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戦国島津史伝  作者: 貴塚木ノ実
豊後教国
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第四十六話 高城の決戦

「敵襲!!」


 天正六年(一五七八年)十一月十一日正午

 寒風吹きすさぶ大友軍の松山陣に緊張が走った。


「相手の数は!? どこから攻めて来た!?」


 松山陣にいた大友の将は突然の襲撃に完全に虚を突かれた。

 大友軍にも島津は伏せ兵を得意として奇襲を仕掛けることがある、という噂はあった。

 それ故に陣の周りの警戒は十分以上にしていたつもりだった。


 それでも奇襲を受けた。

 まさに神出鬼没、神がかり的な奇妙ささえも感じた。


 奇襲によって松山の陣幕に火が放たれ、これを消すこともせずに大友兵たちは敵の姿を探して右往左往した。

 松山陣の南側から千余の島津兵が突撃してきたのはそれからすぐのことである。


「こんな所に何故島津兵がいるのだ!」

「恐れるな! 防げ防げ!」

「ぎゃあ! 斬られた!」


 首を取ろうともせず、ただひたすら将兵を斬って捨てていく島津兵の猛攻に、口々に悲鳴を上げて逃げ惑う者、それでも陣を守ろうとする者。

 怒号が飛び交う松山の陣は恐慌状態に陥った。

 そして混乱と恐慌は、次第に川原、本陣、野頸の陣に伝わっていく。



 その様子を高城川の南岸、財部の渡あたりで忠平が見届けていた。


「どうやら上手くいったようだ」


 ニヤリと笑うと自ら率いる三千の兵と共に上流の高城へ向かった。



 そしてまた、その様子を見ている者が高城にもいた。


「始まったようだ」


 家久は何日も水を浴びずにすっかり垢臭くなった顔を撫で回し、その様子を見守る。

 前日の夜に島津軍が高城に迫る、の報せを受けた大友軍が高城の包囲を一部解いていた。

 その隙を狙って佐土原からの使者がこの日の作戦を高城に伝えていた。


「信介、打って出るぞ。兵にも伝えておいてくれ」

「畏まりました」


 家久の命令を受けた城主山田有信が慌ただしく出撃準備にとりかかった。



 本陣と川原の陣から幾つかの手勢が松山陣に向かっていることを確認した家久は、出撃命令を下した。


「狙うは本陣! 者共かかれ!!」

「おお!」


 家久の号令に、山田有信以下千余りの将兵が切原川まで一気呵成に押し寄せると、本陣に向かって弓矢、鉄砲を撃ち放った。

 その攻撃を受けた大友軍は野頸陣が家久隊に殺到し、さらに松山陣へ救援に向かおうとしていた隊も転進して家久の隊に向いた。


「よし! これで十分だ! 城まで退く!」


 松山の陣が完全に焼け落ちて陥落した様子を見て、家久は高城まで退却を命じた。

 その頃、根白坂より別働隊を率いた上井覚兼の隊が急行して高城に到着した。



 同年十一月十一日夕刻

 一時的に高城まで押し込まれた家久ら高城兵だったが、上井覚兼の隊が駆けつけ、さらには忠平の隊も川原の陣に到着して、大友の軍は一時引いた。


 その様子を見て取り、島津軍は切原川の南岸まで押し返した。


 大友軍は完全に動揺していた。

 松山陣を陥落させた島津の伏兵が何処かにいるのか把握できていなかった。

 そのため味方陣の行き来をすることができず、互いの陣が孤立していた。

 自分たちを守るべき山林が、自分たちを襲う敵の隠れ蓑になるとは思いもしなかっただろう。


 その時、切原川を挟んで対峙する島津軍が鬨の声をあげた。

 太鼓、法螺が吹き鳴らされ、兵たちの雄叫びは天地を震動させた。


「撃て!」


 忠平の号令で島津軍より弓矢、鉄砲が雨あられと撃ち放たれる。

 それはまさに全弾撃ち尽くすような勢いであった。


 大友軍からも負けじと弓矢と鉄砲が撃ち帰され、切原川を挟んだ銃撃戦は、日没まで続いた。



 同年十一月十一日夜

 切原川を挟んで対峙する両軍に動きがあったのは、そろそろ月が沈もうかという頃である。


 大友軍よりわずかな手勢が進み出て、和睦を申し入れたのだった。

 大友の将、臼杵うすき少輔太郎統景むねかげ田原親賢ちかかた入道紹忍しょうにんと名乗る者が山田有信の道案内で根白坂の本陣まで連れられて、和睦交渉の席に着いた。

 そこには先日内応の約束をしていた星野長門守もいた。


「この度は図らずも争うことになり、申し訳なく存じます。島津殿の見事な戦ぶりには感服いたしました。当軍としましてもこれ以上争っては島津殿の強兵に敗北必至であると心得ましたので、穏便に兵を引かせ仕りたく、参上した次第にございます」


 そう言って深々と頭を下げる臼杵、田原という将を前に島津家の面々は少し戸惑った。


「いや、ここまでご苦労であったな」


 口を開いたのは義久だった。


「当家十一代忠昌公が大友殿より正室を迎えているご縁があり、つい先年にも両家の絆を確認した所だったので、こうして争うことに心を痛めておった所だ」

「それは……不義理な当家を平にご容赦頂きたく」


 地面に頭を擦り付けるほどの勢いで大友の将は頭を下げた。


「和睦の条件として2つあげる。

 一つ、我らが治める地に今後一切攻め入らぬこと。

 一つ、ここまでの道中で破却したという寺社仏閣を可能な限り戻すこと」

「畏まってございます。その旨、しかと当家御大将にお伝えいたします」


 その他、段取りなどいくつか決めて明日の朝には大友軍が退却する、ということになって和平は成立した。

 再び深く頭を下げた大友の将が戻った後、その交渉の席を見守っていた忠平が口を開いた。


「俺は兄上の決定には従う。だがあれを信じろと?」

「さあな」

「さあなって……」


 義久の予想外の答えに、忠平は困った。


「ああして頭を下げてきたのだ。まずは受け入れるのがお祖父様の説いた仁というものだろう」

「うむ」

「だがこの戦国の世における身のこなしくらいは心得ているつもりよ」


 そう言って義久は忠平、歳久といくつか話し合い、様子を探らせるために大友兵の姿をさせた者を大友の陣中に放った。

 忠平は、兄がこれから起こることを全てを見透かしているかのような振る舞いに、神々しさと末恐ろしさを感じて、思わず身震いした。



 同年十一月十二日早朝

 本陣は根白坂に置いたまま、大友軍が退却するのを見守っていた島津軍に対して、大友の軍勢から鬨の声があがった。

 そして大友本陣が雪崩をうって切原川を渡り、島津の先陣へ攻めかかった。


「来たか……」


 その様子を見た義久は小さな溜息をついた。


 義久らは、前日の夜、和平交渉が終わった後に大友陣で口論があったという情報を得ていた。

 どうやらこの和睦交渉自体が臼杵統景、田原紹忍の独断だったようで、田北鎮周しげかねという者が、事前に了承なく勝手に和平を結んだことに対して


「死ぬことを恐れた臆病者、末代までの恥」


 と口汚く罵り、


「我は何があっても翌朝に攻撃を仕掛ける」


 と言い放った。

 また和睦交渉をまとめたはずの田原紹忍までも


「臆病者と侮辱されてこのまま帰ることはできないので、打ち出て死んで見せる」


 と言い放ち、翌朝からの攻撃に転じた。

 こうして大友家では和睦はなかったことにされてしまった。

 この情報を入手した島津軍も夜深くになってから密かに隊を分けて、大友軍の侵攻に備えた。

 切原川を渡った大友軍は、そこで備えていた島津軍の先陣が壊滅させ、さらに高城を無視して高城川の北岸に取り付いた。



「さあ来たぞ、又六郎よ!」

「おうとも!」


 根白坂本陣から南の山中に備えていた忠平、歳久がその様子を確認すると馬上の人となり、軍配を握りしめた。


「うまくやれよ、右馬頭」




 また高城からも家久と山田有信がその様子を見守っていた。


「殿、今ここで撃ち出れば大友の側面を突けます。撃って出ましょう」


 有信の進言に家久は首を縦に振らなかった。


「いや、待て。様子がおかしい」


 高城から見ると、確かに島津の先陣が敗れて、高城川に取り付いていた。

 しかし高城川の南岸に島津の兵が少なく、いずれも根白坂から続く南の山林から動こうとしていなかった。


「右馬頭の馬印が見えん。あやつめ、まさか大友相手に臆したわけではあるまいか」


 家久はさらに目を凝らして根白坂の陣容を見渡し、ふとと気がついた。


「これは……そういうことか!」


 家久は笑みを浮かべると有信に命じた。


「俺の合図があるまで絶対に動くな! 打ち出る気配も見せるな! 気を逸らせて大功を逃すなよ!!」

「はっ!」




 高城川の南岸に島津の兵が少ないことに本陣の軍を率いる田北鎮周も違和感を抱いていた。

 しかし、点在する兵の様子をよく見ると、どうやら負傷しているのが見て取れた。


「なんと、島津の兵は負傷兵を前線に出さねばならぬほど弱っておった!」


 そう言うと、何人かの手勢に川を渡って討ち取るように命じた。

 しかしそれを見ていた田原紹忍は田北鎮周が突撃したもの、と判断した。


 先日の夜、田原紹忍は田北鎮周に散々侮辱されて冷静な判断力を失っていた。

 同じ死ぬにしても、田北鎮周よりも功を上げて、華々しく死んでみせるとしか考えていなかった。


「田北の兵に遅れるなよ! 我らも続け!!」


 田原紹忍の号令でさらに大軍勢が高城川を渡り始める。

 それを見た田北鎮周も号令した。


「あれは臆病者の田原の兵だ! 臆病者に遅れを取っては誹られるぞ! かかれ!」


 こうして数千以上の大友の大軍勢が、堰を切ったように高城川を渡り、島津軍に迫る。


「本陣は根白坂だ! 右へ転進!」


 田原紹忍の号令で突撃の大軍勢は、根白坂に向かった。



「兄上!」

「おう!」


 その前に立ちはだかったのは、忠平、歳久、そして伊集院忠棟の軍勢だった。

 本陣に近づけさせまいと矢弾を放ち、槍を並べて突撃を止めにかかる。


 その様子を山林に隠れて横から見つめる者がいた。

 島津右馬頭以久である。



 夜明け前、以久は義久に呼び出された。


「寝ていたか? 遅くにすまんな」

「いえ、敵を前にすれば緊張して眠れませぬ」

「あまり気を詰め過ぎるなよ。眠れるときに眠っておくことも優れた将の資質だ、とお主の父は言っていた」

「父が……。はい」


 亡き父の思い出が頭をよぎり、チクリ、と以久の胸を小さな痛みが走った。

 以久の父は先代貴久の弟で忠将である。


「お主にはここから南に下って兵を伏せよ。いずれお主の前に大友の兵共が現れるだろう」

「……」

「合図も頃合いも全てお主に任せる。その時が来たら、敵兵を一網打尽にする」

「……大任でございますな……」

「怖いか? 他の者に任せたほうがいいか?」


 永禄四年(一五六一年)の廻城の戦いで忠将が討死したときは、一族一党、全ての家臣、領民までもが深く嘆き悲しんでくれた。

 そして以久はその跡目を継ぐように早めに元服した。


 初陣は歳久大将の元での大隅国平定軍だった。

 だが、島津家の戦神忠平公や智将歳久公、軍神家久公ほどの武功があるか、と聞かれたら特に目立った功もなかった。

 誰かから特に言われたこともなかったが、一族一門衆だから重用されているだけで、将の大器足り得ないと言われている気がして、名将と誉れ高かった父、忠将の名を汚している気がして、以久の心はどこか飢えていた。


 だが、その千載一遇の機会を太守が与えてくれるというのだ。何一つ迷いはなかった。


「やります。やらせてください」



 恐らく1日以上寝ていないはずなのに、以久の頭と感覚は戦場の全てを把握できるほどに冴え渡っていた。


「ここだ!!」


 戦場に法螺の音が鳴り響き、突撃してきた大友の軍勢の背後に馬印が持ち上がった。

 以久の馬印だった。


「信介! 時は来たぞ! 全軍出撃!!」


 高城からも家久、有信の軍勢が出撃し、大友軍の右の背後に攻めかかる。



「後ろから……!」

「いや、横にも!」


 突出した大友軍は完全な混乱状態だったが、いつの間にか四方を島津の軍勢に完全に包囲されていることだけは理解できた。

 もはや組織的な対抗をすることも敵わず、大乱戦の中で一人、また一人と大友軍の将兵が討たれていった。

 高城川を渡った大友軍があっという間に壊滅すると、島津軍は残っていた野頸の陣、本陣、そして川原の陣に向かって一気に殺到する。


 ここに至って大友軍に既に恐怖に支配されていて反抗する力などなかった。

 陣に残っていた兵たちは島津軍に背中を向けると我先にと逃げ出した。


「全軍追撃! 一人も逃すな!!」


 義久の非情な采が振られ、追討の法螺が吹かれる。


「おおおおおお!!」


 高城川一帯を唸るような音が支配する。


「将の首を切り取っている暇はないぞ! ただひたすらに斬り捨てろ!!」

「おお!!」


 高城からひたすら北へ逃げる大友軍、それを追いながら斬り捨てる島津軍。

 勝敗既に決した死の追討戦は高城から北へ二十七キロ、耳川まで続いた。


 また耳川の大河に追い込まれた大友の兵たちは、耳川を泳ぎ渡ろうと無我夢中で飛び込んだ。

 折からの冬。あまりにも冷たい川の水が容赦なく大友軍の兵の命を奪い去る。

 川を渡る事も敵わず多くの者が溺れ死んだ。

 死者した数は、高城よりも耳川の方が多かったようである。


 島津軍が耳川南岸に残っていた兵を一掃した所で、追撃中止の命令が下った。

 約四万とも数えられた大友軍はここに完全に壊滅した。



 懸の北、無鹿という地に陣を張っていた大友宗麟やその家族、南蛮の宣教師などの同行者は悲惨な姿で頭を垂れる敗残兵を出迎えたが、口々に恐怖を言葉を吐くばかりでもはや戦力たりえなかった。



 同年十一月十三日

 大友宗麟も退却し、日向から大友軍は一掃された。



 同年十一月十四日

 全軍が引き上げ、名のある将の首実検を済ませた後、財部城に義久他、戦に参陣した諸将が集まった。


「この戦に勝利できたのは皆々の粉骨ぶりがあったことに疑う余地はない」


 義久の言葉に、集まった将たちに安堵の表情が浮かぶ。


「しかしあえて抜群の功をあげた者を上げるとすれば、我が弟、山田民部少輔ら高城の者たちであろう」

「ありがたきお言葉!」


 家久と有信が頭を下げて、嬉しそうに胸を張る。


「今宵はたっぷりと酒を用意しておる。戦勝祝いといこうではないか」

「おお!」


 財部城で戦勝祝いを催した島津家一党は、お互いを労い、また軍功自慢をして、小唄を歌い、舞を踊り、幾度ともなく盃を傾けた。

 それから諸々の戦後処理を済ませて義久が鹿児島に戻ったのは十一月二十八日のことである。


 この高城での戦いは、多くの死者を出した地の名前から「耳川の戦い」とも後世に伝わる。


 後年になって山田有信は激戦となった地に供養塔を建立した。

 静かに手を合わせて、この凄惨な戦いで亡くなった両軍の死者を弔うのだった。

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