと輝くあれは一人ぼっちの私だろうか、それとも一人でも自分の輝きを見失わないみほだろうか…。


 自宅に着く。白い大きな家だ。両親と3人で住むには大きく、前に行ったみほの家くらいがちょうどいいと私は思う。玄関の冷たい取っ手に手をかける。「ただいま」と一応言ってみる。誰からも返事は帰ってこないが。何度か、みほの家に遊びに行った時につい癖で間違えて「ただいま」と言ってしまったことがあった。すると、みほのお母さんがニコニコ笑顔で「お帰り」と言ってくれた時は恥ずかしかったがなんとなく嬉しかった。玄関からそのまま行けるガレージにぴーちゃんをしまう。靴を脱ぎ、階段を上り、とりあえず自室に向かう。私の両親はあまり仲が良くない。学校の課題を適当にスラスラとこなしながら考える。いつからかと言われると中学の頃、高校の進学先で言い合いになった時からか。母は私を横浜にある大学付属の高校に行かせたかったらしい。でも父は、まだ中学生だしと言ってなぁなぁなまま長野に引っ越すことになってしまったのだ。今通っている駒北高校は偏差値で言うと53くらい、いたって普通の高校だ。ついでに言うと田舎過ぎて、ここか、隣の農業高校しか選択肢がなかった。でも今の生活に文句はない。「大好きな親友(みほ)と同じ高校ならどこでもイイ」母にも何度かそう言ったのだが「あなたにはもっと才能があるのに、ごめんね」と返されてしまった。父も母も昔は仲がよかったのだ。昔は一緒に遊園地やら水族館やらに行ったりしたのだが…。父の「せめて高校に上がるまでは家族みんなで過ごしたい」という気持ちもわかるし、母の言い分も分かる。そもそも私が責任を感じる必要はないはずだ。でも、でも…。大学は都市圏の有名なところに進めば母も父と仲直りしてくれるかな、とか思う。でもそうしたら、みほとは離れ離れになるであろうことは今のところは考えないでおこう。


 母と二人で夕食を食べる。父は仕事で忙しいらしく日曜だっていうのに家にいない。母と、これと言って話すことがない。沈黙が肌に突き刺さって痛い。みほと二人の時はふわふわと全身を撫でられているようなくすぐったくて心地のいい沈黙なのに、この差はなんなんだ。最近母は白髪(しらが)が増えた。なんとなくイライラしている。父が休みの日すら家にいないのが嫌なのだろう。そこそこ高級な、しかしあまりおいしくないムニエルを口に運ぶ。「家族みんなで、なんて言ってたくせに」と母が一人愚痴っていたのを私は知っている。仕方ないことだとも思う。父は横浜の本社から支店長として派遣され忙しいのだ。


 「ごちそうさま」そう言って食器を片付け自室へ戻る。お風呂に入って温まって、髪を乾かし、少しだけSNSを覗いて最近の流行を頭に入れて早めに寝る。明日からまた、何度目とも知れない愛想笑いの一週間が始まるのだ。みほに会いたい。会ってつらいことや苦しいことを全部打ち明けてしまいたい。毛布に抱き着き、きつく目を(つむ)る。


 今日は飯島から駒ヶ根を通過し宮田に入るまで天竜川沿いを進んだ。更に駒ヶ根と宮田の境で合流する大田切川沿いを、そこに架かる赤い吊り橋まで走った。秋の空気を感じながらのサイクリングはとても気持ちいい。夏の焦がすような暑さも嫌いではないが、初秋の、干した後の布団のような温かさは格別だ。大きな吊り橋を渡ると駒ヶ根高原に入る。乳製品やパンや土産物やらの観光所があり、そこでソフトクリームを食べてきた。子供みたいに鼻にクリームをつけたみほの、太陽のような笑顔が(まぶた)の裏側に(よみがえ)る。


 明日は会えるといいな、せめて休み時間だけでも。深い眠りに落ちていく。




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