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戦国島津史伝  作者: 貴塚木ノ実
立志
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第二十一話 加治木征伐

 肝付越前守(えちぜんのかみ)兼演(かねひろ)もまた、勝久の頃より島津家に仕えていた重臣だった。

 しかし実久と貴久が争った頃に実久方に与して敵対している。

 天文十年(一五四一年)生別府城(おいのびゅうじょう)樺山善久襲撃事件以来、八年以上に渡り表立って軍勢を起こすことはなかったので、薩摩国平定に向けて足場固めを進める貴久もこれを手に出さなかった。

 堅城、加治木城を落とすには相当な苦労も考えられたということも一因である。


 天文十八年(一五四九年)

 前年に謀叛を起こした追放されて本田紀伊守薫親(ただちか)に、肝付越前守と連携して攻め入る計略があったことが発覚する。

 これを受けて怒れる日新斎と貴久は兼演に加治木城を明け渡し、臣従するように勧める使者を出した。

 これに反発して軍勢を起こしたのが、謀叛の始まりである。



 同年三月十七日

 肝付越前守父子は軍勢を起こすと、加治木から西にある吉田松尾城へ攻め入った。


 吉田松尾城は北に思川(おもいがわ)、東に思川支流本名川(ほんみょうがわ)を天然の水堀とし、尾根に本丸を置いた鉄壁の守りを敷く城である。

 代々息長(おきなが)氏、地名を取って通称を吉田と改めた氏族の居城として栄えていた場所である。

 永正十五年(一五一八年)に謀叛を起こした吉田位清を島津十三代忠隆が攻め立てて落城させると、以来吉田郷は島津家の直轄地となっていた。


 また、吉田松尾城という場所は、北へ一山(ひとやま)超えると蒲生氏の本拠が、思川沿いに東へ進むと帖佐(ちょうさ)加治木(かじき)へ進軍できる要所であり、島津軍が加治木、国分(こくぶ)方面に進軍する時は必ず一泊する所でもあった。


 それ故、この島津家直轄北端の地は戦術拠点として絶対に死守しなければいけない場所であり、常に武勇に優れる重臣が据え置かれていた。

 兼演の吉田松尾城攻めの際に城主となっていたのは新納刑部大輔(ぎょうぶたゆう)忠元。

 他にも三原遠江守(とおとうみのかみ)重益、山田蔵人(くらうど)有徳、宮原筑前守(ちくぜんのかみ)景種、長野兵部といった将をそれぞれの曲輪に入れて守りにつかせていた。


「国分攻めにはここの守りがあって参陣できなんだが、郡山以来のこの戦。見事越前守の軍勢を蹴散らしてくれよう」


 まだ夜も明けていない暗闇の中、忠元は野獣のような目つきで眼前に迫る兼演の軍勢を見下ろしていた。


「さあ者共よ! 武士(もののふ)の働き場はここにあり! 存分に槍を振るって奴らめを叩き潰してくれよう!!!」

「おう!!!」


 不穏な空気を切り裂く忠元の叱咤激励に兵たちの士気は否が応にも高まる。


「ふふっ。忠元殿の声はよく通るわ」


 山田有徳も忠元の声を聞いてにんまりと微笑む。


「我らも負けるなよ!! 弓矢を撃って撃って撃ちまくれ! 時が来れば門を開けて打って出るぞ!!」

「おお!!」


 こうして、吉田松尾城における防衛戦が始まった。

 兼演の城攻めは大変厳しく、果断なく寄せられる軍勢に忠元も苦戦した。

 特に「これは手強い」と驚かせたのは勇将と名高い兼演の嫡男、兼盛の攻めだった。


 多くの兵が兼盛に斬られて怯えたが、忠元の激励を支えになんとか持ちこたえた。


 吉田松尾城の防衛戦は一両日の間、激しく続き、翌朝になって肝付勢がようやく息切れした。

 睨み合いながら休憩している所に、貴久の軍勢が白銀坂を経由して加治木に進軍する模様、という報せを受けた肝付越前守は、仕方なく吉田松尾城から軍を退いて加治木まで戻った。

 これを見た忠元は、吉田松尾城の城兵を集めて軍勢を整え、反撃のために出陣する。



 同年四月八日

 蒲生、渋谷一族の軍勢を援軍に引き入れた兼演軍と忠元軍が、加治木城近くの興慶寺という寺の近くで激突。

 忠元の槍働きもあって兼演の軍勢を敗走させた。

 この合戦は凄まじく、多くの兵がここで斃れ、網掛川は血で赤く染まった。



 また、加治木城のそばを流れる日木山川を川沿いに下ると、黒川という場所がある。


 同年五月

 鹿児島より海路で国分清水城に入った伊集院忠朗が出撃し、黒川の地で日木山川を挟んで肝付越前守の軍勢と忠朗の軍勢が対峙した。


 川幅は百メートルほどしか離れておらず、両軍睨み合いながら弓矢を撃ちあう状態が続いていた。

 しかしその戦を一変させる出来事が起きる。


 すさまじい轟音と、硝煙が巻き起こり、肝付の軍勢を驚かせた。


「な、なんじゃあ!?」


 肝付の兵が弓矢を打ち返すのも忘れて、呆気にとられたところに、再び轟音が鳴り響き、突然バタバタと何人かが倒れた。

 見れば胴に穴が開いている者、顔に今まで見たことがない傷を負って即死している者。

 それを見た兵たちが驚き、怯え始めたのを見て、兼盛は黒川より加治木城に撤退させた。


「ふむ。まあこんなもんかね」


 忠朗はニヤリと笑って退却していく肝付の軍勢を見送った。

 黒川の崎で起こったこの戦は、初めて鉄砲が試験運用された瞬間でもあった。


 こうして加治木城を包囲した島津軍に対して兼演の軍勢は守りを固め、堅城加治木城を前に膠着状態に陥る。



 同年十一月

 貴久の命令で北郷左衛門尉忠相が加治木征伐のため都之城より出陣。

 肝付越前守、蒲生氏、渋谷一族に降伏を勧める使者を立てたが、これを頑なに拒否した。


「都之城の傑物と言われた御仁も随分と衰えたものよ。降伏なぞするものか。この堅城を落とせるものなら落としてみせよ」


 そう言って兼演は降伏の使者を追い返す。

 しかし兼演の嫡男、兼盛の気持ちは既に揺らいでいた。


(ここで意地を見せて果てるのも武士の誉れ。しかし俺はこの槍を三州で、いや九州で振るってみたいとも思うが、それを父に言うには無謀かな……)


 兼盛は十七歳の若者だった。

 しかし吉田松尾城での忠元との争いの最中、既に両軍の底力の差を思い知っていた。


(父上は頭に血が上って頑固になっておられるが、この戦は既に負けだ。地力の差が違いすぎる)


『このまま先の見えない戦を続けるより臣従した方がいい。その誇りを鎌倉以来の名家、島津家のために尽くさないか』


 忠元から説得の使者も訪れていた。

 しかし兼演はなお拒んで、加治木城の守りを固めるのだった。

 


 同年十一月中旬

 冬になり、北西の寒風が吹きすさぶ日になっても加治木城はなお持ちこたえていた。

 それを見つめるのは伊集院忠蒼。重臣忠朗の嫡男である。


「お許しあれば、焼きましょう」


 忠蒼の提案は貴久を悩ませた。


「しかしあの堅牢なる城に火は届くであろうか。ここ数日の風の向きであれば、我が軍勢に火の粉が降りかからぬか」

「考えがございます」


 忠蒼が説明するに、数日のうち一日だけ、南からの風が吹くらしい。

 南からの風が加治木城を守る断崖絶壁にあたると、上向きに風が流れて館まで火が届くということだった。


「ならばその日を狙い待って仕掛けよ」


 貴久の許しを得た忠蒼は、準備だけ済ませてその日を待った。



 同年十一月二十四日

 ついにその日が訪れた。

 日が昇って暖かくなった頃、南からの風に変わったのを見た忠蒼は、号令をかけて火矢を加治木城にめがけて撃ち放った。


 その狙いは見事に敵中した。

 次第に曲輪の館から火の手が上がり始めると、たまらず加治木城から逃げ出す兵も出るようになった。


 兼演は垂直に切り立った崖に阻まれた加治木城に火矢が届くはずがないと思っていたので、これには驚いた。

 また、息子にも説得されてついに降伏を決めたのだった。



 同年十二月一日

 北郷忠相に仲介役を頼み、肝付兼演、兼盛親子が清水城へ参上。平伏して謝罪した。

 また、領地を全て差し出し、いかなる処分も受け容れる誓紙を差し出した。


 その場で蒲生、渋谷も軍を退いて戦に仕掛けない旨を記した誓紙を差し出して、加治木征伐は決着した。


 前年の本田薫親、そして肝付越前守の叛乱を経て、勝久以来の旧体制派はようやく一掃されたことになる。

 幾多の苦難を乗り越え、ついに貴久の治世となったと言っていいだろう。

 また大隅国の加治木、帖佐、国分まで支配域を広げた島津家にとっても、三州平定の悲願を大きく引き寄せた一年でもあった。



 天文十八年(一五四九年)

 加治木における叛乱と鎮圧に明け暮れたこの年、日ノ本の歴史に於いても重要な出来事があったのだが、それは別の話である。

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