第五話 菊三郎の誕生
飫肥で別れと新たな生命の芽生えがあって、物語の舞台は薩摩国伊作の地にある亀丸城に移る。
夜も遅く、西の丸の外れに建てられた産屋を前に一人の男が落ち着かない様子でいた。
その足元には産屋の近くで舞い散った桜の木の花びらが巻き上がる。
産気づいて苦しむ妻を前に
「俺も手伝おうか」
などと口走ったために、産婆からは身分も憚らずこっぴどく叱られ、常盤からは苦笑された。
伊作島津家九代の当主を継いだ島津又四郎善久その人である。
「殿、どうか落ち着き下され」
「いや。俺は十分落ち着いている」
そう言って扇子をパチリパチリと開いては閉じ、開いては閉じ、ひと扇ぎしては所在無げに懐にしまう。
「どこが」
と臣下の将が苦笑しながら呟いた。
さすがの善久も気疲れしたのか、バツが悪そうに咳払いを一つして産屋に近い館の縁側に板を軋ませて座る。
そして腕を組むと気を落ち着かせるように目を閉じた。
さらに一刻ほどの時間が過ぎて、東の空が白み始める頃、しんと静まった薄闇に赤子の泣き声が響き渡った。
その声は浅い眠りに意識を囚われていた善久を叩き起こすには十分で、我が子が産まれたことを知るや、涼やかないつもの顔には笑顔が弾けた。
しばらくして産屋から産婆が出てきて、善久に駆け寄る。
「お殿さま、なんとも可愛らしい女子にございますよ。奥方さまもお疲れではございますが、大事ございません」
「そうか、そうか」
ご苦労であった、と産婆を労い産屋に飛び込んだ善久を、赤子を抱いた常盤が上体を起こして出迎えた。
「身体を起こしても大丈夫なのか」
「ええ、こちらの方が楽です。それよりもあなた、可愛いややこにございますよ」
「おお」
そう言っておっかなびっくり赤子の頭をそっと撫でる。
「なんとも、こう……」
猿みたいじゃ、と言いそうになって、善久は言葉を飲み込んだ。
それを察したのか、常盤はクスクスと微笑む。
赤子を産んで汗ばんだ常盤には、妖艶な美しさも垣間見えたが、善久の目には赤子を守る母の顔になったように見えて、頼もしくなった、と顔を綻ばせた。
「見よ、俺を掴んで離さんぞ」
善久の指を赤子の小さな手でしっかりと掴まえて離さない姿を夫婦は愛おしそうに見つめ、常盤はそっとつぶやいた。
「次は、男子でございますね」
「なんと気の早い」
善久は思わず常盤の強さに笑って、優しく肩を抱いた。
それから伊作家は大きな争いに巻き込まれることもなく、二年の月日が立った。
善久と常盤の間にも二番めの子が産まれたが、これも女子だった。
もちろん誕生の報せに善久も歓びに沸いたし、男子ではなかったことを気にする素振りすら見せなかった。
だが、常盤は赤子を優しく抱きながら
「次こそは男子を……」
すなわち伊作家の跡目を継ぐ嫡男を産まねば、と決意を新たにさせた。
そして元号が明応と変わって、常盤は三度懐妊した。
それから桜が咲く頃、体調が安定しだした常盤は、善久に願いでた。
「なんと、金峯山に?」
「はい」
少しだけ膨らみつつあるお腹を抑えて常盤は微笑む。
「頂の近くに蔵王権現を祀る社があると聞いております。ややこを授かった御礼詣にでもと思いまして」
金峯山は亀丸城がある伊作より三キロほど南にある霊山である。
古くから山岳信仰の場であり、修験道の拠点としても栄えた場所であった。
美人が空を見上げた横顔にも見える、と地元の住民に親しまれており、美人岳という別名もあった。
しかし、善久は常盤は御礼詣と言いつつ、男子が産まれるよう祈願に行くのだろう、と分かっていた。
そしてまた、一度決めたことは何としても行動に移す強さもあることもよく分かっていた。
「最近、薩州殿にどうにも不穏な動きがあるとの情報もある。護衛もつけるが、十分に気をつけるのだぞ」
「はい、ありがとうございます!」
常盤はニコリと笑い、決意を秘めて頭を深々と下げた。
そして数日後、金峯山の山頂にある寺にほど近い、修験道の宿舎で常盤は一泊した。
丑三つ時を過ぎてから松明で足元を照らしながら金峯山に登り、社殿で祈祷し、朝を迎えた。
朝の祈祷を終え、常盤は社殿から外に出て、ふと振り返る。
陽の光がまだらに漏れる雲だったが、金峯山の山頂を包む澄んだ空気はどこか人ならざるものを感じる不思議なものだった。
その光景を見た常盤は、なるほど霊験あらかたと信仰を集めるのもよく分かる、と妙に納得し、合掌して社殿に拝んだ。
その時だった。
雲の切れ目から陽の光が一筋漏れ、常盤を照らした。
思わず陽を避けるように手をかざした時には光がまた隠れた。
しかし再び常盤のお腹あたりに光が照らされたのだ。
山頂の寒い空気に、暖かな陽の光に照らされ、お腹を蹴られたような錯覚に襲われた常盤は
「これは男子だ」
と確信すると再び社殿に手を合わせて、喜びに溢れて跳ねるように伊作に戻ったのだった。
そして時は明応元年(一四九二年)九月二十三日。
伊作島津家に待望の男子が誕生した。
善久は飛びあがらんばかりに歓び、大役を果たした常盤も安堵の表情を浮かべた。
善久臣下の将たちも、男子誕生の報せを受けて我が子のように祝う宴が何日となく開かれた。
この年、善久二十五歳、常盤二十一歳。
菊三郎、と名付けられたその子は、大病を患うことなく、すくすくと育った。
若き夫婦は嫡男と二人の女子に囲まれて、幸せの絶頂期にあった。
しかし、菊三郎が三歳になる明応三年(一四九四年)、その幸せはあまりにもあっけなく、思いがけない形で終わりを迎える。
明応三年(一四九四年)
伊作善久、刺される。
善久は馬に乗って領地を見まわることを日課としていた。
聞くところによれば、馬の手入れが十分になされていなかった事を理由に馬丁を叱りつけ、これを不服とした馬丁と口論になった。
その際に頭に血が上った馬丁が短刀で善久を刺したと言う。
善久が刺された、という知らせを受けて常盤は顔を曇らせ、高鳴る胸を落ち着けようと必死に深呼吸を繰り返した。
しかし早鐘のように響く心臓は一向に収まる気配はなく、それからすぐ後に死が告げられると、常盤は人目も気にすることなく、大声で泣き伏した。
「なぜですか! なぜこのような……!」
しかし常磐の問いに答えられる者など誰一人としていなかった。
「あなたさま! あなたさま……! ああ……」
父が死んだ時には気丈にも涙を見せなかった常盤も、冷たくなった愛する夫を前に、大粒の涙を流して泣き叫んだ。
女中たちもまた、常磐の慟哭を慰めることなどできなかった。
長女と次女、そして菊三郎が「母さま、母さま」と戸惑いながら口々に母の背を擦る。
しかし常盤はその手を握って再び泣きはらし、それに釣られるように子どもたちもポロポロと涙をこぼすのだった。
当主の突然の死に伊作領が深い悲しみに包まれて幾数日。
葬儀を済ませ、喪が明けた常盤は涙を流すことをやめた。そして悲壮な決意を胸に秘めて、再び立ち上がる。
「この子を立派な伊作の跡継ぎにしてみせる」
そう言って菊三郎の手を強く握るのだった。
この頃、島津宗家は変わらず十一代忠昌の治世だったが、各地で謀叛が相次いではその鎮圧に追われていた。
大隅の肝付氏とは比較的友好な関係にあったが、日向の伊東氏は久逸の叛乱以降も度々飫肥へ侵攻を繰り返していた。
また、いくつかある島津分家の中でも、鹿児島の南、谷山を本拠に置く薩州島津家が出水など多く領地を抱えたことで力をつけており、宗家を乗っ取る勢いではないか、と噂になっていた。
また一方では薩摩国北部に拠点を持つ渋谷一族が島津家と度々領地争いを繰り返しており、薩摩、大隅、日向の三州守護とは名ばかりの時代でもあった。
世の荒波が、主を失った伊作島津家を容赦なく押し流そうとしている。
そんな中、母・常盤の戦国が始まろうとしていた。