第二十九話 三ツ山城の激戦
大隅国と日向国の境界線を形作る霧島連峰の北に、広大な平野が広がっている。
元は計り知る事もできないほど大規模な火山活動によって出来た凹地であるが、霧島火山の噴火によって長い年月をかけて埋め立てられると、加久藤盆地と呼ばれるようになった。
この盆地は早い時期から田畑の開拓が進み、島津荘に組み込まれて真幸院と呼ばれるようになる。
ここは東に進むと佐土原に拠点を置く伊東氏、
南東に進むと都之城に拠点を置く北郷氏、
西へは大口の菱刈氏、
北へは肥後の相良氏、
南へ下ると島津家の地へ繋がる要所だった。
島津家にとってこの真幸院を押さえることは、三州平定の悲願、日向進出の拠点として重要な意味を持っていた。
一方の伊東氏にとっても、肥後の相良氏にとっても、ここを抑えられることは喉元に刃を突きつけられるも同然だった。
そのため、この地の支配権を巡る争いが激化するのも当然と言えた。
先んじたのは、真幸院領主の北原氏の家督争いに乗じて進出した伊東氏である。
だが北原氏内部の混乱もあって、相良氏、北郷氏、そして島津氏の連合軍によって攻められると、真幸院は一度北原氏の手に戻った。
しかし肥後の相良頼房の裏切りよって再び北原氏は追われ、真幸院の西部を相良氏に、東部を伊東氏に譲った。
これに怒った貴久は真幸院に侵攻して西部を制圧するとその拠点となる飯野城に島津家中随一の武勇を誇る次男の忠平を入れた。これによってようやく騒乱は鎮まったのである。
だが、日向国国主を自負する伊東義祐も肥沃な土地である真幸院の支配回復を目指した。
真幸院の西にある小林村にあった小さな城に着目すると、飯野城攻略のための拠点とするべく三ツ山城と名づけて大幅な増改築を開始した。
永禄九年(一五六六年)十月
貴久は飯野城より西南に約十五キロの位置にある所に伊東勢が新たな城を築城中という報せを受けた。
これに対抗して完成する前にこれを襲撃して破却させるべし、と決めて直ちに行動を起こす。
義久を総大将に、忠平、歳久の三人に二万の兵を与えて進軍を開始した。
この二万という人数は貴久の代での戦では最大規模の軍勢であった。
ちなみにこの時の家久は、薩摩国は大口の菱刈氏、大隅国の肝付氏他諸家の備えとして留守番中である。
小林の三ツ山城は西から北、そして東へ蛇行する岩瀬川に囲まれた丘に築くことで三方を水堀と成していた。
さらに本丸を置く小高い丘は火山灰土でできており、土塁を登るにも手がかりとするものが乏しかった。
そのため南方側を垂直に削りとって崖にすることで、容易に攻め上ることができない難攻不落の堅城になっていた。
永禄九年(一五六六年)十月十日
島津の大軍勢迫る、の報せを受けた城主の米良重方は佐土原の伊東義祐に救援要請の使者を出すと、早々に籠城を決断する。
同年十月十五日
島津軍が三ツ山城に到着。
三ツ山城を中心に見て、西の大手口に義久の主軍、北東の水ノ手口に忠平軍、南方の窪谷という所に歳久の軍勢がそれぞれ着陣した。
夕刻、三ツ山城にあって籠城することを良しとしない米良一族より有志が討ってでてきたが、これを予測していた歳久が撃退した。
そして本格的な城攻めが始まる。
「鉄砲一番隊! 前へ!!」
歳久の号令で三十人の鉄砲撃ちが横一列に並んだ。
「構え!」
一斉に射撃体勢を取り、撃ち士は思い思いの所に狙いを付ける。
「狙え!」
火蓋を開く金属音が鳴る。
「撃てー!!」
三ツ山城に轟音が鳴り響き、硝煙が立ち込めた。
板塀、土塁、果ては瓦屋根に着弾して吹っ飛ぶ様子が見て取れた。
「二番隊!前へ!!」
さらに歳久の号令が続き、島津家必殺の鉄砲隊一斉射撃攻撃は都合三分間に及んだ。
この頃において野戦は忠平、城攻めに長けた者は歳久である、という評判になっていた。
野戦に於いては攻めかかる頃合い等、その場で瞬間的に判断を下すことが問われる。
忠平は天性の勘でそれらをこなし、時には自ら槍を奮う恐るべき強さを誇っていた。
また城攻めに於いては城の構えを把握してどれほどの兵が配置されているか予測し、これを落とすための兵力や段取りなどまるで詰将棋の如く的確に指示を出す必要がある。
歳久はまるで敵城に入り込んで見てきたかのように的確に予測し、陣を配置する上手さを持ちあわせていた。
そして大将の義久はそれらに齟齬がないか、無理がないか、冷静に判断して陣容を最終的に決する役割を持っていた。これが上手く機能していることが島津軍の強さの一端でもあった。
この三ツ山城攻めにおいても陣容は歳久の発案を元にしていた。
歳久の案を忠平が補足した上で義久がさらに確認した上で承認し、仕掛けていた。
そして三ツ山城攻めのこの緒戦。
歳久が仕掛けた鉄砲隊の一斉攻撃は、さほど意味が無くなりつつある事を悟っていた。
その理由として火縄銃の特性にある。
火縄銃は弓矢よりも飛距離と破壊力に優れているが、直線的な弾道であるため射線を防ぐ物が多い急峻な丘の上に築かれた城にはあまり効果的な打撃を与えられなかった。
だが、聞いたこともないすさまじい大轟音と、一発当たれば即死、良くても重傷となる強力な威力、という先入観は、鉄砲を撃ちかけられただけでも精神的なダメージを負い、まるで地獄に叩き落とされたような絶望感を味わう。
事実、これまで島津の鉄砲隊に撃ちかけられて降伏しなかった城はない。
戦国の世に持ち込まれた近代的な必殺兵器は、物理的な威力よりも精神に及ぶ心理的なダメージの方が高かったかもしれない。
だが、その鉄砲が島津家以外にも広まるにつれて、その特性は長短併せ持つことが判明してきた。
日向伊東氏においても、隣国の同盟関係にある大友氏から鉄砲を入手し、その研究開発が進んでいた。
そのため三ツ山城主の米良重方は、既に鉄砲の特性を把握していた。
「頭を下げろよ!塀の隙間を覗くな!たかが雷音を鳴らすだけの筒だ!鉄砲は当たらなければどうということはないぞっ!!」
重方の叱咤激励に兵たちは無謀に攻めかかることをせず、また鼓舞されて士気は高かった。
もちろん全く被害がなかったわけではない。
跳弾があたって重傷を負う者、急所に当たって即死する者もいた。
しかし、三分間の一斉射撃で死傷者はわずか三名ほど、という状況では
「これは致し方無い。迂闊に前に出たせいで天が見放したのだ。より深く隠れれば当たることはなかった!」
という重方の声に、兵たちも納得して恐慌状態に陥ることはなかった。
またこの十秒から十五秒に一度放たれる鉄砲攻撃も無限ではなく、ある程度我慢すれば収まることを承知していたことも大きい。
「さて……」
叫んで少し喉を枯らした歳久が城の様子を見る。
鉄砲の轟音が鎮まった頃合いを見計らって、今度は北の水ノ手口の忠平の陣が前に出て、弓矢を撃ちかけながら城攻めを開始する。忠平の陣は特に強弓自慢の強者を配置していた。
弓なりに飛んで行く矢の軌道は、土塁や堀の裏に隠れている兵をも貫く。多少の運も左右するが、城攻めにおける着弾確率で言えば、鉄砲よりもわずかにマシだ。
やはり鉄砲が全国的に普及し始めてなお人的被害をもたらす殺傷能力という意味では弓矢が一番の兵器だった。
鉄砲、弓矢攻撃に続いて、大手口より義久の軍が門へ攻め上って攻撃を開始する。
また歳久の軍も窪谷口より攻めかかる。
しかし守勢の重方も冷静に指示を出して対抗した。
近づいた島津の軍勢に弓矢による一斉射撃を行い、ようやく土壁に取り付いた島津兵を見つけると、投石して被害を与える。
義久はこの様子を見て、攻撃中止を伝えて、各々の陣へ戻らせた。
忠平と歳久に「城攻めの評定を行うため本陣へ来るように」という使者が参ったのはすぐ後のことである。
既に夜も更けって煌々と松明が照らす本陣で、三兄弟は三ツ山城の周囲を描いた地図を囲んだ。
「手強いですなあ」
「やりおるわ。二万の兵を前にして何一つひるまぬ」
歳久と忠平は三ツ山城の堅城さち城兵の士気の高さに舌を巻いた。
「だが我らも三州平定のためにここで立ち止まるわけにはいかぬ。三ツ山を落とせば佐土原に手が届く」
義久の言葉に弟たちは無言で頷き同意した。
「しかし、どうする?」
忠平は三ツ山城の周囲を描いた地図を見る。
「今後の日向侵攻のためにあまり使いたくなかった手段ではありますが、火矢による撃ちかけにいたすべきかと存じまする」
「やはりそれか。……うむ。折からのカンカン照りで火の威力も高まろう」
歳久の提案に、兄の二人も乗った。
「撃ちかける位置は如何する?」
「今の時節は北西から南東へ風が吹きますので、ここ、本陣の位置からであればよく届くかと」
「しかしそうなると南にいるお主の陣に火が及びかねんぞ」
「では拙者の陣は本陣のそば、西へ少し寄せましょうか……しかし、そうなると水ノ手口が孤立してしまいます」
「案ずるな、こちらは三千の兵がいずれも無事であるから、存分にしかけよ」
「……兄上、少々嫌な予感が致します。水ノ手口は背後を付かれれば逃げ場が少ない」
「確かにな……かと言って城に背中を見せるわけにはいかぬし、背後にも十分注意して臨むほかあるまい」
(なんと無策な……)
と歳久は言いかけたが、兄の武勇なら、すぐに救援に迎える位置に兵を配置すれば大丈夫か、とも思いそのままにした。
「では火矢による撃ちかけは明朝、雨雲がないことを確認してからにする。敵方援軍も考えられるため城にだけ目を向けず周囲に気を配れ。各々夜討ちには十分に注意し、兵たちに暫時休みを取らせよ」
「はっ」
歳久はその後自らの手勢より五百を割いて、水ノ手口の北、石阿弥陀と呼ばれる地へ置くことを報告して手配した。
それから夜の間はわずかばかりの仮眠を取って、明朝を迎える。
雲ひとつない晴天であることを確認すると、火矢による攻撃を開始した。
火矢を雨あられと撃ちかけ、ついに三ツ山城から火の手が上がり始めたのは午後になろうかという頃である。
しかし、遠雷が聞こえてきてその攻勢も鈍ってしまった。
「えい、天運もついておらん!」
義久は舌打ちしてこの攻撃をやめさせるべきか判断に迷った。
また忠平も雨が降り出す前に少しでも攻撃を加えようと、城攻めに集中していた。
それが遠雷と共に敵の援軍が忠平の背後に迫っていると気づく事を遅らせた。
土地鑑、という言葉がある。
地域における地形や、地理、交通の要所、家屋や建物の配置などの知識が、経験によって身についていることである。
戦術面で言うと、兵を隠しやすい場所、気づかれずに接近しやすい場所を把握しているということである。
なお、土地「勘」と誤用されやすい言葉でもある。
薩摩を離れ、日向に侵攻するということは、土地鑑の無さによる足枷が生じる。
もちろん歳久を始め三人は背後から挟撃されることを恐れて入念に周囲の地勢を調べあげ、どこから攻めてくる可能性があるか検討したうえで、要所に兵を置いて備えていたが、やはり穴があった。
「左手より敵襲!!」
「何!?」
水ノ手口の東にある一段高い場所から弓矢が飛んできた。
「いや、背後からも!?」
「なんと!」
忠平の陣が背後の山宮、東の堂山と呼ばれる場所から一斉に攻撃を仕掛けられた。
「落ち着いて城より離れろ!背後に備えるのだ!」
忠平の城攻め中止の号令に兵たちも素早く反応する。
しかし、折からの雨で鉄砲攻撃はないと踏んだ三ツ山城からも兵が討って出てきた。
忠平は完全に挟撃される事態になってしまっていた。
忠平の陣の様子がおかしい、と真っ先に気付いたのは義久だった。
どうやら挟撃を受けているのではないか、と見て川上左近将監に五百余りの兵を与えて水ノ手口に回した。
歳久は城の西、三ツ山城を挟んで水ノ手口の正反対の場所にある下ノ馬場と向江馬場の中間まで陣を移動していたため、気づくのが遅れた。
したがって、忠平への救援も遅れた。
ようやく異変に気付いたのは、水ノ手口と本陣より救援要請の使者が届いてからだった。
「し、しまった!!」
歳久は自らの見込みの甘さを悔やんだ。
「兄上の隊は退却するように伝えよ!!」
歳久は本陣への使者を立てると、城への攻撃を全て中止し、一部を城兵の出撃の備えに残した。
そして自ら水ノ手口の救援に向かう。
小雨はいつの間にか強くなり、雷鳴が近づいてきた。
歳久が三ツ山城を西から北に迂回し、水ノ手口に到着した頃には、両軍入り乱れての大乱戦状態だった。
「んだもしたん……・! 兄上……! 武庫はどこだーー!!」
歳久の絶叫も乱戦の中でかき消される。
「……いた!」
十字の旗が集中している場所に、忠平が自ら太刀を振り回して格闘しているのを見つけたのは、まさに幸運だった。
「兄上!」
「又六郎か!」
大勢で駆けつける歳久の姿を認めて、血まみれの忠平に元気が戻った。
「兄上! 平気か!」
「左腕をやられた! 我が腕はまだ付いているか!?」
「ああ、付いているぞ!」
だらりと力なくぶら下がった忠平の指先から血が滴り落ちている。
「問題ない! これは塞がる金瘡だ!」
歳久は忠平を安心させるように傷口の上で強く縛り上げて血止めの手当をする。
自らの兵十名ほどに忠平について退却するように指示を出した。
「俺はまだやれるぞ……! お主の殿軍では心もとない!」
「怪我人のくせに、減らず口を叩くな兄上!」
重傷にも関わらず無茶を言う兄に思わず笑って、歳久は兄を背中で見送る。
「なぁに、ここで死ぬわけにはいかん!」
歳久は退却を知らせる法螺を吹かせて、自ら殿軍を指揮しながら軍を引きはじめる。
石阿弥陀に置いていた五百の兵もちょうど合流し、敵軍を横合いから攻めかかるような形になったのが幸いした。
しかし雨で煙った水ノ手口の兵は、前後左右がわからなくなって飯野城がある西のへ向かうこともできず、三ツ山城へ特攻して果てる者も多くいた。
永禄九年(一五六六年)十月十五日
島津軍による三ツ山城攻めは失敗に終わり約二万の兵は壊滅。
死者五千以上を出す大損害を被った。
その激烈な戦いによって、城の内堀、外堀、さらに岩瀬川に至る一面が死体で埋め尽くされて、その処理には数ヶ月を要したと言う。
また、義久より敗戦の報告を聞いた日新斎と貴久は、そのあまりの悲惨な戦いを弔うため、後に「南無阿弥陀仏」を頭にとった六つの句を残している。
日新公
南、 何事も 何事もみな 南無阿弥陀仏 なほ討死は 名をあぐるかな
無、 無益にも むつかしき世に うば玉の 昔のやみの 報いはるらん
阿、 あしき世に あらゆる物も あしなれば あからさまには あらじ身のはて
弥、 南には 彌陀観音の 御座なれば 身まかる時も 御名を唱えよ
陀、 誰にかも 誰ぞと問わん 誰しかも 誰かは獨り 誰かのこらん
仏、 ふつふつと ふつと世も身も ふつきりに ふつとくやしく ふつと悲しも
貴久公
南、 名を重く おもふ心の 一筋に 捨てしや輕き 命なりけり
無、 むらむらに しぐるる今日の 柴よりも 昨日の夢ぞ はかなかりける
阿、 ありはてぬ 此の世の中に 先立つを 歎くぞ人の 迷なりける
弥、 水のあわの あはれに消えし 跡とてや 折々ぬるる 袂なりけり
陀、 立ちそえる 面影のみや なき人の 忘れがたみと 残し置きけん
仏、 佛ます 世をいづくとや たづぬらん 呼べば答ふる 山ひこの聲




