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戦国島津史伝  作者: 貴塚木ノ実
泰平の世
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第七十九話 上洛、そして

 上洛の頃合いが決まった直後、鹿児島の忠恒の元に大口の新納武蔵守が自ら参り、不穏な情報をもたらした。


「源次郎が?」

「はい」


 新納武蔵守が曰く、北肥後の国主、加藤主計頭かずえのかみ清正が伊集院忠真と内通して島津家は石田方の一味である、という風聞を盾に家康の軍勢を動かし薩摩を分捕る企みがあると言う。


「にわかには信じがたいようにも思えるが……」

「加藤主計を侮ってはなりませんぞ。太閤の大恩を得て肥後を得たにも関わらず、死後すぐに内府殿に擦り寄る節操の無さ! さらには、それにも関わらず先年の騒動で庄内方を支援をしております。これで内府殿の怒りを買ったにも関わらず、抜け抜けと徳川方に与すると石田方を征伐して功あったと認められて領地を加増される始末!」

「ふむ……」

「球磨山に人を登らせてこちらの兵気を伺い、或いは霧島参詣と称して領内を調べる浅ましさ、油断してはなりませぬ!」


 熱弁を振るう新納武蔵守は、霧島遍路の道にかかる橋を普請する際に、数え歌を歌わせて普請をさせたと言う。


 一つ、肥後の加藤が来るならば

     塩硝肴に団子会釈

    それでも聞かずに来るならば

     首に刀を引き出物


 二つ云々、という具合であるらしい。


「……しかし、加藤主計はともかくとして、やはり忠真か……」

「そうですな」

「相分かった、忠真はこちらでどうにかする。武蔵殿は引き続き、肥後の見張りを頼む」

「畏まりました」


 新納武蔵守が内城を下城する折、忠恒は老身を気遣って大手門まで見送ることにした。


「御大は齢七十五ばかりであったかな」

「七十六になり申した」

「老いたりと言えども、武蔵殿あっての薩摩であり大口だ。御身は大事にしてくれ」

「ありがたいお言葉にございます」


 二十六歳と若い忠恒に対しても深々と頭を垂れる新納武蔵守の姿に、忠恒は心を打たれた。

 新納武蔵守を初め、戦国乱世を生きた勇将の多くはすっかり老いている。

 あるいは天命を果たした者も出始めている。

 新たな世が目の前にあることを、忠恒は捉えていた。


 なお、伊集院忠真内通の疑いについては龍伯、惟新を始め、重臣たちにも知れる事となり、密かに集まってはその対応策について打ち合わせが行われた。



 また加藤清正の企みについて殊更不安がった龍伯は、本領安堵の神文を得ない限りは上洛しない、と言い出した。

 徳川方の要求はあくまでも龍伯の上洛ではあったため、忠恒は上洛の儀が再び暗礁に乗り上げることを嫌った。

 そこで図書頭忠長を名代として上洛させる事にした。

 忠長上洛の目的はただひとつ、本領安堵の起請文を得ること。

 それだけだった。



 慶長七年(一六〇二年)二月春

 立春が過ぎてから徳川家康伏見に上洛していた。

 先年のうちに帰国していた新納旅庵、そして図書頭忠長が上洛して謁見に臨む。


「遠路ご苦労でございましたな」

「拙者、島津家家老の図書頭忠長と申します。此度は内府殿の気を煩わせることになり真に申し訳ございませぬ」

「いやいや、それで龍伯殿の上洛の件であるが……」

「はい。龍伯様が仰せのことには『本領安堵の神文を頂ければ上洛いたします』とのことです」

「だからそれは『上洛すれば安堵する』と申しておろう」

「……」

「……」


 本領安堵が先か、上洛が先か、沈黙の戦いが続く。


「なお、龍伯めは御年六十九になります。内府様もご存知の通り、虫気の持病を抱えておりますので余命幾ばくか、とも恐れているようです」

「……相分かり申した。ちと話が平行線のまま終わらんようなので談合は明日としますかな」

「承知いたしました」


 その後、徳川家康は山口直友に「全然話がまとまっていないではないか」と叱りつけたようである。


 家康は爪を噛み、青竹を踏み、薬研やげんを転がす日々の中で悶々と天秤に重しを加え続けた。

 薩摩、大隅を討伐するとしたら、どれほど尽力せねばならないのか、その間の東国の抑えはどうするのか。大勢力を動員して薩摩、大隅を手に入れたとしてもそこにどれほどの価値があるのか。

 稲が育つ地はわずかでとても貧しい土地である、という話を龍伯から聞いていた。それでもなお、土地を愛し、そこに根付いている事も。

 天秤の両側に重しが加わる度に、音を立てて沈む側が変わる。


 日を改めて、再び伏見城。


「して龍伯殿の上洛の件であるが……」

「……畏れながら内府様。龍伯が拙者に申しますことには、京暮らしが長かった事もあって、人の舌は実にいい加減なもので、容易に人を欺く事ができることを知った、ということです。ですがこうも言っておりました。だが神の前であれば欺く事はできないだろう、と。それ故に神文を賜りたく存じます」

「……」


 島津家の立場も危うかったが、徳川家康の立場もまた危うかった。

 関が原に勝利して天下の実権を握ったとは言え、あくまで名目上は豊臣の世である。

 そして秀吉存命の世を懐かしむ豊臣恩顧の大名は多い。それら徳川家康に従っているのはあくまで御家存続のためであることは明々白々だった。

 表向きは従う素振りを見せながら、豊臣家から徳川家に権力を移っていく様を冷静に監視している。


 もし西南の果ての揉め事で万が一でも負ける気配を見せれば、豊臣恩顧の大名たちに背中から襲われることも予想された。

 家康の脳裏にはどれほどの大勢力で攻め込んだとしても島津家の死に物狂いはそれを覆すだけの力がある、という考えを拭い去ることができなかった。

 負けて失うものはどれほどのものか。

 敢えて許すことで得るものはどれほどのものか。


 果たして家康の魂胆に、龍伯を上洛させた後、島津家を取り潰す気があったのか。

 それは知る由もない。



 同年四月十一日

 忠長、旅庵が山口直友、本多正信とも交渉を重ねること幾度、家康はついに折れた。


 家康は島津家の薩摩大隅、そして日向諸県郡の領地を忠恒に対して安堵する、という起請文を書き起こした。


 惟新が石田方に与したのは本意ではなかった。

 龍伯、忠恒は遠国にあってそれを承知していなかった。

 何より龍伯と内府は肥前国名護屋以来、昵懇の間柄であるので、という方便である。


 石田方に与しながらも本領安堵、さらに領地減封なしという成果は石田方に与した勢力では唯一だった。

 その書状は六月上旬に届き、龍伯の心はようやく安らいだ。


 なおその後も山口直友からは神文を取り付けたのだから、早々と上京すべし、と催促もあったが神慮を盾についぞ家康の要求通りに島津家が動くことはなかった。




 同年八月十六日

 秋になり、忠恒は老病を患う龍伯の名代として上洛の途にあった。

 八月に入ってから鹿児島を出立し、日向国細島に向かい、船で大坂に向かう、いつもの旅程である。

 その同行者は北郷加賀守三久、比志島紀伊守国貞、伊勢兵部少輔貞昌、川上源三郎久好、敷根三十郎頼幸、三原諸右衛門重種と言った面々である。

 そしてそこには伊集院忠真も居た。

 先年の騒動の詫びも兼ねているので、これに従うべし、という名分だった。


 そしてその道中、一行は真幸院の西、野尻城に入っている。


「いやあさすが野尻だ。実に鷹狩のしがいがあるわ」

「真に左様でございます」


 先日より野尻に滞在していた忠恒らの一行は鷹狩に興じていた。

 山深い場所でもあるので獲物に事欠かず、忠恒も実に上機嫌であった。


 夕食の場で忠恒は伊集院忠真と膝を付き合わせて盃を傾けた。


「源次郎、お主はここ、野尻はいかなる地か知っているか」

「それは勿論。ここは真幸院の西端の地。この先佐土原までが当家の版図にございます」

「うむ。だがもう一つあってな、これは父上に聞いた話なのだが……」


 忠恒は片方の眉をあげて、脅かすような口調になる。


「ここはかつて太閤殿下の九州仕置の際、殿下の弟君が在陣しておったそうだ。そこに龍伯様の末弟、家久公が陣中見舞いに訪れ、その際に毒を盛られたらしい」

「ああ、そう言えばそうでした。さぞかし無念でございましたでしょう……」

「……」


 忠恒は黙って盃を空にして、ふと呟く。


「以来、ここには獣がよう出るらしいぞ」

「……そうでしたか」

「そこでだ、明日朝早く、ちと獣狩りをしてから京に向かおうかと思うてな、佐土原から右馬頭うまのかみも手伝いにくるらしいから、お主も付き合え」

「承知いたしました」


 一礼する伊集院忠真を見届けた忠恒は夕食を切り上げ、明日朝早くに鷹狩に出立するので早々と休むように命じた。



 同年八月十七日

 朝早く、忠恒は野尻の山を前にしていた。


「おう、忠真。あの辺だ。あの辺りによう獣が出るそうだ。お主は従者らを連れて東側からそれを追い立てよ」

「承知いたしました」


 一礼して忠真は東側に向かう。

 そして忠恒は鉄砲の撃ち手として評判だった押川治衛門、淵脇平馬を呼び出す。


「押川、淵脇。あの辺りに獣がよう出るからな、決して見逃すなよ」

「はっ」


 その指示す先は東の野である。


「その獣は時には人の形を成して馬に乗っているそうだ。さらにはゲンジロウと名乗るそうだ。臆して狙いを外すなよ」

「……承知いたしました」


 それから少しして、右馬頭以久の兵たちが東の野で火縄銃を撃ち放ち、逃れた獣を淵脇平馬が射殺した。

 そこには伊集院忠真らの一党の亡骸もあった。



 同日。

 富隈に移されていた伊集院忠真の弟である小伝次、谷山に居た三弟の三五郎、四弟の千次。

 そして阿多では幸侃夫人が、それぞれ斬首された。


 伊集院忠朗、忠蒼、忠棟、と伊作島津家から家老職を歴任した一族はここに潰えた。




 その数日後、忠恒の一行が日向国細島を経ったという報せを受け龍伯は、密かに竜ケ水の地を訪れていた。

 山の斜面に築かれた小さな社殿。

 それは心岳寺と言った。


「兄上、遅くなりました」

「来たな」


 惟新が急な斜面に這うように作られた階段を登ると、そこには老人が一人。

 境内の前で龍伯が落ち葉をかき集めて焚火をしていた。


「わざわざ呼び出してすまんな」

「いえ、兄上こそだいぶ老病に苦しんでいると聞きますが平気なのですか」

「階段を登る力くらいは残っておるわ」


 そう言って笑い合う。

 龍伯六十九歳、惟新六十七歳になっていた。

 境内に座った二人は、一息つく。


「足腰が立つうちはここに参らねばと思うてな」

「拙者も一度は兄上と共にここへ参りたいと思うておりました」

「そうか……。ほれ、飲め。弔い酒だ」

「用意が宜しいようで……」


 思わず笑い、お互いの盃に酒を注ぐ。

 そしてふと前を見た。

 目の前には巨大な剱岳がそびえ立ち、左に少し視線を向けると霊峰が見えた。


「又六郎が最後に見たであろう、壮大なこの光景。後の世にも知れ伝わるだろうか」

「山は崩れませぬ。我等の、人々の心の中に留まり続ければ、きっと伝わるでしょう」


 龍伯は寂しげに笑い、懐から紙切れを取り出した。


『太守とのヽ 虫気の因 幸侃にあると覚えし』


 かつてそう書かれていた紙切れも、何度も読みなおす内に、かすれきって判読できないくらいになっている。


「幾ばくか……、又六郎と又七郎の無念は晴れたかな……」

「……」


 惟新は何も答えられなかった。

 龍伯は目の前の炎に紙切れを焚べて、ぱちぱちと音を立てて煙が上がる。


 どちらともなく、長く、ゆっくりと息を吐いた。

 二人にとっての戦国時代がようやく終わり、肩の荷が降りたような気がした。


「ところで、先日の件ですが……」


 遠慮がちに盃を戻し、惟新は龍伯の顔色を伺う。


「ん?」

「その……拙者と兄上の関係がすこぶる悪いという風聞が……」


 龍伯は又八郎忠恒と亀寿の不仲を聞いて激昂した。

 家督は忠恒を廃して龍伯の次女の子、つまり外孫である又四郎忠仍を家督に据える旨を家康に申請し、家康からも許可を得た。

 その話が領内にも広がり、それに対して惟新が仰天して不快感を示した、という噂が流れ、あれだけ結束していた島津の兄弟もここでついに争うか、と不穏な噂話が広がっていた。

 無論、惟新もその噂話を耳にして、龍伯宛に慌てて異心はない、家督については龍伯と熟談する、という起請文を送るほどである。

 それを見て龍伯は笑った。


「人の噂は実に頼りないものよ、こうして二人で寛いでいることなんぞ、皆は知りもせんだろう」

「ですが、後の世にはどう伝わるでしょうな」

「晩年はさぞかし不仲であったと面白がるだろうな」

「申し開きをすればいいのに……」

「くだらん。風聞なんぞ我等が気にする必要はない。歴史なんて言うものは、後の世の者が己の都合のいいように利用するだけだ」


 龍伯は笑い、盃を傾ける。


「我等はただ一心に、これが民のため、国のため、家のためと信じてやってきた。だが見方を変えればただの簒奪者さんだつしゃ、憎き支配者にも見えよう。そう思われないように慈しむことをしてきたつもりだったが、果たしてそれを評するのは我等ではない」

「……」

「我等の仲の風聞とてそうよ」

「そうでしょうか」

「そうだとも。不仲と思いたい奴にどれだけ言って聞かせても信じぬ。後の世の者も不仲そうなやり取りだけ抜き取って『それ見たことか。やはり不仲だ』と論ずるだろうよ。だったら我等は不仲だったという事にしておけばいい。ただ、我等それぞれが、皆々が御家のため、御国のため、こうするのが一番だ、と信じてやってきた。それさえ伝わってくれれば、それでいい」

「……その話の筋であれば、信じてやってきたことが理解してもらえるかどうか……」

「……まあ、それは後の世の者を信じる他あるまい」


 そこまで言って、またお互いの盃に酒を注ぐ。


「で、家督の件でございますが」

「……今は内府殿は下向して伏見にはおらんから待て、と言っているのに上洛しおって。親不孝者の極みだな。あの老人扱いをするきかん坊が、もう少し安心させてくれるような振る舞いをしてくれればよいのだが」

「それは……仰せになることは御尤ごもっともですが……」


 惟新は付き合うように、少し薄い酒を傾け、愚痴をこぼす。


「又八郎め、泰平の世に相応しい城が必要だの上ノ山に城を築くだのと言って築城を始め、海に近すぎるからやめろ、と言っているのに、家臣の屋敷を敷き詰めて外城を置くから問題ない、と言って、まるで親の話を聞こうとせぬし……」


 惟新は注ぎ足された盃を再び傾け、ぶつぶつと文句を続ける。

 なお、上ノ山に築かれた城は後に鹿児島城と呼ばれ、政務の拠点はその麓に建てられた。

 上ノ山は鶴が羽ばたくような山容から後に鶴丸城と呼ばれるようになる。


「それにあれだけ言うても大酒を飲んでいるようで……」

「あいや待て、老人の愚痴は見苦しいぞ。そこまで言われると早々に廃嫡したくなってくる。これでも家中からの反発に耳を傾けて迷うているというのに」

「う……」


 龍伯にたしなめられて、惟新は固まった。

 それを見て龍伯は笑い、焚火を踏み消す。


 龍伯が帰り支度を始めるのを見て、惟新も身支度をした。

 老人が二人、境内を降り、心岳寺から下る階段に立ち止まった所で、またふと龍伯は桜島を見る。

 惟新の肩をポンと叩き、にやりと笑った。


「まあ、家督については神慮に委ねるとしよう」

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