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戦国島津史伝  作者: 貴塚木ノ実
想いを超えて
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第二十七話 忠将と尚久

 肝付氏との和睦交渉が「些細な粗相」により破談となった後、兼続は日を改めて今回の(いさか)いを治めるために忠朗の首を所望する使者を寄越した。しかし貴久は


掃部助(かもんのすけ)は当家随一の功臣にてその首をさし上げることは断じてない」


 と言って突き放した。

 ここに、島津家と肝付家の和睦交渉は席に付く前に完全決裂し、翌年の死闘へとつながっていく。




「ほう、織田上総介信長、とな」


 貴久と義久は本拠城で京と薩摩を交互に通う僧の話を熱心に聞いていた。

 薩摩の地は京から遠い。だが遠いからと言って中央政権の情報に疎いままでいれば今後の戦略にも大きく影響するから、情報を入手には余念がない。

 もう一つ言えば、足利幕府が健在であるため、三州守護の大義名分のためには京の事情に精通することは島津家を預かる身としても重要なことであった。



 永禄(えいろく)三年(一五六〇年)

 尾張の織田信長が、東海道一の弓取りを桶狭間にて討ち取る。



 恐らくは日ノ本随一の武力を誇っていた今川氏を尾張の守護代の庶流が討ち取る、という衝撃的な報せは島津家にも届き、貴久と義久も関心を持って聞いた。


「その織田某という者この後どう動くでしょうか」

「さてな。この戦国乱世を鎮めようという気概でもあれば、京を目指すだろうが……」

「京の周りも幕府始まって以来の手強い連中も多い。そう安々といくまい」

「越後の長尾、甲斐の武田の間にも争いが絶えぬと聞いております」

「この戦国乱世、まだまだ大風が乱れ吹き荒れるわ」


 貴久と義久は真上に高く登る桜島の噴煙を見上げる。


「今は、目の前のことだ」




 鹿児島湾の最奥部分から大隅半島を海岸沿いに南東へ進むと(めぐり)村という地がある。

 この一帯は平野部が少なく、稲作に向かない急峻な山が連なるため、平野部の発展と比べても、賑わいから切り離された場所でもある。


 ここから南に下って大隅半島の中ほどまで連なる高隈山系は、霊峰として古くから山岳信仰の対象となっており、この山地一帯をして井尻神力坊が曰く、「島津家と肝付家が争うのを防ぐ塀のようなもの」という指摘は妙を得ていた。


 しかしこの自然豊かな山地に人が全く寄り付かないかというと、そうでもなく、日向街道と呼ばれる薩摩から大隅、そして日向へ繋がる街道が通っており、海に面した僅かな平坦地に田畑を耕す者もいた。

 人が住めば城も立つもので、ほど近い山頂には城がある。

 この一帯を治める城館を守るのは、地頭が住処とした廻村、という地名から取って名を改めた廻氏。

 平安末期に大隅へ下向した古い血筋の国人衆だった。

 城の名は仁田尾城とも呼ばれていたが、治める氏族の名と地名から取って、廻城と称する方が通りはよい。


 廻氏は代々島津家とも肝付家とも距離を取っていたが肝付家の圧力が高まりだすと、島津家を頼るようになっていた。

 風向きが変わったのは、廻氏の当主、久元が病をこじらせて視力を失ってしまったことによる。


 前年の事件によって島津家と袂を分かつた肝付家にとって、少しでも島津家に対抗するための拠点が必要だった。

 そこで急遽、廻城を襲撃し、これを奪い取った。

 これに対して盲目の当主久元と幼い嫡男に抗する力はなく、退去せざるを得なかった。


 廻久元は肝付家の所業を貴久に訴えて、臣従することを誓ってこの地の奪還を要請する。

 この廻という場所は、東へ進むと北郷氏の所領都之城、北西へ進むと忠将が治める国分へと繋がる日向路の要所でもあり、これを看過することは後の憂いになると、貴久も判断した。


 こうして、貴久は廻城への出陣を決定した。

 陣容は鹿児島、谷山、吉田勢を率いた貴久と義久の本軍。

 帖佐(ちょうさ)勢を率いる忠平の軍。

 薩摩半島の南端、枕崎勢を率いた尚久の軍。

 国分勢を率いた忠将の軍。

 さらには隠居した身でありながら加世田勢を率いて日新斎の軍。

 他諸将を含めた計五千の人数を率いて廻城に向かった。

 思いの外大軍勢となったのは、やはり山城攻めの難しさを考慮してのことである。


 なお、この廻城の戦いでは貴久の四男家久も出陣しており、これが初陣であった。


 しかし、この島津軍の動きに対して、肝付兼続と良兼は大隅国の国人衆、伊地知、禰寝(ねじめ)の援軍を取り付けると、約六千人もの大軍勢を集めていた。



 永禄四年(一五六一年)の夏。

 ここに廻城の戦いが起きようとしている。



 同年六月二十三日

 日新斎、貴久、義久は一際高い丘に本陣を置いた。

 廻城には西へ崖を下り、湊川の上流を渡ったところに見える絶好の位置である。

 ここは後に惣陣ヶ丘と呼ばれることになる。


 また、廻城攻めの最前線にあたる地として、廻城から南へ一つ峰を超えた所にある竹原山に陣を置き、ここに尚久、家久、他諸将が着陣した。

 忠将の陣は廻城の南東にある馬立と呼ばれる峰に置かれ、廻城と竹原山の動きをひと目で捕らえられる位置にある。


 こうして廻城を包囲するように陣を引いた島津軍と肝付連合軍は対峙した。


 しかし、急峻な所が多い山城ではお互いに思い切った手を打つことができず、散発的な戦いが繰り返された。

 この状況において異変を感じ取ったのは本陣にいた日新斎と貴久である。


「戻って来んな」

「……ええ」


 日新斎と貴久は廻城を包囲すると、山くぐりを放って状況を探らせようとした。

 しかし、その多くが何日たっても戻ってこなかったのである。


「おそらく、肝付方は兵を伏せて山に潜ませておりますな。戻ってこないのはいずれも見咎められて捕らえられたか、あるいは既に……」

「うむ」


 この状況を見て、貴久は全軍に使者を送った。


『相手方は場所不明ながら山に兵を伏せており、少ない手勢で迂闊に動かぬこと』


「伏せ兵……とな」

「こざかしいわ」


 尚久、忠将共に舌打ちして廻城を見つめるのだった。

 動きがあったのは包囲してから二十日あまりが過ぎた頃である。



 竹原山に着陣していた尚久は、この戦で初陣となる家久に、なんとしても見事な槍働きの場を用意してやりたかった。

 また、忠将や本陣にも、場合によっては陣を離れて奇襲をかけることを提案し、尚久と同行であれば、という条件付きで承諾を得ている。


 その尚久の元に、上大廻(かみおおめぐり)に敵勢二百人余りが近づく、という報せが入った。上大廻は竹原山を降りて南にいった所の海岸沿いにある平地である。

 これを聞いた尚久は、相手と同数の二百人を割いて、家久と共に向かった。

 上大廻の敵勢と廻城からの兵で挟み撃ちに合う前に、先手を取ろうという判断である。


「さあ又七郎よ、存分に槍を振るうがいいぞ!」

「承知した!」


 元気よく返事した若武者と尚久は一気に山を下って上大廻の敵勢に奇襲をかけた。


「俺は島津御大将の息、島津又七郎家久である! 我が初陣に相応しい相手はいるか!!」

「生意気な若造め! この工藤壱岐守(いきのかみ)が相手してやろう!」


 お互いに名乗りでた武者が、槍を合わせて格闘しはじめる。

 尚久は猪すら一撃で仕留めると賞賛された強弓で、周りの兵を次々と撃ちぬいて家久を助けた。


 家久も十五歳ながら鍛えた武芸を発揮した。

 相手の槍を払い、太ももを突き刺して、身動きが取れなくなったところで腹に一撃を入れて決着をつけた。

 家久付きの供廻がとどめを指し、首を落とすと家久が勝鬨をあげた。


「よし! これで誇れる初陣になったな」

「叔父上! 感謝いたしますぞ!」


 尚久も我が子のように喜んで家久を褒める。


 しかし、上大廻の敵勢を追い払って喜んでいた頃、竹原山では異変が起きていた。


「敵襲ー! 敵襲である!!」


 それまでの散発的な争いではなく、肝付勢千余りの人数が廻城から討ってでて、さらに西の林からも肝付兵が湧いてでてきて竹原山の陣に攻めかかっていた。

 慌てたのは尚久と家久だった。

 わずかの隙をついて先手を打つつもりが、まるでこの動きをみて攻めかかったかのように見えた。


「しまった! 急いで陣に戻るぞ!」


 しかし上大廻から竹原山へは崖のように垂直に切り立っており、直線的に登ることも叶わず、北へ迂回しなければいけない場所だった。


 さらに悪いことに迂回して竹原山へ戻る道に差し掛かった所で肝付に待ち構えられていた。

 下から上に向かって攻めかかるには大変な労力がいる。

 尚久はひとしきり槍を合わせて、これ以上は厳しいと判断した。そして竹原山の包囲を破ることを諦めた尚久と家久の軍勢は、一度海岸沿いへ戻ると南下してから中大廻(なかおおめぐり)辺りから馬立の忠将と合流し、竹原山へ向かうことを考えた。



 一方、馬立の忠将もその様子を見ていた。

 眼下に見下ろす竹原山がにわかに騒がしくなり、攻められているのが見て取れた。


 廻城の城兵とやり合うだけならまだしも、どうやら海の崖下、西側からも攻められている。


「これは……まずいぞ」


 忠将は焦った。

 竹原山には尚久と初陣の家久が居る。もちろん廻城へ攻め入るため他の諸将が多く詰めている。


 それまでの散発的な戦闘ではなく、明らかに竹原山の陣を落とそうと敵勢の兵の大多数を攻めかかっているのが見て取れた。


「竹原山へ救援に向かう! 者共支度をいたせ!!」

「お待ちあれ、殿! 急いては事を仕損じまする!」


 忠将を止めたのは忠将付きの家老、町田忠林(ただしげ)だった。


「かように呑気に構えていては竹原山が落ちるわ! 今動かねば鶴に飲み込まれるぞ!」

「今一度! 今一度お待ちあれ殿! 本陣より伏せ兵に備えて少ない人数で進むべからずと達しが来ておりまする!!」

「貴様と問答している間に尚久と家久をむざむざ死なせることになれば、俺は生涯悔いることになる!!」


 そう言うと、忠将は馬に跨がり、槍を二、三振りまわして周りを見た。


「まさか……このわずかな兵で向かわれるおつもりか!?」

「単騎だからこそ兵を多く動かすよりも素早く動けるというもの! 機を見るに敏は勝利の鉄則じゃ! 他は後に続けっ!」


 そう言うと、わずか三十騎程度の兵を率いて忠将は竹原山へ向かって駆け出した。


「ええい、なんとも逸る方じゃ! 兵共よ! みすみす殿に遅れて恥を晒すなよ!!」


 そう言うと町田忠林も四十余りの兵を連れて忠将を追った。

 すぐに合流して忠将と七十余りの兵は竹原山へ救援に向かった。


 しかし、竹原山を目前にした場所で、忠将は伏せ兵に鉢合わせした。


「これは……!」


 見ればいつの間にか、周囲を二百以上の人数で囲まれている。


「なんという人数! これだけの人数がまだ居たとは……!」

「むしろ好都合だ! これだけの人数が竹原の陣を攻めかかる前に我らが相手するとなれば、陣も持ちこたえよう!!」


 そう言うと忠将は馬を降りて、馬廻と共に互いの背中を合わせて包囲攻めに備えた。


「かかれー!」


 敵勢より声があがり、ついに死闘が始まった。



 馬立に尚久と家久が着いたのは、それからすぐのことである。


「兄上! 兄上はおらぬか!」


 混乱する馬立の陣の中を尚久は忠将の姿を探す。


左兵衛尉(さえもん)様!? 左兵衛尉様がなぜここに!? 典厩(てんきゅう)様は竹原山の救援に向かいましたぞ!!」

「なんと! 一足遅かったか!」


 尚久は焦った。

 右馬頭、唐名典厩こと兄の忠将が既に竹原山に向かっている可能性は考えてはいたが、ここまで性急に出立することは考えていなかった。


「本陣へは知らせてあるか!?」

「既に向かわせております!」

「よし! 者共! 兵糧も何も、いらぬものは全て捨てよ!! 全員続けー!!」


 尚久は馬立に残っていた兵たちをまとめ上げると、竹原山へ向かう。

 また家久には百人の兵をつけて本陣へ向かわせた。


 その頃、忠将はまだ戦っていた。


「雑兵含めて五十余は斬ったはずだが、なんのなんの。まだまだだわ」


 体中に弓矢が突き刺さること十数本、しかし厚い鎧に守られて全て受け止めており、ほぼ傷は浅かった。

 返り血を浴びて赤黒く染まった鎧が脂臭い。

 荒い息を整えながら周りを見渡した。


「……どうやら味方は三十くらいかな……」


 既に町田忠林は忠将をかばって討ち取られていた。


(退くか、竹原へ進むか)


 竹原山はまだひと峰超えた先にある。忠将は竹原山へ向かうことを決めた。


「いまさら退いてどうなるものぞ! かかれー!」


 忠将の号令で残り僅かな兵は竹原山へ一歩進む。

 残った弓矢を使い切り、槍を突き出して兵たちを追い払った。


 その忠将のあまりの迫力についに兵が道を譲るように割れた。


「道が出来たぞ!! 者ども進め! 進めい!!」


 忠将が再び振り返った。

 しかし、そこにはもはや十五人もいなかった。



(僅かな時に、残りこれだけとは……!)



 思わず愕然となって立ち止まった心の隙に、横腹に槍を突き立てられた。


「……っ!」


 声にならない痛みに耐えて、脇差で槍を着いた兵を斬り捨てた。


「なんの……これしき……」


 重くなった左足を前に送ると、背中に何か熱いものが走った。


「まだだ……!」


 槍を逆手にとって、後ろから斬った何者かを突き伏せる。

 右手から槍が突かれたが、不意に力が抜けて片膝を着いたおかげで、頭上にやり過ごすことができた。


 くらくらとする頭を振りながら、兵の何人かを斬り捨てた。


「ば、化け者め……!」


 敵勢から声が漏れる。


「なーにが……化け者か……。無礼だぞ……」


 それを聞きとがめた忠将はさらに重くなった右足を一歩前へ送る。


「ここで……死ぬわけには……いかぬでな……」



 ふと脳裏に十一歳になる嫡男の姿が浮かんだ。


(元服したら諱は征久がよいな……)


 何かが身体を小突いたが、自分の何かでその小突いたものを追い払った。


(通名は又四郎にしてやろう……。兵庫め、自分と同じ通名と知って笑うぞ……)


 ふと自分が笑っていることに気付いた。


(よし、息子は兵庫の下で働かせることにしよう……)


 槍が飛んできたように見えたが、追い払った。

 なにかが身体にあたった。


(それで俺は……後見として……茶でもすすりながら……武功話を……。……)


 また何かが身体に当たったが、追い払えなかった。




「し、死んだか……?」


 肝付の兵が、多くの矢と槍に突かれて座り込んだまま往生した将を囲んでいた。


「ああ……」

「殺しも殺したり、この御仁一人で一体何人斬ったのか、数えきれぬぞ……」

「なんと恐ろしや……」

「島津御大将の舎弟、右馬頭(うまのかみ)忠将公であるとお見受けした。見事な戦ぶりであった」


 肝付の将が進み出て手を合わせると、忠将の首を切り取って廻城にいる兼続の検分のため持ち帰った。




 同年七月十二日

 竹原山にて島津右馬頭忠将死す。



 その報せは、島津軍を動揺させるに十分だった。


「信じぬぞ……動揺をさそうための虚報であろう」


 貴久は表情を変えずに一報を伝えに来た肝付の使者を追い返した。


「……なに、じきにアホ面さげて『参った参った』などといいながらひょっこり顔をだすのだ」

「殿……しかし……」

「右馬頭が死ぬわけなかろうが! やつの強さは誰よりも、俺が知っている!」



 廻城で忠将の死を聞いた兼続は呆然とした。

 野心溢れる毒気が不意に抜けて


「これは永代まで続く禍根となるやもしれんな」


 と呟いた。そして変わり果てた忠将の首を検分すると涙を流して手を合わせた。


「なんとも……無情なものだ……」

「河内守殿……好機ですぞ。島津の軍勢が動揺して力が抜けております。今こそ一斉にかかるべきかと」


 兼続の耳元で禰寝(ねじめ)重長が囁く。


「……その前に首を返してさしあげねば。身体の方はどこにあるか? しっかりと弔えよ」

「河内守殿……!」

「ああ、首を渡す際にお伝えしておけ。このまま軍を退いてくださるなら、我らも廻より去ると」

「……」

「わかったか!?」

「はっ……」


 忠将の首を受け取ったのは、その後を追って竹原山に向かった尚久だった。

 そして抗せずなら手出しせず、という言葉を聞いて、そのまま惣陣ヶ丘の本陣へ戻った。



 忠将の亡骸を見て、貴久は泣き崩れた。

 日新斎も、尚久も、義久も、家久も、一様に涙を流して歯を食いしばった。


「……竹原山が落ちて、何故お主が生きているのだ!」


 貴久の怒りの矛先は尚久に向いた。


「……いや、それがしは……」

「お主、まさか敵前逃亡ではあるまいな」

「違います、父上! 叔父上は私の……」

「家久は黙れ!」


 貴久に睨まれて、家久は悔しそうに目を伏せた。

 尚久も力なく呟いた。


「いや、敵前逃亡も同然である……」


 そう、確かに竹原山へ戻るにはあまりに不利と見て、別の道を取ろうと引き返している。


(あの時、俺が多少無理にでも包囲を突き崩していれば……兄上は……)


 尚久は自分の判断の誤りを呪った。



 弟の死に激昂した貴久は、軍をまとめ上げると廻城へ総掛かりになって攻め立てた。

 しかし兼続は大した抵抗もせず、廻城を退去して明け渡した。


 また、貴久はのちに忠将が斃れた地の名前を『福ある山になるように』という願いを込めて、福山と改めさせた。



 一方で、廻城での戦いの後、尚久はすっかり食が喉が通らなくなってしまった。

 心配した家中からは「多少無理にでも」と粥を進められたが、無理に食べてもすぐに吐いてしまった。

 そしてまもなく病にかかって臥せるようになる。

 日新斎や貴久はしきりに見舞って薬を勧め、尚久も食事を取るほどに回復はしたが既に手遅れだった。


 永禄五年(一五六二年)三月一日

 尚久も兄の後を追うように亡くなった。



 島津右馬頭又四郎忠将。日新斎次男、太守長弟。

 永禄四年(一五六一年)七月十三日没。享年四十一。


 戒名

 心翁大安居士



 島津左兵衛尉又五郎直久。日新斎三男、太守末弟。

 永禄五年(一五六二年)三月一日没。享年三十二。


 戒名

 雲秀一枝


 戦国大名島津家を支えた知勇兼備の名将を相次いで失ったことは、戦力的な損失以上に大きかった。

 日新斎は、しばらくの間まともに食事を取ることができなかったと言う。

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