第七十五話 退却路の死魔
慶長五年(一六〇〇年)九月十五日 申刻(午後四時)
惟新らの一団は養老の麓まで辿り着いていた。
東には木曽三川の一つ、揖斐川とその支流の津屋川の大河が見える。
退却する一行の閉目……つまり最後尾を誰が務めるかで山田民部少輔有栄と桂太郎兵衛忠詮がもめていた。
「ここはそれがしにおまかせあれ」
「民部少輔、まだ若いお主にはまだ任せられん」
「いや桂殿は先頭をゆかれよ」
そう言って譲らない両者に、一同が呆れる。
惟新の下知あって、一日ごとに先頭と最後尾を交代する、ということになった。
揉め事が収まった所で、誰ともなしに口を付く。
「さすがに腹が減ったな……」
昨夜明け前に関ヶ原に着陣し、そこで簡単な食事を取って以来、十時間近く何も食べていない。
水を含んだだけでは満足できなかった。
農村に差し掛かった所で、自然と話し合いの輪が出来る。
「どうする? 誰かが賄いを頼むか」
「うーむ……」
しかし気になるのは自分たちの身なりだった。
全員鎧装束とあっては大いに目を驚かすだろう。
そしてもう一つ、大きな問題がある。
「言葉が……薩摩訛り丸出しでは、我等が落ち武者だと言わんばかりだろう」
「確かに……」
そこに本田源右衛門という者が口をはさむ。
「彦左衛門がよいのではないか。あれは京都に数年馴れておろう」
帖佐彦左衛門は秀吉の九州下向の折、根白坂の合戦で討死を覚悟していた家久に退却を決意させて賞されていた。
しばしば上洛して長期に渡って滞在していたことから、薩摩訛りが取れている節もある。
才覚もあるから機転も利くだろう、ということで帖佐彦左衛門を食事調達役にすることにした。
「そういうわけで、頼まれてくれるか」
「承りました」
帖佐彦左衛門は頷き気安く返事をする。
「ほな行ってきますがな」
わざとらしい上方言葉に、一同不安をよぎらせながらも、帖佐彦左衛門は村の屋敷の戸を叩いた。
「御免あろう。すまぬが五十余人ほどの賄いを頼みたい」
「……へえ。よろしいですよ」
「ありがたい」
安々と了承して何やら主が支度している間に、帖佐彦左衛門はふと思う。
(ここは敵中のことだし、何事も用心せねばな……)
村の中を左右に忍び歩いて、確認していった。
その視界に灯りのある小さな家に気づいて、聞き耳を立てる。
そっと覗き見れば人数が多く集まっていた。
『……あれは関ヶ原の落ち武者に違いない……』
『……夜更けか、暁か……』
(我等の身のことか……!)
さらに供回りの大町与市を近づけさせて聞き耳を立てさせると、確かに大事だと言う。
そこで帖佐彦左衛門は、粥の支度をしようとしていた亭主に、困ったような表情を作る。
「すまんが、後ろに続く者が遅れているようなので、呼んでくる」
「……へえ」
帖佐彦左衛門は急いで惟新らの一行が待っている所に戻ったが、既に居なかった。
ただそこに丸十字の旗の指物が刺さっていた。
(先に打ち過ぎたか?)
そこから百メートルあまりを見渡すと遥か先に惟新らの一行がかすかに見えた。
遅れる、と思い帖佐彦左衛門は慌てて供回りをかき集めて村を抜けようとした。
そこに帖佐彦左衛門の手前を村より出てきた者たちに行く手を防がれる。
「漏らすな! 討て!」
「ちっ……」
帖佐彦左衛門は舌打ちしてその集団を切り分けて強行突破を図るが、供回り衆が次第に遅れて、ついに追いつかれた。
(自分は殿様を守護せねばならぬ! すまぬ!)
賊徒に討たれる者、行方が分からなくなった者もいたが、帖佐彦左衛門は己の無力さを思い知りながら涙し、さらには馬も捨てて逃げ出した。
それからすぐに、惟新らの一行と合流できたのだった。
同年 九月十五日酉戌の刻過ぎ
完全に日が沈んだ、午後七時の頃。
一行は駒野坂の麓に到着した。
「皆々、甲冑を脱ぎすてよ。身軽になったほうが坂を超えやすかろう」
しかし惟新の命に誰一人として押し黙ってそれに従おうとしない。
伊勢貞成が進み出て言う。
「畏れながら、我等は御殿を守るためにここにおります。もし鎧を脱いで討たれでもしたら悔いても悔やみきれませぬ。どうか鎧だけでも身に付けることをお許し下さい」
「……好きにせよ」
惟新はそれに構わず、甲冑を脱いで自らは花色木綿――縹色という藍色よりも薄い、薄青色――の合羽を着込み、同じ色の手拭いでここ数日髪を剃れずに伸び始めていた髪を包んだ。
また他の者たちは篭手や足甲を取るばかりで、鎧だけは着たままだった。
だがそこに、惟新が脱ぎ捨てた甲冑を拾い上げる足軽兵が居た。
横山久内という惟新付きの道具衆である。
「畏れながら殿、この鎧は大事な物にございます。拝領させていただけませぬか」
「……許す」
惟新はそれを見て頷くと、横山久内は惟新の甲冑を着込んだ。
そして惟新の馬の鞍を矢野主膳という者が乗っていた馬のものと取り換えた。
満月の夜、煌々と照らす山田舎の道。
時折陰る雲が、あたりを真っ暗闇に包み込み、歩みを進めることをためらわせた。
その度に聞き耳を立てて、人馬の音がないかを確認しながら、養老山脈は駒野峠に挑む。
同年 九月十五日亥の刻(午後十時)
険しい坂道を抜け、ようやく下り坂にさしかかろうとしていた。
惟新の足元がくらり、と揺れる。
隣にいて慌てて支える者が数名。
「殿、ここで休まれましょう」
「……そうだな」
九月十四日の夜に移動して、ロクに睡眠もとっていない。
体力の限界だった。
(ひもじいな……)
惟新はそれだけは口にしてはいけない、と思った。
それを口にした瞬間に、支えている何かが音を立てて崩れていく気がした。
峠道を外れて過ごしやすそうな斜面を見つけると、見張り役となるために何人かが立ち上がる。
「神経が高ぶって眠れそうもない。先に俺が見張りに立とう」
「頼む」
惟新を中心に据え、幾重にも輪になって身を寄せあう九十名あまりの一団。
その中から八名が見張り役となった。
二人一組で四方に散り、そして一刻ごとに交代、半刻ごとに梟の鳴き真似で平時を報せ、緊急時はヒヨドリの鳴き真似、と取り決めた。
惟新の一行は駒野峠の道外れに野宿することになった。
同年九月十六日 夜明け。
西に面した場所にはまだ日が届いておらず肌寒かった。
しかし空には水面のごとき青空と薄雲が広がっている。
「眠れたか……?」
「いや……」
力なく笑うしかなかった。
眠れなかったことはともかく、飢えだけは真に厳しかった。
「さて、参ろうか」
「はっ」
惟新の声で、再び一団は駒野峠を下り始めた。
同年九月十六日 午前
養老山脈を抜け、員弁と呼ばれる平野に降り立った一行は、何処かの場所も分からかったが、空腹が限界に来ていた。
集落が見えてきた所で、再び帖佐彦左衛門が調達係として宿と思しき大きな屋敷に行かせる。
「御免あろう、相模国の者だが、昨日の合戦にて負けた石田方の軍兵を追いかけておるところだ。そこもとはこの辺りは初めて通る故に、本陣へ帰る道を迷って昨夜は野宿となった。さらには飯を食うておらんから五十人程の賄い、粥を用意してくれ。望みの銭は出せるが、いかがか」
そう言って懐から銭を取り出して鳴らした。
「へえ、よろしいですよ。難儀なことですなあ」
そう言って手際よく大鍋に粥を炊く支度を始めた。
今度はどうにかうまく行きそうだ、と思ったが、次なる問題は惟新の存在である。
惟新を恭しく扱えば何事かと怪しまれてしまうだろう。
粥が用意されている間、人目を大事に思いつつも野菜を入れる駕籠の中に惟新を入れた。
そして、粥が用意出来た所で、座敷には上がらせずに土間の片端に残した。
惟新をまるで供回りの様に扱い、椀に入れた粥を差し出す。
「ここの亭主が用意してくれものだ。ありがたく食えよ」
「へえ」
惟新も惟新で、まるで下人のように首をすくめて恭しく椀を受け取り、無作法に口に頬張る。
用意された五十人分の粥を少しづつ分け合って、なんとか全員口にできた。
ようやく腹を膨らました一行は、慇懃に礼を述べるのだった。
「おい、いつまでも呆けておるな。参るぞ」
「へえ」
帖佐彦左衛門に声をかけられ、惟新は笑みを隠しながら、また頭を下げる。
また帖佐彦左衛門は尊大な態度を取りながら、懐から銀子を一枚差し出して頭を下げ、宿を後にした。
しばらく歩いて、辺りに人の姿が見えなくなった所で、帖佐彦左衛門は惟新の前で地に手を付く。
「真に! 真に……! 大変なご無礼を……!」
地面に頭を擦り付けんばかりの勢いで詫びる帖佐彦左衛門に惟新は朗らかに笑う。
「よいよい、気に病むな。致し方のないことよ」
「しかし……」
「皆々で無事に薩摩まで帰ろうではないか」
「はっ」
惟新は笑ってくれたが、しかしそれもまた哀れに見えた。
そして陽がある内は人の目を避けて、休みを取った。
同年九月十六日、晩方
日が暮れた頃である。
先に進もうかとなった所で退却路をどうするべきか相談することになった。
「伊吹山に向かうべきか、このまま伊勢路に向かうべきか」
「このまま伊吹山に登って退くのはどうか」
という意見が多く出た。
そこに意見したのは後醍院喜兵衛という者である。
後醍院喜兵衛は普段より七福神が一柱、大黒天を信じている人だった。
「私は日頃より大黒を信仰しており、いつも出陣の時にこの小さな箱に収めて持参している。然らばこの危難に置いて、御利運のある方に大黒は向かって居るものと考える。……して、箱に収めた大黒をふと見れば、伊勢路を向いている。よって伊勢路に向かうべきと存じる」
そこに伊勢貞成やその他、四、五名ほどが口をはさむ。
「伊吹山には落人もいて敵もそれを追っているだろう。ここからどう行けばいいかは知らんが、伊勢路を南に歩けばいずれ東海道へ当たるはずだ。然らば京か大坂へ退けるのではないか」
「それがいいだろう。道に乗って退くのがいい」
惟新が頷く。
さらに伊勢貞成が続く。
「例え大事に及ぼうともここに至るまで殿の御運は極まることですし、この先も苦しいことはないでしょう」
「うむ、よう言うた」
また惟新が頷き、東海道を目指すことになった。
しかし退却路は決まったが、誰も道が分からない。
さらには街道に警護の番兵の往来があり、厳しい目を光らせていた。
一行は山林の中に身を隠したまま、身軽な何人かを放って道の様子を伺いに行かせる。
しかし戻ってきて言うに、どこへ通ろうとも、また道を歩けば歩くほど、道の辻に番手の関守がいると言う。
十六夜の山林に、一行は息を殺して潜んでいた。
木々の葉のこすれる音、静かな呼吸音だけが、遠く、街道を見守っている。
途方に暮れたその一行を、ひたりひたりと死魔の陰が飲み込んでいく。
誰かが、惟新に近づいて耳元で言った。
「御切腹の機会は今のようです……」
薩摩へ帰ろう、と言いつつも、誰もが頭の片隅にあったことだった。
惟新がもしここで「皆腹を切れ」と命じれば、皆喜んで死ぬだろう。
しかし惟新の反応は意外なほどに軽かった。
「よく言ってくれた。切腹のことをすっかり失念しておったわ」
「え」
惟新の心安い言葉に、顔を見合わせる。
「しかし行き詰まっても運という物は慮外に開くことが多いものよ。今少し見あわせよ」
「御尤も、御意にございます」
そしてしばらく待っていると、身軽な服装をした者が通りがかった。
明らかに近隣の者のようだった。
それを見た帖佐彦左衛門は、音もなく忍び寄って街道の陰に引き込む。
「……! んーっ……!」
「静かにいたせ」
口を塞いで凄む一行を見て、こくりと頷くので、開放してやった。
「あんたら一体なんだい……!?」
声を潜みながらも町民と思しき者が怒りを露わにする。
「手荒な真似をして相済まぬ。我等は故あって東海道まで行きたいのだが伊勢路は分かるか?」
「いや、わかりませんよ」
「……では分かる者を知らんか?」
「難しいねえ……」
明らかにこちらの素性を疑っている様子だったので、このままでは協力を望めそうもなかった。
だがこれを開放すると騒ぎになるかもしれない、と思った帖佐彦左衛門は、こちらの素性を明かすべきか悩んだ。
散々思い悩んだ末に、惟新の前まで連れて行くことに決めた。
番兵の目をすり抜け、田の畦道を抜けて山林に入ると、静かに座る老人の前に跪かせる。
「こちらにおわすは、薩摩国島津家の御殿、兵庫頭入道である。辛労かけてすまんが、手助けしてくれんか」
「島津の……!」
町民は息を飲んで、暗闇の中に潜む老将を見た。
十六夜の月灯り下、ニコリと微笑む老人は花色木綿の手拭いと合羽に身を包んだ姿だった。
しかし、普段では絶対に口を聞けない、まともに見ることもできない存在に、神々しささえも感じた町民は思わず頷く。
「……分かりました。分かる所までなら……」
「ありがたい」
そして町民はさらに見知った顔を連れて来た。
月灯りの下、番兵の目を逃れながら一行は南へ歩みを進めていく。
しかし街道の辻に出た所で立ち止まった。
「この先からは分かりません。暇をもらえませんか」
「そうか……助かった」
帖佐彦左衛門は礼を言って開放すると、町民は逃げ去った。
(案内役をまた探さなくては……)
山林に潜んでいた惟新の元に帖佐彦左衛門が報告に戻り、また行こうとした所、惟新が帖佐彦左衛門を引き止めた。
「彦左衛門一人にあまり苦労をかけるわけにはいくまい。誰か代われ」
その言葉に帖佐彦左衛門は胸が熱くなり、頭を下げた。
そこに伊勢貞成が進み出る。
「此度の彦左衛門の忠孝は比類無き次第であった。しばし休むがよい」
「はっ」
しかし帖佐彦左衛門は先導役を代わることなく、幾ばくか休んで所で、また立ち上がった。
「休みは十分です。参りましょう」
と言って、再び南へと歩き始めた。
同年九月十六日、夜
恐らくはあと二刻ほどで日が改まろうという頃である。
惟新らの一行は、自分たちが何処に居るのか分からなくなっていた。
番兵の目を避けて街道を外れ、山の中を分け入っていく。
月が出ていることが幸いだった。
十六夜の月の傾きで現在の時刻と進んでいる方角が分かる。
道を外れて山中を密かに南へ向かって進んでいくといずれ獣道に出くわした。
そこに狐が一匹飛び出してきて、南へ向かって逃げていく。
さらに畑を見れば鳩が一羽居て、また南へ向かって飛び立った。
「誠にこれこそ源氏の氏神の霊鳥であろう」
それを見た一行は手を合わせて三度拝む。
(どうか、我が君の帰国の道を知らせてくれ給え……)
帖佐彦左衛門は祈りをささげ、一行は再び南へ向かって歩いて行った。
それから少しして、道の往来に年は四十余り、髭に白髪の混じった者を見つけた。
腰には大小の刀を差しており、渋紙包の荷物に抱えている。
帖佐彦左衛門はさりげなく道へ戻ると、気安く声をかけた。
「このような所で人に会うとは思わなんだな、どちらの方か」
「ここらの者よ」
「左様であったか。我等は紀伊国の者であるが、上洛の道を知らんのだ。教えてくれんか」
「それなら、あそこに見えるのが伊吹山である。その下に道があるからそこを行けばいずれ京だ」
「そうなのか。では道案内を頼めんか」
しかしその男は首を振る。
「我らは城に妻子を先へ残しているので、御免あれ」
そう言って一礼して通り過ぎていく。
しかし帖佐彦左衛門はその後ろ姿を睨みつけた。
(この者に頼み損ねるわけにはいかぬ)
後ろから襲いかかると組み伏せ、反撃の隙も与えないままに押さえつける。
そして腰の刀を抜いて心の臓辺りに刀を当てた。
「案内せんのなら即、命を頂戴する。しかし案内していただければ過分の礼を弾む。如何か」
帖佐彦左衛門の必死の表情に、その男も頷いた。
「……さてあらば案内いたそう……」
「手荒な真似をしてすまんな」
帖佐彦左衛門は一言詫びを入れ、男の腰から刀を抜き取ると、一行の前まで案内した。
その男は又右衛門と言った。
しかし道案内役とは言え、惟新のことを知れる訳にはいかなかった。
そこで惟新の衣服を古い道服に変えさせ、その上から帯を結ばせた。
さらには破れた菅笠を被せた。
どこからどう見ても老いた下人のような姿に、一同は心で泣いて詫びた。
「さて、参ろうか」
「へえ」
惟新は背を丸めて頷く。
一同は再び、伊勢路を南へ進んでいった。
それまで惟新は老身故に、ということで馬に乗ったり、打ち捨てられた駕籠を調達して移動していたが、以後徒歩のみとなる。
その後の惟新らの一行は、又右衛門を先導に、ただひたすらに歩き続けた。
自分たちが何処を歩いているのか、はっきりとは分からなかった。
鈴鹿山脈を西に向い大山を登った先の峠道から外れた場所に、その日もまた野宿することになった。
「ぐう……」
イビキなのか、食い物を欲する腹の音なのか、よく分からない音が時折聞こえる。
夜の寒さを紛らわすかのように身を寄せ合った。
その時、ガサリ、という音を聞いた。
百八十の眼が死魔の陰に怯えながら、周辺に神経を張り巡らせ、暗闇を睨みつける。
「鹿です……」
月灯りの下、誰かが中空に浮かぶ僅かな二つの光を見た。
「食い物だ……」
また誰かが呟いた。
鹿を捕まえようとじわりと動いた所で、鹿は跳ねるようにしてまた暗闇に消えていった。
「ああ……」
また誰ともなくため息をつき、また飢えと死の恐怖が一行を支配していく。
「休め。御運は必ずや開くぞ」
惟新の静かな声に、再び身を寄せあって丑三つ時をやり過ごした。
同年九月十七日
又右衛門と名乗った道案内役が武士であることは間違いなかった。
半ば無理に道案内役を任せたが、又右衛門も一度心を決めた以上はこの哀れな敗残兵の一党によく尽くした。
自ら斥候役を買ってでて街道を歩いた。
そして確認すると報告に戻り、危うければ回避して別の道を行くなど、如何にして大坂まで逃がすか、と真剣に考えて行動してくれていた。
また惟新も、又右衛門の素性を探るような事を絶対に聞くな、と厳命した。
ここまで又右衛門が力を尽くしてくれた以上、このまま逃げられたとしても、どこかで力尽きるとしても、又右衛門の素性が徳川方に漏れると逃亡を手助けした罪人として咎められると考えた。
それ故にこの逃避行を後の世に伝えるのは構わないが、又右衛門が何処をどう歩いて道案内したのか、あまり詳しく書かないように、と命じた。
そして歩きに歩き、又右衛門が言うに、既にどうやら峠を超えて近江国に入っているという事だった。
眼下に望む往来を見ながら
「ここはどのあたりか」
と問うと、又右衛門は
「近江国の水口か、土山辺りではないかと思う」
と答えた。
山林に一行が潜んで休んでいる間、又右衛門は町まで探りに行った。
そして慌てて戻ってきて、伊勢貞成に告げる
「どうやら徳川方は既に京に入っているらしい」
「そうか……ちと談合してくる」
又右衛門が不思議に思っていた。
この一行は間違いなく関ヶ原の落ち武者一行である。
いずれも鎧装束だったからだ。
だが時折、談合すると言っては明らかに軽輩者の身なりをした老人の周りに集まって何やら耳打ちで話し合っている。
(かの御仁は何者ぞ……?)
又右衛門がその老人の正体を知るのはずっと後のことである。
談合の結果、このまま土山を打ち過ぎ、伊勢の関地蔵まで戻って奈良街道から大和国に向かう、という事になった。
さらにひた歩き、街道に徳川方の番兵が多く行き交っているのが見えてきた。
「あれは徳川の兵であろうな」
「……うむ」
「まいったなあ……」
帖佐彦左衛門が頭をかいて、それを睨みつける。
又右衛門も小声で、伊勢貞成に耳打ちする。
「このまま抜けることは難しかろう。日が暮れるまで休んだ方がよいかもしれん」
さらに空腹に耐えかねて動けない者も何人か出始めている。
ふと見れば、畑があり粉芋か何かを育てていた。
そして一行の胸のうちに邪な心がよぎる。
「盗むか……」
「うつけが! 敗将とは言え我等は武士ぞ。かような真似ができるか」
「帖佐、銀子はもうないのか」
「ない」
食料はない。昨夜から水以外何も口にしていない。
山林の陰から覗き見える街道の往来には徳川方と思しき番兵が睨みを効かせている。
集落に行けば何か食料を調達できそうだが無一文の身。
山中にあって一行を再び死魔の陰がひたりひたりと包み込んでいく。
誰ともなしに、口にする。
「馬を潰すしかあるまい……」
「……うむ」
馬はまだ数頭ばかりが同行していた。
そのうちの一頭は惟新の青毛馬『紫』だったが、こればかりは絶対に潰すわけにはいかない。
いざとなれば惟新を乗せて単騎で逃す必要があるからだ。
悩んだすえに、老齢で弱っていた一頭を全員で合掌した後、刀を入れた。
同年九月十七日 午前
血抜きが終わり、ようやく肉を切り分けた。
そして柔らかくて美味と言われる背中の肉、拳一つ分ほどを取り出した。
最初に惟新に進上せねば、と掲げた所、惟新の横からひょいと手をだして奪い取る。
「おい! 中馬! 何をするか!」
慌てて取り返そうとするのを制して中馬重方は問答無用でかぶりついた。
そして頬張りながら不躾に言う。
「まずは殿をお守りする者が先だ。殿より先に死んだら誰が殿をお守りするというのだ」
「このうつけめ!」
慌てる他の者を尻目に、中馬は味わいながら咀嚼する。
そしてごくり、と飲み込み、さらに言葉を続ける。
「殿はいざとなれば腹を召し上げればよいのだ」
そう言って、また肉にかぶりつく。
それを見た惟新は、豪快に笑い飛ばした。
「真に然り、中馬の言う通りよ! ほれ皆の者も食うといい!」
呆れた溜息を横に置いて、また肉が切り分けられ、惟新も久しぶりに腹を満たすことができた。
わずかな馬肉があっという間に一団の腹に収まると、内蔵や骨は全て地中奥深くに埋めた、
またそこかしこに小さな川があって飲水に困らなかったのは幸いだった。
血肉で汚れた口元と手を洗い、改めて合掌する。
懇ろに弔いが終わると、また出立した。
一行はそれから関所を避けるように、山道を歩いて土山に到着した。
道案内役の又右衛門、伊勢貞成、帖佐彦左衛門らが林に潜んで様子を伺う。
「やはり番兵が多いな……」
「東海道は京へ通じる大街道だからな」
「なに、いざとなれば俺が打ち払ってやる」
後ろからひょいと顔をだす木脇祐秀に、
「これ以上の厄介事は勘弁してくれ……」
とたしなめつつ、しかし前途の多難さに思わずため息が出る。
「暗くなってから行こう。今は休んだ方がいい」
「よし……」
また暗くなってから再び東海道の外れ、道なき道を歩いて、ようやく伊勢の関地蔵辺りに付き、再び西へ転進。
奈良街道を左に見ながら山道という名の獣道をただひたすら西へ、伊賀に向かった。
しかし伊賀上野へ入る手前の所で一行に再び災難が振りかかる。
目の前に落ち武者狩りの体をなした集団が待ち構えていた。
「問答無用! 一人も討ち漏らすな!」
「はっ」
惟新の一声で集団が、地を擦る足音を鳴らして構える。
「伊勢殿、ここは我等にお任せあれ」
「頼む」
桂忠詮、山田有栄が先頭にたって目配せし、伊勢貞成や惟新らを後方に回して数名が惟新の身の回りの防御を固めた。
「抜刀ッ!」
山田有栄の声で一斉に抜刀し、烈帛の気合を放って斬りかかる。
さすがの雑兵も、その気合に負けて早々に逃げ始め、散々に追い払ったのだった。
その後、生け捕った者は数名に及び、これを縛り上げた。また討ち取った首と共に伊賀上野城の近くに置き去った。
一行は集まって、再び行き先を相談する。
「どうする? このまま西の街道進めば大和国だ」
「……厄介事を起こしてしまったから関所が封じられるかもしれん。ひとまず北か南へ逃れるのはどうか? 又右衛門殿はどう思う?」
「うーむ。南の名張、宇陀あたりは山が深すぎて流石に俺も見当が付かん。北の伊賀信楽なら大体は分かる」
「では……信楽に向かうか……」
一行は北の信楽に転じた。
同年九月十八日
惟新らの一行は笹ヶ岳の麓、伊賀国の信楽という場所に到着していた。
廃された山寺があちこちにあり、身を隠して休むには適していた。
休んだ後、再び西へ向かって歩き出した一行の前に集落らしきものが見えてくる。
だが再び災難が振りかかる。
ふと岩を見上げると、そこには法師が弓をつがえ、真っ直ぐに惟新を狙っていた。
多くの者が惟新の前に立ちはだかって守り、木脇祐秀が猛然と駆けて弓を取り上げ、法師を捕まえる。
「この不届き者め!」
打擲して後ろ手に縛り上げた所で、今度は郷の方から続々と村人が出てきて、一行は包囲された。
「あんたら一体何者やねん! 坊さんをどうする気や!」
「えい、静まれ! この法師が我等を狙っていたので押さえつけただけだ!」
「なんやあんたら! さては落ち武者やな!」
口々に騷ぐ村人に、これ以上騒がれるとまずい、と思った伊勢貞成は、
「双方落ち着かれよ、近くの民家で談合しよう」
そう言ってなだめて、傍らの家で話し合いの場を持つことになった。
だが村人たちは剣幕は収まらず、話し合いの場は難航した。
これに業を煮やした本田源右衛門尉が口を開く。
「ならば我が首を献じる故、進むが宜しかろう」
「いや、それはならぬ」
どうにか法師を開放することで治まり、さらには一食まで頂戴し、その家で休ませてもらうことになった。
だが、日が暮れてから密かに一行は抜け出して逃げだした。
一行は哀れな己の身なりを嘆き、伊賀国信楽を後にした。
しかしその先の道がこれまで道案内を務めてきた又右衛門にも全くわからなくなった。
そこで後醍院喜兵衛、木脇弓作は道すがらの農家の戸を叩く。
「乱国ぞ! 戸を開けよ!」
騒々しい声に中から主が恐る恐るあける。
そこに両人が押し入ると、亭主が驚いて悲鳴を上げた。
「狼藉者だ!……ぐふうっ!」
慌てて亭主を捉えて脇差の柄で鳩尾をついて黙らせる。
「声を立てれば殺す。命が押しくば道案内をせよ」
あまりに凄む声に恐ろしさに、亭主も頷かざるを得なかった。渋々それに従うのだった。
なお、この亭主には和泉国に入った所で銀子一枚を渡して開放することになる。
それから一行は木津川を泳いで渡り、黙々と歩き続け、ついに大和国に入った。
山林の陰から古都・奈良を見やる。
一行は北の外れに居たので賑やかな町並みでもなかったが、いくつかの料理屋が見えた。
「ぐう……」
唸り声なのか、腹の音なのかよく分からない音が限界を訴える。
この日はまだ一つも食い物を口にしていなかった。
「皆々、しばし待っていてくれるか」
そこに声をあげたのは山田有栄である。
「なんとする」
「調達してくる」
そう言って、山田有栄は一人奈良の町に消えていった。
「弥九郎め。なにする気だろうか」
「さてな……」
文句は口をついてくるが、動く気力も起きない一行は大人しく山田有栄を待っていた。
山田有栄は身分不相応にも程がある、黄金をあしらった華美な鞘の太刀を腰に差していた。
無論、有栄の家は祖父代より島津家に忠節を尽くしているのは皆々知る所である。
だが山田有栄はまだ二十三歳と若かった。
それ故に
「あの贅沢な太刀はなんだ。これみよがしに見せびらかしおって」
と陰口を叩かれていた。
それから半刻あまり、山田有栄とその小者が人目を忍びながら、手にいっぱいの食駕籠を持って戻ってきた。
そこには木桶に雑穀を炊いた物を入れ、さらには焼いた鹿肉が乗っていた。
「おお」
一同は奪い合うように分けあって貪る。
「弥九郎、これは一体どうしたことか。お主、銭を持っておったのか?」
「いや。調達した」
事も無げに言う山田有栄の腰元をふと見る。
そこには先ほどまで不釣り合いなほどの華美な太刀の鞘ではなく、なめした皮の鞘になっていた。
「弥九郎。お主、それは……」
「こういうこともあろうかと思ってな」
山田有栄は涼しい顔で微笑むのを見て、多くの者が感じ入った。
その後の道中でも他の者がそれを真似るように、笄や小刀を質に入れて食に替え、なんとか飢えを凌いだ。
そして柳の並ぶ小路の往来を避けてひたすらに西に進んでいく。
同年九月十九日
昼も夜も関係なくひたすら歩き続けた一行は、日が改まった頃に大和国を抜け、ついに河内国に入った。
この日、生駒山脈の北、飯盛山の地の廃寺で一泊することになった。
飢えに苦しみ、大山を超え、音もなく忍び寄る死魔の恐怖と戦いながら、或いは頭の片隅にちらつく切腹の二文字を振り払い続けた。
参陣した千五百余りの島津軍の兵のうち、豊久が率いていたのは佐土原衆が千ほど。
惟新は京、伏見、大坂に在勤していた者、故郷より駆けつけた薩摩、大隅、庄内衆らを合わせて、ようやく五百程度の兵だった。
そして退却時に惟新の周りに集まったのは三百名余り。
その退却の果てに、八十八名まで減っていた。
様々な運、まさに強運を味方につけ、生きて薩摩に帰ろう、その執念だけで成し遂げた難行だった。
一方その頃、大阪城の女たちもまた苦難を乗り越えるべく、手を尽くしていた。
史料に散見される地名や道中の描写等を諸々検討した結果、退却ルートを以下の通りに設定しました。
https://goo.gl/AKD9ab
なお、五僧峠(島津越)を通ったのは別の隊の退却口と考えられます。
https://goo.gl/nXpmaZ




