2.仲哀天皇の血統-1
「二人で出かけるって、久しぶりね。」
「そうだよな。なんとなく、昔伊勢の神宮に旅行に行った時を思い出すな。」
「伊勢は良かったわね・・・・。大和も。いつか、また大和に行って見たいわね。」
「ハハハ、そうだな。もう宮は大和ではなく近江に引っ越したらしいが。」
大枝王と銀王の二人はゆっくりと筑紫の地を散歩していた。
「あの若帯彦が今は大王なのよね・・・。」
「ああ。懐かしいな。」
二人は異母兄の若帯彦のことを思い出した。二人が大和を離れてから軽く十年は超えている。
「あの時まだ赤ちゃんだった帯中彦がもう38歳だもんな・・・・。」
倍数年暦なので実際には数えの19歳だが、もうそれだけの年月が経っている。亡き大和建の息子である帯中彦はもう19歳の立派な青年に育っていた。
「あの子は帯中彦の妃になることに抵抗がないようね。」
銀王のいう「あの子」とは二人の娘である大中姫のことだ。
「色恋沙汰で騒がないとは本当に私の娘なの?と思っちゃうわ。」
「まぁ、確かに。あの子は昔なら欲のない子だったもんな。」
「ご飯もお兄ちゃんがお腹を空かせていたら分けてあげるような子。優しいのよね。」
「筑紫に逃げてきたような両親の下でよくあんなできた子が育ったものだ。」
「親子って意外に似ないものよね。」
「若帯彦と大帯彦も似ていないようだな。父親のように女癖の悪い大王ではない。」
「あれは大和に混乱を生んだわね。」
「それを大きくしたのが俺たちだけどな。」
「空前の兄妹婚よね。だけど、筑紫に来るとそれもあまり注目されないわね。」
「いや、注目されちゃ困るだろ、こんな遠くまで来て近親相姦のとんでもない連中だとは思われたくねぇよ!」
「アハハ、確かに!だけど、兄妹婚って別に悪いことじゃないよね?」
「そうそう、悪いことだと思っている奴らがアホなんだ・・・・って話、通じると思うか?」
「通じないわね、確かに。」
「まぁ、どうして兄妹婚がいけないのかはよくわからんがな。」
「確か、遠くの地域の豪族と結婚して王族の血縁とか人脈を広げるためじゃない?」
「そうだろうな、一夫多妻制の王族に兄弟姉妹の感覚などないしな。」
「まぁ、80人も兄弟がいる私たちがおかしかったのかもしれないけどね。」
「そういえばしろちゃんって、玉垂姫と仲が良かったよな?」
「ああ、筑紫の大王の妃ね。凄い可愛くてテンションも高くて、まぁ、テンション高すぎてついていけないけど。」
「ついていけないんかい!じゃあ、どうして仲が良いのだ?」
「何というか、面白い人だからかなぁ?」
「へぇ、面白い?」
「うん!あの子って明るいしね。」
「なるほど・・・・。」
「そういえば玉垂姫が新羅のこととか言っていいたわね。」
「どういう話だ?」
大枝王が反応する。国際情勢には大枝王も関心が深い。
「なんかね、新羅が倭国に報復する準備をしている、という噂が流れているみたい。それを大王は本気にしていなくて――」
「そんなバカな!」
「そうよね?まさか、新羅に倭国に攻めて来るなんてこと、あり得ないよね?」
「いや、あり得るに決まっているだろ!?」
「え?だって、新羅の王様は倭人なんでしょ?」
銀王の反応を見て大枝王は自分の妻が政治に無知なことを思い出した。
「いや、確かに新羅王は倭人の血統の昔家の人間だ。しかし、これを言い出すと三韓の諸国と倭国の諸国の王族の血統は複雑に入り乱れている。」
三韓とは馬韓、辰韓、弁韓の三つの地域のことである。これらの国は未だに統一されておらず、三韓すべてを合わせると百近い国に別れている。
もっとも馬韓では百済が、辰韓では新羅がそれぞれ影響力を伸ばして統一を目指しているが、それでもまだまだ統一国家とは言い難い状況だ。
倭国も複数の国々による連邦国家ではあるが、近年は筑紫の大王家を中心にまとまりつつある。大和の大王家は筑紫の分家のようなもので筑紫が倭国の盟主であると認めている。
こうした倭国内の諸王朝の多くは互いに血縁関係にある。例えば大枝王の父親は大和の大王だが、母親は筑紫の大王家の一員だ。
そして倭国は弁韓諸国や辰韓、馬韓とも関係を深めておりその一部とも血縁が存在することは珍しくない。
「俺たちの大和の大王家だって、新羅の王族と血縁関係にあるんだぞ?」
「え?その話、初めて聞いたのだけど。」
「昔、新羅の王族が但馬にやってきてそこの豪族の娘と結婚したんだ。その子孫が高額媛だ。」
「高額媛?」
「ああ、息長宿禰王の妻だ。」
「息長宿禰王って、確か丹波にいた?」
「そうだ、丹波だけじゃなくて近江にも勢力がある。だから大和大王家が近江に宮を遷したのも彼の協力で出来た、という面もあるんだ。」
「そうなんだ、そんなにすごい人なんだね。」
「王号を持っていることでもわかるように、同じ宿禰でも身分は臣民である武内宿禰よりも上だからな。」
「あ、そうか、そういう人でも新羅の王族の子孫と結ばれているってわけね!」
「そういうことだ。丹波や近江は新羅とは大分離れているが、それでも血縁関係はある。血縁と言っても絶対じゃないんだ。」
「確かに。現に兄妹で結婚する人もいますもんね。」
「それとだな、今回の件は倭国の方が新羅の城を占拠している。新羅が簡単に倭国に城を譲るとは思えん。」
「ああ、そういうことね。新羅がいつ倭国に報復してもおかしくないわけか。」
「というか、正直建玉彦はアホなんだよ。強硬に出れば新羅は大人しくなると思い込んでいる。そんなバカなことはあり得んからな。」
大枝王の言は筑紫の大王である建玉彦への非難になった。
「あれ?建玉彦って改革派でしょ?」
銀王が意外そうに大枝王の顔を見る。
「貴方も改革派の人が好きだったんじゃなかったの?」
「あれが改革派?」
大枝王が吐き捨てるように言った。
筑紫の政界は甕依姫(卑弥呼)の時代から「改革派」と「守旧派」に別れる。改革派とは中国や朝鮮半島の動乱に備えて倭国の統一を目指す派閥だが、彼らは甕依姫やその後継者を支持し続けてきた。
また改革派は中国の昔は魏、今は晋と関係が深い。一方、彼らに反発する勢力は守旧派と呼ばれた。
改革派が倭国を強力な統一国家にしようとしているのに対して、守旧派は倭国内部の諸勢力の調和を第一とする。甕依姫の時代に筑紫政権は倭国の統一を目指し対立する讃岐の狗奴国に対しても強硬に挑んだが、その次の大王の川上建は守旧派の人間で、狗奴国との和平を推進した。大和建が幼い時に川上建を暗殺した背景にはこのような事情があったのである。
「一体、彼がどういう改革をしたというんだ?あれで倭国は強くなったのか?新羅の城を一つ落としただけで新羅が倭国に服属するなどという甘い見通しで国を動かせるわけあるまい。」
「ちょっとよくわからないのだけど、新羅と戦うことに反対だったの?」
「ああ、戦うだけのメリットがないからな。強いて言うならば鉄の確保だが、鉄なら任那で充分確保できる。」
任那は先ほど出てきた三韓の一つ、弁韓の倭国側の名称である。任那は倭国の事実上の植民地であり、そこで採れた鉄資源は倭国のものである。何も新羅とわざわざ事を構える必要はない。
「まぁ、確かに新羅みたいな小国が倭国に攻めてきても大したことがないのは事実だ。ただ無意味な戦争は避けたいだけだ。」
「なるほどね。」
「玉垂姫はどういう考えなんだ?」
「うん、やっぱり玉垂姫も新羅が倭国に攻めてくるかもしれない、とは思っているみたいね。」
「そうだろ?」
「だけど、倭国は神々が守っているから大丈夫なはずだ、とも言ってた。」