1.新羅の事情-1
元康5年(西暦295年)、新羅国――
「お帰りなさいませ。」
下男が挨拶してくる。
「ああ、ただいま。」
新羅の宰相・弘権は久しぶりにこの家に来た。
「客は来ているか?」
「ええ、来ています。」
ところは新羅の沿岸部の村・甘浦にある弘権の別荘。
後に朝鮮半島の大国として名をはせる新羅も、この時期は今の慶州市を中心とした小規模国家に過ぎない。ただ、近隣の国々に弱小国が多いから目立っているだけだ。
この新羅が国力を蓄えている理由の一つが海に面していることである。朝鮮半島で採れる鉄を海を越えて倭国の国々に売ることにより利益を得ているのだ。
「弘権殿、忙しい中申し訳ない。」
「いえいえ末仇殿下こそ、わざわざお越しいただきありがとうございます。」
下男が案内した部屋にいたのは前代の王の弟である金末仇であった。
「君みたいな優秀な男が新羅の宰相をしてくれていることは嬉しいよ。亡き兄も喜んでいることだろう。」
「先王様は素晴らしい方でした。子供を残されなかったことが残念でしたが、殿下が金家の祭祀を引き継いでおられているので私としても嬉しい限りです。」
お互い、社交辞令であるかのように若干冗長な枕詞を並べる。
新羅の国王は昔家・朴家・金家の三家の中から選ばれる。ここ最近は昔家から選ばれており今の国王である儒礼王も昔家の人間であるが、前代の王は例外的に金家の人間であった。
目の前にいる金末仇も金家の若きホープである。年齢はまだ数えで21歳。数えで10歳の頃に国王であった兄を失い、それ以来金家を背負って生きている。
「いえいえ、私は王家に生まれた人間として当然のことをしているまでです。」
末仇は「王家」の部分をさりげなく強調しながら丁寧な口調で言った。
「王族としてのお務め、ご苦労様です。」
「いや、私などは年が若いこともあり苟も新羅の王族に生を受けながらこの国の国難に全く対処できておりません。それでいて王族としての務めを果たしている、等とは口が裂けても言えないことです。」
やはりそう来たか、と弘権は自分よりも若いが身分だけは高い男に対して内心でボヤく。
「いえ、国のことを考えてくださっている若き壮士が居られることは宰相としても心強い限りです。」
「そこ聞きしたいのだが、倭国に対してはどのような態度で挑まれるつもりなのか?」
「やはり倭国と新羅が健全かつ安定した関係を取り戻すことが両国の利益になるのですから、そう言う関係に戻るように努力していきたいですね。」
「今、倭国は新羅の領土である長峯城を占拠しているわけだが、それで本当に閣下の仰るような健全な関係ができるのかをお聞きしたいと思いますね。」
末仇の顔が挑発的に見えるのは気のせいではないだろう。
「私の仕事は出来るか、出来ないかを判断することではなく、出来るような環境を作っていくことです。」
「なるほど。しかし、倭人の血を引く王にそのような環境づくりは、如何に弘権殿のような優秀な宰相がいても難しいのではないですかね?」
再び、やはりそう来たか、と弘権は思う。儒礼王は昔家の人間であるがこの家は祖先が倭人だった。
「祖先が倭人といいましても何百年も前の話ですからねぇ。」
「そうですか、ならば血には関係なく倭国に対しても毅然とした態度で挑まれると信じてよろしいですね?」
「毅然とした態度、とは?」
「言うまでもなく武力衝突も辞さないで倭国から新羅の領土を守り抜く、ということですよ。」
「無論、私も新羅の宰相として責任を持って新羅の領土を守り抜きますが。」
「しかしながら、最近の我が国は少し倭国に対して融和的すぎやしませんか?」
またか、と弘権は思う。宰相になってから倭国と争うたびに何度この言葉を言われてきたことか。
倭国は重要な商業上の取引先であり、倭国も新羅も全面的な対立は望んでいない。そして、新羅は既に倭国に対して出来る限り強硬な手段をとっている。
末仇の言い方だと長峯城を占拠されたのも儒礼王や弘権が倭国に融和的だったから、と言わんばかりであるが、実際には儒礼王は長峯城奪還のために軍勢を派遣している。ただ、倭国軍が強大すぎて敗れてしまっただけで、別に融和的な態度を取ったからではない。
「私は新羅の国益を最優先に考えており、融和的という指摘は当たらないと思いますが?」
「そうですか?ではどうして我が国が倭国に舐められた対応をされるのか考えていただきたいですね。それでは、また。」
そういうと言いたいことを言い終わったのか、末仇は立ち上がった。
「今後ともよろしくお願いします。」
弘権もそう言って頭を下げ末仇を見送っていった。