第五十九話 泰平寺
川内川の辺りに、泰平寺という寺がある。
そのお白洲に薄汚れた茣蓙が敷かれていた。
黒衣の僧が一人、うつむきながら門をくぐり、砂利を鳴らさないように進み、座した。
そして額をこすりつける程に拝礼する。
その姿勢のまま待っていると、それからすぐ白洲に面した間に白髪の混じった男が入ってきた。
「おぬしが島津どのか」
わざとらしいほどに大きな声を上げて、眼下のお白洲に座する僧を見下ろした。
「……龍伯にございます」
額を茣蓙に向けたまま、静かに名乗った。
「出家したか、殊勝なことだあの」
満足そうな笑みを浮かべて縁側まで進み「是へ、是へ」と呼びかける。
「わしが関白じゃ」
その言葉に反応するように、龍伯と名乗った僧は額を一層茣蓙に近づけた。
「まあ、そうしんどい姿勢もせんでええで。面を見せえや」
下卑た声だ、と龍伯は思った。
ゆっくりと顔を上げ、太閤を見る。
「……」
「遠くまで大変な思いをしてご苦労なことだがね。まあ楽にしん」
龍伯はなんと醜悪な顔だろう、と思った。
身長は低く、痩せ細って頬が痩け、鼻髭がまばらに生えていた。
しかし着ている衣服は華美なものだった。
赤い襦袢に、金色の糸で模様を縫い合わせた白の上着、おおよそ仏寺に似つかわしくない綺羅びやかな衣服を身にまとっている。だが、その衣の下はおおよそ天下人らしくないと感じた。
溢れかえるような笑みを浮かべ縁側に座する天下人を一目見て、龍伯は再び面を下げた。
「腰元が寂しそうだがね。ほれ、これをやるでよ。ご苦労賃だで」
そう言って自らの腰から太刀と脇差、――備前包平、三条宗近を抜き、龍伯の目の前に差し出した。
龍伯は半腰を上げるとそれを恭しく受け取り、脇に置く。
「義久殿は……」
そう言って関白秀吉は顎から数本生えた髭をいたわるように撫で付け、龍伯を見下ろす。
剃ったばかりで青々と光るその頭頂に、秀吉は目を細めた。
「義久殿は随分と頑固なもんで、どえれえ苦労したわ」
ビクリと身体を震わせ、龍伯はまた深く頭を下げる。
「……この度は誠にご無礼仕りました。いかなる沙汰もお受けいたします」
「よい、よい」
秀吉はふぇふぇ、と妙な笑い声を上げて、扇子を懐から取り出す。
「鎌倉以来の家ともなると諸々面倒そうじゃの」
二度三度扇いで、膝をパシリ、と打つ。
「だが天下人の勝ちじゃ」
再び満面の笑みを浮かべて、扇子の先で龍伯を差した。
龍伯は一瞬顔を強張らせたが、茣蓙を見てそれを誤魔化そうとした。
「こうして急ぎ走り入ってきよったでよ、命までは取らんし、薩摩は義久殿に残すがな。あとはまあ、こちらでやるでよ、茶でも飲んどるとええがな」
「……!」
龍伯は思わず眉間に走った険しい素振りを悟られぬよう一段と茣蓙に頭を擦り付ける。
「まあそう気を張らんでええがな。これからは関白の下で働いてくれたらそれでええ」
そう言って、おい、と奥に声をかける。
すぐに奥から音もなく赤漆の酒器が運ばれてきた。
そして酒盃を龍伯の前に差し出す。
それを受け取り、注がれた酒を見て龍伯は一瞬躊躇した。
下戸だから、と言って断ってきた手前、酒の習慣から離れている。
しかしその様子を見た秀吉が笑う。
「毒なんぞ入れとらんがな」
そう言って手酌で同じ酒を注ぎ、一口で飲み干した。
「よき夢を見するがな」
また満面の笑みを浮かべて龍伯を見やり、また龍伯も心を決めて酒盃に口を付ける。
「どうだ」
「……美味しゅうございます」
「まあこれまでのことは水に流して、天下のために働いてくれや」
それからしばらくの間、島津家のこと、これまでの秀吉の働き、武功話について語らった。
その時義久は秀吉が右手をしきりに袖の下に隠している事に気がついた。
(腕にひどい傷でもあるのか?)
内心首をかしげたが、ふとした弾みで秀吉の右手を見た。
「!」
見間違いか、とも思ったがどうも確からしい。
(太指がもう一本あった……?)
龍伯は動揺する心の内を懸命に鎮めながら秀吉の話に相槌を打つしかなかった。
秀吉の右手は親指が二本ある多指症であったと言う。多指症は珍しかったが、一般的に知られている症状ではあった。その対処として幼いころに切り落とすのが普通だったとも言う。
龍伯はそれを口にすることはなかったが、また忘れることもできなかった。
「おう、そう言えば御伴の連中らも入るとええがな」
またこの時、泰平寺まで同行していた者らも秀吉に面通しを許されて招かれた。
秀吉の下知で続々と龍伯の後ろに並ぶ剃髪姿。
喜入弓宅(季久入道)、町田存松(久倍入道)、伊集院抱節(久治入道)。
次に島津紹璞(忠長入道)、先に秀長と講和していた伊集院幸侃(忠棟入道)、本田三省(親貞入道)ら。
続いて阿多盛淳、龍伯右筆の八木越後守昌信等々。
「揃いも揃って、ようよう眩しいがな」
秀吉も流石に呆れたような表情を見せた。
「今度は大阪に来てもらうでよ、準備しとくとええがの」
「承知仕りました」
龍伯が再び頭を下げて、退座する関白秀吉を見送った。
天正十五年(一五八七年)五月八日
川内川の泰平寺にて龍伯は関白秀吉との謁見した。
また愛娘の亀寿を人質として差し出して、これ以上刃向かう意志がないことを示した。
もちろんここに至るまで混乱が続いた。四月二十一日に降伏を決断した義久は、先ず、なおも下城せず頑強に抵抗を続ける高城の山田有信、飯野城の義珍、都之城の北郷時久に降伏を勧める書状を送った。
高城。
山田有信は島津家の急使を迎え入れて、義久の書状を受け取った。
「御屋形様が……降伏……」
「はい、これ以上の抵抗は無用。自決もならず、と」
「……」
山田有信は人目をはばかることなく悔し涙を流し、遠くを見つめる。
(御屋形様も、ここに至るまで散々苦労なされたろうに)
頬を拭うと、力なくうなだれた。
「承知仕った。下城いたす」
飯野城。
義久の書状をひと目見て、身体を震わせて畳の縁を見つめた。
「降伏……」
その横には武者装束の宰相もいた。
「……」
その目には既に大粒の涙がこぼれ落ちようとしている。
宰相もこれまで愛する夫、多くの将兵が悲鳴を上げながらも信念を胸に抱いて戦い続ける姿を見てきた。
(武士とはなんと哀れな生き方か)
宰相はかつての立場を思い出しながら、慰めるように涙を堪える夫の手を取った。
義珍も愛する妻を見やり、その香を嗅ぐように抱き寄せる。
「私はいつまでも、どこまでも貴方様と一緒です」
「兄上が決断されたのだ、それに従うのみ……」
義珍は宰相の胸の中で咽び泣いた。
秀吉率いる関白軍十万の兵が肥後口を南進し、薩摩国に入って川内に到着したのは四月二十五日のことだった。
そして川内泰平寺を島津平定の本陣とした。
その目の前には平佐城という城がある。
本陣泰平寺からは南の川内川を挟んで僅か三キロの位置である。
平佐城は将兵三十、領民あがりの雑兵二百五十余りを引き入れて籠城し、なおも抵抗を続けていた。
城主は、桂忠詮。
秀吉軍から逃れて二十三日に帰城し、すぐさま籠城支度をさせた。
出水、東郷、続々と開城したことを告げる報せに、憤慨して拳を振り上げる。
「大勢決したりと言えども、城を預かる身として一戦交えないまま降りるわけにはいかぬ!」
――地頭はお主に任せる。一所懸命の志で頼むぞ。
桂忠詮が義久に平佐の地頭を命じられた時に懸けられた言葉を思い出していた。
秀吉軍迫るの報せに渋谷一族の入来院氏からも差し向けられた援軍を受け容れ、平佐城は気勢を上げる。
「矢弾ある内はこれをひたすら打ち放ち、尽きれば刀を掲げて敵軍に突撃しよう! 後世に名を残そうではないか!」
「おう!」
その眼下の川内川には日夜問わず大船小舟が隙間なく敷き詰められていた。
四月二十八日には平佐城攻城戦が始まり、関白軍七千余りの兵が五つある登城口を攻め上がり、激しい攻防戦が繰り広げられた。
この平佐城攻めにおける関白方の大将は九鬼大隅守嘉隆、小西摂津守行長、脇坂中務少輔安治らが務めている。
激しく抵抗を続けること一日、その桂忠詮の元に義久の書状が届いた。
「……降……伏……」
『桂の忠節に感謝する。しかし当家は降伏することにした。和睦の条件が悪くなるため、これ以上の抵抗は無用と心得えてほしい』
書状を読み、是非もなく。
桂忠詮は板床を拳で打ち付けて悔しがり、下城を決意した。
また桂忠詮の気概に秀吉は感服して脇差を一腰送った。
それから義久は伊集院の母の墓がある雪窓院で同行の者たちと共に剃髪し、泰平寺に駆けつけたのであった。
また都之城の北郷時久も降伏の姿勢を見せるのが遅れ、秀吉からは遅参したことに怒りを買ったが、忠虎らを人質として差し出して許しを得て一先ず平穏を取り戻そうとしていた。
しかしそれでも大口城の新納忠元、そして宮之城・虎居城の歳久は、堅く門を閉ざして降伏の意思を示していなかったのである。
同年五月十八日
義久との謁見を済ませた秀吉は、一通り辺りが静けさを取り戻したのを確認して、泰平寺を発った。
そして川内川に沿って上流に進軍する。
その目的は上にあげた降伏の意思を示していない城の処置だった。
「どえれえ険しい所だ」
秀吉はため息を付いて、揺れる駕籠から顔を覗かせて長閑な薩摩の山道を進む。
「申し上げました通り、川内川は川幅広く流れも緩やかですが、進むには急坂を幾重も超えなければなりませぬ。舟にいたしましょうか」
秀吉の横には伊集院幸侃が道案内役として付き従っていた。
「このままでええがね。天下人たる者、そこに暮らす民草の苦労も知らんといかんでよ」
笑って秀吉は額の汗を拭った。
往く先々の城は下城したことを伝え、平伏して出迎え、秀吉も満足して打ち過ぎていく。
そして宮之城の虎居城の前に到着した。
秀吉はすぐ近くの山崎城に本陣を張り、虎居城からの降伏の報せを待った。
しかし謁見に来ないばかりか、様子を窺いに向かった秀吉の旗本が反撃されて討たれる始末である。
苛々を募らせる関白の表情を察した幸侃が慌てて自ら虎居城に出向き、説得した。
「歳久殿の使いと称する者が参っております」
「使い? 歳久どのではないんかや」
秀吉は怪訝そうな顔でそれを聞いた。
「まあ会ってやるがな」
秀吉は眼下に平伏した禿頭の武者を一見して、不機嫌そうに尋ねる。
「なんだ、歳久どのは会えんと言うか」
「畏れながら、歳久公は恥ずかしくも病を患い、身体を動かせぬ身に成り果てておりまする。病を伝染すわけにも参りませぬ故、どうか拙者の首にてご容赦頂きたく……」
「関白は首など欲しておらんがな」
幸侃は虎居城の者達と秀吉に平伏して詫び、また秀吉も不快な表情のまま二日間の滞在を終えて宮之城の地を発った。
島津家総大将が既に降伏しているので一先ず黙認とした。
虎居城。
ふすまの向こうから将の声が届く。
「殿、関白様が発ったようです。真によろしいのですか」
「……よい。これでよいのだ」
歳久は寝床に付いたまま、天井を睨みつける。
動かない左半身に代わって抜身の刀を右手に持ち、拳を震わせていた。
寝所に戦で使う陣幕を張り、その傍らには大鎧一式がいつでも着用できるように備えてあった。
病身と言っても全く動かせないわけではない。移すような病でもない。
手を借りて関白の前に平伏すれば、大いに感動なさるだろう、とは思った。
だがそんな真似は誇りにかけてできなかったし、なにより――
(我が大計は今こそ謀り巡らされ、成就するは間もなくよ……)
歳久は不敵な笑みを浮かべて、天井に突き刺した矢を睨みつける。
矢尻の先は「関白」と書き記した紙を捉えていた。
なお、歳久もこの時剃髪して、晴蓑と名を改めている。
そして宮之城から北東の鶴田に向かう秀吉の行軍に事件が起きる。
鶴田へ向かうというので、虎居城の者が道案内役を買って出てきた。
しかし比較的緩やかな川沿いではなく、鶴田に直線的に向かう弥三郎ケ丘と呼ぶ険しい山道に分け入って案内した。
その途中、秀吉の駕籠に矢が六本、山野から矢継ぎ早に放たれたのだ。
三本はかすめて外れ、二本は屋根に、一本は戸を貫いて駕籠床に刺さった。
「不届き者!!」
騒然となる一団。濃口を切る音が見えぬ姿を追う。
しかし如何に耳を澄まそうとも鳥の鳴き声が返ってくるばかりである。
「真、薩摩武士の豪気なことよ」
行列の中ほど、下人の姿をした秀吉が空駕籠を見つめて身を震わした。
それは歳久家臣の本田四郎左衛門という者が射放ったという話だったが、別の者曰く武蔵守忠元の差金だったとも言う。
同年五月二十六日
祁答院を発った秀吉の一軍は、さらに進んで鶴田に到着した。
そして歳久の側室が住まう梅君ヶ城に入城した所で真幸院飯野城から駆けつけた義珍と謁見する。
供廻もおらずただ一人であった。
「島津兵庫頭義珍にございます」
これも剃髪して平伏する姿に、秀吉は破顔して招き入れる。
「おうおう、よう来た、よう来た。近う、近う」
秀吉は手を叩いて歓ぶ。
「お主が島津の武庫殿か。いや、お主の武勇はここに来るまでどえれえ評判だったがね」
「お、畏れ入ります……」
義珍は頭を下げたまま、秀吉の足元まで滑り寄る。
「伊東、大友、立花、龍造寺、秋月……。口々に言うわ騒ぐわ」
秀吉はふぇふぇ、と笑ってから扇子を義珍に扇ぐ。
「島津に鬼あり。冠、兵庫。
げに恐ろしき戦神。
ひとつ睨めば戦気も失せる。
其は天下無双の弓取りか」
まるで小唄を歌うように褒めそやす秀吉に、義珍は恐縮するばかりである。
「上杉謙信公、武田信玄公、戦国随一と評判だった戦上手と是非競わせてみたかったものよ」
「滅相もございませぬ」
再び義珍は平伏して、恐縮する。
「これから関白のために武を奮うとええがな」
「……はっ」
義珍は一瞬表情を曇らせて頭を垂れた。
秀吉はその表情を見逃さなかったのだろう。一言付け加える。
「尤も、天下静謐ともなれば奮う場はないかもしれんな」
人たらしの秀吉。
それは後の世の評価である。
しかし確かに秀吉の人たらしの才能は抜きん出ていた。
それは短気で激情的な怒りを見せることもあった織田信長の勘気を被らないように。
また或いは農民の出でありながら、武士の嫉妬に身を焼かれないように、どうすれば立身出世できるか考えた結果、身につけた処世術。
人が望むことを見抜き、どうすれば喜ばすことができるか、秀吉はそれを考え、実行できる天才的な才能を有していた。
そして今、鬼島津の名で畏れられる義珍が、戦神という評判とは裏腹に心優しい性根をしており、誇り高い者だということをこの僅かなやり取りで見抜いていた。
また祖父に倣って人を疑うことを避ける義珍も、その人たらしの才に絡め取られていくことになる。
「お主に坊主頭は似合わんで。出家は認めんでよ。伸ばせ伸ばせ」
「は、はあ……」
秀吉は剽げるように自分の頭にくるくると手をかざして回し、義珍は思わず恥ずかしそうにうつむく。
「義珍殿の名は、将軍殿の偏諱かね」
「慧眼にございます」
「天下は変わったでよ。もう義理は果たしたろうから、変えればええがな」
「……仰せのままに」
以来、義珍は諱を義弘と改めることになる。
その日のうちに出立した秀吉の一軍は、大口の曽木を目指した。
そして夕刻前に曽木の天堂ヶ尾と呼ばれる地に野営を張った。
そこから北に山を下りて約三キロ歩けば、高さ十二メートル、川幅二百十メートルの大瀑布、曽木の滝がある。
そしてそこからさらに北へ進むと、大口城。
武蔵守忠元が守る大口城は三州島津家において最後まで抵抗した城だった。
包囲する細川幽斎、その嫡子忠興の軍を見て、忠元は米一俵を送りつける。
『長陣で兵糧も絶えて大変苦労していると見受けられる。どうぞこれを召し上がって力をつけて、存分に攻めかかるといい』
わざわざ言伝まで着けて挑発する忠元に、細川幽斎は大いに感じ入り、それを秀吉にも報告した。
またその話を聞いた秀吉は決して攻めかけないように厳命した。
しかし頑強に抵抗する忠元に下城命令の書状が届く。
義久と、さらには義珍からだった。
『忠元の忠勤は何者にも代えがたい比類なきものである。しかし亀寿、又一郎久保を既に人質として差し出し領地安堵を計ろうとしている。これ以上の抵抗は無用』
書状を読んだ忠元は年甲斐もなく地団駄を踏んで泣きはらし、渋々大口城を下城。
その後、成就寺に入って剃髪して拙斎と改名した。
天堂ヶ尾の本陣。
そこに剃髪して頭を丸めた新納忠元入道が現れた。
「おう、よう来たな。遠いところまで大義であったな」
秀吉は満足気な笑みを浮かべて、忠元を招き入れる。
「お主が鬼武蔵殿か。いや、お主の武勇はここに来るまでどえれえ評判だったがね」
「畏れ入ります」
忠元は頭を下げたまま身動ぎ(みじろぎ)一つしない。
その様子を細川幽斎他、秀吉旗下の多くの将が見守っている。
「武蔵殿は随分と槍働きが盛んで、なんでも武功競いの話をすると最初に指折りするから『太指殿』とか呼ばれるらしいではないか」
「……」
硬い表情のまま忠元は唇を噛み締めていた。
その様子を見て秀吉は不敵な笑みを浮かべる。
「お主はまだ戦う気かね」
「……主が戦うと言うのであれば、いつ何時でも場所を選ばず立ちまする」
「ほう」
秀吉の目が鋭く光り、それを見ていた将たちにも「一体何を言い出すのか」「まだ言うか」と気色ばむ者もいた。
それを構わないかのように忠元の言葉が静かに続く。
「しかしこの度、主は和睦いたしました。我が主・義久は表裏ございませんので絶対に裏切ることはございませぬ。故に拙者も裏切ることはないでしょう」
「ふ……」
秀吉は笑いを堪らえようともせず、大声で笑う。
「気に入った! 島津の武蔵殿は真に立派な武士だがな! ええがね、ええがね! 実に気に入った! のう!」
秀吉から同意を求められて、周りの者達もぎこちない笑い声を上げる。
「武蔵殿よ、どうだ。わしの直臣にならんか。禄五万石でどうだ」
秀吉の突拍子もない申し出に、周りの将たちも色めきだって目を見開き、ざわつく。一介の武士に旗本五万石はまさに破格の対応。いわゆる大名である。
しかし忠元は厳しい顔をしたまま顔を伏せる。
「恐れながら、老臣には身に重すぎます」
予想通り、堅く固辞する忠元に秀吉はますます目を細めて腕を組む。
「惜しいのう。お主のような真の武士こそ、儂の側に居てほしいものだが……」
その時の秀吉の脳裏には、本多忠勝の姿が思い浮かんでいた。
徳川家康に過ぎたるものと揶揄された将は、小牧・長久手の戦にあって秀吉の大軍の前にわずか五百の兵で立ち塞がり、気迫のみで追い返した猛将である。
常に徳川家康の傍にあって、支えてきた忠臣だった。
秀吉にはそう言った忠節を尽くす将がいなかった。
もちろん賤ヶ岳七本槍に代表される加藤清正、福島正則のような気骨あふれる子飼いの将はいた。
しかし本多忠勝然り、そして目の前の老将、新納忠元然り、存在しているだけで心強さを感じる同年以上の武士となるとなかなかいない。
そしてもう一つ単純な理由の一つとして、自分と同じくらいの身長の武蔵守忠元が気に入った。
だからこそ鬼武蔵を欲した。
「ふーむ。ではお主がわしに仕えんなら島津の家は取り潰す、としたら何とするかや」
「!?」
忠元の顔が一瞬にして赤らみ、秀吉を睨みつける。
「……然らば……」
僅かに半腰を上げた忠元を見て、周囲の視線が戸惑いながらも関白と老将の間に漂う緊迫のやり取りを見守る。
「然らば、ここで貴方を斬り捨て、拙者も腹を切ります」
「調子に乗るな! 口が過ぎるぞ!」
ざわめく諸将から、思わず口を挟んだのは脇坂安治だった。
しかしそれらを秀吉は余裕の笑みを浮かべて、無言で征するように手をかざす。
「ますます気に入ったがや、新納武蔵守殿。お主の名は忘れん」
そう言って秀吉は後ろを仰ぎ見て、太刀持ちの小姓を手招きする。
そしてその太刀を掴みとると忠元に差し出した。
「よき語らいとなったわ。これは褒美だら。受け取るとええがね」
忠元も、そして周りの者たちもその所作に目を剥いた。
太刀を下賜されるのに決まった作法があるわけではないが、大体は鞘を掴んで真横に差し出すものである。
しかしこの時、鞘の先端を掴んで、柄を忠元に向けた。
(これは……)
忠元はにわかに高鳴る胸を感じながら、それを見つめる。
――やれるものならやってみろ。
秀吉の無言の圧力。
相手は鎧を脱いだ着物姿。
柄を手にとって抜き払えば、周りが止める隙も与えずに、一撃で斬り臥せることができる。
忠元は自然と荒くなった呼吸を懸命に鎮めて、鞘の部分まで手を伸ばして太刀を賜った。
それから宴となって、忠元は羽織を賜り、酒盃に波々と酒を注がれた。
その時、鼻の下に伸びた白髭が酒に付いてしまう、と思った忠元は、右手の人差し指で髭を持ち上げ、盃を左手に持って口を付けた。
その様子を面白がって、細川幽斎が思わず口にする。
「鼻に松虫でも住んでおるのか」
鼻のあたりを まつむしぞ鳴く
と笑って詠んだ。
そして盃を傾けて一気に飲み干した忠元も笑い、上の句を加える。
上髭を ちんちろりんと ひねりあげ
豪胆さばかりではなく、当意即妙の尊答を披露する才覚あふれる名将に、その場に居合わせた将は大いに感心し、薩摩武士の意地を貫き通した鬼武蔵の名は広く知れ渡ることになる。
この日、忠元が降伏したことで一通り三州の地は秀吉に臣従したことになった。
大口城に戻った忠元に臣下の若者から
「世の天下人とはいかなる方でしたか」
と問われ忠元は
「……豪胆さ極まり。さすがは天下人よ。肝が冷えたわ」
と言って身震いをした。
また、大口城へ帰る忠元を見送ったその夜、脇坂安治が秀吉の行動に眉をひそめた。
「どうかああいう危ないことは二度とおやめください」
忠元への太刀を渡し方についてである。
だが秀吉は「わかったわかった」と笑ってそれを退けた。
天下人にもなると器量の大きさを魅せつける必要もあると考え、内心、
(本当にここで斬られたらどうしよう)
などと考えて恐れていたことなど、悟られるわけにはいかないのである。
またその翌日、秀吉に「曽木の滝見物をするから」と言われて忠元が呼びだされた。
「昨夜はなかなか面白いものを見せてもらったがね。ついでに近くにあるとかいう名瀑を案内してくれんかや」
「畏まりました」
忠元は表情を変えることなく、頭を垂れ内心ほくそ笑む。
「曽木の瀑布は観音淵からが見事ですので、そちらに参りましょうか」
そう言って天堂ヶ尾の野営本陣から曽木の滝まで案内した。
やはり千載一遇の機会を逃したことを後悔した忠元は、隙あらば関白を突き落として殺してやろう、と思いついたのだ。
しかし秀吉はそれを知ってか知らずか、滝が見える距離になって忠元の袖を掴む。
「ひゃあ! これは見事なもんだで!」
折からの梅雨空、水量を増した大瀑布の前に、秀吉は子供のように喜んだ。
そして観音淵から覗き見て
「おっかない、おっかないわ!」
と無邪気に笑って忠元の袖を掴んで決して離さそうとしなかったのである。
(やはり敵わん……)
大口を去る関白の行軍を、忠元は肩を落として見送る。
新納武蔵守忠元入道して拙斎、六十二歳。
自身も次男忠増を人質として差し出した。失意の敗戦処理だった。
こうして秀吉の九州下向の旅は終わった。
島津家は関白秀吉の旗下に組み込まれ、新たな処世を求められる事になる。
島津龍伯(義久入道)五十五歳。 義弘五十三歳。 歳久五十一歳。 家久四十一歳のことであった。
しかし程なくして島津家に激震が走る。
天正十五年(一五六七年)六月五日
島津中務大輔家久、死去。




