第三十三話 堂崎の合戦
「どうであろうか」
「ふむ……。確かに全てうまく行けば一網打尽、勝利は間違いございませぬな」
「だがこの中央の陣はまさに薄氷を踏む思いであるな。……ある程度の犠牲は覚悟せねばならん」
「駆け引きについては軍を率いる将の経験、勘にも左右されるであろう」
「中央陣の人数はいかがいたしましょうや」
「そこよな……。二百では少ないようにも感じるが……。かと言って多すぎても動かし難いが……」
永禄十一年(一五六八年)一月
大口馬越城では戦に備えて連日評定を行っていた。
馬越城を陥落させた後、郷里を離れた兵たちを遠征の地で年越しさせるのも哀れである、という意向があった。
そのため二万あまりの大軍勢は一度解散させて、それぞれの郷里に戻した。
その結果、馬越城には千余りの兵しか残っていなかった。
少ない兵で攻めかかるのは無理があるが、守ることはできる。
要はいかにして被害を最小限に抑えて守りきるか、さらには相手に損害を与えて攻める意思をくじくか、が評定の議題であった。
そこで義久より提案されたのが山林や背の高い葦原などに兵を伏せておき、別隊でその伏せた場所に誘導させ、頃合いよく攻めかかって挟撃状態に持ち込む、という案であった。
その陣容について連日膝を付き合わせて喧々諤々の議論を重ねていた。
ちなみにこの義久の作戦は、先年の三ツ山城での手痛い敗戦が発想の手がかりになっていた。
長弟の忠平が前後を挟まれて危難に陥ったこと。
その退却戦で次弟の歳久が万が一を考えて別働隊を置いておき、横合いから攻めかけたこと。
それが相手にも損害を与え、かつ安全に退くことができたこと。
末弟の家久が兵たちを上手に動かす才能に長けていたこと。
まさにこの作戦は、兄弟たちの戦の経験と才能を寄せ集めて生まれたものだった。
「仕掛ける場所はここ。前目なる山の中に兵を伏せる。大口城より兵が出てきて、堂崎から羽月川を渡らせる所まで誘い込み、頃合いよく射掛ける。然らば退く先を失った敵勢を包囲して一網打尽だ」
「あい分かり申した。しからば拙者が兵を率いてみましょう」
「頼むぞ」
義久と忠平の合議が成った翌日、山中に伏せる兵の指揮大将に川上左近を命じた。
それからすぐに軍議を開いていた所に報せが入った。
「大口より菱刈勢が出たとのことです!数は……三千余り!」
「三千!? 多すぎる……!」
「相良の援けを得ているのでしょう」
そう言うと忠平は立ち上がり、従者の手を借りながら、手際よく武具を身につけていく。
「又四郎、多勢すぎるのでここはやめておこう。又六郎が吉田衆と連れて向かっているそうだから、左近にも知らせて一度全て引かせて迎え撃つ」
「なんの兄上」
忠平はそれを、いつもの義久の弱気の虫が鳴いたのだと思った。
「これは兄上の考えた作戦である。自信をお持ちくだされ。拙者はそれを見事やり遂げてみせましょう」
忠平は兄を尊敬していた。
気骨溢れる家臣が多い島津家を率いるのは兄以外にいないと頑なに信じていた。
それ故、弱気の虫が鳴くと神慮に頼りたがるところが少し気に食わなかった。
だが今回のこの作戦は三ツ山での反省にたった作戦である。
歳久がきっかけを作り、義久が神慮に頼らずにまとめ上げた妙案である。
菱刈軍三千対島津七百、うち伏兵五百。
伏兵を加えたとしても絶望的な劣勢と言える状況ではあったが、忠平はこの作戦をやり遂げて勝利することで、義久に自信をつけさせたかった。
「では、見事菱刈共の首を城の大手口に並べてごらんにいれましょう」
忠平は二百余りの軍勢を率いて馬越城を出立した。
また義久も忠平の気持ちを悟り、嬉しく思ってそれ以上無理に引き止めることはできなかった。
「お主には飯野で帰りを待つ者がいるのだ。絶対に死ぬなよ」
見送るときに、義久は微笑んだ。
忠平はハッと振り返ると照れくさそうに微笑んで、赤面する顔を誤魔化すように額を掻く。
「もちろん、何が何でも死ぬわけには」
そう言って忠平は馬上の人になった。
忠平にはこの頃、結婚したばかりだった。その愛妻が飯野城でその帰りを待っている。
この忠平の婚姻を巡っては一家を巻き込む大騒動が起きていたのだが、それは後の話である。
「意外と近いところまで来ていたな」
忠平は羽月川を渡ると、北西にある下殿という地に向かった。
そこから少し北にある堂崎という山に陣を貼っていた菱刈勢と鉢合わせになったのは、忠平にとって少々不幸だった。
菱刈勢も予想外だったようで、軍勢が整っていなかったが、すぐにわずか二百ばかりの少数の兵だと見るや、嘲笑が上がる。
菱刈勢より別府安芸守という者が出てきた。
「はっ! こちらは三千の人数がいるというのに、たった二百でどうするつもりであったのか!」
「……」
「いかに精強と名高い島津の兵と言っても、こちらも長年にわたって大口を守ってきた兵なるぞ!」
口々に挑発の言葉を投げかける。
忠平はそれを聞いて、悔しそうに兵に命令を下す。
「えい、さすがに多勢に無勢か! 一度羽月川まで退くぞ!」
ここで誤算が二つあった。
一つ目は、忠平は馬廻衆以外に今回の作戦を伝えていなかった。
もしこの作戦が知れ渡って退き軍がわざとらしくなったら、何かあるのか、と敵勢に感づかれてしまうと思ったからだ。
二つ目は、忠平が挑発されてあっさりと軍を退かせたことだ。
忠平の兵たちは多少の戦力差はあっても、あの戦神であれば攻めかかってしまうだろうと思い込んでいる節があった。
従って普段は三千の兵を前にしても恐れない士兵たちに、忠平さえもさえも退いてしまうのか、という恐怖の心が芽生えてしまった。
忠平の号令でゆっくりと警戒しながら羽月川まで下がり、川を渡り始める。
川内川の支流である羽月川は川幅はさほど広くないが、底がやや深い。
流れは弱かったが慎重に川をわたっている所に、軍勢を整えた菱刈勢が一気に押し寄せたことで島津軍が恐慌状態に陥ってしまった。
「うわああ、早く、早く渡ってくれ! 後ろに菱刈が!」
「急かすな! 前もつかえておるのだ!」
兵たちが口々に叫びながら川に殺到する。
「者共落ち着け! 先に渡った者が弓矢を撃ちかけて勢いを防いでおるぞ! 落ち着いて渡れ!」
先に渡った忠平が兵を落ち着かせようと声を張り上げながら、自ら弓を引いて次々と菱刈兵を射殺していく。
「ぬう、相手方には弓矢の上手な将がおるな……!」
菱刈の将、別府安芸守が川向うから弓矢を撃ちかけて頑張っている将を見つけた。
「……あれは、まさか忠平公であろうか!?」
「確かに!」
菱刈軍が忠平の姿を確認してにわかに活気づく。
「あそこにおわすのは島津の猛将、忠平公である! いかな猛将といえども我らが多勢を前には恐れるべからず! かの公を討ち取れば褒美は思いのままぞ!!」
「おお!」
島津兵と菱刈兵が入り混じって、一気に川を渡って飛田瀬と呼ばれる地で大乱戦となった。
それでも忠平は自ら槍を振るいながらも、軍勢を前目の山まで誘導しようと図る。
その忠平の前に川上左近将監久朗が救援に駆けつけた。
「殿! お退きくださいませ!」
「左近!? なぜお主がここに!」
久朗は川を渡る最中に攻めかかられた忠平を見て、我慢できずに伏兵を解除して救援に駆けつけたのだった。
「申し開きはのちほど……今はとにかくお退きくださいませ!」
「すまぬ……!」
久朗の救援兵も加わって忠平は自ら殿軍の指揮を取った。
しかし菱刈軍の勢いはつよく、さらに七百という兵はやはり少なかった。
その後伊集院久春の隊も馬越城から救援にかけつけたが、菱刈軍の勢いが強かった。
次第に包囲されて形成が悪くなっていく。
「もはやここまでか……!」
忠平が覚悟を決めた時、横合いから島津軍の二十騎ほどの騎馬隊が突撃してきた。
吉田衆、千人余りを引き連れた歳久の軍である。
歳久は下馬すると忠平を検分する。
「兵庫はまだ生きているか」
「又六郎か! 助かった」
どうやら返り血で汚れていたが、さしたる傷は負っていない。
「兄上はこのまま曽木城まで戻れと、太守より伝令だ」
「……負けっぱなしは悔しいが承知した」
忠平はそのまま手の者をかき集めて、退却を開始する。
「者共落ち着け! 地の利は我等にあるぞ!!」
忠平を送り出して踵を返した歳久の大声が戦場に響き、島津軍に活気がよみがえった。
「穂先を向け、槍を並べよ! 鉄砲を射かけよ! 敵勢の背中は川だ! やつらに逃げ場はない!!」
乱戦状態でざわついていた島津軍が、秩序を取り戻して隊列を組み直す。
「さあ、かかれ!!」
歳久の号令で一斉に攻めかかり菱刈軍はこらえきれずに退却。
菱刈軍の別府安芸守他、多くの将を討ち取って、忠平もようやく曽木城まで逃れたのだった。
永禄十一年(一五六八年)一月二十日
義久の考案した作戦は、少々の誤算が積み重なって失敗に終わった。
後に堂崎の合戦と呼ばれるこの戦では多くの将が亡くなった。
「……源三郎! 源三郎! しっかりいたせ!」
馬越城に、傷を負った久朗が運び込まれたのはすぐのことであった。
義久が慌てて出迎え、傷を改める。
「これは……むごい」
数えれば体中に十三箇所手足に四箇所、大小の傷を負っていた。
「……殿、お申し付けを守れず……申し訳ございませんでした。……兵の動かし方を誤りました……」
「何を言うか、生きておれば誤りなんぞいくらでも正せる。死ぬなよ」
「無論でございます。ここで斃れるわけには参りませぬ」
傷を負いながら気丈にも久朗は愛すべき君主の手を取り、回復を誓う。
そして久朗の容体が安定したところで鹿児島まで運ばれた。
まだ若い久朗は回復の兆しもあったかのように見えたが、結局傷が癒えなかった。
同年二月三日
川上左近将監源三郎久朗、死去。
今後の島津家を支える四人に選ばれ、日新斎の看経所にも名を書かれた名将が亡くなった。
また義久は寵愛した家臣の死に深く悲しみ、久朗の葬式にまで出向いた。
時の君主が家臣の葬式に出向くことは滅多になく、さらに菱刈攻めの陣頭指揮を取る最中でのことだったため、まさに異例の対応だった。




