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戦国島津史伝  作者: 貴塚木ノ実
九州平定
58/82

第五十七話  二十万襲来

 天正十四年(一五八六年)十二月

 島津軍が府内館に入城したことで大友家を追放し、豊後国を手中に治めた。

 とは言いつつも、実情としては義珍が苦戦した豊後竹田の岡城、そこから北上した玖珠郡や日田、なお抵抗を続ける大友家臣が残っている。

 また国東くにさき半島の一帯は手付かずであるなど、完全に掌握したわけではなかった。


 それからしばらくの間はそれらの制圧にかかりきりとなって、薩摩から遠く豊後の地で年越しを迎えることになった。

 義久は日向塩見城、義珍は玖珠、歳久は白丹しらに城、家久は府内館、といった具合である。



 一方でこの頃、中央からしきりに関白へ降伏することを勧める書状が届いていた。

 その書状は兵庫頭宛義珍、左衛門督歳久、中務大輔家久、喜入摂津守季久、伊集院右衛門大夫忠棟、そして修理大夫義久宛に届いている。

 その差出人は足利幕府最後の将軍、義昭だった。


「将軍殿はついに関白を認められたか、それとも関白に脅されたか」


 義久は苦笑しながら書状に一瞥をくれて脇に置いた。

 また書状を受け取った諸将も義久にこれを預けて判断を一任した。




 天正十五年(一五八七年)一月

 いよいよ、島津家にとって激動の年が始まる。



 義久の元に一つの報せが届いた。


 ――徳川家康上洛。羽柴秀吉に臣従。


 どうやら十月末に大阪城に上洛した徳川家康は、秀吉に臣従の姿勢を見せたらしい。


(ついに本軍も動くか……)


 義久は日向塩見城に在って、ゆっくりと息を吐いてこれからのことを考えた。

 家臣には看経する、と言って一人経を読む素振りをしていたが全く頭に入ってこない。


(弟たちは、家臣団は、なおも抵抗するべし、と言い張るだろうか。それとも頭を下げるべし、と言うだろうか……。

 ……なんにせよ、最後は自らが決断しなければいけない。

 これまで命を賭して戦ってきた者たちが、そして犠牲になってきた多くの霊たちが納得するように……)


 その答えなぞすぐに出るわけがなかった。


(これは鎌倉以来の名家の意地、武家の誇りを賭けた戦い。

 前線では弟たちが関白の軍勢を待ち構えている。

 今すぐここで「和睦するから兵を引け」と言って大人しく引き下がるわけがない。

 いや、指示には従うだろうが、大いに遺恨を越して、その後どうなるか分からない。

 そうなると和睦したとしても安堵した地を失うだろう)


 義久は再びゆっくりと息を吐く。

 表紙だけ開けて結局看なかった経を閉じ、己の不徳を深く詫びて、看経の間を後にした。



 豊後にいた弟の元に、義久からの指示書が届いたのはそれからすぐのことである。


『関白二十万の軍勢が迫ることが予想される。その対応策について話し合い、その結果を報告すること』


 それは義珍、歳久、家久にだけ届けられた。




 同年二月上旬、府内館。

 立春を迎えてなお肌寒さが残る豊後の地に、兄弟は密かに集まった。

 太守の意向を受けて善後策を話し合うためである。


 上座には太守が座る前提なので空座。

 右に義珍、左に歳久、下座に家久、といつもの席次である。


 最初に切り出したのは義珍だった。


「……兄上が言う、関白軍に対する対応だが」

「二十万の軍勢に勝機があるやなしや、という所でしょうな」


 歳久は冷静に義久が真に問いたい要点をつく。


「勝敗に数は関係ありませぬ」

「同様だ」


 即答する家久と、それに続く義珍。


「では勝機あると? 決戦の地はどこで? どのような策を用いて?」

「豊後は不慣れなので日向、肥後まで戻り、大人数を活かせない地まで誘い込みます」


 家久は自信ありげに答える。


「肥後日向まで戻るというが、島津が逃げおうせると見てそのまま豊後勢が呑気に見送ると思うか?」

「それは……殿軍は当然用意します」

「誰に任せる? 殿しんがりに割く人数は?」


 歳久の態度に少し苛ついた義珍が睨みつけるように視線を送る。


「又六郎、お主はどうなのだ。先程から問うてばかりだが」


 歳久は腕組みして、厳しい顔で答える。


「……拙者は、今すぐにでも降りて先日の国分に従うも一理あると存じます」

「やっせん! 勝機はないと申すか! 随分と弱々しいな又六郎!」


『やっせん』とは『役せぬ』から転じた薩摩訛りで役に立たない、という意味である。戦う前から弱腰になる者や、勝たなければいけない戦で負けた敗者に対する侮蔑の言葉でもある。

 義珍はいつもの柔和な顔を歪ませ、顔を赤らめた。


「聞けばこの豊後攻めをいの一番に進言したのはお主という話だったが」

「そうです。いつもの兄上らしくない」


 家久も不満気に口を挟む。

 しかし歳久は最初の厳しい表情からなお変わらない。


「……我らはこれまで前へ前へと進んできた。二十万を相手にすると言って一度下がれば、ただひたすらに下がり続けるのみ。その先は長崎鼻だか佐多岬だかの海の底だ」


 長崎鼻は薩摩半島の南端、佐多岬は大隅半島の南端である。


「それとも種子島か奄美に逃れて島津の名を残すかね?」

「だからこそ、一度肥後と日向に分かれて我らの地で迎え撃つというのです!」


 家久もつい声を荒げて、慌てて申し訳ございません、と付け加えた。


「兄上も迎え撃つは肥後か日向と?」

「そうだ」


 問われて義珍も頷く。


「豊後は不届き者も多いからここで迎え撃っても孤立する。ならば背中を預けるに相応しい地で一撃を食らわす。肥後は熊本城、日向は門川か、高城辺りはどうか」

「それはいいですね」


 力強く微笑み頷く家久と義珍を見やり、歳久は呟くように口を開く。


「……兄上は初陣のことを覚えておいでか」

「忘れようもない。梅岳じいさまの心得は今もしかと根付いておる」

「では日向と肥後に勝負所がある、と」

「勝負所を作ってみせるのだ」


 義珍は不敵な笑みを浮かべた。

 なおも歳久は腕を組み、床の一点をじっと見つめる。


「……相分かり申した」


 覚悟を決めたように義珍、次いで家久を見つめた。


「この生命を御家に捧げます」

「最初から俺もそのつもりです」

「島津が誇りを賭けて、決して天下に屈することなんぞない」


 歳久のその言葉をどう受け止めたか。

 義珍もうなずき、家久もそれに続いた。



 話し合った策について日向塩見城に密書を送った後、引き続き豊後領内の制圧を進め、豊前、筑前への侵攻を狙いながら関白軍の動きに備えた。

 もちろん二十万の軍勢が来る可能性があるというだけで、まだ報せがなかったからだ。



 しかし府内館の家久の元に一つの報せが届く。


「兄上が!?」


 義珍の急な報せに家久は思わず腰を浮かしかけた。


「はい、三月に入ってから半身が既に動かず、右にも痺れあり、と」

「……そこまで悪くなっておられたのか……」


 義珍の使者は右馬頭以久が務めていた。


「拙者と武蔵守を伴として、ただちに白丹城を退去し、肥後口より祁答院まで移します」


 以久の言葉を胸にしまい、家久は急いで三重城に移る。

 以久からはもう一つ重要なことを伝えられていた。


「関白の使者が府内館に来たるとのこと。武庫様が対応するので中書様は直ちに三重に移って備えるべしとのこと」

「承知した」


 にわかに慌ただしくなる豊後国。


 歳久が病身を押して白丹城を退去したのは三月七日。

 義珍が府内館に到着したのは三月十三日。

 そして秀吉の使者として木食応其が府内館に訪れたのは三月十五日のことだった。



 同年三月十五日、府内館。

 木食もくじき応其おうごは近江の生まれで、元は六角氏の将ということである。

 しかし織田信長との抗争に敗れて高野山に逃れ、出家して客僧となった。


 信長亡き後に遺業を継いだ秀吉の紀州征伐の際に、和議の使者を務めた縁から秀吉の使いとして府内館に訪れた。


「遠路はるばるご足労であった。拙者は御大将が舎弟、島津兵庫頭である。」

「この度は手厚くおもてなし頂き、誠にかたじけない。拙僧は木食応其と申す」


 年齢は五十三の義珍とそう変わらないという話だったが、額と口元に刻まれた深い皺の谷間が目についた。


「早速で甚だ無礼ではございますが関白様の意向を伝えさせて頂きます」

「……」


 義珍はうなずき、不動のままその言葉を待つ。


「『今を以って従えば先の国分案の通り安堵する。これに従わないのであれば、日ノ本六十五州二十万の兵が全てを押し流す』

 以上が、関白様のご意向です」

「……当家御大将の意向は既に存じているかもしれぬが」


 以前聞いた通りの言葉に義珍は静かに首を振った。


「当家は卑劣なる騒乱事に仕方なく対処しただけであって、その主の意向だけ一方的に汲みとった此度の仕置は受け容れることができませぬ」

「その騒乱の……大友殿のことでございますが」


 やはり秀吉は農民の出ながら関白まで上り詰めただけの人物である。

 天下泰平のため、大友宗麟の意向を聞き入れて九州征伐の名分を手に入れたが、島津家の言い分を聞くことを忘れていなかった。

 島津家のこれまでの言い分は詭弁としかいいようがなかった。

 だがもしこれが納得がいくもので、世間が島津に義あり、大友に不義あり、という評価を下せば関白は公平な処置もできない愚者、と言われることを恐れた。


 もちろん、島津家がそういった申し開きをせず、ただ『受け容れられない』と不器用な突っぱね方をしたのもこの状況を招いた一因である。


 しかし、木食応其は島津家側の言い分を聞きだそうとしたが、義珍はひたすら口をつぐんだ。


「何故申し開きをせぬのですか」


 木食応其はやや呆れたようにその対応に困惑した。


「当家にはかつて梅岳常潤という功徳を積まれた者がおられました。曰く、例え相手が憎い敵であろうとも陰口を叩くことを厳しく禁じております。その教えに従うまでです」


 木食応其は打ちのめされた思いがした。

 僧籍でもないのに、ここまで仏の教えが染み付いている武家の家など今まで何処にもいなかった。

 大体どこか世俗的で、欲が見えるのである。

 自分とそう年齢の変わらない、島津家太守の舎弟の振る舞いは『まさに在家菩薩の如き』と内心つぶやいた。

 だからこそ、このまま関白に押しつぶされて家が絶えることを惜しんだ。


 だが、決して受け容れることのない島津家の姿勢に、和睦交渉はついに時間切れを迎えた。


「然らば、関白殿にお伝えくだされ。当家一同、天下に歯向かう気概はなく、ただひたすら凶徒を討ち果たすために刃を研いでおります、と」

「誠に残念でございます……」


 木食応其は深々と頭を下げた。



 そして島津軍の退却戦が始まった。

 その前に立ちはだかったのは大友残党軍、そして落ち武者狩りの領民だった。


『関白が二十万の兵で出立した。島津の兵が退却するようであれば、これまでの恨みを込めてこれを討つべし』


 豊後、そして肥後の国中に秀吉の声が届いていた。




「武蔵守! もうよい! 腹を切るから病身など捨て置け!」


 肥後口を駆け抜ける島津軍。

 歳久、そして武蔵守忠元、右馬頭以久はその道中で幾度も襲撃を受けた。

 そのたびに激しく斬り合ってかろうじて退却を続けていた。


「誰ひとりとして死なすべからず、との厳命を受けております。ここで死ぬも死なすも、末代までの恥となりまする故、お堪えください」


 武蔵守は常に歳久の側に寄り添って行軍していた。

 身動きが取れず輿に縛り付けられた姿を哀れみ、常に励まし続けた。


「情けない……」


 滅多に涙を流さない歳久は涙をこぼしながら己の不甲斐なさを恨んだ。



 肥後口を退却する島津家にとって助かったのは、相良家より派遣された犬童美作守頼安の救援軍だった。


 相良家にも関白秀吉より書状が届いていた。そしてどう対応するべきか大いに揉めた。

 しかし曲がりなりにも家の安泰に協力した島津家には恩こそあれ、恨みは既にない、背中を襲うことは武家の恥、と義理立てし阿蘇まで島津軍の救援に駆けつけたのだった。


 ようやく阿蘇を抜けて熊本城に入城したのは以久である。

 熊本城に入って、関白の軍を迎え撃とうという計画の元だった。

 なお、武蔵守と歳久の一行はそのまま祁答院へ急いだ。


「……此度は大変でございましたな」

「城殿、城番ご苦労であった。ここで関白殿と一戦交えることになる故、準備してくれるか」


 そこまで言って、以久は目を見開いて熊本城代、城親基の顔を見た。


「何故知っている?」

「……」

「関白から何か聞いているのだな?」


 親基は哀しげな表情で以久を見た。


「城家はこれまで島津家に大恩あります故、背中を襲う真似など出来ませぬ。どうかこのまま関白殿に降伏いたしませぬか」

「……!」


 以久は思い知った。

 二十万の軍勢とは単なる兵力差ではない、人の心さえも砕くのだ。


「だが、拙者は島津家の者ゆえ」


 それだけ言うと、以久が率いる軍勢は熊本城を発って八代まで移った。

 しかし八代の兵たちにも動揺が見られ、関白に降参するべきだという声が聞かれたため、結局薩摩まで戻らざるを得なかった。



 一方日向口を退却する義珍と家久は三月十六日には三重松尾城に入った。

 なお、府内館から三重松尾城の道中でも前に立ちふさがる残党軍を斬り開き、あるいは後ろから襲撃を受けている。その混乱の最中で、この豊後攻めで武功第一だった伊集院美作守久宣を失うなど手痛い悲劇もあった。


 そしてこの日向退却軍に従軍していた将らを集めて評議を重ねた。


「では以上により決戦の地は高城川でよろしいな」

「はっ」


 日新斎が曰く「兵法に長けたる」の評する通り、家久の作戦立案は確かなものだった。

 家久の考えた作戦はこうだった。


 一度全軍は太守のいる都於郡城まで引き、休みを与える。

 懸城は放棄するが、その周囲に兵を伏せさせた、という虚報を残す。

 相手が躊躇している隙に各将の隊を根白坂や高城川の各地に兵を伏せる。

 根白坂から山田有信が守る高城までを防衛線として、陣を張る。

 そして戦う素振りをしつつ根白坂まで退いた所で伏せ兵を起こして一気に包囲殲滅する。


 ある種の賭けもあったが、見事な陣容と丁寧な説明にこの評定に参加した将らは納得した。

 いくら多勢に無勢とは言っても、十分に勝ち目がある、という確信を抱いていた。

 ただ一人を除いては。


「……」


 それは伊集院忠棟である。


「どうした、顔色が優れぬようだが」

「……いえ。少々体が重いようで……戦疲れかもしれませぬ」

「そうか、無理をするな。安め」


 怪訝そうに家久が問うたが、忠棟は小さく首を振るばかりだった。


「しかしおめおめと背中を見せて逃げるというのも気に食わぬが」

「なんの、兄上」


 自嘲気味に薄めの酒を呷る義珍に、不敵な笑みを浮かべたのは家久だった。


「我等は後ろに逃げるのではありませぬ。前に逃げるのです」

「よく分からん理屈だ」


 そう言って決死の戦を前に笑顔があふれる評定の場になるのだった。



 腰兵糧の補充もそこそこに再び日向国を目指して三重松尾城を発ち、日向国の懸城に入城したのは三月十八日のことである。


「腹が減った!飯などないか!」

「武庫様、中書様、お待ちしておりました」


 懸城で待ち受けていたのは先に高城まで戻っていた山田有信だった。


「懸は捨て置くとのことでしたので兵糧は全て引き払いました。飯はこちらで用意しております」

「さすが越前、よう気が利く!」


 飢えていた退却軍は腹を満たすと、懸城を火にかけて焼き払い、翌十九日には高城へ移動した。


 また、日向塩見城に本陣を構えていた義久は城代に吉利忠澄を命じて自身は都於郡城に移る。

 義珍が義久と再会したのは二十四日のことであった。



「兄上、お久しぶりです」

「ご苦労であったな」


 義久は厳しい顔のまま義珍を迎えた。

 そして予め定めておいた陣容について義久に伝える。


 先陣を家久、豊久。中備えに伊集院忠棟ら。そして後備えに義珍。

 本陣には義久が都於郡城、という布陣だった。


「高城……か」

「はい。又七郎とも話し合った上、大友と決したこの地こそ吉事に相応しいかと」

「そうか」


 ここに至って義久からは異議はなかった。

 既に目の前には関白軍が迫っている。

 今さら陣容を変えさせても混乱するだけだった。


「義珍よ」

「はっ」


 義久は珍しく弟を諱で呼んだ。


「この戦、厳しいものになることはわかっているな」

「無論。ですが負けるつもりで戦う者などおりませぬ。勝機はあると踏んでいます」


 義久は頷く。


「……いかなる結果になろうとも決して切腹を許さぬ。恥じて引いても勝機を見出すと誓え」

「承知仕りました。皆にも伝えます」

「よし」



 九州に上陸した関白軍二十万の兵は肥後口、日向口で十万づつに分かれて、それぞれ南進を開始した。



 三月二十五日

 日向塩見城が攻められ、吉利忠澄父子は退去。高城まで逃れた。


 そして高城は山田有信が三百の兵で籠城し、秀長の軍勢を待ち受けた。

 しかし眼下に次第に膨れ上がる関白の軍勢を目の当たりにする。


 日向路総大将秀長が率いる兵はその数、十万。

 宮部継潤率いる先陣ですら一万五千の兵。

 先陣だけで島津軍とほぼ同数の兵の数である。


「これが……十万の軍勢か……」


 山田有信は武者震いした。



 ここでいくつかの誤算が生じていた。

 一つは虚報が通じず、予想以上の進軍速度であったこと。

 一つは高城川の手前で止まって対峙する、と踏んでいたにも関わらず一気に川を渡ったこと。

 山田有信が入って待ち構える高城がまるで見えていないかのようだった。


 そして高城川を渡ると、根白坂に先陣を張り、一夜にして砦を築き上げたことだった。


「関白方が根白坂に陣を張っただと……!?」


 家久は焦りを隠さずに声を荒げた。

 まだ伏せ兵すらも仕込めていないし、何より根白坂に陣を張るつもりだったからだ。


「家久、これはおかしいぞ」


 義珍の天性の勘が嫌な気配を感じ取っていた。


「兄上、これは……」


 厳しい表情で義珍と家久の二人で作戦を考えなおす。


「こちらの情報が漏れている気がする」

「……! 内通者がいると……」

「分からん。だが今さら身内で戦犯探しを始めてもどうしようもない」

「ですが!」

「ここは爺様の教えを守り、仁徳を以って信じるしかない。もし本当に裏切り者がいるとしたら、いずれ尻尾を出す」

「……くっ」

「今は目の前の敵をどうするか、だ」

「はい……」


 急遽考えだされた案は夜襲だった。

 いかな一夜で築き上げた砦とは言え、隙があるはず。

 その隙を狙って混乱させ、一気に本軍で攻めこむ。


 合意した二人は、密かに兵を集めて襲撃の準備を進めるのだった。


 天正十五年(一五八七年)四月十七日

 かつて大友家と雌雄を決した地で天下人と島津家の戦いが始まろうとしていた。

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