6.筑紫の政変-2
「貴女の守護神は凄い神様が付いているねぇ。ほぉ、守護神は玉依姫か――」
甕依姫の目の前に、占い師の老婆がいる。
(あ、私、まだ若い・・・・。)
甕依姫は今の自分がまだ少女の頃の体であることに気付いた。
(これは、夢なんだ・・・・。)
筑紫の大王である甕依姫は自分が霊感のある巫女ということもあり、夢の中で重要なインスピレーションを受けることはよくあった。
「――いや、違う。」
一瞬、老婆の顔がこわばる。
「玉依姫はあんたの守護神じゃない!あんた自身だ!」
それを聞いて、甕依姫はゾクッ、となった。と、同時に思い出す。
(ああ、そうか。あの時もそういう感じだったなぁ。)
この夢の内容は、甕依姫の記憶だ――甕依姫はそう思った。まだ大王に擁立される前、霊障に悩まされていた甕依姫が出会った老婆だ。あの時に、自分の霊魂が玉依姫であると告げられたのだ。
「それって、良いことなのですか?」
甕依姫は老婆に尋ねた。これは記憶では、ない。
あの時は自分が玉依姫という神であると知り、驚きはしたがどことなく嬉しかった。その後、筑紫の大王に即位したためあの時の老婆の話は本当だったのだと思った。
「あんたはこれまで大王として多くの人を救ってきた。そのことは良いことじゃないのかね?」
「本当でしょうか?私は自分の果たすべき役目を、ちゃんと果たしているのでしょうか?」
「あんたはあの時よりも立派な大人になったよ。霊感も使いこなせるようになり、その力を使って人々の心に安らぎを与え、戦死者の例も敵味方の区別なくきちんと慰霊し、天照大御神様を祀って国を治めた。――ただ、そこまでしても自己評価が低いのは、相変わらずだねぇ。」
「・・・・・。」
「狗奴国との戦いは正しかったのか、と聞きたいのだろ?」
「・・・・・ええ。」
「正しい戦いが本当にあると思っているのかい?」
「・・・・・。」
「だけど、戦った方が世のため、人のためになるときはあるねぇ。」
「・・・・・はい。」
「それが、人界の哀しさ。あんたは本来、天界に暮らすべき女神なのに人界に閉じ込められて苦しんでいるんだ。あの時、自分の霊感が使いこなせずに悩んできた女の子も、そうだった。」
「・・・・・。」
「『私が王族に生まれてきたことは、正しかったのですか?』あのとき、貴女は泣きながらそう聴いてきたねぇ。」
「そうですね・・・・・。」
「あの時も言ったと思うけどね――」
「――生まれてから一度も罪を犯したことのない人間は、いない。」
「そうだね。さらに言うと、一見清浄無垢に見える赤子も、前世から罪を背負ってきているかもしれない。」
「ええ。」
「だけど、それを全て赦すことが出来るのが、神様なんだよ。」
「そうですね。」
「だって、罪を犯そうと思って罪を犯す人間は、いないんだからね。」
「そうですね。」
「そう言って、あんたもこれまで多くの人を赦してきたはずだ。」
「はい。」
「讃岐の狗奴国との戦いは、必要だった。それは筑紫の民がそういう因縁を持っていたからだ。」
「はい。」
「筑紫の民が悪いんじゃない、讃岐が悪いのでもない。それでも戦わざるを得ない現象があらわれる、それが人界の哀しいところ。」
「・・・・・。」
「彼らを赦せるか?」
「赦せます。」
「では――」
「え?」
次の瞬間、老婆の姿は消えた。
「玉依姫、久しぶり。」
後ろから若い男の声が聞こえる。
(あ、私の夫だ・・・・・。)
今の甕依姫には夫はいないし、そもそもまだ振り向いてもいないので顔も見ていない。だが、後ろの男は夫であると、彼女は確信した。
「お帰りなさい――と、言いたいところだけど、君はまだ用事があるんだったよね。」
甕依姫は振り向いて笑みを浮かべて言った。
「ええ、私はもう少し人界でやらなければならないことがあります。もう少しだけ、待っていてね。」
そういうと、甕依姫は目が覚めた。
「甕依姫様、おはようございます。」
気が付くと、一人の青年が目の前に座っていた。
彼は甕依姫の使用人である。まだ少年の頃からずっと仕えていた。甕依姫の宮殿に出入りできるのは、奴婢(奴隷)の身分の女性千人や王族を除くと彼だけだ。
「お前が朝からくるとは珍しい。」
「ええ、大事な要件がありましたから。」
「そうか、まずは聴こう。」
「昨日の夕方、狗奴国討伐のために小倉に集結した我が国の軍隊ですが、その小倉で日食が起きました。」
「そうか。」
「そして、これを受けて川上健様が面会を求めておられます。」
「さもなくば?」
甕依姫は続きの言葉が半ばわかっているかのような態で続きを促した。
「さもなくば、これを食べていただきたい、と。」
そういうと、青年は団子が二つ入った器を持ってきた。
「ご丁寧にも私の分まで用意されています。」
「そうか、私は別に二つとも食べてやっても良いのだが。」
「どうしてですか?」
「私は天照大御神様のみを信じ、惟神の道に随って生きるよう民に説いてきたはずだ。しかし、この国の民が信じたのは天照大御神様ではなく、肉体の私だった。」
「困った国民ですね。」
「もう、私はこの国を去りたいと思うのだ。お前は私の奴婢ではない、この国に留まりたければ留まればよい。」
「私は天照大御神様のみを信じていましたが、それを導いてくださったのは甕依姫様だけです。たかが日食で甕依姫と別れる気はございません。」
「そうか、こんな私にも殉じてくれるのか。」
「私達が国を去ると、川上健がこの宮殿にやってきて新政権の樹立を宣言するのでしょうね。そして、この国は再び乱れて、その時になって民は始めて甕依姫がいなくなったことを哀しむのでしょう。――悲しむだけで、反省はしないのでしょうが。」
「これこれ、男の子なんだから恨み言を言う出ない。」
「だって、甕依姫!」
「私もお腹が空いた。先に食べさせていただこう。」
「・・・・さようなら。」
甕依姫が団子を手にすると、青年は号泣しながら別れを告げて、自分も手にした。
「これまで、ありがとうございました。」
団子を口にした後、横たわった甕依姫をみて青年は涙を拭きとると、自分もその団子を口にした。
西暦247年3月25日早朝、甕依姫は人界を去った。