第七十六話 大坂脱出
惟新らの一行がようやく河内国に入ったのは、九月十九日のことだった。
一方その頃、大坂城に残された人質である、御上様こと龍伯の三女亀寿、惟新の愛妻宰相殿もまた、密かに脱出するために苦慮していた。
時は運命を分かつ戦があった時まで遡る。
慶長五年(一六〇〇年)九月十五日 日暮れ頃。
大坂城内の島津家の屋敷にて。
「何やら騒がしいですね」
「ええ、何かあったのでしょうか……」
城内で島津家の奥方のためにあてがわれた一室で、亀寿と宰相が不安気に騒々しく行き交う廊下を気にする。
そこに吉田美作守清孝が焦燥を隠さずにすり足で一室に入ってきた。
「美作、一体何事でしょうか」
「御上様、宰相様、大変です。石田方が敗北しました」
「まあ……」
絶句して亀寿と宰相は口元を抑えて目を見合わせる。
「それで……島津のもののふは、惟新様や中書様はどうなりましたか?」
「分かりません。急使の報せによれば最後まで戦っていた、ということです」
「……」
宰相殿は胸を抑えて、みるみる泣きそうな顔になり、口を真一文字に結ぶ。
「戦況を知らせる急使は続いて参っているようですので、またお知らせします」
「お願いします」
吉田美作守は一礼して退室するとまた慌ただしく何処かへと向かう。
「宰相様……」
「はい」
「大丈夫、きっと生きていらっしゃいます」
「……はい」
ここには亀寿、宰相殿の他には豊久の姉も居た。
女中らと共に状況把握を務めながら、ただ数珠を手に巻いて無事を祈るしかなかった。
だがそこに追い打ちをかける報せが届く。
「惟新様、中書様共に討死なされた模様です……!」
「……!」
「ああ……」
数珠を取り落とし、力なく崩れ落ちたのは亀寿の方だった。
「なんと、なんと言うことでしょう……」
宰相は目に涙を浮かべながら声を震わせる。
「……最期の姿はどのようなものでしょうか……」
「それが……その……」
吉田美作守は口ごもる。
「どうやら、包囲された所を最後まで踏みとどまり『死に物狂いなり』と絶叫して奮戦して果てたとのこと……」
「そうですか……」
悲嘆に暮れ、涙に包まれる大坂城だった。
同年九月十六日
一日中泣き通しだった亀寿と宰相だったが、今後のことについて話し合うため、再び一室に集まっていた。
「宰相様、ご無理なさっていませんか」
「大丈夫です。覚悟はしておりましたので……」
目頭の赤い宰相を気遣う亀寿に、宰相は無理に笑う。
「それより、御上様もひどい顔です」
「あらやだ」
そう言って頬を抑える亀寿に、悲痛な気持ちはわずかばかりか癒やされた。
だがこの日になってから、大坂城内は徳川家康に攻められるのではないか、という噂が広まり狂騒状態になっていた。
「真に内府様の手の者が攻めかかってくるのでしょうか?」
「え。そうなのですか?」
「だって……石田様は秀頼様の御為と称して挙兵なさったのでしょう? 秀頼様はこちらにおわします」
「淀様は内府様に救援を求めているという話でしたが……」
「……???」
ただその内実は、大坂城はどちら側の勢力なのか、混乱している状態だった。
しかし確かなことは一つあった。
亀寿がきっぱりと言いのける。
「大坂城から抜け出しましょう。薩摩に帰るのです」
「ですが、籠城のため関所は厳重に封鎖されているという話です」
「奉行方に暇乞いをして手形をいただければ事もなく帰国できるはずです」
「……申請してみなければ分かりませんね」
「そうです。宰相様」
亀寿はニコリと笑った。
慶長五年のこの時、亀寿は三十歳、宰相は四十八歳だった。
しかし宰相は龍伯の三女である亀寿を敬い、また亀寿も年少だったため宰相をまるで姉のように慕うようになっていた。
帰国のための暇乞いは専秀坊と言う僧形を通して行われ、専秀坊も申請が降りるまで無飯でひたすら待ち続けた。
同年九月十七日
薩摩の女たちの帰国申請は意外とすんなりと大老方に認められた。
ただ、帰国が認められた宰相と豊久の姉、そして伏見に居た豊久の母の三人だった。
「……」
重苦しい空気で一同の視線が亀寿に集まる。
「御上様は少将殿の室にして龍伯様の娘につき認められず、とのことです」
「ですが……、それではあまりに御上様が哀れすぎます……」
討死した惟新の妻、豊久の母子に人質としての価値は失われたが、龍伯も忠恒もまだ薩摩に存命である。
亀寿に人質としての価値あり、という大老方の判断は妥当と言えば妥当と言えた。
だが大坂城脱出のために先導的な役割を果たしていた亀寿が残るとあっては、軽々しく脱出の打ち合わせも出来なくなりそうだった。
それにも関わらず亀寿は気丈にニコリと微笑む。
「仕方ありません。私のことは気になさらずともよいです。帰国の支度と、船の手配をしましょう」
「……お待ち下さい」
それを制したのは宰相だった。
「手があるはずです」
「宰相様……」
策を巡らす一同に横合いからまた遠慮がちに声をかける者がいた。
「あの……御上様が宜しければ、下女の格好で宰相様に従って抜け出すのは如何でしょうか?」
それは大田筑前守の娘で、御松という亀寿の取次役を務める女中だった。
御松はこの時二十歳である。
「ですが、御上様がいないとあっては騒ぎになりませんか」
「はい。仰る通りですので不遜ながら私めが御上様のお召し物を頂いて代わりとなります」
「まあ……」
その進言になお躊躇する亀寿だったが、御松はなおも言葉を続ける。
「御上様は大坂に人質としてお越しになられてから、もう十三年にもなります。天下様との戦に負けてなお大坂に残れというのはあまり御無体です」
「……」
「御上様、どうか薩摩にお戻りください。龍伯様、少将様もきっとお喜びになります」
御松の想いに亀寿の心も揺らぐ。
「それに――」
御松が悪戯っぽく笑みを浮かべる。
「それにうち、大坂の暮らしが気にいりましてん」
「まあ!」
御松の下手くそな上方言葉の冗談に思わず和み、笑顔が溢れた。
「御松。貴女の心遣いは誠に嬉しく思います。そうさせて頂きます」
亀寿は頭をさげ、御松もまた笑顔で応えるのだった。
こうして亀寿、宰相殿ら大坂城に人質に取られていた薩摩の女たちの脱出作戦が計画された。
帰国手段について考えあぐねていた所にさらに嬉しい知らせが届く。
同じく九州に同衾する柳川の大名、立花宗茂が大坂より薩摩まで送り届けると言う。
立花宗茂から脱出して落ち合う日にちは十九日夜と伝えられた。
惟新の死に嘆き悲しむ亀寿や宰相にとって、今の心の支えはとにかく薩摩に帰り、その霊魂を弔うことだけだった。
故郷に帰る、という思いを胸に、密かに脱出の打ち合わせをするのだった。
同年九月十八日
伏見に居た豊久の母を大坂の薩摩屋敷まで移るように連絡を取り、帰国の準備を進めていた。
同年九月十九日
慌ただしく帰国準備が進む中、その日の午後。
薩摩屋敷に置いて亀寿、宰相ら薩摩の女の警護を務めていた吉田美作守は驚くべき人物の帰還を知る。
その一刻ほど前。
惟新は飯盛山の近くにある廃寺に潜みながら
入江仲兵衛、窪田甚兵衛、入田三兵六に暇を与えて京都の様子を探らせに放った。
さらに同行していた山くぐりの者を使って大坂の様子を探らせた。
だが山くぐりからもたらされた報告は、惟新の判断を迷わせた。
「徳川方がすぐそこまで……」
「はい。平野辺りまで来ているとのこと。直に大坂城に迫ると。あと……」
「なんだ……?」
「殿は討死したとの風聞が流れているようです」
「……相分かった。追って指示を出す。別で待て」
「は」
そして数名の家臣を呼び出した。
「……大坂に入って切腹すべきと思うか」
惟新の突然の申し様に、ついに死魔に絡められたか、と家臣らは覚悟を決める。
半分程度は同意した。半分は答えられなかった。
「ならば拙者もお伴させて頂きます」
「それがしも是非」
だがこれに桂忠詮が異を唱える。
「……ここで自決するべきではないと存じます」
「何故か」
「内府殿は殿の首を探しているはず。もし御殿が自裁したと聞けば大坂の者がその首をさらって内府に駆けつける事も考えられます。それは内府を喜悦させるでしょう」
「……」
「ですが内府は殿の首を持ってきた者に恩賞を与えるだけで、決して我が国や御家の御為にはなりえませぬ。よって今はひとまず帰国すべきです」
「……然り。よう言うた」
惟新は大きく頷く。
そこに矢野久次が進言する。
「ここから先、往来も増えますので兵を多く率いていては隠れることも叶わないでしょう。大半を大坂城へ向かわせ、殿はわずかな者だけで堺へ向かうべきかと存じます」
「……うむ。そうだな」
惟新は得心が行くと頷いて、桂を手招きする。
「桂太郎兵衛、大坂城に忍び、人質らに余の無事を報せよ」
「はっ」
「我等はこれより住吉に向かう。追って大半の者を向かわせ、御上様らと共に帰国する手はずを伝える」
「畏まりました」
桂忠詮は急いで鎧装束を解いて身支度を済ませると、急ぎ大坂城へ向かう。
そして惟新はこれまで同行してきた者たちを、廃寺の片隅に全員呼び集めた。
「皆々、ここまでようよう付いてきてくれた。ここで大半の者には暇を与え、大坂に向かってもらうことにする」
だが、その惟新の言葉に、多くの者が弾けるように惟新の膝元に駆け寄り、袖にすがって涙を流す。
「後生ですからそんな事を命じないでください! 今、殿のそばから離れると二度と高顔を拝めることができなくなる気が致します! そうなれば悔やんでも悔やみきれませぬ!」
「どうしてもお命じになるのであれば今、ここで切腹させてくださいませ!」
口々に懇願する多くの者に、何物にも代えがたい主従の絆を感じて惟新も胸を熱くする。
だがゆっくりと首を振り、諭すように口を開く。
「大坂には少将の室、また余の室がおる。助けを求めているやもしれん。ここで大坂城に向かうも御家のためと思って欲しい」
「そんな……!」
惟新に従軍することを必死に懇願する臣下に、惟新は穏やかに微笑む。
「どうか余が無事であることを大坂に知らせてほしい。もし我が身に生死の定めがあれば三日と過ぎずに知れることになる。我が死を知った時に諸士が忠節を尽くす事も悪くなかろう。それが今、余の求める奉公ぞ」
「……畏まりました……」
惟新は又右衛門、伊勢貞成、白濱七助、矢野久次、道具衆の大重兵六など僅かな人数を残して、泣く泣く納得した彼らを見送り、再び相談する。
「さて、堺に向かう手段だが」
「ここから住吉までは徳川方の兵もまだおりませんので、事もなく進めましょう。そこで島津が昵懇にしている商屋に田辺屋道与と言う者がおります。そこから駕籠を使うのはいかがでしょうか」
「女物の駕籠が良いかもしれませんな」
「うむ……。道案内を務めてくれた者への礼も頼む。……船は如何いたすか」
「商屋であれば船商とも懇意ですので、その筋より」
「よし、左様に致せ。……大重」
「はっ」
「『紫』は住吉大神宮に奉納する。手筈を整えておけ」
「畏まりました」
その午後。
大坂城内の薩摩屋敷にて。
吉田美作守は、垢で汚れた桂忠詮を出迎えた。
「桂……!? 桂ではないか!」
「美作! 久しぶりだな!」
「無事だったか……! 関ヶ原から逃げおうせたのか!」
「うむ! ……ちと耳を貸せ」
声を潜めて耳を寄せるように手招きし、吉田美作守は怪訝そうな表情で顔を寄せる。
「驚くなよ。……殿もご無事だ」
「なんと……」
目をむいて思わず目を見合わせる。
「今、住吉に身を隠しておいでだ。帰国の手はずが整い次第、御上様、宰相様ら人質をお連れせよとのことだ」
「なんと、それは誠か……! 実は立花左近殿が今宵、薩摩まで送り届ける旨の申し出があったのだ。今しがたその準備をしていたところよ」
「それはいかんな。ひと先ず立花殿には今宵は『火急用件にてお取りやめ』とお知らせ致そう」
「よし。御上様と宰相様にはこちらから存命の報せをしておくぞ」
「うむ。大坂方、徳川方に知られぬように気を遣ってくれ」
「承知した」
そして吉田美作守は亀寿、宰相ら僅かな者たちが集まる一室に静かに駆け込む。
粛々と正座する所作をしながらも内心では喜びに溢れていた。
「御上様、宰相様、只今関ヶ原より我が軍の落人が帰還いたしました」
「まあ」
「これから申し上げること、声をあげないようにお気をつけ下さい」
「……はい……」
吉田美作守のただならぬ様子に思わず小声になる。
「殿もご無事です……!」
「……っ!」「ああ……!」
亀寿、宰相に喜びの悲鳴を抑えるように口元を抑え、満面の笑みを浮かべて見合わせる。
宰相にはみるみる涙が溢れ、頬を伝った。
「この件が大坂方に漏れると手形を無効になる恐れがございます。悟られぬよう、どうか心安らかにお過ごしくださいませ」
「……かしこまりました」
「帰国の途についてはこの後に寄せ参る者らと共に打ち合わせとなります 。よって今宵の帰国の儀については中止となります。……立花殿にはお断りをしておきます」
「ありがたく存じます」
「では……」
そしてまた吉田美作守は慌ただしく奥の部屋を後にした。
「宰相様……」
「はい……」
「……よかった……」
「……はい……」
亀寿と宰相はただ涙を流しながら、喜びに打ち震えるのだった。
同年九月二十日
翌日、大坂城内の薩摩屋敷に島津の敗残兵が入り、警護につくと同時に、帰国支度を進めた。
一方で亀寿と宰相は、下女の格好で外に出られるか試してみよう、という事になった。
惟新が無事であることが判明した以上、亀寿も確実に大坂城から抜けださなくては行けない。
さらに手形がなくても関所を抜けられるか試すことにした。
御弘という女に出された手形を別の者に持たせ、御弘に下女の格好をさせ、それに同行させる。
また手形を持たない女も付けさせて、これを見届けることにした。
果たして、門の所で番人に厳しく詮議された結果、無事に御弘の一行は通過できた。
しかし手形を持っていない者は城の中に戻された。
これで亀寿も下女の格好をさせれば抜けられる、という確信を得た。
一方その頃惟新は、住吉の空き寺に潜んでいた。
そして住吉大社に参詣を済ませ、これまで同行していた青毛の馬『紫』を奉納した。
その後、日が傾き始めてから住吉で商いを営む田辺屋道与の邸宅に忍び入る。
「田辺屋、息災か」
「これはこれは……島津はんとこの伊勢はんではないですか……ご無事だったんですねえ」
田辺屋道与は恰幅のいい中年だった。
まるで幽霊でも見ているかのような目つきで伊勢貞成の姿を認める。
「お知らせ頂いた通り、女物の駕籠はご用意できております」
「助かる」
「それで、どなたがお使いになるんです?」
伊勢貞成は声を潜めて、耳打ちする。
「……御殿だ」
「え!」
田辺屋道与思わず短い声を上げて、自ら口を塞ぐ。
見れば浅黄色の手拭いで頭を包み、つぎはぎだらけで汚れきった道服を身にまとった老人が物陰に隠れている。
「兵庫様は討死したんやなかったんですか……」
「この通り、ご無事でおられる」
「それは大変ご苦労様でございましたなあ」
田辺屋道与は思わずその場で拝伏し、床板に頭をこすり付ける。
「それですまんが、急ぎ帰国する手筈を整えたい。空いている船を知らんか」
「……それなら塩屋さん所がよろしいと思いますよ」
「では駕籠はそちらに向かわせる」
「畏まりました。塩屋さんにも使いを差し向けます」
「それから……」
伊勢貞成は言いにくそうに頬をかき、目配せする。
「押しかけて早々にすまんが、小判五十枚ほど貸してくれ」
「……畏まりました。今すぐ用立て致します」
日が沈むのを待ってから、一行は密かに堺に移る段取りを立てた。
そして美濃より遠路道案内を果たした又右衛門に別れを告げることになる。
伊勢貞成はそれまで預かっていた又右衛門の大小の刀を返し、小判を手渡した。
「又右衛門殿、ここまでよう力を尽くしてくれた。これでも少ないとは思うが受け取ってくれ」
「なんと、過分すぎる」
又右衛門は小判五十両を拒み、包み二つ、二十両分だけを受け取った。
「これでよい。後は帰国の途に使うが宜しかろう」
「……すまんな」
「うむ。……その、最後に聞いてもよろしいか」
「なんだ」
「お主ら、島津の方々か?」
「……その通りだ」
「やはり……! ではあちらにおわすご老体は……」
「島津兵庫頭入道、惟新斎であらせられる」
「……! っはあ……」
又右衛門の呆然とした表情を浮かべて、自分が天下に名を轟かす猛将の道案内を務めていた事を知った。
「……御礼については改めてさせていただく」
そして別れの挨拶もそこそこに、又右衛門は開いた口を防ぐ事もできないまま、女物の駕籠を見送った。
惟新らは塩屋孫右衛門の私邸に到着すると裏口から人目を忍びながら入り、案内されるがままに土蔵に落ち着いた。
「薄汚れているところではございますが、ここが最も目の届かない所にございます。今しばらくご辛抱くださいませ」
「迷惑をかける」
惟新が目を閉じて静かに待っていると、湯漬けと香物が差し入れられた。
それを平らげた後、少ししてから塩屋孫右衛門が三歳ほどの子供を連れて謁見に参った。
「……迷惑をかける。拙者は伊勢貞成と申す」
「……」
頭を下げる惟新に、塩屋孫右衛門は優しい笑みを浮かべて子供を惟新の膝に預けた。
「そちらは年三つになる秘蔵の孫にございます。人質としてお預けいたします」
「……!」
惟新はいつの間にか自分が臆病風に吹かれて人を信じることができない心に囚われている事に気づいた。
そして改めて頭を下げる。
「失礼した。拙者は島津兵庫入道である。迷惑をかけてしまう」
「なんの、天下の島津様のご帰国の手助けができるは真に誉。心より喜んでおります」
「ありがたく存じる」
「頭をおあげくださいませ。勿体のうございます」
惟新は微笑み、会釈を交わした。
横にいた伊勢貞成が居住まいを正して、身を乗り出す。
「して、船の手筈であるが……」
「大坂に船が三艘取り付けておりますので、一艘を住吉まで寄越すように使いを出しました。残りの二つはそのまま奥方様らがお使いくださいませ。こちらへの船は明日の夜には付くはずです。堺を出発するのは明後日の午後にでも」
「承知した。よしなに頼む」
同年九月二十一日
薩摩屋敷に亀寿たちを更に喜ばせるものが届く。
横山久内が惟新が身につけていた鎧を携えて謁見していた。
「これは……」
「御拝命によりこちらまでお持ちいたしました。御殿の甲冑にございます」
「ああ……。本当にご無事なのですね……」
亀寿と宰相は汚れた甲冑を見て、惟新の苦労を感じ取った。
「惟新様はお怪我はなされていませんか?」
「はい。歩き通しで足に血豆が少々。足首周りに擦り傷少々。それ以外は殊更御無事です」
「よかった……」
「横山様。どうぞ、この盃をお取りださいませ。そしてこれまでの御話をお聞かせください」
「これは恐悦至極にございます」
横山久内は亀寿より盃を賜り、道中の様子を語り始めた。
その後、惟新から再び伝言が届き、出立は二十二日の朝、西ノ宮の沖合で落ち合うという事になった。
その日の夜、再び惟新に強運が舞い込む。
船は当初住吉に付けて、惟新は堺から住吉に移動してから乗り込む手筈だった。
船頭は東太郎左衛門という者だったが闇夜にまかせては水夫が寝てしまい、うっかり住吉を通りすぎて堺に到着してしまった。
そしてそのまま塩屋孫右衛門の湊に船を付けた。
大きな船に驚いた惟新らの一行は大重平六を確認のために差し向けた。
「そこもとは何れの方の船か!」
「薩摩に向かう船さあ!」
「なんと……!」
大重平六の報告に、惟新らは想像してもいなかった幸運が舞い込んだ事を喜んだ。
そして天運に感謝を捧げるのだった。
同年九月二十二日早朝
そして島津家の面々はそれぞれの船に乗り込み、いよいよ帰国の途に付く。




