第六十二話 天下人豊臣秀吉
天正十七年(一五八九年)正月
関白秀吉に年賀の挨拶をする場でも、龍伯は己の立場を認識することになる。
秀吉が御成になった後に各大名より御前に進み出て挨拶を申し上げるように、と石田治部少輔から達しがあった。
徳川家康、足利義昭、小早川秀秋、弟の秀長、宇喜多秀家……と秀吉が気を使わなければいけない相手の次に、血縁関係にあるものが挨拶していき、龍伯は三十一番目に挨拶することができた。
(島津家は関白にとってその程度の認識でしかない)
無論、何か功あればいざ知らず、むしろ勘気を被らないように戦々恐々としながら日々振る舞うばかりである。
(九州の覇者……か)
龍伯よりも先に大友や伊東などの島津の敗者たちが先に挨拶を済ませたのを見て、龍伯の胸の内には複雑な感情がよぎるのだった。
また、正月早々から殿下秀吉から島津家に無理難題が振りかかる。
「御所より南東、鴨川の近くに大仏殿を建立致します故、大木を調達くださいませ」
京の生活に慣れてすっかり丸くなった龍伯も、事務的な口調で冷徹に言い放す石田治部少輔には流石に内心苛ついた。
関白からの命令は龍伯ばかりでなく、図書頭忠長、伊集院幸侃にも伝わっているらしい。
「必要な木材の大きさ、長さはどの程度か、加工してから運ぶのか、加工せずに運ぶのか。運ぶ船に不足がある場合はお貸し頂けるのか」
龍伯の問いに、そんなことも分からないのか、と言わんばかりに怪訝そうな顔つきを見せて、さらに詳細を説明する。それらが一通り終わると、一礼してさっさと薩摩屋敷を後にした。
(石田治部少輔は武士の心持ちなぞまるで持ちあわせておらんな……)
龍伯は苦虫を噛み潰すような顔を緩めて、ため息をつく。
秀吉が所望する大木なぞ薩摩や大隅本土にあるわけもない。
そこで屋久島の大木を献上することを決定し、指示を出した。
屋久島は山岳信仰の霊峰として信奉を集めていたために、その木を切り倒すなど本来あり得ないことであったが、世の天下人の命令とあらば逆らうこともできない。
龍伯の命で鎮魂祭を念入りを行い、屋久島の多くの大木が伐採され、京に運ばれた。
こうして鴨川の辺り、五条橋の近くに建立された大仏殿は、後に方広寺と称される。
これは豊臣氏の命運を左右することになるのだが、後の話である。
その正月には龍伯は再び薩摩に下向し八月には再び上洛する。
秋には義弘が薩摩に下向した。
年内か来年には東方の地に出馬がある、と予告されたからだった。
その出陣準備のために再び軍勢を整えるのだった。
ひっきりなしに京と薩摩を往復を命じられては生じる財政の負担は予想以上で、旅の道中は可能な限り節約するように命じるほどであった。
一方関白からの難題続きに頭を悩ませる島津家にとって嬉しい話もあった。
十一月には又一郎が島津家の跡取りである、と正式に秀吉から認可を受けたことである。
嫡男のいなかった龍伯にとって長年の懸案だった島津家の家督問題が解決したことに大いに喜んだ。
また家督を継ぐことが決まった上で久保と亀寿は結婚した。
島津又一郎久保十七歳、亀寿十九歳。
若き夫婦の明るい未来を夢見て、婚姻に参列した一同は目を細めるのだった。
天正十八年(一五九〇年)二月
頑なに上洛を拒む小田原北条氏の征伐のために秀吉は軍勢を起こした。
島津家は西南の果ての大名故に過酷な兵役は課せられず、また出陣する大将も龍伯、義弘ではなく又一郎久保に命じられた。
「愚息が太刀持ち役でございますか」
「殿下は又一郎殿を大変気に入られているご様子ですので、どうぞご尽力ください」
「承知いたしました。ありがたく拝命致します」
小田原出陣にあたり、又一郎久保は秀吉の太刀持ち役の栄誉を預かった。
石田治部少輔からの言伝に、これを迎えた龍伯も思わず笑顔になりそうなのを堪えながら有り難く拝命した。
その午後。
「又一郎よ、初陣にして太刀持ち役とは一大事であることはよく分かっているな」
「はい。関白殿下のおそばにあって日ノ本の名将の働きを見て学ぶに絶好の位置と心得ます」
十八歳とは思えぬ大器を思わせる言葉に、龍伯は満足気に頷く。
「先陣に非ず故、派手な武功をあげられぬだろうが、決して焦って猛るなよ」
「承知いたしました。ですが薩摩武士の矜持を披露する場があれば露命を惜しむべからず、と存じます」
龍伯は感心して内心、
(世が世なら、あるいは出生の地が京に近ければ秀吉や信長なんぞものともせず、天下を狙えたろうに……)
などとも思った。
しかし今は関白に仕える身である。
「うむ。無事に戻るよう祈っている」
「はい!」
元気よく返事をした久保を、家を挙げて盛り立てるために戦支度を始めた。
またその夜のこと。
薩摩屋敷内の離れに久保、亀寿夫婦の私邸があった。
褥に若き夫婦があって、手を握り合って身を寄せている。
「あなた様、お戻りになるのはいつ頃でしょう……」
「そうだな、戦場には一月もあれば到着すると聞いている。やはり相手あってのこと故、先々まではわからぬ」
「……寂しくなります……」
そう言って亀寿は久保の胸に埋める。
「俺もだ。だが義父上は京に残られる故、そう案じるな」
「あまりご無理をなさらず……、無事に帰ってきてくださいね」
「うむ」
久保は優しく亀寿の肩を抱くのだった。
天正十八年(一五九〇年)二月二十八日
この日、小田原へ向けて関白の軍勢が出陣した。
龍伯はその行軍を見送るべく粟田口とも称される三条橋の近くまで足を運んだ。
勇壮な関白軍の武者装束が粛々と打ち過ぎる中、ついに目の前に久保の一軍が現れる。
島津又一郎久保の軍は、騎兵十五騎、歩兵四百五十騎という小規模なものだった。
騎兵十五に列するは以下の通りである。
北郷三久、樺山久高、佐多忠増、伊勢貞昌、五代友慶、その子友泰、梅北国兼、平山忠続、曽木重松、福島忠辰、木村時益、川野通親、上床国寄、中野甚右衛門、他一名。
いずれも武勇に優れると言われた精鋭ばかりである。
十字紋を掲げるの旗、長槍隊、鉄砲隊、三列目ほどを凛々しい顔つきで進む久保を見て、龍伯もつい目頭が熱くなった。
贔屓目に見ても、島津の軍勢は豪華絢爛とは言い難いものだったが、質実剛健の通りいずれも劣らぬ迫力を感じた。
久保も馬上から大群衆の中から町民にまぎれた義父の姿を見つけて、少し驚き、力強く視線を交わして頷く。
「行ってまいります」
久保の初陣を見送った後も龍伯は機を見て陣旅の無事を祈祷した。
また三月十日には伊勢にも参宮するのだった。
秀吉の小田原征伐はいくつかの外城での戦いを重ねて七月に北条氏政が降伏することで決着した。
さらには最後まで抵抗していた奥州の伊達政宗は小田原征伐の折に白装束で走り入ったために秀吉に許された。
ここに応仁元年(一四六七年)より一二〇年以上に渡って続いた戦国時代は終わりを迎え、豊臣秀吉によって天下は一つに統べられた。
そして世の中は新たな時代へと移っていく。
なお、秀吉はその後宇都宮城まで趣き、久保もこれに従軍して太刀持ちを務め上げた。
久保が京に戻ったのは九月七日のことである。
翌日には戦勝を祝う秀吉の饗応があって盃を賜り、薩摩の屋敷に戻ったのはそれからだった。
「ただいま戻りました!」
京の薩摩屋敷に再び元気な声が響く。
「おかえりなさい、貴方様っ」
「ようよう戻ったな!」
軍勢が秀吉の号令の元で解散となり、久保は京の薩摩屋敷に帰り着いた。
屋敷では龍伯と亀寿が玄関先まで出迎え、七ヶ月ぶりの再会を喜んだ。
「山中城では大変だったようだな。関白殿からも文が届いたぞ」
「左様でございましたか!」
無邪気に喜ぶ久保に、龍伯は笑顔で労う。
「まずは風呂に入って戦の垢を落とすといい。それから武勲話を聞かせてくれ」
「はい!」
風呂からあがった久保は京の留守を預かっていた者たちを前に熱心に陣旅の話をするのだった。
「富士山とはそれは見事な山容でして、桜島とは大きさがまるで違いました、聞けば山頂まで登るのに一両日はかかると」
「そうであったか、一度目に触れる機会があればよいが」
「それから富士川という河に差し掛かった所で行軍が止まったので、一体何ごとかと前まで進み出た所、折からの雨で増水して渡るのに躊躇しておりました」
「ほう」
「そこで拙者が前まで進み出て、波立つところを選んで突き進んだ次第です」
「それは立派だった。それは太田道灌公の逸話だな?」
龍伯の問いに久保も笑顔で頷く。
室町末期の名将、太田道灌は扇谷上杉家の家臣で、勇猛でありながら和歌に通じるなど尊敬を集め、逸話も数多く残っている。
ある時、軍勢を進めるにあたり利根川を渡らなければいけなくなったが深さが分からない。
躊躇している所を太田道灌は波が立っているところを狙って渡りきって称賛された。
後になって道灌に聞けば、底の浅い川に波が立つ様を詠んだ古歌があって、それを参考にしたらしい。
和歌を好んだ龍伯もその逸話を知っていて、和歌は風流や心の慰みのためだけではなく、戦で働く武士の役に立つという話を久保にしたことがあった。
「それから山中城で戦がありました。それから関白殿下自ら指揮をなさって一夜城を築き上げ、しばしの睨み合いの末に小田原は開城した由にございます」
「そうかそうか、辛労であったな」
「また小田原は実に立派な町並みでした。川の水を上流から引き込んで水堀となすばかりか、それを飲水にしたり、田畑にも用いておりました」
「ほう」
「我が薩摩や大隅は稲作に向かない土地が多く、田畑をこしらえるのも難儀な地も多くございますので、あの水引の方法を学べばよいのかもしれません。人民の暮らしももっと楽になるかと存じます」
龍伯も久保の話に一々頷き、喜ぶ。
「この度の戦で関白殿下も大層お喜びになり、大いに褒められてございます。」
久保も又、そう言って下賜された扇などを披露するのだった。
その年の九月下旬には義弘も上洛し、龍伯と茶会を楽しんだ。
また龍伯も折を見て連歌会に参加するなど、一時の平穏を楽しむのだった。
龍伯が再び薩摩へ帰国することになったのは十二月になってからである。
また久保、亀寿の夫婦も帰国を許されて久しぶりに薩摩の地を踏むことになった。
若き夫婦に代わって大阪へ人質として預けられたのは又七郎豊久らである。
「……ッ」
「お父さま、大丈夫ですか」
「うむ……」
腹を抑えて苦しむ龍伯を気遣い、心配そうに亀寿が覗きこむ。
薩摩へ戻る船の中、龍伯はそれまで鳴りを潜めていた虫気に襲われた。
「よくないことでも起きなければよいのだが……」
日ノ本において豊臣秀吉に刃向かう者はなくなり、秀吉は真に天下人となった。
誰しもこの太平の世が永遠に続くと思った。
だがその翌年、再び日ノ本の大名に難題が振りかかることになる。




