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戦国島津史伝  作者: 貴塚木ノ実
飛躍
35/82

第三十四話 梅岳

 堂崎の合戦での敗北で忠平はひたすら兄に陳謝した。

 そして川上左近将監久朗を失ったことを詫びた。

 だが忠平にとって意外だったのは、義久は取り乱すことなく、全て受け容れたかのように落ち着いていたことだった。また逆に忠平に労いの言葉をかけた。


「いや、これは仕掛ける場所が悪かったのだ。全て責は私にある」


 そして


「また頼むことになるぞ」


 と愛寵の死に健気に堪えながら、寂しげに微笑むのだった。

 その後は真幸院の情勢が不安であるから、という理由で忠平を飯野城へ戻して伊東からの侵攻に備えるように命じた。

 真幸院飯野城に戻る山道で、忠平は思う。


「兄上は既に立派な太守になられていた。俺がでしゃばって張り切るまでもなかった。これからは兄上に心置きなく思う存分に忠孝いたそう」



 大口征伐は菱刈氏との戦いというよりは、肥後球磨の相良氏との戦い、という性格もあった。

 大口城には元々相良の兵が入っていたが、島津軍の侵攻でさらに多くの兵が入っているという情報を得た。

 義久は鹿児島他の領地より兵を集めさせて軍備を強化していったが大口城は薩摩国の端地にしては規模も大きい山城であった。

 そのため戦況は次第に膠着し長期戦に入ろうとしていた。


 その頃、亡き尚久の嫡男、島津図書頭又五郎忠長も馬越城に呼びだされていた。


「図書頭は弾正忠と共に市山に行って大口攻めの打ち合わせをするべし」


 市山城は馬越城より北へ四キロの位置にある。

 大口城から見ると、南へわずか二キロ、市山川を挟んだわずかに小高い丘陵にあった。

 市山城はまさに大口城の目と鼻の先にあって、一挙一動が分かる場所だった。

 大口城もこれを攻め落とそうと躍起になっていたが、ここを守るのは猛将、新納刑部大輔忠元だった。

 その前に再三防がれていた。


 その日、忠長と肝付弾正忠兼盛は、義久の指示にしたがって市山城に赴いて忠元と相談した。

 大口城攻めに参加する人数や陣容の確認、攻めかかる段取りなど、さらには相良氏の援軍の状況などの意見交換を行った。

 その打ち合わせがつつがなく終わり、夜も暗くなってからの事である。

 忠元が忠長と兼盛を馬越城へ戻る道の途中まで送った時に事件が起きる。


「殿にもよろしくお伝えくだされ」

「刑部殿もお気をつけあれ」


 忠元が忠長、兼盛を送り、別れの挨拶を済ませて市山城に戻ろうとしている道すがら、小苗代薬師堂の前を通りがかった。

 そこでせっかくなのでお参りしておこうと立ち寄った。

 まもなく新月かという真っ暗闇、ようやく暖かくなってきた夜の空気、ちらちらと灯る松明、そしてそれに集まる小虫。

 思わず欠伸がでて、ふと花の香りを感じた忠元は、つい風雅な気持ちになっていた。

 脳裏に禅宗の言葉が思い浮かぶ。


「禅林集句だったな。牡丹花下睡猫……はてなんだっかな。 牡丹花下睡猫……心在飛蝶……えーっと。お、良い句が思い浮かびそうだ」


 こうなると忠元は気になって気になって仕方がない。

 薬師堂の社に上がり込むと、そそくさと墨をすり始めた。



 一方その頃、大口城の菱刈隆秋は、市山城を監視していた兵より、『市山の偵察とおぼしき者を発見』という報せを受けていた。

 すぐさま五十人ばかりの兵を出して、油断しているようなら攻めかかれ、と命じる。

 ここ最近は毎日のように市山城より大口城を偵察する兵を出していた。

 それが気に食わなかった菱刈隆秋は、発見するたびに城兵を出して捕らえようとしていた。


 なお、市山の偵察兵を指揮していたのは鎌田尾張守政年である。


「見つかったか! 事の次第によっては槍を合わせながら城まで下がるぞ!」

「はっ」


 市山川を渡るところで、菱刈の兵と鎌田の兵が戦闘状態に陥った。

 槍を合わせて戦闘しながら、市山城へ下がっていく。


 その戦闘音を聞きつけて焦ったのは新納配下の家臣たちだった。

 ただの見送りだったので、わずか数名程度の者しか身の回りにいない。


 忠元配下の臣、久保筑前守勝八という者が、忠元を下がらせるために薬師堂に入った。

 そこには、外の喧騒などまるで聞こえないかのように集中して壁に落書きする忠元がいた。


 牡丹花下睡猫心在飛蝶


「殿、菱刈と鎌田様の兵が争ってそこまで迫っております!今すぐお逃げください!」

「うむ。だがまだ日付を入れておらんので今しばらく持ちこたえよ。今宵は実にいい字が書けそうだ」


 そういって壁に向かって熱心に筆を運ぶ。


「……殿! なにを呑気な……」


 ついに薬師堂のすぐ近くで刀槍のふれあう剣撃の音が聞こえた。


「……ごめん!」


 久保勝八が、忠元を無理やり引き起こして、堂の外に連れだした。


「あ、おい! 何をするか!」


 筆が滑って壁に大きな蛇の道が描かれ、堂の外に出たところで背後から相良の兵が斬りかかってきた。

 既に薬師堂には菱刈と相良の援軍兵がなだれ込んでいた。


「無礼な!」


 忠元はとっさに避けたが、左の脇を斬られた。


「殿!!」


 久保勝八はゾッとしながら忠元を境内から引きずり下ろすと、忠元の腰に刺さっていた刀を抜き放ち、相良の兵を斬り捨てた。


「殿、殿、ご無事か」

「ああ、いきなりでたまげたが動くぞ。薄皮一枚裂けただけだ。支障ない」


 忠元は左脇の傷を看てから、左腕を動かして確認する。


「殿が斬られたようだが大丈夫か」


 他の家臣も忠元に駆け寄って心配した。

 しかし、その様子をちょうど見咎めた菱刈兵がいた。


「殿……? 殿とは、ひょっとして市山城守の新納殿か!!」


 一際大きな声を出した。


「市山の城主が城外に出ているようだぞ! 知らせて兵を呼べ!!」

「まずい! 殿、下がりますぞ!!」


 そう言って一行は慌てて薬師堂を後にした。

 その頃、市山城では城主不在の中、菱刈と相良の兵が迫る、という報せに恐慌状態になっていた。


「殿はいずこや?」

「いや、まだ門を閉めるのは早いぞ、まだ鎌田様がお戻りになっておらぬ」


 そこに戻ってきたのが忠元の一行だった。


「殿、お戻りなられましたか、菱刈勢が迫っておりますぞ……はっ!? その傷は!?」

「大したことはない。それにしても騒がしいものだ」

「ですが……」

「えい、静まれ!!」


 忠元の大喝に、一瞬にして市山城の城兵たちが静まった。視線が忠元に集まる。


「わしはそこの薬師堂で相良の兵に斬りかかれて傷を負ったが、この通りなんともないわ! そして菱刈の兵が言うのを、この耳でしっかと聞いたぞ。『知らせて兵を呼べ』とな! つまり相手は少勢、落ち着いて対処すればなんということもないぞ!! まずは打ち出ている鎌田様の救援に迎え! そして城の守りを固めよ! それでもまだ時間の余裕はあるぞ!」


 城兵たちの視線に宿っていた怯えが消え、熱い炎が宿る。


「さあ、かかれ!」

「はっ!」


 忠元の一喝で混乱状態に陥っていた城兵たちの動きが機能し始めた。

 その後、鎌田政年の兵は無事に救援され、市山城は菱刈、相良の軍勢に包囲された。


 しかし忠元自ら槍を奮って数カ所の傷をさらに負いながらも、これを撃退した。



 永禄十一年(一五六八年)二月二十八日

 後に大口小苗代の戦と呼ばれるこの争いで、菱刈軍が忠元を討ち取る絶好の機会を逃した。

 この時、家運は既に傾いていたのかもしれない。



 同年三月二十三日

 菱刈、相良、さらに渋谷一族の一党が連合して曽木城に攻め入る。

 これを守るのは島津家の重臣、宮原景種、さらに佐多久政も加勢させて、これを撃退。



 さらに同年八月

 真幸院飯野城に日向伊東氏の軍勢が仕掛けるようになり、この防戦のために忠平がかかりきりになってしまう。

 ここに、島津軍による大口征伐は攻め手に欠ける膠着状態に陥った。

 義久が和睦を検討する中、同年最後の月に一つの星が落ちる。



 島津伯囿は久々に加世田の父の元を訪れて茶を飲みながら談笑していた。


「父上は変わらず創健ですなあ」

「さすがに儂も年を取ったよ。もう七十七だ」

「まあ、拙者も五十五ですので、幸若舞の敦盛曰く『人間五十年』を過ぎました」


 伯囿が扇子を使って幸若舞を舞う真似をするひょうきんな素振りを見て、日新斎も大声で笑い勢い余って咳き込む。


「父上、平気ですか」

「……ゲホッ。そりゃあ年も取れば咳のひとつやふたつも出るわ」


 そう言って自嘲気味に笑い合う。


「寒くございませぬか」

「そうじゃな。おい郷八、次良、上着を持ってまいれ」

「……はっ」

「あぁ、この者が?」

「おう、お主も聞いておろうな」


 常に日新斎のそばに在って甲斐甲斐しく世話をする、日新斎よりも一回り以上年の離れた男が二人いる。

 そして上着を持ってきて日新斎と伯囿の背中にかけた。


 郷八、次良と呼ばれた二人。

 満留郷八左衛門尉忠実と中条次良右衛門尉政義であった。


 日新斎が加世田に隠居した頃、いつ倒れてもおかしくない、と考えた日新斎は殉死禁止令を出した。

 殉死、とは死んだ君主を慕う家臣が、後を追って切腹して果てることである。

 いわば武士の美徳とも言うべきものであり、忠孝の姿勢として世間の評判も大変よかったので、仁徳の高い君主の死であれば、多くの家臣が後を追うことが当たり前であった。


 しかしこの殉死には大きな障害が発生する。

 優れた家臣が殉死してしまうと、それだけ戦力が下がるのだ。

 未だ三州平定の最中であれば、家臣を失って戦力が下がることは絶対に避けなければならないと考えた日新斎は、わざわざ殉死禁止令を出したのだった。

 当然ながら、日新斎の直臣からは不満も出た。

 我こそは忠孝の臣にてこの命には従えない、と口々に言い出し毎日のように日新斎の元を訪れて殉死の許可を求めた。

 しかし日新斎は命令を守るように言いつけ、時には手を取り、涙を流して説得した。


「その忠孝こそ島津家の宝。何ものにも変え難い最大の武器である。だからこそ、我が死で失うわけにはいかないのだ。貴久公、義久公に尽くしてくれぬか」


 直接面談して説得されて、感動した家臣は一人、また一人と殉死を諦め、島津家に尽くすことを誓った。

 だが最後の最後まで頑として譲らなかったのが、満留忠実と中条政義の二人だった。


「儂らはお館様と生死を共にすることを誓い合った仲である。何を今更仰せになるのか」


 憤慨した様子で何度説得されても二人は首を振った。


「だがな、郷八、次良……」

「いいや、何が何でもこの命は聞きませぬぞ。例え一家断絶の罪を受けても儂らはお館様とお供いたしますぞ!」

「おいおい……」

「お館様は入道してから一体どれほど殺められたのだ。死んであの世に行ったら、お一人でどうなさるのです。

 その時にお館様をお守りするのはどなたでございます? お館様をお守りする役目は我らをおいて他におりませんでしょう」

「……」


 いつしか三人には涙が溢れていた。


「ですから、この命は聞けませんのだ!」


 ここまで言われて、さすがの日新斎も折れた。


「……そうか、では逝く先が極楽浄土か地獄かは存ぜぬが、我らは一蓮托生じゃ」

「その通りでございます!」



 満留と中条の思い出話に花を咲かせた日新斎と伯囿は、もうそろそろ、という頃合いになって伯囿が加世田を後にすることにした。


「もう少しゆっくりしておけばよいものを」

「いやあ、息子たちが心配ですし、菱刈も相良や渋谷と組んで必死の勢いのようですので……」

「お主もなんだかんだで子煩悩よな」


 日新斎が茶化して、伯囿も笑う。

 冬の寒さが和らぐような空気の中、見送ろう、と言ってと立ち上がった日新斎がそのまま倒れこんだ。


「平気ですか? 足がしびれましたか?」


 心配そうに覗きこんだ伯囿は、身体を起こそうとして異変に気付いた。


「誰か!誰かまいれ!!」


 伯囿の大声で女中や満留、中条他大勢が駆け寄った。


「お館様、 お館様 、しっかり」


 一様に心配そうな声をかけるが、日新斎の意識は既になかった。


「身体が熱い……あんなに元気だったのに」

「お強い方です。我慢しておったのでしょう」


 それから一日経った、十二月十三日の明け方のことである。

 日新斎の意識が戻ったが、すぐにまた眠るように意識を失った。



   急ぐなよ また留まるな わが心

    定まる風の 吹かぬ限りは



 ふと目が覚めた時に日新斎が詠んだ句である。その句を聞いて、全ての者がかつての名君の最期が近いことを悟った。


「もはや目が覚めないかもしれません」

「左様か……」


 医者は瞳孔の反応を看たり、腕に針を刺して反応を見たり、脈や心臓の音を聞いてみたりしたが、あまりに弱々しい反応に救える手立てがないことを告げた。

 この当時、刀や槍などによる切り傷、刺し傷は縫合して安静にしていれば治る、ということがわかっていたので、外科の施術にはめっぽう強かったが、内科になると原因がわからず、途端に手立てがなくなっていた。

 神仏に祈祷するとか、乾燥させた米と茶を粉状にして飲ますとか、漢方と称して木の根を煎じて飲ますとか、そういったものくらいだ。


 伯囿はじっと日新斎の顔を見た。


(なんと小さい……)


 貴久は普段から人と話すときにおいて、人の顔をじっと見て話すことがなかった。

 伯囿はある意味で初めて父の顔をじっくりと見た。


 何か喉に詰まっていたのだろう、咳き込んで意識を取り戻したのはその日の午後になってからのことである。

 だが、単に目を覚ましたただけで、身体がもはや動かないことを訴えた。


「喉が渇いた……。茶でもくれぬか……」


 弱々しい声にぬるい茶に薬を混ぜて飲まそうと思った伯囿は、日新斎の頭だけ起こして、そっと口に含ませようとした。

 しかし、その味の違いが分かったのだろうか、すぐに吐き出した。



   喰へば喰う くはねばくはず もとろもに

    たかなやかぶや 犬や木のきれ



 一句詠んで、余計な延命治療は不要だと告げた。

 それからまた眠りについたように見えたが、また目を開けた。

 そしてまた水を所望したので貴久は再び薬を煎じて飲まそうとしたところ、また吐き出した。



   円頓の 死にいたらんと するものを

     物のくはんくはんと 云う人は誰ぞ



 在りし日の頃からは想像もできない朦朧とするその姿に、伯囿は見ていられなかった。

 涙をこらえて顔を真っ赤にしながら、自分以外部屋から出て行くように指示を出した。


「これ以上父の失態を晒すには忍びない、すまぬが、みな下がってくれるか」


 しかし、その声が聞こえたのだろう。


「いや……ここにおれ……」


 あまりに弱々しいその声に伯囿は首を振る。


「うわ言だ、気にせんでくれ」


 しかし、今度ははっきりとした声で皆がその言葉を聞いた。


「儂が往生するまで、ただ居れ、と言うのだ……。何が見苦しいことがあるものか。人の大事は、産まれる時、死ぬ時である。二度の大事は誰も逆らえぬ、天が与えた運命だ。大事を欺くな、辱めるな。我が往生するまで、ただそこに居れ……っ」


 そう言って身を起こそうとするので伯囿は慌てて布団を直してやった。


「かしこまりました、父上。皆ここで父上が往生する様を見届けます」

「よし……」


 そしてゆっくりと深く息を吐く。


「なあ我が息子よ……」

「ここに……」

「孫たちは……?」

「今も戦っております」


 いつの間にか伯囿も、その周りで見守る全ての者が声を押し殺して泣いていた。


「吾が子孫……三代までは菩薩の分身だ……。平穏を得るだろう……。三代以降は……よく励めば平穏を得るだろう……。驕らず、民を慈しみ、励ませろ……」

「はい」


 最後まで教育熱心な日新斎らしい遺言だった。

 ゆっくりと息を吐き、目を閉じる。

 伯囿は涙を拭くことも忘れて父の言葉を待った。

 しかし、次の言葉が出てくることはなかった。


 日新斎がゆっくりと横を見る。

 その視線の先には常にそばに居た二人の家臣が、目を真っ赤にして顔を歪ませている。

 それを見て安心したのか、それまでの苦しそうな表情が緩んだ。


 さらにゆっくりと、深く、息を吐き、最後は穏やかな笑顔にも見える表情のまま息を引き取った。




 島津相模守三郎左衛門尉忠良入道、愚谷軒日新斎。

 永禄十一年(一五六八年)十二月十三日死没。享年七十七。


 法名

 梅岳常潤在家菩薩




 戦国乱世としては珍しい長寿、大往生であった。

 日新斎の墓は自らが建てた保泉寺常潤院に立てられ、後年になって、その功績を偲んで日新寺と名を改めた。

 また生死を共にすることを誓った満留忠実と中条政義は追って腹を切り、日新斎の墓の真横に寄り添うように建てられた。


 日新斎の死に家臣と領民は深く悲しんだ。

 一族たちも加世田の方角に手を合わせてその冥福を祈った。


 日新斎の遺した四十七首の「いろは歌」は、島津家に仕える武士が学ぶべき教育の柱となり、後々の世に永く伝わっていく。

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