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戦国島津史伝  作者: 貴塚木ノ実
三州平定
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第四十話 上洛事始め

 天正二年(一五七四年)

 薩摩国、大隅国を平定した義久率いる島津家だったがこの後すぐさま日向国へ侵攻することを控えた。

 勝ちにのって足元を掬われることを警戒したからだった。

 大隅国を平定した後、これまでの勲功を賞する論功行賞と、領内安定に腐心することになる。


 大名から家臣格に落ちた肝付兼護は高山城のみを安堵され、肝付氏の元支配地の多くは勲功目覚ましいということで伊集院掃部助忠棟に与えられた。

 早々に降伏した禰寝重長は国見城を拠点として安堵。

 剃髪して降伏した伊地知重興は義久に還俗するように命じられて周防守を名乗ることを許し、垂水城の支城である下之城を安堵された。


 こうして平定後の混乱の鎮圧や政務に追われる中、時は天正三年(一五七五年)になろうとしていた。


 天正三年(一五七五年)正月元日

 薩摩国、大隅国を完全に平定して残りは日向国のみという事もあり、これまでの何時攻められるか分からない緊迫感溢れる年越しからは想像もつかない、平穏な年越しを迎えていた。


 そしてこんな平穏な年越しはもうしばらくないかもしれない、という話になった。

 そこで義久は三州平定の祈願をしよう、と三人の弟に呼びかけて、島津家が祀る神宮に呼び出した。


 鹿児島神宮は大隅正八幡宮とも呼ばれ、霊峰霧島から見ると三十キロほど南西にある。

 逆に島津家が本拠に置く内城から見ると北東、つまり鬼門にあたる場所であるため鹿児島神宮は鬼門の抑えとして篤い信仰を集めていた。



「来たな」

「そのようで」


 別室で待機していた上座の義久とその左手に座る歳久は騒がしく入室してきた兄弟たちを待ち構えていた。


「兄上! 久しぶりだ!」


 にこやかに微笑む忠平は、前年に次男が生まれて殊更機嫌が良かった。

 どっかと義久の右手に座る。


「すいません、兄上方。遅くなりました」


 すっかり傷の治った家久が頭を下げて恐縮した様子で下座に腰を下ろした。

 久しぶりの四兄弟集結であった。


 いずれも祈祷のため、ということで日頃の武士装束でも、戦装束でもない。

 神前用の真っ白な束帯を身につけ、烏帽子をかぶっていた。


「この格好もなんだか久しぶりで・・・」


 そう言って頭をかく家久に「まあな」と同意した歳久に他の二人も思わず笑った。

 近習の者はいずれも外に出しており、鹿児島神宮の一角には兄弟以外誰もいなかった。


 久しぶりの対面だったが、特に会話もなかった。

 しかしその心の内は皆同じだった。

 ここまで無事に生き残ることができた。

 これからもこの兄弟の力で戦国乱世に泰平の世をもたらしたい。

 穏やかな表情がそれを物語っていた。


「では、参ろうか」

「おう」


 自然と穏やかな笑みが四人に浮かび、義久の声で祈祷のために本殿に足を運んだ。


 祈祷の作法は今も昔もそう変わらない。

 神官が祝詞を上げた後に、玉串を祭壇に捧げ、二拝二拍手一拝。

 祈祷を済ませた後、再び四人は別館に戻った。


「さて折角なので、皆にひとつ提案がある」

「何事でしょう」

「昨今木崎原で伊東を打ち払い、事実上三州は我らが元に治まったと言っていいだろう。又四郎には随分と苦労をかけたな」

「ありがたいお言葉」


 そう言って忠平は頭を下げる。


「当家が三州を治めるに至ったのは我らが日々神仏に願い奉り、その御加護の賜物であろうと存じる。そこで三州平定の御礼として神宮詣でもどうかと思うてな。もちろん神宮だけでなく愛宕山であるとかにも詣でる」

「なるほど」


 弟たちもそれぞれ頷いた。


「……というのが表向きの目的」

「?」

「裏の目的がいくつかある」


 義久の言葉に一様に怪訝そうに首をかしげた。


「その前にお主らに聞こう。当家は三州を平定した後にいずこに向かうべきと思うか」

「それは……やはり九州でしょう」


 忠平はゴクリと唾を飲み込み、兄が遥か遠くを見ていることを知って心が踊った。


「又六郎と又七郎はどうだ?」

「私は武庫兄と同じです」


 又七郎が頷いた。

 しかし歳久は目を細めて、床の一点を見つめる。


「同じく九州……と言いたい所ですが、名分がない」

「さすがだな」


 義久は微笑み、歳久をちらりと見る。

 歳久の表情は変わらず、ただ一点を見つめていた。


「三州を平定するは三州守護たる当家の使命。いちいち大義名分を立てる必要なんぞない。だが三州から飛び出すとなるとどうか」

「……確かに」

「当家は民を蔑ろにする簒奪者ではない。この戦国乱世、民に安寧をもたらす平定者でありたいと考えている」

「その名分を京に立てさせる、と」

「然り」


 歳久の言葉に、義久が頷く。


「目的の一つは朝廷に親しい方との接触。二つ目は三州平定の先にある諸国の様子伺い」

「……」

「そして、これがある意味は最も重要な目的だが……、今すさまじい早さで天下を手繰り寄せている御家との接触」

「……織田殿でございますか」


 忠平の問いに義久は静かに頷いた。


「織田家は、元は越前の神官の出らしい。尾張を治めていた斯波殿の守護代となった氏族ということた。

 この戦国乱世の折、下克上を果たして尾張の国主となり、東海の弓取りを討ち果たした。その後十五年で今や天下に手が届かんばかりの勢いだ」

「……」


 さらに義久は言葉を続ける。


「織田殿とは何も端から肩を組んで仲良くしようというつもりはない。だが京に近い尾張からとは言え、一代でここまで勢力を広げた手腕には注目すべきであろう」

「いずれ敵となるか味方となるか……。今から誼を通じておく事に損はない、ということですな」

「然り」


 義久の真意を理解した兄弟たちは、義久の野望にさすが島津家総領という思いを新たにした。

 ただ不安もある。


「織田殿は当家の誘いに応じましょうや?」

「当家が京より遠い西南の端地にあって中央の事情を汲み取るのに時間がかかるように、織田殿もかような端地の事情には疎いだろう。我らが直接もたらす話は織田殿にとっても耳目に触れたくなるほど興味を引くはずだ」

「ううむ、さすが兄上だ」


 忠平がしきり感心して大きく頷いた。さらに義久が続ける。


「既に行脚僧を通じて織田殿に接触の意志があるか、様子を伺わせている。もし当家からの誘いを無碍にするようであれば……織田上総介殿は所詮その程度の方というだけのこと。如何に九州に近づこうとも我らの敵ではあるまい」


 歳久が尋ねる。


「朝廷に親しい方との接触とは近衛様ですか?」

「然り。当家と近衛殿様の繋がりは、初代様が近衛家の家司を(つかまつ)って以来のご縁。そもそも当家が三州守護を得られたのも、元を正せば三州が近衛様の御領地で、その際に初代様が家司として下向していたからだ」

「なるほど、それ故の関係強化ですか」

「よくわかっているな」


 歳久の相槌に、義久も頷く。


「して、関係を強化するとは如何に」

「関白太政大臣、近衛前久様に下向していただこうかと考えておる」

「おお」


 世の関白が地方まで下向するのはあまり前例がないことである。

 ましてや島津家が関白を招いて歓待役を担うとあっては、九州の諸大名にとっては強い影響を及ぼす。


「近衛様は京の公家の復権にとても執着なさっているようで、これに助力できれば京における当家の評判も高まろう」

「しかし、織田殿が天下を取った時、京はどうなりましょうか」

「そこは読めん。かの御仁はなさりようは(おおよ)そやること成すこと、考え方も何もかも新しすぎる。だがこの皇祖神以来の御加護にある日ノ本を治めるには、京をどうにかせねばならぬ。果たしてその時が来た時、織田殿は無事でいられるかどうか」

「そこまで物騒な話になりましょうか?」


 低く静かな義久の恐ろしげな声に、さすがの歳久も思わず眉を潜めた。


「ものの例えだ」


 義久は微笑んで誤魔化した。


「してこの上洛と参詣について、又六郎と又七郎に任せようかと思うてな」

「喜んで!」


 思わず腰を浮かせてニッコリ微笑んだのは、家久だった。

 薩摩の地に生まれてこの方、三州から離れたことはなかった。

 二十九歳の家久にとっては三州以外の土地、特に京の都は実に魅力的であった。


「まず先んじて又七郎が行ってくれ。戻った後は又六郎だ」

「畏まりました」

「道中の日記を欠かさず書くように。ただし表向きの目的でな。裏の目的の方は悟られぬよう、慎重に行動いたせ。先方に警戒される行動は慎むように」

「委細承知」


 そう言って義久の密命を受けた家久は、恭しく頭を下げた。



 年賀の宴を済ませると、織田家からの反応を待ちつつ、内々に家久の上洛ならびに神宮祈願や他寺社詣でについて段取りをつけていった。

 同行する人数や規模、往復の道筋、詣でる寺社、さらには泊まる宿の目処や道先案内など、旅の僧とも相談した。


 旅の格好については、もちろん普段の武士装束では荒事になるので、全国を行脚をする僧に着いていく巡礼者、という風体で、刀を差さずに行くことを決めた。

 また、つじつまを合わせるために、旅先の道案内役として全国を行脚する島津家懇意の旅僧である南覚坊らが「先達」として同行することになった。


 皇祖神を奉る大神宮の参詣は「日本人なら一生に一度はお伊勢参り」という言葉の通り、あこがれの旅でもあった。

 義久が島津御家を上げての伊勢神宮の参詣に踏み切ったのは、これまでも家臣団から伊勢参りに行くべきでは、という進言があったからである。

 家久が旅に同行するお供をどうしようかと考えている間に、家久が上洛して神宮参りに行くという話が島津家家臣団にあっという間に広まっていた。

 すると我も我も是非我も、と多くの者が願い出てきて、あまりの人数に困った家久は


「京に合戦しに行くわけじゃないぞ」


 と笑った。もちろん万が一の事態も考慮しつつ絞りに絞って百名余となった。

 百名分の同服の確認、旅にもっていく物を決めていくうちに、あっという間に二月になろうとしていた。


 天正三年(一五七五年)二月

 織田家より密書が届いた。

 戦に忙しく、織田家当主が面会に応じられる時間は取れないかもしれないが、重臣が直々に歓迎するという返事があった。



 同年二月七日

 義久の連絡を受けて家久は内城の館で面会した。別れの挨拶をするためである。

 また義久からも道中気をつけるように、と言い聞かせて、この日は義久、家久の二人で思い出話を肴に別れの酒宴を済ませた。


 家久は翌日には居城の串木野に戻ると、旅の支度と不在時の取り決めを行った。



 同年二月二十日

 家久一行が遠路遥々上洛することになる。

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