第四話 伊作の地へ
文明十六年(一四八四年)十一月
秋の収穫を終え兵糧と農民兵を得ると、伊作久逸は日向伊東氏、北原氏、薩摩川内川流域を支配する入来院氏、大口の菱刈氏と連合し、島津宗家の支配する領地に武力侵攻を開始した。
伊東氏の目標は新納忠続が支配する飫肥を奪取して日向国を掌握すること。
伊作久逸の目標は鹿児島清水城の宗家に迫り、家格の向上を図ることにあった。
伊東氏の飫肥侵攻を抑えるために串間の伊作家、飫肥、志布志の新納氏を連携させるはずだった。
だが、配置換えの命により、仲違いを起こした上に伊東氏と結んで飫肥に攻め入ることになるとは、なんとも皮肉と言わざるを得ない争いであった。
一方、島津宗家の反乱鎮圧軍は都之城城を拠点にする北郷氏、大隅の雄、肝付氏の他、薩州島津家や島津分家衆である樺山氏などがこれに連合して相対した。
同年十一月十四日
都之城の北郷氏六代敏久の軍が串間に迫ったが、伊東氏の援軍がこれを救援し、二十日には撤退した。
同年十一月二十八日
伊東氏の軍が飫肥を侵攻し、飫肥の外城の一つである新山城を攻め落とす。
同年十二月三日
伊作久逸は飫肥に出兵し、飫肥城の南に位置する南郷城を攻め落とした。
一方、飫肥防衛を至上命題とする宗家連合軍は飫肥の西にある酒谷城に入り、さらに飫肥本城と酒谷城の間にある鎌ヶ倉砦に陣を置いた。
同年十二月二十二日
久逸、伊東連合軍と島津宗家連合軍が鎌ヶ倉の地で激突。
両軍に甚大な被害は出たものの、決定的な勝敗はつかず、伊東氏が飫肥城の支城の一つである楠原城を攻め落とした所で双方軍を立て直すため軍をひき、年越しを迎えた。
明けて文明十七年(一四八五年)三月
再び軍勢を整えた日向伊東氏の軍勢が八千の兵を率いて飫肥に出陣する。八千の兵という数は当時日向を治めていた伊東氏にとって最大限徴兵可能な数であり、まさに国の威信を賭けた飫肥侵攻作戦だった。
だが四月になって、七十七歳の老身を押して出陣していた先代十一代当主、伊東祐堯が飫肥の北、清武城で死去。
これが伊東家にとってのケチのつけ始めとなる。
同年六月二十一日
飫肥城を包囲したところを島津忠昌率いる本隊が到着。
楠原の地で大乱戦となり、伊藤家十二代当主祐国が討死。大将を失った伊東軍は撤退を開始した。
久逸軍にとっても頼みの綱であった伊東軍を失ったことで島津本隊に抵抗する力もなくなった。
さらには久逸自身も負傷したこともあって、あえなく串間城まで撤退した。
そして、串間城の奥で無事を祈る常盤に悲しい知らせが届くのだった。
「父上が……討死……」
常盤は愕然とした表情を見せて、口を真一文字に結び、目を伏せた。
しかし不思議と涙は出なかった。
新納駿河守是久が飫肥川原の合戦にて討死、との報せは戦地で槍を奮う善久の耳にも届いていた。
「義父上殿と志布志勢は北原殿の軍勢に加勢していたと聞く」
本拠の串間城で、善久は鎧武者装束のまま常磐と再会していた。
「飫肥を包囲していた北原殿の軍勢が横腹より宗家軍に突かれたことで乱戦となり、俺も槍を振るった。乱戦のさなかで伊東の当主殿も討死なされたらしく、退却の法螺が吹かれ、父上の号令によりここまで戻って参った」
「……あなたさまがご無事であったことが、まずは何よりでございます」
常盤はそれを聞いて、安堵するように胸をおさえた。
館の周囲では籠城戦に備えて農民たちを受け容れるための準備が進んでいる。
柵の確認や櫓に備えられた弓矢の補充を行う兵たちがしきりに走り回っていて騒々しかった。
「このたびの戦に父も出陣なさると聞いてから覚悟は決めておりました。いくさ場で果てたことは、父上も武人として誇っておりましょう」
気丈にもそれだけ言うと、やや潤んだ目で善久に視線を送るが、力を失ったかのように姿勢を崩してしまう。
その異変に気付いた善久は上座から降りて常盤の肩を抱いた。
「いかがした常盤。体がすぐれぬのか」
「……」
常盤は答えられなかった。荒くなった呼吸を整えることもできず、その額には汗が浮かんでいる。
「女中よ! 誰かまいれ!」
善久は焦りを隠さずに隣の部屋に大声を張り上げた。
「大丈夫です。ここ最近、どうも胸が……」
常盤は涙を浮かべながら善久の手を握り、口元を抑える。
奥方様、奥方様、と女中たちが声をかけて常盤の身を起こした時、別の廊下から久逸の使者が足音を鳴らして駆けてきた。
「お館様より本丸にて軍議を行う旨、お呼びしております!」
「ええい、このような時に……」
善久は不安そうに常盤を見つめたが、常盤は少し楽になったのか、善久を安心させようとニコリと微笑んだ。
「私は大丈夫です。お行き下さいませ」
おそらく島津宗家軍が串間に迫る、との報せを受けての対応方針を決めるための軍議なのだろう。
善久も次期当主として、一軍を預かる身として、顔を出さないわけにはいかなかった。
常盤の手をもう一度握り、視線を交わすと奥の間を後にした。
軍議は、一矢を報いたい新納是久臣下の主戦派と、久逸臣下の慎重派で揺れた。
時には掴みかからんばかりの勢いで怒号が飛び交ったが、結局、一矢を報いる機を伺いつつ、籠城することでひとまず合意を得た。
同年六月二十五日
ついに串間城を島津忠昌本隊軍を含めた大軍が包囲を始め、本格的な籠城戦が始まった。
包囲が始まってから数日がたったある日。
散発的な戦闘が起きるものの、双方にらみ合いが続いていた。
忠昌の軍より降伏をすすめる使者が訪れていたが、久逸は頑としてこれを跳ね除けていた。
押しつぶされそうな異様な空気と、死が迫る緊張感に包まれた串間城の一角では、しかし歓びの声に包まれていた。
「そ、それは真か」
善久は自然とほころぶ顔を、何度も引き締めようと撫で回す。
白髪が目立ち始めた中年の女が、優しい笑みを浮かべながら何度もうなずいた。
「ええ、間違いございません。御子様をお宿しになられておいでです」
常盤と善久は言葉を交わさず、手を握る。その目は涙で潤んでいた。
「奥様、おめでとうございます!」
女中の言葉を合図にするかのように、常盤は満面の笑み浮かべて善久の胸に顔を埋め、善久も肩を抱いた。
善久と常盤が夫婦になってから約三年あまり。
待望の懐妊だった。
その報せは串間城を駆け廻り、歓びの声に包まれた。
また、それまで血気盛んに継戦を主張していた新納方の主戦派も、まるで毒気を抜かれたように沈黙してしまった。
ここに至って、全軍の意思も固まった。
「むざむざ抵抗して死ぬこともあるまい。伊作の若殿と、駿河守の姫君の間に生まれた命をつなぐこともまた、大事である」
すぐさま降伏の使者が宗家軍の本陣に出され、忠昌もこれを認めた。
一、 久逸は隠居とし、善久が伊作家当主を継ぐこと。
一、 伊作へ速やかに移ること
首を差し出すことも覚悟していた久逸に出された極めて穏便な二つの条件を前に、伊作久逸、善久は忠昌を前に平伏し承諾した。
また、新納駿河守是久を失った志布志には新納近江守忠続が入り、合わせて末吉の地も宛てがわれた。そして飫肥には豊州家より島津忠廉が地頭職に任ぜられた。
また、新納是久には常盤の兄、友義という嫡男がいたが、志布志の新納宗家配下に組み込まれた。
こうして伊作久逸より当主の座を継いだ善久の一党は日向国串間より薩摩国伊作の地へ移り、久逸による飫肥の乱は二年を以ってひとまず終焉を迎えた。
しかしこの飫肥を巡る伊東氏との熾烈な争いは、当主討死という禍根を大いに残した。
これ以降、飫肥は島津と伊東の争いの舞台となって、長期にわたって泥沼の抗争状態に陥ることになる。