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戦国島津史伝  作者: 貴塚木ノ実
豊後教国
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第四十五話 高城籠城戦

天正六年(一五七八年)九月十五日

黒糸の威大鎧を身につけた家久は、南岸に在って矢弾の届かない木影から自ら物見していた。

耳川の北岸に迫った大友の大軍勢を見てもなお、不思議と怖い思いはなかった。


「ざっと見で三万くらいか?」

「日州に迫るのは四万と聞いております。大友が支配する六州からかき集めると十万になるとか」

「ふむ。まあそんなものか」


家久のそばには高城に入っていた吉利忠澄が同じく武者姿で付き添っていた。


家久が率いるのは佐土原で徴兵した領民兵、将兵含めて千余。

真正面から当たれば絶対に勝てないのは誰の目にも明らかだった。


「まぁ、見ておれ」


家久は耳川を挟んで鬨の声をあげる大友軍をニヤリと見ると、(きびす)を返して潜んでいた島津兵に退却を命じた。




同年十月十九日

ついに大友の軍勢が高城(たかじょう)の眼下に迫っていた。

次々と近隣の民家を焼き払い、高城城下の縄張りを示す木造りの外垣を隙間なく囲んでいる。


対する島津軍は、城主山田民部少輔有信。佐土原城主島津中務大輔家久、都於郡城主鎌田出雲守政近、そして吉利下総守忠澄らが高城に入城して守りについていた。


「既に御屋形様に急使は出しております。本日中には御屋形様の耳に届くかと」


高城本丸の上座に家久、次席に城主の山田有信、そして鎌田、吉利らが列席していた。

有信の報告が続く。


「当家城兵は三千余。兵糧、矢弾、いずれも十分で昼夜問わず攻められて一月、休み休みなら二月は持つ計算です。無論、負ける勘定は前提にしておりませぬ」

「よう言うた!」


家久は膝を打つと満足気に微笑んだ。

既に包囲網が出来上がりつつある状況においても、いずれの将の瞳には何一つ恐れはなかった。


「此度の戦は策を弄さず。ただ太守の本隊が到着するまで持ちこたえればよい」


家久はそう言って微笑むと、それに応えるように一同も強く頷いた。


「ただひとつ! 機があらば一気呵成に討って出るぞ。その機だけは見逃すな」

「はっ!」



一方の大友軍では高城には城主山田有信の他、島津四兄弟の末弟が入城しているらしい、という話を聞いて、この高城攻めこそ日向遠征の正念場と認識した。

家久ら四兄弟の武勇は九州の将ならば知らぬ者はいないほど伝説性をもって伝わっていた。


そしてまた、この戦に置いて決死の覚悟もって臨む者が大友軍にいた。

その名は大友家の軍法家、角隈(つのくま)石宗(せきそう)


角隈石宗は大友家先代義鑑から仕えている軍配者で兵法や占術などを極め、また人格者としても多くの将から親しまれた人だった。大友家の躍進は立花道雪の武勇と角隈石宗の知略に依存するところがかなり大きい。

そして角隈石宗はこの日向侵攻には当初から強く反対したが、大友宗麟の強い意向に逆らうこともできず、やむなくこの日向侵攻の軍勢に従軍していた。



同年十月二十日早朝

大友陣に法螺が鳴り響き、総攻撃が始まった。

高城を完全包囲した大友軍は一斉に本丸目掛けて突進し、対する島津軍も徐々に後退しつつ、迎撃していく。


「太守が援軍に来るまで耐えれば我らの勝ち」


家久が言った通り、将兵の士気は極めて高く、いかなる攻撃にも動じることなく冷静に城攻めに対応した。

その島津軍を驚かせたのは、昼過ぎ頃のことだった。



これまで聞いたこともないような大音響が戦場に鳴り響くと、本丸にある櫓に何かが着弾した。


「な、なんだあ?」


流石に驚いた島津兵がその辺りを見ると、櫓の下の空堀に、ぽっかりと抉れた地面。

さらに見れば櫓の一部が破壊されている。


「これは……鉄砲かなにかか?」

「殿に知らせよ」


報せを受けて至急その辺りを見物した家久は感心した。


「おお。これはすごいな」


呑気なことを言う殿に、内心緊張していた兵たちは拍子抜けした。


「しかしこの一発だけか? 南蛮狂いは実に金がかかるばかりで意味のない攻撃をしよる」


そう言ってアハハ、と大声で笑う。

その姿を見て兵たちも釣られて笑う。


「さあ! 気合入れて弓矢を射かけよ!」

「おお!」


この日は三度大きく攻め寄せられ、島津軍も城まで軍を引いて抵抗し、なお決着つかなかった。



高城籠城戦が始まって数日がたち、幾度かの小競り合いが続いた。

戦の最中に大友軍より陣中見舞いと称して酒樽が振る舞われたり、また島津軍からもその返礼に高城川(たかぎがわ)で釣れた魚と酒樽を贈ったり、またその酒樽を高城の麓で両軍を代表して一杯酒を飲み交わして舞を踊ったり、と死と隣合わせの戦場に一時の安らぎもあった。


また家久にとって心強かったのは敵軍からも内応を約束する将がいたことだった。

星野長門守と高良山の座主と名乗る者が二百ばかりの兵であるものの、機が熟せば島津家に忠節を尽くすことを誓ったのだ。

聞けばどうやら大友宗麟は、南蛮を重用するあまり、これまでの家臣の忠誠を全てなかったことのように振る舞っているそうで、大友宗麟に対して強い憎しみを抱いているということだった。


「ああ、高良山の……」

「殿、ご存知で?」

「三年前上洛の折、高良山は参詣して縁がある。その際に座主殿からも歓待を受けたわ」

「なるほど。先方も殿と承知した上での内応でしょう」

「うむ。これは信用してよかろう」


そう言って、ますます籠城兵の士気は高まっていった。



だがそれからしばらくすると死活に関わる問題が発生した。

それは飲み水が不足し始めたことだった。

飲み水だけは貯めおくことができず、夜の寝静まった頃や敵方が油断している隙に密かに高城川まで下りて汲み上げて調達していたが、その様子に気づいた大友軍が水ノ手口を二十四時間体制で封鎖してしまった。


いよいよ瓶の水も残りわずかという時になって、水を求めるために多少無理にでも討って出るべきか、討って出るならいつ頃がいいか、など評定を重ねていた時、嬉しい報せが届いた。

本丸から下った三の丸の曲輪に、土壁の隙間から僅かだが水が染み出している所があると言うことだった。

試しに掘らせると、すぐに水が湧き出して三日後には泉のように溜まった。


島津兵は歓喜して泉の水を分けて飲んだが、なお水は湧き出た。


「天は我らを助けてくれた! この戦は勝てるぞ!!」


家久の檄に城兵は大いに沸き立ち、それまでの疲労感が一気に吹き飛ぶのだった。



またこの頃、大友軍とは別に伊東残党軍にも動きがあった。

穂北城から南西八キロの位置にある三納城に残党兵が集まると武装蜂起し、島津家を陽動するために綾城下やその周囲の民家に火を放つと都於郡城に迫ろうとしていた。

都於郡城の城主鎌田出雲守は高城の援軍に行って不在にしていた隙をついた奇襲だった。

この残党軍を率いるのは長倉勘解由。

石ノ城退去後に再び日向に潜入し、再度島津家に反抗しようとしていた。


しかしこの奇襲に対応したのは、義久の命令で高城援軍のために進軍していた都之城の北郷軍だった。



同年十月二十四日

北郷時久は都於郡城を包囲していた長倉勘解由の伊東残党軍を襲撃して、これを撃退した。



一方その頃、高城の急報を受けて軍勢を起こした義久は、兵の用意ができるまで連日神棚に向かって日向防衛戦の必勝祈願を行っていた。

そしていよいよ出立、という日のことである。


その日の朝、夢うつつの中で、義久は川の辺りに立っていた。

ああ、これは竜田川だ。と義久は思った。

古今和歌集や後拾遺和歌集でも詠まれた大和国に流れる竜田川は、紅葉の名所としても知られていた。

紅葉はないのかな、と思った義久が川面を見ると、紅葉が一つ、二つ、三つと流れていった。


  たつたの川の 紅葉哉


ふと口ずさんた所で、義久は目が覚めた。

そしてすぐさまその句を書き留めると、河田という近習に夢のことを相談した。

俳句にしては、最初の五字がなかった。


「これは、最初の5字をつけるべきかと存じまする」

「ふむ」


と義久はその句を見て、自然と浮かんだ言葉を加えた。即答だった。


  打敵は

    たつたの川の

      紅葉哉


近習は喜んだ。


「それは大友の軍が討たれて流した血が川に流れて、紅葉のように見えたのです。まさに吉兆です」


そう言うと、義久も納得して、鹿児島を出立した。

途中、鹿児島神宮に立ち寄ると、夢うつつの一句を書き記した書を奉納して戦勝祈願を行った。



同年十月二十五日

義久本軍、鹿児島を出馬


しかしその報せは高城に届くことはなかった。

大友軍の包囲網はさらに厳しくなり、まさに蟻一匹すらも抜け出る隙間がないほどであった。

だが城を守る家久、山田有信らは


「絶対に本隊は来る。来るまで持ちこたえたら我らの勝ち」


虚仮の一念のみで、ただひたすら大友軍の大攻勢に耐え忍んで必死に迎撃していた。



同年十一月一日

佐土原城に島津三万の大軍勢が集結した。

真幸院より忠平も一万の軍勢を率いて加わっている。

佐土原城は四万の軍勢を収容することができず、溢れかえった兵たちは各々城の周囲の民家を間借りしたり、田畑に簡易な陣を作って休憩を取った。


日向防衛軍の総大将は島津十六代義久。

以下各隊の大将に忠平、歳久。そして伊集院忠棟、上井覚兼ら名だたる将が従軍していた。


また出水の島津義虎、大口の新納忠元には肥後球磨の相良氏の抑えとして、いつでも出陣できるように命じていた。



同年十一月四日

忠平と歳久は主だった将を久峰観音に集めて連日軍議を重ねていた。

大友と島津の軍の兵の数は同等かもしれなかったが、大友軍の陣は山上にあって見下ろす位置にある。

堂々と近づいて勝てるほどの相手ではない。


どれくらい陣を分けて、誰に陣大将を任せるか、等などは各将は膝を付き合わせて必勝の策を練り出していた。


「物見の報告によると、敵方の陣は大きく分けて四つ。

高城から二里(八キロ)ほど下流に松山陣。

そこから一里(四キロ)上流の竹鳩ヶ淵なる所に川原陣。

高城と切原川を挟んで目の前に本陣。

我らから見て最奥の上流に、野頸陣。

その他小さな陣が高城を囲み、さらに北の平田なる川の周辺にも後詰めの陣があるとのこと。

ちなみに、内応を約束しているという星野というお方は川原の陣におられるようです」


敵方の陣容の説明を受けて、真っ先に口を開いたのは忠平と歳久だった。


「やはり狙い所は川原だろうな」

「兄上もそう思われますか」

「川原が潰れれば、本陣に迫り、松山とも寸断される……うまく行けばな」

「しかし敵方も警戒しているはず。おいそれと近づけるかどうか」

「こればかりは近づいてみないと分からんなあ」


忠平は難しそうな顔をして、地図に目を落とした。


「まずは川原陣か松山陣を狙う。これは星野殿とも連絡を取りつつ、俺が指揮を取ってどちらに仕掛けるか、直前に決める」

「はっ」


忠平の決定に、歳久も異存はなく頷いた。


「首尾よくいずれかの陣を落とせたら、高城の包囲も解けるはずだ」

「その後いよいよ決戦ですな。本陣は根白坂まで進ませて姿を見せるだけでよろしいかと。あとは魚鱗の陣を敷き、一部は山中に伏せさせます」

「よし。それがいいだろう」



ちょうどその時、完全に包囲された高城から必死の思いで抜けだした伝兵が佐土原に到着していた。


「敵の攻勢厳しく、矢弾の残りも少なくなりつつございます。急ぎ高城川原まで救援をお願い致します」

「おお、それはいかんな」



急いで川原陣奇襲策を義久に説明して許可を願った。

しかし義久は当初この作戦を渋った。

伏兵と簡単にはいうが、後詰めの陣に近すぎてかなりの危険をはらみ、直前にならないとどちらを攻めるのかはっきりとしないからだ。

しかし歳久が丁寧に説明すると、忠平が敵陣に突っ込むような真似をしないのであれば、という条件付きで許可を出した。



同年十一月六日

出立しようとした所に冬とは思えないほどの豪雨で前後左右が見えなくなったので出陣の中止を決定した。

雨がやんだ後も曇天が続き、足跡がはっきりと残る程度に道もぬかるんだので、これでは奇襲にならないと判断してさらに数日ほど出陣を見合わせた。



同年十一月九日

高城川の下流南岸の高台にあり、敵陣に通じる位置にある財部城(高鍋城)に移動した。

また密かに大友の軍勢に紛れ込んで情報を収集していた逆瀬川奉膳兵衛という者が、貴重な情報をもたらした。


川原の陣の守りが堅く、星野殿とも連絡が取れない、ということだった。

これを受けて忠平と歳久らは急遽相談して、川原の陣ではなく、松山の陣を攻めることに変更した。



同年十一月十日

僧を手配して敵陣と財部城を往復させた所、特に咎められることもなかった、という報告を受けて進軍を決断。

また前日からの晴天で道も乾いたので、夜の内に出立することを決定した。



同年十一月十日夜

日が落ちて月が沈むのを待ってから忠平は兵を率いて財部城を出た。

そして高城川の手前で軍勢を五百、三百、五百に分けて、密かに松山陣の東の山野に伏せさせた。

自らは高城川の手前で以久と共に三千余の兵を率いて川の草木に伏せた。


そして運命の日を迎える。

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