第三十八話 木崎原の戦い
飯野城を攻めた伊東軍の総大将は伊東祐安と言い、伊東祐武の子であった。
伊東祐武の父は文明十六年(一四八四年)の伊作久逸の叛乱の際に乗じて飫肥に侵攻し、敢えなく討死した伊東氏当主祐国である。
つまり島津宗家を継いだ伊作久逸の子孫たちとは浅からぬ因縁があると言えた。
元亀三年(一五七二年)五月三日夜
伊東祐安は当主義祐の命で、日向国制圧を支えてきた名将を集結させた。
三ツ山城の激戦で手強く対抗した米良重方を始め、他の伊東一門衆、各支族、長倉某、さらには「日向国一番の槍突き」と恐れられた柚木崎正家といった面々である。
飯野城を陥落せしめて真幸院を制圧し、悲願である日向国の完全支配確立を目論んだ。
義祐は前年に島津の名君、貴久公が亡くなられた、という報せを聞いた。
さらにこれに乗じて薩摩国への侵攻を繰り返すようになった大隅国の雄、肝付良兼の動きに連動してのことである。
「この好機を逃すべからず」
という伊東家当主義祐の激励を受けて出陣した。
また義祐はこの真幸院制圧軍を送り出す時に合わせて同盟関係にあった相良氏にも、人吉より攻めかかるべし、との早馬を出している。
伊東義祐はこの時六十一歳。
この好機をもって真幸院を制圧して自称日向国主から日向守護を名乗ることを確信し、佐土原に作った自慢の小京都の茶屋で、次は大口に攻め入ろうか、都之城か、と進軍計画を密かに練っていた。
「相手は少勢と聞いておりますが、総大将はかの猛将忠平公にございます。存分に気を引き締めてかかりましょう」
「無論だ。相手がたとえ一人であっても決して油断するな」
年は五十ばかり、壮年期に差し掛かる年齢だったが、祐安の瞳の炎は誰よりも若く、猛っていた。
この軍においては祐安が最年長者であり、いずれも多少の差はあれど皆若かった。
だからこそ、祐安はこの一戦に必勝の覚悟を持って臨んでいた。
他の侍大将たちと十分に打ち合わせした上で、三ツ山城を出立したのだった。
そして三日月の夜の下で堂々と飯野城に進軍し、翌未明には飯野城のほぼ真南にある妙見原の地に着陣した。
「何事もなくここまで来たが、さて。やはり間者の報せの通り、手薄な加久藤城から攻めかかるべきか」
「そうですな」
その時、先陣からの急使が本陣に到着した。
「御大将、何やら加久藤城を追い出されたという女中を捕らえました。いかが致しましょうか」
「女中? それは只事ではないな。会ってみるか」
そう言って本陣のはずれで若い女と接見した。
「ああ、伊東様の将の方々ですね。どうかこの哀れな女のお話をお聞きくださいませ」
「どうした、何事かあったか」
そう言うと、加久藤城の奥に務める女中だった、という女が涙ながらにぽつりぽつりと話し始めた。
「私は飯野の領主の奥方様にお仕えしており、加久藤城で働かせて頂いておりました。夕食の支度をしていたところ、包丁を滑らせてしまって、この通り、自ら傷をつけてしまった次第です」
そう言って左手の包丁傷を見せた。
未明の薄闇下に焚いた松明の光に照らされてうっすらと血がにじむ傷を見て、伊東の各将は確かに、と頷く。
「ただ、その奥方様は大変気の短いお方でして、この不出来な私を『器量のない者は置いておけぬ』と言って烈火のごとく怒り、馬の鞭をもって打擲したのでございます」
「なんと……」
そう言って女中はおもむろに上半身の服を脱ぐと、露わになった乳を片手で隠しながら背中を向いた。
「これは……これは惨い!」
伊東の将たちがざわついてその傷を見た。
真新しくできた十字の斜め傷は、肉を裂き、そこから血が滴り落ちている。
「なんと哀れな……」
「猛将の嫁は真の鬼か」
そう言って口々に同情した。
「どうか、どうか。あの城を落として鬼のような女を殺してください。泡沫のごとき我が身ではございますが、どうかこの哀れな女の恨みを晴らしてください」
「よし、分かった。存分に攻め立ててやろう」
祐安は力強く頷き、女中の傷を診てもらうように手配した。
また傷を手当させながら別の将が女中に問うた。
「あの加久藤城に入っている兵はどれくらいか分かるか?」
「日頃より奥にこもっておりますので詳しくは存じ上げませんが……恐らく五百ほどではないかと」
「守りが手薄な場所は分かるか」
「はい、おそらく北の鑰掛口かと存じます。先日奥方様が搦手に通じる場所の兵が少ないので、飯野城より兵を寄越すように言え、と領主様の配下に命じておりましたが、それは出来ぬと口論になっておりました」
「でかしたぞ、この戦で勝利した暁には存分に褒美をやろう」
そう言って伊東の将たちは暗闇の中本陣に集まって、加久藤城攻めの評定を開いた。
「攻め場所はここ、西より回りこんで北の鑰掛口がよろしかろうと存じます。かの女中が曰く、大手口辺りに兵の多数を集めて、搦手に通じるここは兵が薄いとのこと」
「……ふむ。だがここは険しくて攻めるには厳しいようにも見える」
「だからこそ手薄にしているのでしょう。この闇夜に乗じて奇襲すればなんなく城内に入れるかと」
三日月は既に没んで夜明けを待つ真幸院はまだ暗かった。
「よし。では本隊は千人余りで飯野城の抑えとしてここに残る。残りの二千を新次郎殿、又次郎殿に任せる故、加久藤は鑰掛口より攻めたてよ」
「承知いたしました」
こうして、祐安は伊東新次郎祐信、伊東又次郎という伊東氏族に兵を与えて加久藤城攻めが始まった。
翌日。
同年五月四日丑三つ時
伊東軍はまず加久藤城の城下の民家に火を放った。
初夏の季節で湿気っていたが、茅葺きの屋根は燃えやすく、みるみる燃え広がっていく。
暗闇の薄曇の空に加久藤城の城下が赤く染まるのを見て、にわかに加久藤城と飯野城に敵襲を知らせる早鐘が鳴り響いた。
「ふん、慌てふためいておろうな」
その様子を見て祐安は勝利を確信してニヤリと笑った。
しかし、加久藤城と飯野城は、祐安の予想とは全く異なる様子だった。
本丸辺りの木の影から、加久藤城の城下に広がる炎を悲しげな瞳で見守る女性が一人と、鎧装束の武者が一人。
「始まりましたね」
「はい」
見れば女性は弓の修練で身につける道衣と胸当てを身につけ、髪を下ろして首の後ろでまとめ上げ、その額には鉄の額当てを織り込んだ鉢巻を締めている。
右手に薙刀、左手には女性が本当に引けるのか、と思えるくらいの太い和弓、そして肩には隙間なく矢が入れられた矢筒を背負っていた。
「私はこのまま搦手まで行って指揮を執ります。打ちでる頃合いは助六様にお任せします。合図は打ち木三つに法螺一つ」
「畏まりました……。では」
助六、と呼ばれた鎧武者が女武者に一礼し、本丸の闇夜に姿を消した。
「貴方様……。ご覧になっていますか。宰相は必ずや……必ずや成し遂げてみせます」
女武者装束姿の宰相は、愛する夫がいる東の飯野城に目を向ける。
飯野城の向こうの空が、薄っすらと薄紫色に染まりつつあるのが見えた。
その頃、飯野城。
忠平は急を知らせる使いよりも早く、既に目を覚まして鎧装束を身にまとっていた。
「殿、起きておりましたか」
「おう、よう寝たわ」
敵襲だというのに、全く動じることなく首を鳴らす素振りを見せる。
「昨日の言いつけ通り、朝飯の支度は既に出来ておろうな?」
「はい、昨晩に焚いたものですので、冷や飯でございますが……」
「なんの、構わんさ」
そう言って丼いっぱいに盛った白飯に山菜の漬物を乗せたものを用意させると、茶をぶっかけた。
そして立ったままガツガツと口に運んであっという間に平らげる。
「さて、あと一刻ほどで夜明けかな」
そう言って心配そうに加久藤城の方角を見やった。
「兵どもは?」
「九割方既に準備が整いつつあり。残り一割は朝餉の最中かと」
ふふ、と微笑んで忠平は近習に命じる。
「もし寝ぼけている者がおったら、はよ起きんと功が逃げるぞ、とでも言って叩き起こせ。四半刻後に三の丸の広場に集合!」
「はっ」
そして三十分後、三の丸に飯野城に入っていた全兵力が集結した。
その数、わずか三百人。
(怯える者は三割ほどか)
一人一人の兵の目つきを素早く見やり、忠平は勘定した。
「……」
三百人の鎧武者、足軽兵たちはいずれも無言であったが、その胸中には様々な思いがよぎっていた。
全ての兵から自分の姿が見えるように、忠平は三の丸前の大岩に上る。
「……怖いか?」
「……」
忠平の静かな問いに、誰も答えることができない。
もちろん、正直に怖いです、などと答えられるはずもなかった。
「相手は伊東勢。三千とのことだ。対する我らは三百と言ったところだな」
「……!」
一瞬ざわついた空気になったが、他の将の咳払いで再び鎮まる。
「だがこの戦において、余は既に勝利を確信している」
「!?」
一際大きくなった忠平の声に、兵たちの怯えの色が消えた。
「伊東が三千の兵で迫ることは、余は一月も前より知っておった」
そう言って得意気に微笑む。
「余はこれに勝利するための謀を巡らせており、やつらは既に我が手の内だ」
「おぉ」
小さなどよめきを上げて兵たちが活気づく。
「戦の勝敗は数で決まるにあらず! 全軍が一丸となれば必ずや勝利するだろう!!」
「おお」
「伊東の兵は恐れるに足らず!」
「おお!」
「さあ皆々、参ろうか!!」
「おお!!」
「えい! えい!」
「おーーー!!!」
島津兵庫頭忠平の鬨の声に、三百の兵の瞳には死をも恐れぬ覚悟の炎が宿っていた。
「さあ来るか」
飯野城で起こった鬨の声に伊藤祐安は身構えた。
物見が言うことには数百ほどが出陣して加久藤城と飯野城の間辺りに陣を構えたという。
しかしこちらに攻め寄せる気配がないと見るや、祐安は嘲笑うかのような笑みを浮かべた。
「件の猛将も少勢では手が出せんか」
飯野城からは狼煙が上がっており、近くの各城の救援を要請しておるのであろう。
「救援が来るまで恐らく半日余といったところか。なぁに、それまでに仕留めて見せる」
空は水色に染まり、夜明けが近いことを知らせている。
その頃、加久藤城の鑰掛口では激戦が続いていた。
まもなく夜明けだというのに、北向きの鑰掛口は未だ暗かった。
「おい、何かおかしくないか」
「いや鑰掛口はここで合っていると思うのだが」
伊東新次郎祐信、伊東又次郎は首をひねりながらも、急峻な崖道が続く鑰掛口の入り口を既に一刻以上も時間をかけて攻め寄せていた。
しかし、あまりに狭い上に二千の兵を活かすことが出来ず、いつの間には兵が五十人ほど失われていた。
崖の下、山道に伊東兵の遺骸が無残にも棄てられている。
どうやら大勢の兵がこもっているらしく、入り口近くにある崖の上の館からはしきりに投石攻撃された。
それに躍起になって攻めあがり、ようやく乱入して館の中を改めた。
だが伊東軍の前には僧形の者の遺体が三つしかいなかった。
「や、これは僧の邸宅ではないか? 兵詰めの番所ではない」
「しかもここで行き止まりではないか! ここは城に通じる口ではないぞ!」
ようやく攻撃目標を間違えていたことに気づいたが
「ではなにゆえあれほど激しく抵抗されたのだ……」
狐に化かされたような気持ちになった。
それでも肩が触れ合うほどの狭い山道を搦手に向かって登って行くと、再び山の上から弓矢が撃ちかけられ、石が投げ入れられ、そこでもまた何人かの兵が斃れた。
それでもようやく堪えて、広くなった所に出てようやく一息ついた。
そこに打ち木が三つ鳴り、法螺が一つ吹かれた。どこからともなく島津の兵、五十余りが突撃してきた。
「おのれっ! ここで打って出てくるとは……!」
休む間もなく、必死の思いで迎え撃っていると、今度は別の方角からの弓矢が飛んできた。
「ぬ……これは飯野の救援軍か?」
背後から飯野城からの救援と思われる島津の兵が迫っているのが見えた。
夜通し歩いて、山道を登り、夜を徹して攻めたので、兵たちには疲労の色が出ていた。
空を見上げればいつの間にか夜が明けて、明るい日差しが降り注いでいる。
伊東新次郎は
「おのれっ」
と怨嗟の声を吐き捨てると、退却命令を出した。
一方その頃、肥後国球磨と日向真幸院を繋ぐ堀切峠を超えたところで、相良軍が休憩をとっていた。
義祐の飯野城侵攻の報せを受けて、真幸院の城を掠め取ろうと相良家の人吉城から深水播磨守、佐牟田常陸介の二人が五百余りの兵を率いていた。
しかし飯野城がある思われる方角を見て思わず息を呑む。
島津十字紋を描いた大量の幟が山の低木からいくつも突き出ており、まるで相良兵の動きに反応するかのように風に揺れていた。
「なんと、島津は少数と聞いていたが、とんでもない! あの数で敵うはずがなかろうが!」
そう言って嘆くと、慌てて人吉城まで引き返した。
その幟は、忠平が攻め入る場所を予測して予め建てさせておいた無人の幟とは気づかなかったようである。
鑰掛口からの加久藤城攻略を諦めた伊東新次郎祐信、伊東又次郎は川内川に合流する池島川まで軍を退いていた。
初夏の気温はぐんぐん上がり、加久藤盆地を蒸し暑く熱していった。
折からの晴天で、伊東、島津、両兵とも汗だくになっている。
忠平は未だ飯野城と加久藤城の間にある二八坂に陣を貼って、木陰で涼んで水を飲むように命じた。
だが、いつでも攻撃をしかけられるように鎧は絶対に脱がず、武器も必ず手元に持っておくように、と厳命した。
一方、加久藤城攻めに失敗した伊東兵たちは、池島の五百メートルほど南にある、川のそばで休憩をとっていた。
この場所は台地上になっており、その台地の天蓋にはかつては鳥越という古城があったという話だった。
この台地はちょうど加久藤城、飯野城からの視界を遮るため見つからないだろう、ということで兵たちに休みを与えたのだった。
鎧を脱いで水浴びをする者、木陰で涼んで仮眠を取る者。
伊東の兵たちは命拾いをしたと言わんばかりに休みをとった。
しかし、それを忠平が放っていた斥候が見逃さなかった。
「まさかここまで予想通りに動くとはな……」
斥候からの報せを受けて「天運まさに我にあり」と呟くと休んでいた兵たちに向かって静かに出発の合図をする。川内川を渡って密かに伊東の兵たちが休む池島川まで急いだ。
「敵襲!!」
伊東の物見兵が大声を上げたが、既に遅かった。
雷のごとく速度で忠平ひきいる軍勢が攻め寄せて、伊東の兵たちは恐慌状態となり、大乱戦となった。
見る見るうちに池島川の土手が伊東兵の死体で埋まっていく。
「おのれ、油断した! 数は百か百五十くらいか!?」
伊東新次郎はまた怨嗟の声を上げて、敵勢の大将を探す。
「あれか!」
新次郎は馬に乗ると、ひときわ目立つ栗毛の馬に乗って槍を奮う、赤い大鎧の武者に目掛けて突進した。
「島津御大将兵庫頭殿と見た! 俺は伊東が舎弟、新次郎と申す! 尋常に勝負いたせ!!」
大声で名乗りをあげて、戦場の視線を集める。
「よう言うた! 存分に参られよ!!」
忠平もこれに応えて一騎打ちになった。
「はあっ!」
馬に気合を入れ、槍を右脇に抱えた伊東新次郎が突撃する。
しかし待ち構える忠平の目前で馬を降りると、降りた馬の死角から、虚を突かれたように棒立ちになった忠平に目掛けて槍を突き上げた。
(もらった!)
新次郎には確かに手応えあった、と思ったが、その槍を冷静に避けた忠平の頬をかすめて空を切った。
「!?」
驚いた新次郎の槍の柄を忠平が掴み、すさまじい力で引かれると上体を起こされる。
そして忠平の槍が深々と新次郎の喉笛を貫いた。
新次郎は呼吸できなくなり、急速に意識が失われていく中で敗北を悟って絶命した。
「殿、平気ですか」
「他愛もないわ」
忠平は駆け寄ってきた臣下を安心させると、池島川の戦場を見渡す。
伊東兵は既にほとんど川をわたって逃げる者、遠巻きにこちらを眺めて怯える者ばかりであることを見届けると、退却の法螺を吹かせた。
同日午の刻。
ちょうど日が天頂にさしかかろうとしていた。
加久藤城攻めに参加していた二千の兵は四百減って千六百余り。
祐安本隊の千人を合流させて二千六百になっていた。
兵力という点ではまだまだ圧倒していると言ってよかったが、それを指揮する名のある将もだいぶ討たれていた。
将なき兵の脆さを、祐安はよく知っていた。
また、飯野城から狼煙が上がって四半日余り。そろそろ他の支城の救援が到着する頃である。
ここに至って、必勝の覚悟で臨んだはずの伊東軍の飯野城攻めは、退却も致し方なし、という判断になった。
退却ルートは飯野城から南に十二キロ進んだ先にある白鳥山を経由して東へ向かい、三ツ山城の近くにある高原城を目指すことになった。
しかし白鳥山の山中を進む伊東軍を予想外の勢力が阻む。
白鳥神社へ至る山道を、神社の座主が農民らと三百人が道を防いでいたのだ。
祈祷に使う鉦や太鼓を打ち鳴らし、大声を上げて威嚇する。
祐安はこれに大いに驚いた。
「これは伏兵か!」
白い幟が立ち上がるのを見て祐安は慌てて白鳥山を駆け下りたが、そこには島津軍が待ち構えていた。
「ええい、挟まれた!」
伊東の兵は祐安の突撃の合図で死に物狂いになると、正面の島津軍に攻めかかった。
これを指揮するのは忠平であったが、この勢いにはさすがに押された。
「殿! 木崎原までお下がりください! 死兵を相手にするのはいくら策があれども無謀です!」
遠矢良賢ら六人ばかりの将が忠平の馬前に出ると、忠平も
「すまん!」
と叫んで兵を木崎原まで軍を下げた。
同日未の刻。
伊東の全軍が白鳥山を降りて、木崎原の三角田まで追撃しながら進んだ頃には既に日が傾き始めていた。
祐安の顔には焦燥の色が隠せなかった。
周囲を確認する余力もなければ、正常な判断力も失われていた。
なんとしても退却せねば、と思い、木崎原の丘にかけ上がった祐安は我が目を疑った。
先ほどまで這々の体で退却していた忠平の軍が既に兵を整えて攻めかからんと待ち構えていたのである。
そこに法螺が吹かれる。
「なんと背後から!? どういうことだ!」
背後から襲撃を受けた。
「左手横より敵襲!!」
「横!?」
今度は先ほど降りてきた白鳥山の登山口、野間口辺りから島津の兵が攻めかかってきた。
よく見れば正面の島津の兵の数は五、六百ほどで、一方の伊東の軍勢は二千六百余り。
飯野城と加久藤城の少勢ばかりと思っていたがいつの間にか各支城の援軍が合流していた。
それでもまだ兵力差に余裕はあったはずだが、背後から、横から、そして正面から攻めかかれ、完全に包囲されていた。
「全軍! かかれ!!」
大口で菱刈相良の連合軍を壊滅状態に陥らせた必殺の釣り野伏が、木崎原の最終局面で炸裂した。
正面の島津軍から突撃の太鼓が打ち鳴らされ、同時に弓矢、鉄砲が伊東の軍勢に振りかかる。
祐安は恐慌状態になった。
もはや何も考えることができなくなった。
「退け! 各々三ツ山目指して退け!」
ここに伊東の軍勢は統制を失い、潰走状態になった。
兵たちは右往左往しながら、東へ向かって逃げ道を探す。
投降しようと武器をもったまま近づいて島津の兵に討ち取られる者がいた。
中には武器も防具も脱ぎ捨て、島津軍に投降の意思を示す兵もいた。
また前後不覚となった伊東百六十余りの兵団は西へ逃れ、そこにちょうど援軍で駆けつけた新納武蔵守忠元の軍勢百五十あまりとと鉢合わせし、全滅した。
殿軍を任された柚木崎正家が単騎で島津軍の前に踊りでて、馬上のまま大声で名乗りをあげる。
「我こそは日州一の槍突き、柚木崎丹後守なり!! 名のある者は我が相手になれ!!」
「日州一の槍突きとはよう言うた! この兵庫が御相手いたそう!」
そう言って忠平も馬上から嬉々として名乗り出た。
周りの将たちが
「殿、おやめください」
と慌てていたが、正家はそれを認めるや弓矢で撃ちかけた。
しかし、捉えた、と思った瞬間に忠平の馬が前のめりに跪き、矢は忠平の背中をかすめて外れた。
ゆっくりと顔を上げた忠平の顔には、怒りに満ちている。
「何が槍突きだ! この卑怯者め!!」
そう言うと、横にいた忠平付きの道具衆から鉄砲を奪い取る。
忠平の弾丸は、正家の右肩を正確に撃ち抜いて、鉄砲の衝撃で落馬した。
正家はもんどりうって半腰になり呆然とする。
「討ち取れ!!」
忠平の号令で周りにいた兵たちが正家を囲んだ。
「忠平公こそまさに戦神なり! 柚木崎丹後守は心服いたした! ここで討死にすること本望である!」
それだけ叫んだところで槍に突かれて絶命した。
伊東軍の総大将である祐安も地獄の戦場と化した木崎原からようやく脱出すると、左手に飯野城を臨む本地原辺りまで逃がれていた。祐安は昼下がり飯野城を睨みつける。
「恐るべし兵庫頭。此度は一敗地に塗れたが、次こそは……!」
しかしその再戦の誓いは本地原の山林に伏せていた島津の兵によって挫かれた。
「ここにも……伏兵が……」
祐安は左脇腹から心の臓近くを射抜かれ、意識が途切れる中で忠平の恐ろしさを心底感じながら絶命した。
この頃、忠平の命により追撃中止の法螺が吹かれ、一日以上にも及ぶ木崎原の戦いは島津軍の勝利に終わった。
忠平は木崎原での決戦に備えて鷹狩や領内巡回のついでに徹底的に調べあげた。
伊東軍にどのように攻めさせて、どのように兵を動かさせて、どのように退却させるか、ということを入念に考えた。
そしてもっとも挟撃できる可能性のある場所、として二箇所に兵を伏せさせた。
一箇所は五代友喜に四十人を預けて白鳥山の麓、野間門に。
もう一箇所は村尾重侯に五十人の兵を預けて、祐安が討ち死にした飯野城と三ツ山城を繋ぐ本地原に。
さらに白鳥山へ伊東軍が逃れたのを見ると、鎌田政年に六十人を預けてその後ろに回りこむように命じた。
入念な事前確認と臨機応変な兵運用、さらにはそれを確実に実行する統制された士兵、そして死を恐れない精強さが、三千対三百という絶望的な戦力差を覆した奇跡の一戦だった。
結果として木崎原の戦いは伊東軍三千の兵のうち、名のある者と雑兵含めて千近くが、島津軍三百の兵のうち実に二百五十余が討ち取られる壮絶な合戦となった。
しかしこの戦で伊東氏の躍進を支えてきた重臣のほぼ全てを失ってしまい、伊東氏は急速に衰退していく事になる。
なお、北は加久藤城から南は白鳥山、東は三ツ山城近くまでの広範囲に伊東、島津の兵の遺体が残った。
その処理を終えるまで四ヶ月以上もかかったと言う。
その後忠平はこの壮絶な合戦で亡くなった両軍の兵を弔うために激戦地となった池島の地に地蔵塔を建てさせて、供養の祈りを捧げた。




