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戦国島津史伝  作者: 貴塚木ノ実
天下の行く末
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第七十話 伏見の謀略

 秀吉死後、すぐさま徳川家康が豊臣政権の崩壊を企むだろうと見られていた。

 そのため徳川家康を除いた四大老、そして五奉行は家康の行動を逐一見張り、その行動を咎めるようになる。

 事実、徳川家康は豊臣政権の定めた法を破って有名無実化させることで政権に揺さぶりをかけるような素振りを見せていく。

 例えば豊臣政権下で禁止されていた大名同士による婚姻禁止を早々に破っていた。

 そしてそれらの家康の行動は思わぬ形で龍伯にも降りかかった。


「拙者がですか?」


 京の薩摩屋敷に石田治部少輔三成が龍伯の元を訪れていた。

 龍伯は内心


大仰おおげさかな)


 とも思ったが殊の外驚いてみせた。


「左様。太閤殿下のご遺言にて各諸家の間で誼を通じることを禁じている。にも関わらず、十一月十日に徳川殿の私邸で何をなされていたのか」


 いつものような事務的な口調は鳴りを潜め、厳しい表情で詰問する。


「徳川殿とは太閤殿下にお仕えし始めて十年来殊更親しくしておるので、少々ご挨拶にお伺いしただけである。もし見張っていたのであれば、ものの半刻も滞在していなかったことはご存知であろう」

「……」


 それでも疑うような目つきで見る石田三成に、龍伯はなお落ち着いて頷く。


「十月末頃にも大納言殿の所にも参っておるが、聞いておらんか」


 三成は軽く舌打ちして憮然とした表情を見せる。


「太閤殿下がご遺言状にて各諸家で誼を通じることを禁じていた事を失念していたのは拙者の不始末。豊家を揺るがす悪企みなど天に誓って一切ございませぬ。誓文も差し出そう」


 そう言ってその日のうちに起請文を書き起こし五奉行に差し出した。


(狸と狐が手を組んで一体何をやろうとしているのか……!)


 石田治部少輔は歯ぎしりしながらその起請文を受け取るのだった。



 なおその一方で文禄・慶長の戦役にかける義弘の武功は多くの者に激賞された。

 大阪城で大老と奉行衆が集まり、朝鮮役の処理について評議の場を開いた時、特に徳川家康は興奮気味にこれをしきりに褒めそやした。


「島津殿の働きはこの高麗の戦役において比類なき戦功でございましょう! 特に泗川での戦はまさに前代未聞の大勝利!」


 そう言って拳を振り上げて熱弁を奮う。


「島津殿の働きがなければ十万の兵は満足に退却することも敵わず、高麗の地で哀れにも命を散らしていたに違いありませぬ! これを賞せずして太閤殿下亡き後、豊家の安定は図れませぬ!」


 家康の熱意に負けた五奉行は朝鮮戦役の恩賞として、薩摩国出水の地が忠恒に与える事を決定した。

 秀吉の遺言で当面の間知行配分が禁じられていたにも関わらず、唯一の加増だった。


 ただ、これもまた家康の法度破りによる豊臣政権崩壊の企みの一環であった事は想像に難くない。



 なお出水の元々の領主だった薩州家義虎は天正十三年(一五八五年)に死去しており、その後、嫡男忠辰が家督を継いでいた。

 だが秀吉の九州下向の折に島津宗家よりも先に降伏した。これを賞されて出水を安堵されて以来、薩州忠辰は島津宗家とは別格、という扱いを受けた。

 また忠辰自身も豊家直臣を自称して龍伯の命に従わないことがあった。

 だが文禄の役で病と称して上陸しなかった事で秀吉の勘気を被り、改易処分。薩州家は断絶した。

 以来、出水の地は細川幽斎と石田治部少輔の蔵入地として扱われていたが、これ以後、出水は鹿児島の忠恒の地として組み込まれることになった。


 出水知行の書状は五奉行連名で、慶長四年(一五九九年)一月九日付で羽柴薩摩少将こと忠恒宛に届けられた。



 その後も政権崩壊を企む家康の行動に、強く反発する動きが活発化する。

 豊臣政権の継続を願う文治派が前田利家に集結し、武断派が徳川家康の家に集結するなどの騒動も起きた。

 その騒動は前田利家と徳川家康が和睦することで収まったが、龍伯は忠恒、義弘に「決してこれらの騒動に参加しないように」と厳命して冷徹にその騒動を見つめていた。


 龍伯が帰国のため暇を願ったのは同年二月に入ってからである。

 三殿体制下にあって、忠恒、義弘いずれも上洛していたため島津家当主格が誰一人としていなかったからだ。

 それ故に龍伯の願いは問題なく聞き遂げられ、大阪を発つ期日は二月二十八日と決まった。

 そして龍伯が忙しく動き出す。



 太閤秀吉が二条御所より南へ約十二キロの伏見の地に築いたのが伏見城である。

 その城下には諸侯の屋敷が集中して存在していた。


 そしてここに島津家の屋敷が二つあった。

 一つは伏見城の西にほど近い場所に「上之屋形」と呼ばれる屋敷。

 さらにそこから西へ約二キロの場所に「下之屋形」と呼ばれる屋敷があった。


 だが上下の屋敷住人は明確に分かれていた。

 上之屋形の住人は豊臣秀吉に気に入られたの中務大輔家久の家系の者が住まいとしており、下之屋形は龍伯、義弘、忠恒ら宗家筋の者が住まいとしていた。大阪にいた亀寿や宰相殿も、時折行き来している。

 また上之屋形の隣に伊集院幸侃の屋敷もあった。


 同年二月十日

 この日の午後、龍伯は初めて上之屋形の豊久方の者たちを済ませた後、その後に隣の幸侃の屋敷を訪れた。


「これは龍伯様、ご帰国の暇が叶い祝着至極にございます」

「うむ」


 龍伯が門をくぐった所で伊集院幸侃が玄関を出てきて出迎えてきた。


「然れば、お主にも挨拶しておこうと思うてな」

「これは畏れ多いことにございます。こちらから出向いた所を……」

「なに、一度くらいは来てみたかっただけだ」


 そう言って龍伯は笑い、客間に通された。

 ひとしきり茶を飲み交わして落ち着いた所で、幸侃は人払いをした。

 膝を寄せて声を潜める。


「して、内密のご相談ごととは……」

「うむ、又八郎のことだ」

「又八郎様……?」


 幸侃は首をかしげて怪訝そうに伺う。


「太閤殿下によって跡目を又八郎を定められた。それ故、此度下向の折、長年の懸案だった御重物を正式に又八郎に渡そうかと考えておる」

「それは……何よりではございませぬか」

「……」


 幸侃は龍伯が苦手だった。

 龍伯にどれだけ忠節を尽くそうとも、いつも険しい顔をしている。

 たまに見せる笑顔もどこかぎこちないようにも見えた。

 何より、腹の中で何を考えているのか全く見えないことが恐ろしくも見えた。

 それはある意味では、どうすれば機嫌を取れるか、或いは機嫌を損ねてしまうか分かりやすい太閤秀吉に比べれば、扱いづらい相手だった。


「幸侃、忌憚なき意見を聞かせてくれ。又八郎は真に島津の御家を託すに相応しい人物か?」

「それは……」


 幸侃は悩んだ。なんと答えれば龍伯の心を満足させることができるのか。


「拙者に判断は出来ませぬが……若き頃の振る舞いを思えば、龍伯様の胸の内は察しまする。しかし他に適任の方がおられましょうや」

「それは分からぬ。だがこの件はお主に任せたいと存じる」

「え……」


 幸侃は困惑した。

 島津家の家督問題に首を突っ込むのは余程のことが無い限りやめた方がいい、という気がした。

 だが龍伯の手前、それを断るとどう思われるか――。


「……承知いたしました。微力ながら……」


 龍伯の満足そうな笑顔を見て、幸侃は自分の判断が正しかったと思った。


「すまんが、信頼できるのはお主しからおらん。それ故、儂が家督について腹案ある事を武庫や又八郎に知られたくない。ひと先ず御重物は又八郎に渡すが、事の次第は内密で頼む」

「承知仕りました」


 幸侃が深々と頭を下げたのを見届けてから龍伯はまた密かに上之屋形を後にした。




 同年二月二十日

 島津家の家督相続者であることを示す御重物一式が龍伯より忠恒に譲渡され、家督が相続された。

 ここに島津家十八代忠恒が誕生した事になる。

 それからささやかな宴が開かれた夜。

 密かに人払いをして龍伯と忠恒は対面していた。


「御義父上、家督は相続致しましたが、これからもご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします」


 忠恒は二十四歳とまだ若かったが、一頃の傍若無人な様子と比べたら随分と成長したようである。

 龍伯も穏やかに微笑み、頷く。


「うむ。お主には二人も父がおることを忘れるな」

「はっ」

「あと、儂もそろそろ孫の顔が見たい」

「う……」


 忠恒が困ったような顔を見せて頭をかく。


「励みます……」


 そう言って肩をすくめておどけて見せ、龍伯も笑顔を見せた。

 しかしすぐに顔を引き締めて忠恒を見る。その只ならぬ様子に忠恒も身を正した。


「家督を継いだからと言って決して驕るなよ。幼い頃の振る舞いを記憶する者が、お主が家督を継いだ事に良からぬことを考えているやもしれん」

「え……」


 忠恒はぎょっとしたような表情で龍伯を見る。


「それは誰ですか……!」


 わずかに怒気を含んだ声で目を伏せる。


「儂の耳に届いたのは、上の方だったかな」


 忠恒は龍伯の言葉の意味する所を理解し、口を真一文字に結ぶ。


(幸侃か……!)




 同年二月二十六日午後

 いよいよ帰国を間近に控えて龍伯は伏見の屋敷を訪れた。

 人質として残る亀寿と宰相に暇の挨拶をするためである。


「お主たちの帰りを薩摩で待っているぞ。……儂は大隅だが」

「まあ」


 そう言って笑う龍伯に、亀寿や宰相も笑顔を見せる。


「こちらには又八郎様やお義父様もいらっしゃいますので、どうかお気になさらず。故郷の皆々をどうぞお慰みくださいませ」

「うむ」


 龍伯は人質として島津家の女を残して帰国することは心残りだった。

 しかしこれから起きることを考えれば、心を鬼にしてでも帰国しなければいけなかった。

 心の中で何度も詫びながら館を後にした。



 その夕刻。

 龍伯は義弘と暇の挨拶を済ませていた。


「長陣の辛労、誠にご苦労であったな。諸事あって帰らねばならぬが、御上を頼んだぞ」

「承知いたしました」


 義弘は頷き、龍伯の顔を見る。

 どこか以前のような神妙な顔つきをしていたようにも見えたが、夕焼けの陽で影が濃く、よくわからなかった。


「そう言えばお主、入道するそうだな」

「ああ、ええ。その通りです」


 そう言って義弘はにこりと微笑む。


「此度の戦で敵味方多くの者が亡くなりました。その弔いの意味もあります」

「法号はなんとする?」

「……惟新と」


 龍伯は優しい笑顔を見せて頷く。


「良い号だ」

「ありがたき幸せ」

「ではこれからお主のことは兵庫入道か惟新と呼べばいいのだな」


 島津兵庫頭義弘入道惟新斎。

 剃髪して名乗ったその法号の由来は、祖父の日新斎にあった。

 そろそろ、という頃合いになって龍伯が天井と床下に目配せする様子を見せたので惟新は膝を打った。


「兄上、帰国する前に池の鯉でも見ませんか。先年見せてもらった鯉が生憎と浮かんでしまいましたので少々入れ替えてございます」

「なんと、それはけしからんな。どれどれ……」



 そう言って二人は肩を並べて池の辺りに立つ。


「何事で?」


 惟新が何食わぬ顔でひそりと小声で呟く。


「お主には話しておこうと思ってな」

「……?」


 惟新は龍伯が何を言い出すのか分からない様子で、続く言葉を待った。


「中書と金吾の最期をどう思う?」


 惟新は少しだけ背中を震わせて拳を握りしめた。


「中書は……食の毒に当たったと聞きます。金吾めは……太閤に弓を引いた故に致し方ないかと……」


 そこまで言って惟新は龍伯の顔色を伺う。

 龍伯の顔はなお冷静そうに見えたが、その瞳の奥に怒りの炎を灯していることに気がついた。


「家久は、確かに毒だったことは間違いない。自ら毒を含んで斃れた。それは間違いない」


 そう言って自分を納得させるように何度も頷く。


「調べたが、分からなかった。本当にただ毒に当たったのか、誰かに盛られたのか」

「盛られた!?」


 惟新の声が思わず大きくなり、思わず周囲を伺う。

 静かな大阪の夕刻だった。


「……どういう事です?」

「上手くしてやられた、と思うべきかもしれんな」

「……」


 龍伯は懐を探り、一枚の紙切れを握りしめた。


「では金吾だが、何故自害せねばならんかったと思う?」

「それは梅北の一揆を企て、太閤殿下に忠節を尽さなかったからでは……?」

「よく考えよ」


 龍伯は頭を降る。


「たかが地頭の任にあった者の軽挙に、我が一族の直臣が与すると思うか? 形ばかりとは言え、太閤に頭を下げた以上、無鉄砲な抵抗は家の危機となると、聡い又六郎なら分かりきっていることだ」

「それは……確かに」

「誰かが太閤に吹き込み、又六郎を陥れた、と存じる」

「まさか……一体、――」


 ――誰が?と言おうとした義弘は口を閉じた。思い当たる人物が一人だけいた。

 そして龍伯から差し出され、かすれてボロボロになった紙切れを開いて目をむく。

 そこにはまさに思い当たった人物の名が書かれていた。



『太守とのヽ 虫気の因 幸侃にあると覚えし』



 僅かに震える手を押さえて、龍伯に紙切れを戻す。


「これは……又六郎の字……?」

「天に帰った後にあやつめ、獅子身中の虫がいるぞ、と知らせてきおったわ」


 龍伯は笑顔を見せたが、とても笑っているようには見えなかった。


「獅子身中の虫、幸侃……」


 惟新はゴクリと生唾を飲み込んだ。これから一体何が起ころうと言うのか想像も付かなかった。と言うよりは想像したくなかった。


「又六郎は家久の死に疑問を抱いた。本当に毒に当たっただけなのか? 誰かに盛られたのか? もはや動かぬ体、奉公も叶わぬ身。ならば最後にそれを確かめるために手の者を配して、ほうぼうに聞いて回った」


(又六郎が何か企んでいると思ったのはそれか……!)


 惟新は顔をしかめた。


「又六郎は何かを掴んだ。家久の死の真相に迫る何かを。そしてそれを暴き立てるための策を練った。だが勘付かれて、その策が成就する前に先手を打たれた。……と考えると辻褄が合う気がしないか」

「では、家久に毒を盛ったのも幸侃……!?」

「それは分からん……」


 龍伯は小さく首を振り、うなだれる。


「ここにいる間、それを探った。しかしやつは尻尾を見せぬ。虎の威を借る狐と称して関白の背中に隠れるばかりだ」

「……」

「もう一つ、幸侃に疑わしい事がある」

「……なんでしょうか……?」

「覚えているか。秀吉が九州に下向した折、高城を何一つ恐れることなく、根白坂に陣取った事を」

「……思い出しました。又七郎とも話しました。関白軍の動きが大胆で早すぎる。内通者がい……る……まさか!!」


 惟新の目にも怒りの炎が宿った。


「まさか、幸侃が内通して、こちらの動きを漏らしていた……!?」

「……」


 龍伯は僅かに首を振り「わからん」と呟く。

 そして「これは推測だが」と前置きした上で言葉をつなげる。


「幸侃が内通してこちらの動きを秀吉に漏らした。故に我等は易々と秀吉に屈せざるを得なかった。だがそこに疑問を持つ者がいた。それが又六郎だ」

「……」

「又六郎は又七郎に密かに命じた。幸侃に内通の疑いあり、これを探れ、と。幸侃は裏で又六郎が動いているとは思わず、家久に疑われているのではないか、と察した。そこで追求される前に家久に毒を盛って封じた」


 龍伯も義弘も、拳が震えていた。

 それが真なのかどうなのかは分からない。だが説得力はあるように思えた。


「だが、又六郎を陥れたのは奴だ。それだけは確かだ」

讒言ざんげんがあった、と……?」

「さるお方が言っておった。確かに幸侃が秀吉に吹き込んだそうだ。口の軽い秀吉め、それを自慢気に話したそうだ」


(さるお方……家康殿か?)


 惟新はなんとなく察したが、それ以上は何も言わなかった。


「幸侃も幸侃で、御家の存続を考えたのだろう。どうすれば島津の名を残せるのか。あやつなりに考えた結果なのだと思う」

「……確かに、もし仮に根白坂で我等が勝っていたとしても、果たして日ノ本六十州を相手にどこまでやれたか……」

「だが、主従をわきまえぬ以上はただの反逆だ」


 龍伯の言葉は冷たかった。


「島津はそのような臣を求めておらぬ」


 惟新も龍伯の並々ならぬ覚悟を知って、心は定まった。


「然り。では兄上、手を打たれますか」


 聞かれて不敵な笑みを浮かべる龍伯の姿に、惟新は今まで感じたことがない恐怖を覚えた。

 龍伯は一見すると静かだったが、これほどまでに凶暴で激しい怒りを見せた事は今までなかった。


「既に手を打っている……!」

「!?」

「お主はこれから伏見で起きることを、ただ見守っておればよい」

「……」

「いずれ忠恒が事を起こすだろう。だが裏を返せばこれはただの兄弟の私憤。一族の恨みを果たすのみ。そして幸侃ごときに一族が陥れられていた、などと知れ渡れば末代までの恥。故にこれは誰にも知れることなく歴史の闇に葬り去る……!」

「兄上……!」

「お主も決して口外するなよ」

「……心得ました……」


 義弘は唾を飲み込んで頷き、従うしかなかった。


「これで儂も大叫喚地獄行きだ。十一炎処あたりでようよう苦しむはずだから、儂が死んだら念仏でもとなえてくれ。梅岳様じいさまには申し訳ないがな……」

「そんな……そんなことは言わんでくれ……」


 惟新は悲しい顔をして龍伯を見る。

 しかし龍伯の顔はどこか晴れやかだった。長年の鬱屈から開放されたかのように。


「庄内に娘を嫁がせているお主には申し訳ないと思う」

「……覚悟しております」




 同年二月二十八日

 この日、帰国のために大阪を発った龍伯は、これに前後して密かに国元にある命令を出していた。

 それは天下の反逆人とされて家を挙げて追悼することができなかった者の弔いである。

 竜ケ水にある墓を弔うための小さな寺を一つだけ建立することを命じた。

 窓禅寺、龍雲寺の和尚も務めた抱厳孫大がその寺を開山した。


 その名を瀧水山心岳寺と言った。



 同年三月九日

 龍伯が帰国の途につく船の中、その事件が起きる。

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