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戦国島津史伝  作者: 貴塚木ノ実
三州平定
38/82

第三十七話 宰相殿

文句の付けようがないラブコメに仕上がりました。

 島津四兄弟にはそれぞれ妻がいる。


 義久の正室は日新斎の末娘。花舜(かしゅん)夫人と呼ばれた。

 義久にとっては叔母という間柄であったが、この婚姻は孫を溺愛する日新斎が主導的に進めた。

 結婚に政略的な意図があって当たり前だったが、この婚姻には義久やその子孫により濃く自らの血筋を残したい、という日新斎の考えでもあったのだろう。

 しかし御平という女子を産んだ後、早世してしまった。

 御平は薩州家の島津義虎に嫁いで子宝に恵まれた。


 正室を失った後は、種子島家十四代当主時尭の娘を継室に迎え、円信院殿と呼ばれた。

 時尭の妻は日新斎の三女であったので、円信院殿は日新斎にとっては外孫であり、義久とは従姉妹同士という関係である。

 永禄六年(一五六三年)に玉姫という女子、元亀二年(一五七一年)に亀寿という女子を産み、その翌年に早世した。



 一族婚という当時の戦国大名にありがちな婚姻関係は、末弟の家久にも見られる。

 正室は樺山善久の末娘。

 樺山善久の妻は日新斎の娘、御隅であるので、これも家久とは従姉妹の関係であった。

 こちらは十八歳と十九歳にかけて女子を二人産んだ。その後に男子を二人、そして三十五歳の時に三女を産んでいる。

 特に元亀元年(一五七〇年)六月に誕生した嫡男は幼名を豊寿丸と言って、美少年と大変評判で大事に育てられた。



 その一方で、次男忠平、三男の歳久の妻はどうかというと、かなり首をかしげることになる。


 歳久には二人妻がいたがいずれも大きく謎が残る。

 一人は新納宗家忠堅の娘で、日向に逃れていた新納宗家より嫁いでいる。

 ただし、これは天正六年(一五七八年)頃の婚姻話で側室であった。


 正室とされるのは悦窓夫人と呼ばれる女性で、歳久が治める吉田の郷士、児島備中守の娘という。

 郷士と島津家では家格があまりにもかけ離れており、あまつさえ歳久とは十四歳ほど離れた年上の未亡人だった。

 あまりにも疑問が残る婚姻関係で後の史料にも「妾ではないか?」と注釈文が着くほどであったが、歳久はこの妻をこよなく愛していた。

 その間には女子が一人授かっただけだったが、悦窓夫人もまた歳久によく尽くした。



 そして忠平である。

 最初の正室は北郷氏より娶った。その裏には飫肥防衛のために用意された豊州家養子縁組が関係している。

 その間に女子を一人授かったが、養子縁組の解消の際に離縁した。


 継室は肥後球磨の相良氏十七代当主晴広の娘であった。

 北原氏の旧地回復のために島津、北郷、相良で同盟した際に忠平に嫁いだ。

 しかし相良氏の裏切りによって関係が悪化すると離縁される。


 そして三番目の妻が、この物語に大きく関わってくる。




 永禄七年(一五六四年)に飯野城に入ってからというもの、忠平は遠征で離れる時を除けば領内の巡回を欠かしたことはなかった。

 また真幸院は野うさぎや雉などがとても多かったことから、忠平は領内の見回りと称しては鷹狩に出かけることを楽しみにしていた。


 鷹狩は鷹を手懐けることよりも、とにかく獲物を追い立てるのが難しい。

 鷹が捕らえやすいように獲物を絶好の位置まで追い立てるには、多くの者を動員して組織的に動かさなければならない。

 そのため、鷹狩は戦のない平時においては兵法の心得を失わないための修練の場でもあった。


 しかし相手は獣のことであるので、万事が万事思い通りにいくわけでもない。

 獲物が少なければ家臣が声をかけることを躊躇うほど忠平の機嫌は悪かった。

 だが逆に獲物が多ければ口軽く上機嫌になるのであった。



 それは十月も半ばを過ぎて肌寒くなり、冬支度をせねば、という頃のことである。

 その日も忠平は鷹狩を楽しんで多くの獲物を捕らえる事ができた。

 ご機嫌うるわしく飯野城に戻る道すがらの出来事。


 まもなく日が傾き始める時間であったため、忠平の一行は農作業を済ませた農民たちとすれ違いながら飯野城へ戻っていた。

 農民たちはその一行が飯野城のお殿様であるとは気づかなかった。

 しかしおさむらい様であるので、すれ違うときになると道から外れて立ち止まって傘を脱ぎ、頭を垂れて、忠平が通り過ぎるまで身を硬直させた。


 また心優しい忠平も、その度に農民たちに「ご苦労であるな」と気安く声をかけて労うのだった。

 ふと忠平の目に飛び込んだのは、農民の母子である。


 頬にシワが入り始めた女と、その娘と思われる十二、三ばかりの若い女が一人。

 一家の柱となるような男が見当たらなかったので、恐らくは戦で徴兵されて亡くなったか怪我をしたか、と忠平は想像して、それがチクリと胸を刺した。


 見れば手には大根、(かぶ)、里芋といった旬の野菜を抱えている。


「見事な大根であるな。銭をやるので一つくれるか」


 そう言って忠平は馬上から声をかけた。


(せめて銭で慰みにでもなればいいのだが)


 そう思ってのことである。

 てっきりすれ違うだけだと思って頭を下げていた若い方の娘は、唐突に声をかけられて


「えっ」


 と戸惑うような声を出した。

 目を合わせないように気をつけながら顔をあげると、そこには何やら立派そうな侍が馬上いて、その前後にもぞろぞろとお侍様が大勢並んでいる。


「は、はあ」


 娘は戸惑いながら大根を一つ取って差し出そうとしたが、ふと止まった。


(そのまま差し出すのは失礼かしら)


 そんなことを思って、小脇に抱えていたトンガリ笠を竹編みの平かごに見立てようと思ったが、自分の頭が触れる場所に置いて差し出すのも不浄であろうから、と思い、上側を凹ませるとそこに大根を置いて差し出した。


 その所作をじっと見つめていた忠平は


(農民とはいえ、なんとも心得ておる。感心感心)


 と思って大根を受け取ろうと手を伸ばした。



 農家の娘は、日頃より母親から「お侍様と目を合わせるのは失礼だから、目を合わせてはいけないよ」と聞かされていた。

 そのため、それまで目を合わさないように大根を差し出すつもりだったが、まだ幼さが残る年頃である。

 このお侍様は一体どんな方なんだろう、という好奇心がむくむくと湧いた。


「ど、どうぞ」


 そう言って渡そうとした時、ふと馬上の人を見上げた。

 色白で柔和な、穏やかで優しそうな笑みを浮かべた大人の男だった。



 西洋の神話にはクピードー、もしくはキューピッドという愛の神がいる。

 背中に翼を生やし、下々の人間に悪戯心で恋する矢を撃ち放っては男と女を結びつけるらしい。

 あいにくと日本神話にはこれに対応するような神はいないようだが、日本人にとって馴染みがあるのは仏教の愛染明王辺りだろうか。


 とにかくも、おそらくはキューピッドの放った恋の矢は、忠平と娘の心を、共に深々と撃ちぬいた。

 撃ちぬいたというよりは、ぶちぬいた。

 ぽっかりと空いた心の穴を埋め尽くすように祝福の法螺が二人を包んで、なおも絡みつく視線は二人を離さない。


「あ……あの……」

「……あ……すまん……」


 大根を受け取った忠平はようやく視線を外して、そそくさと大根を家臣に渡す。


「ししし、し、失礼でございました。も、申し訳ございません……」

「あ、いや、よいぞ。かまわん。うん、構わん」


 娘は唐突に身なりを整えるかのように土埃を払い、忠平の視線は空を泳ぐ。

 挙動不審な素振りをする二人の様子を見て、家臣たちが何事かと訝しげに首をかしげる。


「あの、娘に何事かご無礼がございましたか?」


 農女の母が心配そうに話しかけて忠平はようやく正気を取り戻した。


「へ!? あ、いや何もない。感心なことだと思った次第よ」


 そういって大根を差し出す所作を家臣たちにも説明して褒めた。


「お主、どこに住んでいて、名をなんという?」


 ようやく平常心を取り戻した忠平は別れ際に若い農女に名を尋ねた。


「あ、あの私は……・そこの外れにある農家の……お、あ……あの……名前……名前は……」


 しかりまともに忠平を見ることもできずに、その声は小さくなっていき、烏の声にかき消されてしまった。

 そして傘で顔を覆うと、列の後ろに走り去ってしまった。


 それを呆気に取られて見送る家臣団、頭を下げて慌てて追いかける母、そして口を半開きにして背中を見つめる忠平の姿があった。




 飯野城に戻って、夕食になっても箸が進まない忠平を家臣たちは困惑した表情で様子を伺った。


「一体、殿はどうしたのだ?」

「機嫌が悪いわけでもないが……・あっ! 殿! 汁がこぼれて、こぼれておりますよ!」

「え!? あ、これは失態」


 そう言って袴にこぼれた汁を慌てて拭き取った。



「あの農民の娘を嫁に取る!」


 と忠平が言い始めたのは食膳を下げた後のことだった。


「はあ!?」

「殿、正気でございますか」

「ああ、殿が戦疲れのあまり気が触れてしまった」


 家臣たちは一様に我が耳を疑って、口々に嘆きの言葉を吐く。

 しかしその声が聴こえないかのように忠平は近習に申し付けると、その日のうちに農女の母子共々城の中に連れて来て、西の丸の一室に入れさせた。


 夜遅く城の中に入れさせられ、母の方はあかしと名乗った。


「あんたは一体なにをしたのよ!」

「知らないわ……! ただ大根をお渡ししただけです!」

「ああ、娘がきっとお侍様の機嫌を損ねるような、とんでもないことをしてしまったのよ。ここで殺されてしまうのよ」


 と仏様に拝み始める一方で、娘の方は


「またあの方に逢えるのかしら……どうしよう。紅を塗った方がいいかしら」


 とそわそわとするのだった。



 一方その頃、飯野城の本丸では農民の娘を嫁に取ると言い出した忠平に家臣団が説得を試みていた。


「よいですか。世には家格というものがございます。身分相応という言葉が通り、殿には相応しい方が必ず居られます。それがよりにもよって名も無き農民を娶るとは、三州平定を志す当家の弟君ともあろうお方が、一体何をお考えですか」


 しかしそれすらも、忠平は


「あーあー聞こえん聞こえん」


 と耳を塞いでしまい、完全に駄々っ子のようになってしまった。

 ここに至って家中を巻き込む大問題となってしまい、この話は兄の義久、父伯囿、果ては祖父日新斎の耳にまで届いて頭を悩ませてしまう事態となる。



 年が明けて。

 永禄十年(一五六七年)年賀

 祝言を挙げて散会した後のことである。


 日新斎以下、孫らが寄り集まって、家族会議が開かれた。

 日新斎、伯囿、義久、忠平、歳久、家久の六人である。


 ひとつ目の議題は今後の攻略方針。

 ここでは兵糧の補充や戦疲れ等々も考慮して、十一月には大口菱刈を攻めようか、という話になった。

 そしてふたつ目、前の年に出会ったという農民の女と忠平の婚姻話について議題にあがった。


「……惚れたか」

「まあ、そういうことです」


 忠平は何一つ悪びれることもなく、堂々と答える。


 農民には畑作業もあるから、ということで母子は結局家に帰されたが、未だ結婚は許されていない。

 またその身に万が一の事があってもならぬ、という忠平の厳命で五人の兵が警護についた。

 しかし何故警護されているか聞くこともできず、母子は怯えながら畑作業は気もそぞろ、という状況にあった。


「お主は何を考えておるのか。聞けば大して美人でもないというし」

「ですが醜女(しこめ)でもございません」


 散々家臣たちから言われた言葉を父から浴びせかけれても、忠平は鉄仮面のような表情でさらりと聞き流す。


「まあ惚れてしまったものは仕方ないのではありませんか」

「だよな?」


 助け舟をだしたのは歳久だった。忠平も大きく頷く。


「又六……お主、十四も離れた後家の女に熱を上げているからといって、何やら肩を持つではないか」


 義久が嫌味を言って、睨みつける。

 しかし目は少し笑っていた。


「おやおや。まさか兄上から拙者の得意技が出てくるとは思いませなんだ」


 歳久も負けじと嫌味で返し、茶をすすった。


「ああ、もう! こんなことで兄弟の絆がこじれるのはよくないと存じまする!」


 二十一歳の家久が、両者をなだめるような素振りをした。


「お館様どうしましょう」


 義久が困った様子で日新斎の様子を見る。


「武庫が言うて聞く男であれば……お主もそれほど困りはせんだろうて」


 武勇英略を極め……と言いつつ、普段からその無茶な戦ぶりに心配していた日新斎は既に諦め顔だった。

 はあ、と誰となくため息をついたところで伯囿がポツリと口を開く。


「かの尾張の織田某は、身分や家格などには全くとらわれず、功あれば重用する風潮があると聞いておる。又四郎が惚れたというその女子(おなご)が武家の女に相応しいだけの器量があれば、婚姻を認めてやるというのはどうだ」

「真にございますか!?」


 思わず腰を浮かすほどの勢いで忠平が背筋を伸ばし、思わず体が半分前に出た。


「一年だけ時間をやる。そこで徹底的に武家の女としての作法を学ばせよ。武家に嫁ぐ器に非ずとなれば、どこか遠くへ追放する」

「それは……畏まりました。やってみせましょう」

「いや、兄上が気張る話ではないぞ」


 歳久の冷静な指摘が耳に届きもしないうちに忠平は喜び勇んで飯野城に戻り、再び恋する乙女と再会した。


「まあ、娘が……」


 母があんぐりと口を開けてそれ以上の言葉がでてこない横で、忠平は未来の嫁の手をとって熱心に口説いた。


「よいか、お主がこの一年の間で武家の女に成れば、俺はお主と夫婦になれる」

「私が……お殿様と夫婦に……」


 女はもじもじと膝をすり合わせながら恋する瞳で忠平と視線を交わす。


「そうだ、今しばらくの辛抱だが、やってくれるか」

「がんばります……!」



 こうしてたった一年の猶予ではあったが、厳しい花嫁修業が始まった。

 修行元は、貴久を清水城脱出に尽力した小野村の園田清左衛門老人である。

 儒学の講座に励み、読み書き、武家の作法、奥の仕事を徹底的に修行し叩き込まれた。

 またとても気が利く女と言うだけあって、素地はあったようた。

 それまで鍬の握り方しか知らなかった農民の娘は見る見る武家の女に変わっていった。

 さらには島津家の家系図も徹底的に暗記させられ、御家に伝わる逸話や伝説を聞かされ、島津家の者として持つべき誇りも身につけさせられた。

 それは人によっては重圧となるようなことではあったが、恋する乙女には全く関係なかったようである。

 一年後にはすっかり振る舞いも考え方も武家の女らしい凛々しい姫になっていた。


 また農民の娘を娶った事が悪様に風聞になったり後世に伝わったりすれば侮辱されるかもしれない、ということで徹底的に証拠隠滅と捏造が行われた。

 娘は園田清左衛門の秘蔵の娘ということになり、さらには渋谷一族が治める広瀬村の広瀬某という人に養女に出した。

 忠平との婚姻も渋谷一族との血縁関係を持つための婚姻、という体裁になった。



 そして一年後。


 永禄十一年(一五六八年)二月。

 武家の女らしい桃の花をあしらった華やかな柄の着物に、髪結式を済ませた少女と、義久、伯囿は面会した。


「どこからどう見ても、立派などこぞの武家の姫だな」

「ええ、真に」

「畏れ入ります」


 何一つ隙のないその様子を見た島津家の一族を納得させて、ようやく忠平と少女との祝言が執り行われた。

 こうして、忠平三十三歳。その妻十四歳は晴れて夫婦となり幸せに暮らしたとさ。


 めでたしめでたし



 ……とはいかなかった。

 やはり島津家臣の間では家格の低い女が何故よりにもよって……と陰口を叩く声が聞こえた。

 それを耳にした忠平は愛する妻のことを「宰相殿」と呼び始めるようになる。

 宰相とは行政の長を補佐する立場のことを指す言葉である。


 また宰相殿も忠平の妻として奥を仕切り、時には忠平の命を受けて兵たちに指示を出すなど、忠平不在の飯野城で存在感を示していった。

 次第に宰相殿の才覚は評判となり、また島津一族もこれを快く受け容れている、ということが伝わると、陰口を叩く者はいなくなり、ようやく忠平は安らぎを得た。


 女性は穢れと思われていた事から、戦の出陣の前は会う事を避けられるのが普通だったが、忠平はこっそりと寝床を抜け出して逢引する事もあった。

 そして忠平は遠征先から飯野城に戻ると、すぐに宰相が控える奥の間に飛んでいった。


「あなた様!」

「宰相!」


 再会するなり抱きすくめて周囲の目を気にする事なく語り合おうとする二人を、家臣たちは咳払いしながら引き離すことしばしば。

 領内の見回りには常に馬上を伴にし、仲睦まじい様子は領民たちの目を和ませた

 また事務処理が終わって時間が空くと膝の上に宰相を呼んだ。

 そして抱き寄せながら武功話をし、また宰相殿もその話を聞いては驚き、喜び、頬をすり寄せて夫を慰めた。

 また夜になれば愛する夫の貪るような求めに応じて女の悦びを知り、永禄十二年(一五六九年)には加久藤城で第一子となる長男を産んで母になる慶びを知った。

 忠平と宰相殿の間には実に五男一女を授かる事になる。


 その後、大口を攻めて菱刈氏を追放し、渋谷一族を降伏させて薩摩国を平定。

 さらには歳久総大将による大隅国平定を経ることになる。



 先年に手痛い敗北を期した三ツ山城を攻略するために、忠平は飯野城と各支城で備えていた。

 しかし大口堂崎の合戦での敗北を経て、鳥神尾の戦で菱刈相良連合軍を壊滅状態に追い込む大勝を得て、難なく大口城を陥落させた事を知った忠平は、この頃になって方針転換を行う。


「無理な城攻めよりは、野戦にて決するべし」


 不敵な笑みを浮かべて飯野城を中心とした策を張り巡らせることにした。


 忠平はまず、加久藤城を改修して攻め手に備えると、宰相殿と嫡子を住まわせた。

 飯野城から川内川を挟んでの東に十五キロあまりの所に三ツ山城があり、加久藤城は飯野城の西へ六キロの場所にある。

 もちろん、飯野城と加久藤城は兵たちが通る専用の山道を繋いで隠し、最悪の事態にも対応できるようにした。

 また、徴兵していた農民をそれぞれ家に家に帰して、名のある士分の者を残し、兵の数を減らした。


 さらに三徳院という寺にいた盲僧を間者として伊東の領地に放つと、領民の口に上がる合戦に関する噂話を集めさせた。




 元亀三年(一五七二年)五月三日

 日が暮れて夜になった頃である。


『三ツ山城より伊東の軍勢三千余りが迫る』


 飯野城で忠平が蝋燭の灯りの下で書を嗜んでいる時に、急報が届いた。


「三千……か」


 静かに書を閉じると五代友喜、村尾重侯(しげきみ)を呼び出し、命を下した。

 そして加久藤城の宰相殿には


『伊東の軍迫る、打ち合わせ通り事を進めるべし』


 と知らせた。



 煌々と松明の灯りが照らす中、宰相は辛そうな表情で、女中の一人と対面していた。

 女中は地元の士卒から出仕している奉公人だった。

 年は宰相よりも少し上くらいであったが、とても真面目な性格で、主従の関係をよくわきまえていた。

 宰相の周りに知り合いもおらず、陰口を叩かれている時にもよく声をかけて励ました。

 また忠平が不在の際に寂しい思いをすることもあった宰相を慰める優しい心根を持っており、宰相もまた心から信頼している女中でもあった。


「……伊東の兵がついに来てしまいました。以前、相談させていただいた通りです」


 女中は穏やかな笑顔で首を振る。


「私の身ひとつで御家と奥方様のお役に立てるのであれば、身に余る光栄にございます」


 そう言うと、自ら指に包丁傷をつけ、服を脱いで上半身の肌を露わにし、背中を向けた。


「さ、お構いなく」

「ごめんなさい……」


 宰相はもう一度頭を下げて手を合わせると、馬の鞭を思い切り振り下ろす。

 鞭は唸って空気を裂き、強かに女中の白い肌を打った。


「くぅっ……!」


 女中は肉が弾ける激痛に耐えて苦悶の表情を見せるが、さらに「もう一度」と背中を差し出す。

 宰相は別の角度からさらに鞭で叩いた。


 鞭で打たれた背中に、あっという間に二筋の線が十字傷となって腫れ上がる。


「では」


 女中は一礼すると、服を雑然と着直して静かに加久藤城を後にした。

ウェブサイト「戦国島津の女達」を参考にさせて頂きました。

この場を借りて御礼申し上げます。

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