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戦国島津史伝  作者: 貴塚木ノ実
三州平定
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第三十九話 大隅平定

 忠平が日向国真幸院の木崎原で圧倒的な兵力差を覆して勝利をあげる、という報せはその内、九州各地を領する諸家に静かな衝撃をもって伝わった。



「三百の兵で三千とは……すさまじいな」


 豊後国府内館。

 伴天連(ばてれん)の着物を身につけ、その胸に十字架をさげた男は驚嘆した。


「さて、当家の雷神とどちらが上か」


 そう呟いて大友宗麟は十字架を握り締めると、(いぬい)の空を見上げた。



 剃髪して僧形を成した男が一人。

 立花山城の本丸館から雉の鳴き声がする田畑を睨みつける。


「島津、か」

「父さま」


 後ろから年は四つばかりの幼女がその背中に、小さく声をかける。

 その声に目尻を下げて優しい微笑みを浮かべた。


「どうした、こちらへ参れ」


 左足を引きずりながら振り返り、駆け寄ってきた娘を抱き上げた。

 立花道雪は娘の誾千代を抱きしめて、いずれ大友家に立ちはだかるであろう島津の勇将たちの姿を思い浮かべ、不敵な笑みを浮かべるのだった。



「三百で三千を相手にして勝っちまうとは、やるじゃねえか。なあ弟よ」

「いや、島津の兵恐るべし」

「だが俺ら五州の兵には敵わねえ」

「ええ」


 兄と名乗った四十四歳ほどの男は豊かな髭を蓄えており一見して粗野な素振りが目についた。

 弟と呼ばれた男は三十五歳ほど。常に眉に皺を寄せて神経質そうな表情を浮かべるのが癖だった。

 二人は焼いた鶏を肴に酒を飲みながらその奇跡の一戦の話を耳にした。

 龍造寺隆信と鍋島直茂。

 この十年後に島原の地で対陣することになる事なぞ知る由もない。



 伊東義祐は、茶の湯の席でその話を聞いた。

 木崎原での敗北と、多くの将を失ったことを知った義祐は、茶碗を落として身を固めたまま、しばらく動けなかったと言う。



 三州平定を目指す島津軍はその奇跡の勝利に大いに湧いた。


「さすが兵庫頭殿だ!」

「これで三州平定は目の前だ!」


 我が身のことのように、祝杯の酒を上げた。

 その報せはまた、大隅国平定を進める歳久や家久ら弟を俄然勇気づけた。


「又七郎よ、我らも負けておられんぞ」

「無論ですぞ、兄上!」




 元亀三年(一五七二年)九月二十五日

 大隅国平定の総大将を任せられた歳久は副将の家久らと共に桜島の西端にある横山城に入城して軍議を開いた。

 そこには従兄弟となる以久、他に吉利忠澄、樺山兵部少輔忠助、喜入摂津守季久らも従軍している。



「垂水城は麓には本城川という川が流れて、行く手を阻み、城も堅い。まずは支城を全て落としていくこととする」

「はっ」

「ここ桜島の真裏に行くと、向かいに早崎という地がある。ここは、北に牛根の入船城、南は海潟と呼ばれる地で崎山城がある。此度の戦の目標はここに小浜城という城になる」

「承知仕りました」

「垂水の東には霊峰高隈山。ここを南に回って超えた先には肝付領。垂水はまさに目と鼻の先の要所となる。

 ここを押さえれば伊地知の軍勢は何をするにも身動きが取れなくなって、肝付への援軍など到底叶わぬようになる。大隅平定の足がかりとなるこの緒戦、絶対に落とせんぞ」

「腕が鳴ります」


 家久が不敵な笑みを浮かべて拳を叩くと、歳久もそれに釣られて満足そうにうなずいた。


「潮の満ち引きがあるのは知っているな」

「もちろんです」


 以久が力強く頷く。


「桜島と大隅には幅四町(四百メートル)ほどの瀬戸海峡があって、ここは潮の満ち引きによって流れがかなり急に変わる。潮の流れはおよそ半日ごとに変わり、今の時期は暁頃に湾から外に、日が沈む頃に湾の奥に向かう」

「軍を二手に分けて、潮の流れに乗じて朝、夕の二回に分けて攻めかかるわけですな」

「その通りだ」


 歳久は大きく頷いて、家久を見る。


「先手は中書を大将とする。北へ回って牛根につけよ。少なからず挟まれる可能性はあるが海を背にして持ちこたえよ。無理に攻め上がるな。早崎は急峻で相手も安く援軍を寄越すことができん」

「承知いたしました。三千もの兵をいただければ難なく持ちこたえましょう」

「夕刻には残りの軍で海潟に寄せつける。それで一気に小浜を攻めかける」

「はっ」

「御大将、小浜に攻めかかれば肝付、禰寝に後ろを狙われませんでしょうか」


 吉利忠澄が不安げに問う。

 しかし歳久は安心させるように微笑んだ。


「案じるなかれ。既に掃部助殿を大将にして、北郷殿、武蔵守殿、弾正忠殿が住吉より鹿屋に攻め入る気配をさせておる」

「御家老が大将なら、肝付も救援どころではありませんな」


 掃部助とは島津家筆頭家老伊集院掃部助忠棟である。

 忠棟の暗躍はいずれ大隅の国人衆に知れる事になり、忠棟が動けば何をするのか、と警戒するようになった。

 その忠棟が島津家の勇将を率いて南下してきたとあっては、肝付家も垂水救援どころではなくなるだろう、という見込みがあった。



 元亀二年(一五七一年)九月二十五日

 夜明け前から一気に桜島を出立して大隅半島に近づいた家久三千の軍勢は、潮の流れにのって接岸すると上陸を開始した。

 そしてあっという間に伊地知の軍勢が整う前に入船城に攻めかかった。


 慌てた伊地知重興は垂水本城より出陣して家久の背中を襲おうと早崎を回ろうとしたが、あまりに急峻な道に手間取っている時に夕方になってしまう。

 すると今度は海潟に歳久の軍勢が上陸し、重興は背中を襲われる形になってしまった。


「ええい、退却だ!」


 伊地知重興は小浜城の救援を諦めて、歳久は難なく大隅国早崎の地を手に入れたのだった。

 歳久と家久はその後小浜城に交代で城番を勤め、垂水城攻略の機会を伺うことになった。



 翌年も大隅国の平定を目指した戦は続いた。


 元亀四年(一五七三年)一月六日

 肝付十八代兼亮は千人の軍勢で都之城の南、曽於の末吉に攻めかけた。


 末吉を守るのは北郷時久。

 末吉には末吉城を中心に、栫井城、柳井谷城、宝珠庵城といった城があったが、いずれも規模が小さい城とは言え、シラス台地を削って築城した山城でばかりである。落とされることなく持ちこたえた。

 しかしそこに伊集院忠棟も五百の兵で救援にかけつけ、肝付の軍勢四百人余りが討死する大敗となった。



 肝付家を巡る状況がさらに悪化する出来事が起きたのは、三月のことである。


 大隅国において肝付氏が領する肝付高山よりもさらに南の山地を、代々禰寝氏が支配していた。

 禰寝氏は南蛮船の補給港の一つである根占港を中心に、琉球貿易も盛んだったことで栄えた国人衆であった。その勢力は種子島氏の家督争いにも介入するほどの軍事力と存在感があった。

 その禰寝氏の当主は十六代禰寝重長。この時三十八歳である。

 島津家の軍勢との抗争が続く中で、土地を守る前に家を守るべし、という判断を下した。



 元亀四年(一五七三年)三月

 肝付、伊地知、禰寝の三氏による対島津連合同盟を破棄して単独で島津家と和睦。


 伊地知、肝付はこれに怒って伊東氏とも連合を組んで禰寝氏の誅伐に動いたが、伊東氏は前年の木崎原の戦いでの敗北の影響が大きく、まともな援軍を送れなかった。

 さらに禰寝に島津家より援軍を送り込み、禰寝誅伐軍はあっけなく崩壊した。



 同じ年、元号が元亀から天正に移った頃。

 天正元年(一五七三年)七月二十四日


「中書様! 敵襲にございます!」


 夜になってまだ月が登らない頃に、家久が守る垂水小浜城が夜襲を受けた。


「相手は伊地知か? 肝付か?」

「不明です!」


 早々と寝ていた所を叩き起こされた家久は近習の報告を受けながら、素早く甲冑を身に着けていく。

 常に敵襲に備えていて、鎧の下に着ける白小袖、襦袢、垂直を身につけていたので、後は足袋とすね当て、大鎧といった防具類を身につけるだけだった。


「敵勢は西の搦手より攻めかかっている模様」

「ちっ……。他の将は!?」


 次々と報告が寄せられる中、家久はものの十分もしないうちに赤糸の威大鎧姿に変わっていた。


「搦手には吉利様が鎧も付けずに向かわれているとのこと!」

「よし、搦手には俺が行く。他の将には前の打ち合わせどおり、各守り口を守るように改めて申し伝えよ」

「承知いたしました」


 搦手口に通じる曲輪の櫓から、攻め寄せる軍勢に鉄砲を撃ち駈ける吉利忠澄の救援に駆けつけたのは、それから十分後だった。


「吉利殿! ご無事か!」


 櫓の下から家久に声をかけられ、忠澄は無事だ、と言わんばかりに手をかざして頷いた。


「打ち木二つに法螺一つで仕掛ける!」

「相分かった!」

「三番隊は門の左手より弓矢を射かけよ! 鉄砲隊は伍を一つとして櫓の上にあがれ! 射ち手は一旦下がって隊列を整えよ!」


 突然の夜襲に、それまで各々気ままに目の前の敵兵に反撃していた島津の兵は、家久の命で組織だった動きになっていく。

 その間に家久は五十ばかりの兵を集めて打ち出る準備を完了させた。

 そして采配を二度三度と振ると、それに応えるように打ち木が二つ鳴り響いた。


「開門!!」


 家久の号令に法螺が吹かれ、門が開かれると五十騎の軍勢が一斉に小浜城外に出る。


「さあ恐れるなよ! かかれ!」


 家久の声が兵たちを奮い立たせ、自らも槍を持って搦手口は兵たちの怒号と悲鳴に包まれた。




 朝になって、北口の大手口に攻め寄せた肝付の軍は驚いた。


「なんとこれは……!」


 ずらりと大手口に並んだ肝付の将たちの首を前に愕然とした。


「……ええい、退却!」


 搦手口を夜襲した肝付三千余りの兵は、家久ら島津軍千五百の前に敢えなく敗退。

 家久は討ち取った肝付の将の首を、全て大手口に並べさせた。


 それは次はお前たちの番だぞという威嚇であり、この首を持って帰れとも受け取れる申し出だったが、それを見て意気消沈した肝付軍が牛根城まで退却したのは間違いなかった。


「いたた……」


 肝属軍退却という報せを受けて家久はようやく鎧装束から開放された。


「腕と脚に八箇所、胸腹、背中に十三箇所と言ったところ。いずれも縫合不要。安静にすれば塞がる傷にございます」


 金瘡医が家久の体中に浴びた傷を診た。

 刺し傷、切り傷……弓矢、刀、槍を浴びてあわせて長短二十一箇所にも及んだ傷は幸いにも全て浅く、命に別状はなかった。

 しかしその報告を聞いた義久、歳久から、無理は禁物、絶対安静、と厳命された。

 家久は駕籠に乗せられ、鹿児島に療養送りとなった。


 代わって小浜城に入ったのは歳久だったが、小浜城の夜襲失敗がよほど堪えたのか、肝付、伊地知の軍勢に攻めかかる気配はなかった。



 同年十二月二十四日

 伊集院忠棟を大将に、新納忠元らの軍勢が出陣し、歳久の入る小浜城の北、牛根城を包囲した。

 しかし牛根城主の安楽兼寛は山城の堅牢さを盾によく防ぎ、そのまま年越しとなった。



 そして翌年。

 天正二年(一五七四年)一月六日

 肝付勢が牛根城の救援に駆けつけたが、これを待ち受けていた忠棟の反撃にあって多くの死者を出し、退却した。



 同年一月十八日

 忠元は二十一歳になる嫡男新納忠堯と牛根城主、安楽兼寛を人質交換することで身の安全を保証し、開城するように迫った。

 安楽兼寛もこれを受け容れ、牛根城は開城。



 同年一月二十二日

 新納忠元が牛根城に入城して、下大隅一帯は島津家の勢力下に入った。



 同年二月

 牛根城の陥落で垂水城を残すのみとなった伊地知重興は降参を決意。

 全ての領地を差し出し、いかなる処分も受け容れる起請文を提出すると出家した。


 これで大隅国で島津家に対抗する姿勢を見せるのは肝付家のみとなり、完全に孤立することになる。



 肝付家十七代当主河内守良兼は島津家との抗争が続く最中の元亀二年(一五七一年)七月三十日にわずか三十七歳で病死。良兼には子が二人いたが、いずれも女子であったため家督は兼続三男の兼亮が継いでいた。


 伊地知、禰寝との同盟が崩壊して孤立した肝付家十八代兼亮は徹底抗戦か臣従かで揺れ動いていた。

 しかし母であり日新斎の娘でもある御南の方の勧めに従い、島津家への臣従を決定。


 ここにようやく薩摩国、大隅国は島津家の元に平定……された直後に、肝付家でまた一騒動が起きる。


 兼亮が島津家に臣従を誓ったにも関わらず、日向の伊東家とも連絡をとって友好関係を結んでいることが発覚し、島津臣従派の家臣と御南の方による政争が勃発。

 兼亮を日向に追放して肝付家の十九代は兼続五男の兼護がを継ぐことになった。


 しかし兼護が家督を継いだ時十四歳に過ぎず、実権がなかった。

 そのため肝付家は島津家の臣下に完全に組み込まれ、大隅国の戦国大名、肝付家は滅亡した。



 天正二年(一五七四年)八月

 ここにようやく薩摩国、大隅国は島津家の元に完全に平定され悲願の三州平定まで残すは日向国のみとなった。


 日向国を治めるのは伊東家である。

 伊東氏の領地は飫肥、佐土原、高鍋、そして延岡の太平洋沿いの一帯を支配下に置いていた。

 だが、二年前の木崎原合戦の敗北から立ち直ることができないでいる。

 島津家に対抗するため各城の防御を固めるように指示するばかりで、その命運はもはや風前の灯だった。

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