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フィラメント

愛紬のフィラメント

作者: 如月雨水

桜が舞う校舎を、ぼんやりと見上げた。

グラウンドから、桜雲おううんが空一面に広がって見える。見事なその姿に、知らず感歎がこぼれた。

季節はまだ三月だと言うのに、二月中旬からの暖かい気温によって咲いた桜花はまるで今日を祝っているように感じた。――――とは、絶対に口にしない。

言ったら最後、隣を歩く奴が面白がって弄ってくるから。

そんなことを思いながら、空に浮かぶ白い月を見上げる。


――――今日で、この高校ともお別れだ。


物悲しい気持ちを抱きながら、校舎へと足を踏み入れた。










時間と言うのはあっという間に過ぎ去ってしまう。

まさに――時は待たない。

その言葉通り、卒業式はいたって普通に、あっさりと終わってしまった。

藍染さん基理事長が平然と卒業式に参加し、卒業証書を受け取っていたけど。

その時、校長の眼から光が消え、虚ろな表情だったけれど。――――藍染さんの正体を知る者以外、校長の異変に気付いた者がいないのが凄い。

隣にいた霧生が、何とも複雑な表情で、けれど憐れむような眼差しを校長に向けていたのが印象的だ。

まぁ、それ以外は特に感慨深い、と思うモノもなく、高校を卒業したんだと言う実感を得るだけだった。泣きだす生徒もいたけれど、私にはよく解らない感性だ。何で泣くんだろう? と、寧ろ聞きたい。それを霧生や暦に聞いたら、そっぽを向かれた。二人も解らないらしい。類は友を呼ぶ、と言う奴なんだろうな。

「はぁ・・・」

卒業証書が入った鞄を手に、何となく通い慣れた図書室へと向かう。

意味は特にない。

ただなんとなーく、図書室へ足が動いてしまう。

「・・・卒業しちゃったな」

三年間通ったこの高校に、いろいろと思い出はある。まぁ、主に面倒事と厄介事だけれど。いつも通りに扉を開ければ、司書室には伏見先生がいる。私に気づくと笑顔で手を振り、司書室から出てきた。

眼許が赤いのは、泣いたからだろう。

泣くほどに私達の卒業が悲しかったのか、嬉しかったのか。何となく、後者な気がすると思うのは捻くれているからだろうか?

「卒業、おめでとう」

「ありがとうござます、伏見先生」

「寂しくなるな」

「幾月がいるから、寂しくないと思いますよ?」

「彼は・・・・・・その、優しくないから胃が痛むんだが」

何を思いだしたのか、顔色を悪くして胃のあたりを押さえる伏見先生に苦笑した。そんなので、幾月が卒業するまで胃が持つのか?

心配にもなったが、江藤先生がいるから大丈夫だろう。たぶん。

「あっと・・・もう少し話したいけど、ちょっと・・・・・・胃が」

「押さえてる時点で、察してますから保健室に行ったらどうですか?」

「うん、流石は図書委員長」

「元、ですよ。元」

顔色悪く図書室から出て行った伏見先生に、最後までこうなのかと諦観半分、達観半分な気持ちで見送って。窓の外から聞こえる声に誘われるようにベランダへと出た。

風が少し、冷たい。

吹く風に乗って花弁が空を舞い、地に落ちる。

それを眼で追いかけたら、ありさと浅都がベンチで何やら話している姿があった。そこに何やら叫んでいる悠乃が突撃し、ありさに縋りついた。で、ありさに殴られる・・・って、何があった?!

ありさが鬼の形相なんだけど・・・。

朝都が笑顔で傍観してるんだけど!

悠乃の号泣が酷くなったんだけどっ!

ちょっと気になるけど、面倒なことだろうと判断して眼をそらした。

あ、夏目が猫を追いかけて・・・・・・こけた。暦がそれを見て助け、何やら泣きつかれている。「一方通行の愛はもう嫌だ!」との叫びは、きっと空耳だ。

逸らした視線の先にいた秦が、何かを思いっきり投げた。

何だろうかと眼で追いかければ、ソレは夏目の後頭部に見事、クリーンヒット。地面に倒れる夏目を、冷やかな空気を纏った秦が見下ろしている。何を投げたんだ? と思えば、暦が鞄を手渡していた。

鞄って、そんなに威力あっただろうか? いや、秦の鞄だ。何が入っているか解らない。

たぶん、きっと、おそらく、硬い何かが入っていたんだろう。そうじゃなきゃ、夏目が倒れたまま動かない状況になるはずもない!

「気になる。凄く気になるけど・・・・・・っ」

行きたい衝動を耐えて、空を見上げる。

「絶対、面倒事になるから行かないっ!」

「そう言って、面倒事に何度巻き込まれたんですか? 西城先輩」

気配も音もなく背後に立つな!

そして余計な御世話だよ、幾月!!

「心臓に悪いことは止めてよ!」

「いや、声をかけましたよ?」

「聞こえなかったんだけど・・・?」

「それはすいません」

いや、そんな笑顔で謝罪されても。

「それで、幾月はまだ(・・)諦めてないの?」

溜息まじりに問えば、笑みがより一層深まった。

一歩、幾月が足を動かす。何となく、一歩分だけ後ろに下がった。

「まだ《・・》とは、随分と酷い」

だって事実じゃないか。

「あの日からずっと、私を口説き続けて飽きない?」

「飽きません」

あ、即答ですか。

脱力し、肩から力が抜ける。これ、本心何だろうか? ・・・本心、なんだろうな。この無駄に良い笑顔はきっと。

溜息を吐きだして、右腕をゆっくりとあげる。

幾月が首を傾げ、足を止めた。右手が幾月の胸板に触れる。・・・お、以外にたくましい? いや、服があるからよく解らないけど。

「ちなみに幾月」

「はい?」

「その広げた腕は何のつもりかな?」

「西城先輩を抱きしめて、あわよくばキスしようかと」

「するな!」

何か腕を広げてるなー、とは思ったけど何を考えているんだコイツは?!

私、祀と付き合ってるんだよ? 付き合ってる男がいる女に、キスってどう言う神経してるんだよ!? え? 何? 略奪宣言したから問題はないってか?! あるわ!!

なんて色々と言いたいけど、無駄なことはすでに知っている。

と言うよりも、そんなことは幾月にとって些細な問題でしかないようで。

随分前にはっきりと、笑顔で、「手に入るなら他はどうでもいい」と断言していたから。しかも祀の眼の前で。その後に毎度の喧嘩に発展し、そして敗北。

「いい加減、私を諦めて他の人を好きになりなさい。このままじゃたぶん、おそらく、祀に社会的に抹消されるから。そうなる前に、ね? 命は大事にだよ」

「嫌です」

この野郎。

「解ってるんですよ。西城先輩が俺の手を取らないことなんて、最初から。それでも諦められないし、他の人を好きになるなんて無理です」

「いや、そこはほら・・・雪村先輩とか」

「ないです」

「あ、そうですか」

「そもそもあの人は、俺と言う人間ではなくて俺の顔・・・と言うか、体型が好みであって俺が好きな訳じゃない」

否定できないのが悲しい。

最後まで、童顔で小柄な幾月を愛していたから違うとは言えない。あの人もまぁ・・・うん。幾月の全てを愛していれば、想いが玉砕して粉砕されることもなかったのに。

偶然、運悪く、図書室で始まった告白を聞いてしまった身としては何とも言い辛い心境だ。そもそも「小柄な貴方を一目見た瞬間から好きです、愛してます」ってどんな告白だ。いくら年下好きだからと言って、それは流石に・・・と伏見先輩と一緒に呆れていれば幾月の口から出るは出るは。

冷やかな棘の数々。

零度の眼差しで雪村先輩を見やり、心底嫌そうに否定と拒絶を紡ぐ幾月はそう言う感情を一切、雪村先輩に持っていないのだと嫌でも理解した。――――私と伏見先生はね。

雪村先輩は何故か、顔を紅潮させて悶え、歓喜の声を出した。

訳が解らなくて伏見先生にどう言う状況か聞けば、「そう言う性癖」としか返ってこない。どう言う性癖? 祀にも聞いたけど、笑顔で「知るな」と言われた上に頭を叩かれた。解せない。

「胸のでかい女は嫌いですから、俺」

「喧嘩売ってる?」

「売ってませんよ。西城先輩なら、どんなサイズでも愛せます」

「祀と同じこと言ってるよ?」

基本的に、祀と幾月って似てるよね。好きになる女のタイプとか、好きな本とか、食べ物とか。中身が似てるって言えば絶対、間違いなく、苦虫を踏みつぶしたような顔で否定するから言わないけど。

右腕を下ろして、足を動かす。

幾月を通り過ぎ、中に入って定位置だった椅子に座る。鞄は適当に床に置いておこうか。・・・ああ、この椅子ともお別れか。カウンターに両肘をついて、息をつく。

「そう言えば西城先輩」

「んー?」

「籍いれたんですか」

「へ?」

「その指輪」

指差されたのは、左手の薬指。

「いや、これは、違うくてっ」

クリスマスプレゼントに貰っただけで、籍なんていれてないから! いくら結婚出来る年齢になったからって、いれてないよ!?

・・・18になったら結婚してとは言われたけど、実際、その年になったら祀は結婚を口にしなくなったし。

好きだとか愛してるは、挨拶のように毎日言われてるけど。

耳にタコが出来るほど告げると言った台詞は、不言実行で終わってるんだけど。

別に気にしてないよ。気になんてしてないもんね。

「って・・・あの、幾月?」

何故に左手を掴む?

「へぇ、あの男にしては随分と慎重な。それとも時期を見てるのかな?」

「?」

「まぁ、だからと言って諦める理由はならないけど」

「よく解らないけど、そろそろ諦めようよ」

「嫌です」

幾月がシンプルな指輪に触れながら、にこりと笑う。

「簡単に諦められるほど軽い気持ちじゃないし、忘れられるほど諦めもよくないんで」

「・・・ああ、そう」

「先輩がアイツと結婚しても、油断や隙があったら容赦なく奪うし、先輩を悲しませたり苦しませるなら俺が助けますから」

「はぁ」

「先輩が望むなら、アイツがいない場所に連れて行くことも出来ます。何か困ったことがあったら俺に何でも話してください。アイツ関係なら他を捨ててでも駆けつけて、解決しますから」

「・・・はぁ」

「なので――――俺を頼ってくださいね」

意味が解らないが、そんなことはないだろう。

と言うか、祀を頼らず幾月を頼ったら私がどんな眼に遭うか・・・・・・っ。

付き合ってから今日まで、身に染みて理解させられたことに悪寒がするやら顔が熱くなるやら。ああもう! 祀の馬鹿、変態っ。

「・・・何か、腹立ってきた」

「え? 何? 何か言った?」

「いえ、別に・・・」

その割に、顔がめっちゃ不機嫌だよ?

拗ねてる眼だよ、幾月? 解ってる? ・・・解ってないな、これは。

「ところで、伏見先生は何処に?」

「胃が痛いから保健室」

即答すれば、幾月の顔から感情が消えた。

「・・・へぇ」

「ほどほどにね、図書委員長さん」

「それは相手次第ですから」

これは・・・伏見先生の胃が悪化するな。可哀想に。

心の中で合掌し、名残惜しげに左手を放す幾月がくるりと背を向けた。ん? どっか行くのかな?

「名残惜しいですけど、これ以上いると本当に殺されかねないので邪魔者は退散しますよ」

「は?」

「・・・あ、殺人未遂にして捕まえさせれば西城先輩は俺のものに?」

「いや、何を阿呆なことを言ってるのよ」

「冗談ですよ」

いや、あの声音は本気だった。

疑いの眼差しを背に向けていれば、幾月が肩を竦めた。

「それじゃあ、西城先輩」

幾月が振り返って、微笑む。

「卒業、おめでとうございます」

綺麗な笑顔に、沈黙。

「縁が合えば、いずれ」

踵を返して、図書室から出て行く幾月に眼を瞬かせる。

「縁が合えば、いずれ」とは・・・縁がなければ逢わないと言うことだろうか? それはちょっと、寂しいな。

誰もいない図書室だからか、余計に寂しく感じる。

いや、だけどこう言う状況でアイツが来ないはずがない。幾月の台詞から考えるに、アイツはどこかにいる。この図書室の何処かにっ。

立ち上がって、きょろきょろと見渡すがソレらしい人影はない。・・・考えすぎかな? いや、念のために司書室も見てみよう。

「・・・・・・いつからそこにいたの」

ソファに横になる、見慣れた人物に苦笑した。

「起きてるんでしょ、祀」

眼を閉じ、私の言葉に返答はないが・・・起きている。

だって口元、にやけてるし。

「本当にもう・・・」

長い付き合いだから、寝てないことぐらいすぐに判るからね。

「狸寝入り、下手だよね。祀って」

ソファに近づき、息をつく。右手を伸ばして、祀の肩に触れる。軽く揺するけど、眼を開けない。ああ・・・そうですか。

起きるつもりがないなら、勝手にしろ。

「私、先に帰るよ」

「だぁめ」

「・・・手、放してよ」

「放したら勝手に帰るだろ? だから駄目」

私の手を掴み、楽しげに笑う祀にイラっとしても仕方がない。腹いせにデコピンをして、また息をつく。・・・中腰って結構、辛いんだけどな。

「・・・・・・ねぇ、これってどういう状況?」

どうして私は、祀の上にいるのかな?

おかしいな。腕が引っ張られて、倒れると思ったら何でか祀の身体に乗っかってるんだけど? あれ? どうしてこうなった?

妙に良い笑顔の祀を睨めば、何でか髪を撫でられる。

いや、だから・・・ねぇ。

「何がしたいの?」

「冬歌に押し倒されるって言うのも、悪くない」

「押し倒してないよ!」

「いつもは俺が押し倒して、そこから事に運んでるから新鮮で良いな」

「いや、だから!」

「でも、主導権は俺が握るけど」

「話を聞け!」

容赦なく頭突きをした私は悪くない。

・・・頭がすごく、痛い。

「っう・・・ば、かなこと言ってないで、手を放してよ」

「あー・・・・・・・・・やだ」

「放せ、馬鹿っ」

「まだ頭が痛いんだから、チョップは止めろ、チョップは」

「だったら放せ! 早くはーなーせー!」

「それは嫌」

この・・・・・・・・・・・・はぁ。

諦めに息をついてから、身体の力を抜いて祀の胸板に頭を預けた。何か、心音が聞こえる。いや、聞こえない方が大変か。・・・・・・一定のリズムなのが腹立たしい。私と違って慣れたってか? 

けっ。余裕のある人間はいいですなー!

「冬歌」

甘い声で私の名を呼ぶな。

「卒業したな」

だからなんだ。

背中がぞわってするから、耳を触るな。

「結婚しよう、冬歌」

「へ?」

「俺と一生を添い遂げて欲しい」

顔をあげて祀を見れば、蕩けるような眼差しを向けられて顔が赤くなる。・・・って、そうじゃなくて今、何とおっしゃりましたか? え? 幻聴? 空耳?

「プロポーズなら、ちゃんとした言葉にしろって父さん達が煩いから今まで言わなかったけど、考えても思い付かないし、だったらシンプルでも想いを告げられればいいんだって思って」

それで、18になった途端に聞かなくなったのか。え? でもそんなに悩むことなのかな?

「言葉がシンプルなら、変わりに印象に残るような時期に告げようって考えてたんだよ」

あー、成程。

だから解を得ても、今日までその台詞を口にしなかったのか。

何だ。そんなことだったんだ。胸からモヤモヤとした消化不良の何かが消えて、すっきりとした。

祀が私の両頬をそっと包み、親指で唇を撫でる。

「返事は?」

ほんの少しの不安を瞳に宿す祀が、何だかおかしくて笑ってしまった。

おいおい、いつもの柏木祀はどこへ消えた。

自信のない祀なんて、偽物なんじゃないの? なんて思えて、でも眼の前にいるのは確かに私が恋した柏木祀おとこ

不機嫌に眉を寄せる祀の右手に触れ、私の頬からそっと放す。

きょとんと瞬く祀に微笑み、掴んだ手に唇を落とす。

「私でよければ、一緒にいるよ」

「冬歌じゃないと駄目だ。俺は、冬歌以外はいらない」

「知ってる」

蕩けるような笑みを浮かべる祀の唇に、私から唇を寄せた。触れるだけの、軽いキス。

祀は驚いた顔をして、けれど瞬けば不敵に笑う。――――いつもの柏木祀だ。

離れようとする私の頭を押さえ、もう一度、唇を合わせる。

祀とのキスは甘く優しくて、思考を蕩けさせて私を駄目にさせる。

そう言えばありさが言っていたっけ。浅都とのキスは、吐息を奪うような乱暴なモノで、でもそれが自分を欲しているのだと感じさせて嬉しいの――って。

「俺以外のことを考えるな」

「ありさ達が出てきたんだから、仕方ないでしょーが」

あっさりと言えば、何故だか呆れられた。

祀は上体を起こし、私を抱き直すと背中から抱きしめた。もう一回、溜息をつかれる。だから何で?

「ところで祀」

「何」

「いつからいたの?」

「冬歌が来る前から」

「なら、声をかければよかったのに」

「俺にいつ気づくかなーっと、思って」

・・・そうですか。

「思ってたら、あのクソ餓鬼が現れて冬歌にちょっかいかけ出したから・・・・・・どうしてやろうかと考えてた」

「何もしないでよね」

「出方次第で決める」

わぁ・・・良い笑顔ですね。

乾いた笑みを浮かべ、そっと祀から眼を逸らした。これは本気だ。間違いなく本気で言っている。

幾月。命が惜しいなら何もするな。出方次第って言ってるけど、祀の基準が判らないから何もしない方が賢明だ! 命を粗末にするなよ、無駄にするなよ!!

「まぁ、それはともかくとして・・・だ」

いや、大切なことだよね?!

「・・・何してるの?」

ソファの下にある鞄を漁っている祀に、問うも返答はない。首を傾げた。

「これに記入、よろしく」

「は・・・い!?」

取り出したるは一枚の書類。

よくドラマなんかで見る、婚姻届――――どうやって手に入れた!?

「普通に市役所に決まってるだろう」

「あ、そうだね・・・じゃなくて! 何で、今?!」

「卒業したら籍入れようって考えてたからな」

「私何も聞いてないよ? 知らなかったんだけど!?」

「サプライズ」

「ドッキリすぎだよ!」

夫になる人の欄には、すでに柏木祀の名が記入されてるし・・・。早くない? ねぇ、早すぎない? 私、さっき同意したけど、展開が早すぎない?

これが普通なのかな・・・?

証人欄には小父さんと父さんの名前がある。

これってまさか・・・前に母さんが拗ねてた時と関係があるのかな? 

拗ねながらにやにやと私を見て、物凄く気持ち悪かったから覚えてたんだけど。間違いなく、関係あるな。

「はい、ボールペン」

ここで書けと?

即座に記入しろと?

婚姻届と祀を交互に見て、「冗談」の一言を待ったが一向に出てこない。・・・本気、ですか。そうですよね。祀だもんね、冗談でこんなの出さないよね。

諦めに息をついて、ペンを受け取る。

「・・・書き辛い」

「逃げない?」

「逃げないから」

「なら、仕方ない」

・・・何か、腹立ったけど、息を吐くことで怒りを鎮静させる。

深呼吸って、大切なんだね。

「これ、いつから持ってたの?」

座りなおして、手前にあるテーブルに婚姻届を置く。えーっと・・・妻になる人の欄に名前を書けばいいんだよね?

「秘密」

何か、凄く恥ずかしい。

「秘密って・・・・・・・・・まぁ、いいけど」

あ、字がぶれた。

「えっと・・・空欄は埋めたけど、これでいいの?」

「ああ」

祀の腕が、にょっと伸びて婚姻届を掴む。

横顔が凄く嬉しそうで、幸せそうな笑顔だったからせいか私の顔も熱くなった。やっぱりこの顔に弱いな・・・私。

赤くなった顔を隠すように両手で覆い、誤魔化すように息をつく。

「それじゃ、市役所に行くか」

「今から?!」

今日は爆弾が多い日だな、おい!

「え? ちょっと・・・嘘だよね?」

「何で嘘つかなきゃいけないんだよ」

「ああ、うん・・・そうだね」

何か・・・頭が痛くなってきたよ。

丁寧にファイルに婚姻届をしまい、鞄に入れる祀を見ながら何度目かの息をつく。これからもこの調子で振りまわされるのかと思うと、早まったと考えてしまう。いやでも、後悔してないんだから問題はない・・・・・・の、かな?

でも胃が痛いよ。

「それと」

「今度は何?」

胡乱に見れば、左手を持ち上げられた。

「ちょ、何を!?」

かと思えば、はめていた指輪を取られた。何で?!

「どう言うつもり・・・? その指輪、私にくれたんだよね?」

「虫よけとしてな。けど、アレにはまったく、ちっとも、効果はなかったがな!」

アレとは・・・間違いなく幾月のことだな。

「今度はコレをはめて」

祀の掌にあるのは、二つの指輪。

指輪の内側に書かれた文字は、残念ながら英語で私には読めない。けど、重ね合わせると一つのモチーフになるそれは、男女ペアのような・・・え?

結婚指輪マリッジリング・・・?」

「そうだよ」

肯定されて、瞠目した。

「これ・・・学生が買える代物だっけ?」

「普通は買えないな」

「そうだよね。前に貰った指輪も結構な値段だったんじゃない?」

「安くはないな」

「・・・どうしたの、コレ?」

指輪から視線を上げ、祀を見ると僅かに耳が赤くなっている。

照れてるの・・・? 何で?

「バイトしたから」

「あ、うん。それは知ってる。けど、バイトで買える値段じゃないよね?」

「頑張ったんだよ」

頑張って買えるっけ? 首を傾げれば、痺れを切らしたのか、はたまた恥ずかしくなったのか指輪の一つを取って私の薬指にはめた。

前も思ったけど、よく指のサイズが解ったね。

唖然とはめられた指輪を見て、それから祀を見る。やっぱり耳が赤い。

いや、私も顔・・・と言うより、全身が沸騰しそうなほど赤くなっているだろうけどっ。え? いいの? これ、私貰っていいの?

「良いも何も、結婚指輪なんだから冬歌以外に誰にあげるんだよ」

「心を読むな」

「顔に書いてるんだよ」

拗ねた顔をする祀を気にせず、指輪を凝視する。

何だろう。さっきまで同じ場所にはめていたのに、結婚指輪だとこう・・・落ちつかない。嬉しいんだけど、恥ずかしくて、けどどうしようもなく幸せで。心がそわそわして・・・ああもう、照れる。

「・・・ねぇ、祀」

「何」

「その指輪、私が祀にはめていい?」

恐る恐る問えば、祀が唖然と私を見ている。何で?

「・・・はめてくれるのか?」

「え、ああうん・・・祀がいいなら、はめたい」

「それじゃあ、頼む」

もう一つの指輪を受け取って、祀の左手を掴む。震える指で薬指に揃いの指輪をはめて、掴んだ手を持ち上げる。祀が瞬き、首を傾げた。

何だか可愛い。

くすりと笑って、指輪に唇を落とす。

祀の身体がびくりと震えたけど、気にせず目線を上げる。顔が真っ赤ですが、どうかしましたか? なんて、聞くのは馬鹿のすることだろう。

「ありがとう。これからもよろしくね」

微笑めば、祀が息を飲んで私の唇を奪う。

普段よりやや乱暴なそれに眼を白黒させて、離れた祀を唖然と見つめた。するりと頬を撫でられ、見慣れた不敵な笑みを浮かべる。

「死んでも放すつもりはないから、覚悟しろ」

「それじゃあ、逃げないように頑張ってね」

こつりと額を合わせて、互いに笑う。

「そのつもりだ」

祀が私を抱きしめて、耳元で囁いた。


「これからもずっと、未来永劫、俺は冬歌を・・・冬歌だけを――――愛してる」




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