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戦国島津史伝  作者: 貴塚木ノ実
立志
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第十八話 鉄砲伝来物語

 鹿児島清水(しみず)城より南へおよそ百六十キロ。

 太平洋上に浮かぶ大隅諸島に種子島という島があり、その南端に門倉岬という場所がある。



 天文(てんぶん)十二年(一五四三年)八月二十五日

 前日まで大風(たいふう)にあって漁に出れなかった漁民が、朝になって

「やれ久しぶりに漁に出れる」

 と喜び、岬を見下ろす小さな浦に出た。

 しかしそこに異様な形をした大船が座礁して身動きが取れなくなっているのを見つけた。


 見慣れない船を目の当たりにして

「なんだいあれは」

 と驚き、慌てて引き返すと、岬にほど近い西ノ村の地頭を務める西村織部丞(おりべのじょう)時貫(ときつら)に知らせた。


 大船には百人ほどが乗っており、よくよく見れば髪は枯れススキのような黄金色、肌は色白で、眼が蒼い。

 いずれも見慣れない衣服を身にまとって、こちらを警戒するように睨みつけている。


 しかし一様に言えるのは、どう見ても日ノ本の人間ではないということだった。


 何人かの勇気ある漁民が小舟を漕ぎだして、何か助けが必要かと声をかけるべく、大船に近づいた時だった。

 一人、豊かな顎髭をたくわえた男が船より何やら鉄の筒を差し出した。

 そして何事か叫んだかと思うと、その筒から雷のような大轟音が鳴り響いて、門倉岬の青空を切り裂いた。


 漁民は悲鳴を上げて首をすくめると、慌てて浜辺へと逃げ去った。

 浜辺へと逃げた漁民が言うには、何やら聞き慣れない言葉を叫んでいたと言う。


 漁民たちがあれはなんだ、と騒いでいる所に地頭の西村が駆けつけ、漁民たちをかき分けて大船を見やった。


「あれは異国の船、隣国の明か南蛮の船であろう。乗っているのも彼の国の者だ」


 教養深い西村時貫は一目で見抜き、勇気があると聞いていた男衆の何人かを選ぶと小舟に乗せた。

 そして武器を持っていないこと、危害を加えるつもりがないことを、心を砕いて大船に声がけし、通じなければ身振り手振りで示すように、と言ってきかせた。

 再び小舟に乗った漁民たちは怖がりながらも再び南蛮の大船に近づく。


 その声が無事届いたのだろう。数十分かそこらで、大船から何艘かの小舟が降りてきた。

 その小舟には何人かの南蛮人と、衣服こそ見慣れないものの、顔つきが日ノ本の人間に似ている者もいた。


 やがて浜辺に着岸して上陸すると、異国の者は身振り手振りで話しかけてきたが、何を言っているのかさっぱり分からない。

 しかし時貫が教養深く漢文に長けていたことが幸いした。


 時貫は紙と筆を持ってこさせると、漢文を書き連ねた。

 それを見せると、異国の男が紙と筆を奪い取って同じく漢字を書きつらねる。


 どうやら顔つきだけは日本人に似ているその男は、五峯(ウーフェン)と名乗る隣国・明の貿易商人だと言う。

 そして黄金色の髪の者は、はるか海の遠く先にあるポルトガルという国から来た者と言い、それぞれメンデンズ=ピント、クリストファノ=ボレロ、ダイゴ=チエモトという名前だと言った。

 また、折からの台風で操舵不能に陥ってこの場所で座礁してしまい、食料も水も乏しいから助けてほしい、ということを漢文で伝えてきた。


 時貫は助けることはできるが、この島の主の許可が必要であること。許可がない限り、あまり自由に振る舞えないことを伝えると、五峯も三人のポルトガル人も、頷いて従うという素振りを見せた。

 また時貫は岬から約五十キロ北にある赤尾木の島主の元に早馬を出し、異国船来たるの第一報と、大船を近くの港まで曳航させることを伝えた。


 それから漁民と小舟をかき集めると、大船から最低限の水夫を残して積み荷と乗員を降ろさせ、船を軽くさせた。

 そして満潮を待って大船がわずかに浮いたところを「えいとう、えいとう」の掛け声で多くの小舟で引っ張り漕いで、二日かけて赤尾木の港まで曳航したのだった。



 種子島の本拠である赤尾木城は別名で上之城と言い、港にほど近い山肌に築かれた城である。

 ここは代々島の領主、種子島氏が入っており、この時の当主は十四代種子島左兵衛尉時尭(ときたか)

 十六歳の若者である。


 時尭の先代、十三代当主種子島加賀守恵時(しげとき)は、貴久と実久の争いでは貴久方に与しており、天文七年(一五三八年)の加世田城攻めや天文八年(一五三九年)の市来城攻めで武功を上げていた。


 また種子島氏は南北朝時代の頃より種子島と屋久島、他近辺の島嶼(とうしょ)の実権を巡って大隅国の禰寝(ねじめ)氏と激しく争っていた。

 しかしその争いはいつしか父子の跡目争いへと発展してしまう。前年の天文十一年(一五四二年)三月には父恵時と、子時尭の武力衝突が起きる事態に発展してしまった。


 その時、先代恵時は貴久に、時尭は禰寝氏に助力を願い、貴久は船を三百艘差し向けて紛争の鎮圧に手を貸した。

 その後、(うるう)三月には新納康久を派遣して、恵時は隠居、時尭に家督を継がせるように説得した。

 ようやく種子島の乱は鎮まったはそれからまもなくのことである。



 天文十二年(一五四三年)八月二十七日

 赤尾木の港に馬で駆けつけ大船を実検した時尭は「これは見事なり!」と感嘆の声をあげた。

 そして明の貿易商人の五峯とポルトガル人を、赤尾木城の館に寄越すように命じる。

 相互の翻訳には引き続き西村織部丞時貫が務めた。


 時尭は

「何処から来て何処へ向かうつもりだったのか」

 と問い、商人も正直に

「はるか南にあるアユタヤというところから、明の双嶼(リャンポー)という地に向かうつもりだった」

 と答えた。

 遥か海を超えて遠方の地を船で結び、行き来する南蛮人と明国人の豪胆さに時尭は大いに驚き、その哀れな成りの果てに深く同情した。

 そして島から去るまでは不自由なく暮らせるように面倒を見ることを約束し、家臣には奈良興福寺の末寺である慈遠寺の敷地にこれらの者が過ごせるように指示を出した。


 また明国人とポルトガル人たちもこの島の王に面会するとあって、大船で運んでいた品々を広げて見せた。

 そしてどれか献上しようと時尭に提案したが、時堯が注目したのは三人のポルトガル人がそれぞれ手にしていた物である。


「それが鉄筒なるものか」


 時堯は家臣よりポルトガル人が今まで見たことがない物で驚かせていたことを報告で聞いていた。

 ポルトガル人が明の貿易商人に何事か言い、その貿易商人が漢文で何か書き、それを西村織部丞が読み取って翻訳する、まどろこしいやり取りを経て、家臣が時尭に伝える。


「これを使ってみせるとのことで、何か標的はないかと言っておりまする」

「ふむ。ならば的を用意せよ」


 そう言うと、時尭が弓矢の鍛錬で使用する板を重ねた的を用意させた。

 三人のポルトガル人のうちの一人、メンデンズと名乗る者が鉄の筒に何かを入れ、棒きれを筒に差し込むと

「準備ができた」

 と言って構える。


 種子島の青空に轟音が鳴り響き、時尭は仰天して首をすくめ、思わず小姓が持つ太刀に手が伸びた。

 しかし、的が木っ端微塵になって後ろに吹き飛んでいるのを見つけると、さらに驚いた。


 家臣に破壊された板の的を持ってこさせ、丹念に調べる。


「確かに消し飛んでおる。弓矢ではこうはいかぬぞ」


 そしてメンデンズの銃を取り上げて持ってこさせると、鉄筒の中を覗き込んだ。

 しかし引き金を何度か引いても何も起きないのを見て、家臣に鉄砲を戻す。


「一体これは何だ? 何が起きておる?」


 そう言うと、鉄砲を受け取ったメンデンズは再び筒から火薬の残りカスを掻き出し、筒の前から火薬を流しこんだ。

 棒を差し込んで火薬を押し固め、さらに鉄の弾を流し込んで再び棒を差し込んで、弾と火薬を押し固めた。


「なんとも取り扱いは面倒だな」


 時尭がふと呟いた所で、メンデンズは再び置かれた板の的に構える。

 再び鳴り響く轟音、またも的は一瞬にして木っ端微塵に吹き飛んだ。

 時尭は手を叩いて喜ぶ。


「これは見事なものだ。的を吹き飛ばす仕組みを教えよ」


 時尭が命じると、再びポルトガル人、五峯、時貫の間で、時には身振り手振りを交えたやり取りが交わされる。


「これは狩猟で獣を撃ちぬく際に使う『鉄炮(てつほう)』という物にございます。その仕組みとしては筒に仕込んだ鉄の弾を火薬という物で飛ばすとのことです」


 時貫は初めて見る明の単語を元に、慎重に言葉を選びながら説明する。


「火薬?」

「はい。火薬というのは火を近づけると激しい勢いを持って四散する薬物でございまして、この四散する勢いを以って丸く固めた鉛弾を目にも留まらぬ勢いで飛ばしまする。しかし四散する勢いはあまりに強く、また刹那に発する熱風に晒されて火傷を負うため、鉄のように頑丈な物でなければ御することができませぬ」

「なるほど、火がくすぶっている麻縄はその火薬に灯す備え付けであったか」


 時尭は再び銃を受け取ると、重さを確認した。


(取り回しは実に不便。太刀や弓よりもかなり重いから、これを自由に扱える者は限られるだろうな。農民兵ではなく将兵に預けた方がいいだろう。さらに弾を撃てるまでに面倒な手はずを踏まなければならぬ)


 そして南蛮人がやったことを真似るように、銃を構える。


(しかし弓矢ほど狙いを定めるに力がいらぬ。さらには到底敵わぬ恐るべき威力。矢は当たりどころ次第だが、これは一撃で死に至らしめる。弓矢は戦場に置いては矢鱈撃ちの天運まかせだが、これは弓矢より確実に狙いを定めることが使い処か。いや、数を揃えれば矢鱈撃ちでも当たれば射殺せるなら、相手が千でも万でも恐れるに足らず。唯一の弱点は大雨で火縄を保てない時か。いや、これも笠でも被せれば濡れることを防げるか?)


 島の若き王の様子を見て、五峯、ポルトガル人は顔を見合わせ、固唾を飲んで見守った。


「その火薬なるものは如何にして調達しておるのだ?」


 時尭の問いに、ふたたび三者の間でやり取りが生じる。


「硝石なる石、硫黄石という石、あとは木炭を砕いたそれぞれの粉を混ぜ合わせたものとのことです」

「硝石なるものはよく分からぬが、硫黄石というのは口永良部(くちのえらぶ)の火ノ山で採れる、嫌な匂いを放つ黄色い石のことではないか?」

「おそらくは」


(取り回しの不便は工夫次第でどうにでもなる。鉄砂は種子島で採れるし、打ち鍛えて刀にする技があるなら、筒状にすることも、丸く練って弾にすることもできるはずだ。この鉄筒を支える木の台の形に加工するのは造作も無い。あとは火薬の調達次第か……)


「硝石とはどこで採れるのだ?」

「明の奥地や印度(いんど)の乾いた土壌より採れるとのことです」

「ふむ」


 時尭は膝を打って立ち上がると、ポルトガル人に申し渡した。


「この銃と火薬、弾一式を全て所望いたそう。金は存分に出す」


 そう言って三人のポルトガル人が持つ三丁全ての銃を買い取ろうとしたが

「どうしても一丁は手元に残しておきたい」

 というので、二丁の銃と火薬、弾一式を受け取り、時尭の命で二千両もの大金が城の倉より出された。

 ポルトガル人はその小判を手に取ると、思わず口にする。


「Maravilhosoすばらしい!」


 そして胸の前で十字を切るような素振りを見せて何事か呟いた。


「な、なんだ?」

「いや、何やら金子の出来がよいらしく、感動しているとのこと」

「左様か」


 時尭はポルトガル人の所作に戸惑いながらも、二丁の鉄砲を受け取った。


「南蛮の者も明の者も、西村織部丞もご苦労であった、下がって良い。

 こやつらが在島のうちは不自由なく過ごせるようにいたせ」



 この衝撃の出会いからしばらくの間、時尭は日夜寝食を問わず、手に入れた鉄砲を常に持ち歩いた。

 そして時々構えて撃ち方の真似事をしては、満面の笑みを浮かべた。


 また後日、好天の日を選んで再び三人のポルトガル人を呼び出すと

「自ら鉄砲を撃ちたいから遣り方を教えろ」

 と請い、またポルトガル人も何一つ包み隠すことなく撃ち方を教えた。


 天文十二年(一五四三年)九月九日

 この日、初めて日本人が鉄砲を撃った瞬間だった。



 種子島(たねがしま)左兵衛尉時堯(ときたか)、十六歳。

 異国の難破船は本来であれば即刻命を落としてもおかしくはなかった。だがその処置を好奇心旺盛な若者が関わったことで、戦国日ノ本の歴史の大転換となる足跡を残していく。


 時尭は種子島の刀鍛冶の頭領、八板金兵衛清定を呼び出すと、鍛冶衆を総動員して鉄砲を複製するように命じた。

 また秀才と評判だった家臣の笹川小四郎秀重には硫黄、硝石、木炭を渡して火薬を研究して作り出すことを命じた。



 八板金兵衛ら鍛冶衆の鉄砲の複製は難航し、特に筒底に取り付けるネジの作成に苦労した。

 正確にはオス側のネジの複製自体は容易にできたが、メス側のネジ受けがしっかりと収まるように作る方法が分からなかった。

 八板金兵衛は我が娘を南蛮人に嫁がせてその作成方法を教わり、また笹川小四郎は最適の火薬の配合を見つけ出すまで幾度と無く試行錯誤し、危うく火事になりかけたこともあった。


 そういった苦労の積み重ねもあって、鉄砲が伝わってから数ヶ月後の冬にもなると、とりあえず形だけ真似た複製銃が何丁か完成した。


 しかし完成した複製銃はやはり出来が悪く、火縄の先と筒内にある火薬の着火位置がずれて噛み合わなかったり、上手く火薬が炸裂しても弾が発射されなかったり、火薬の爆発衝撃に耐えられずに破裂してしまう銃もあった。

 それでも八板金兵衛は諦めずに試行錯誤を続け、ようやく作り方のコツを掴み始めると、一年後には銃の完成度もかなり上がっていった。


 いくつか複製銃が揃い始めた頃、時尭は中から特に出来の良い物を何丁か選び抜いた。

 そして時尭自ら鹿児島清水城の貴久に謁見を願った。


「ご太守にあらせられては、先年の乱の鎮圧にご助力賜り、厚く御礼申し上げる次第にございます。また拙者の不出来によりお手を煩わせてしまい、面目次第もございませぬ」

「楽にせよ。今日は先年頃より報告のあった南蛮の火器を見せてくれるのだろう」

「は」


 そう言って時尭は鉄砲を手に入れたあらましと、鉄砲の使い方を得意げに、また身振り手振りを交えながら説明し、貴久もまた楽しげにそれを聞いた。


 硝石の調達にやや難儀していること。

 銃が重く、取り扱いを極めるには相当な練度が必要なこと。

 一発を撃つまで時間がかかること。

 しかし弓矢や刀剣も及ばぬほど、それは恐るべき威力であること。

 そして銃の複製は時間は多少かかるが、コツさえつかめばそれほど難しい造りではないこと。


 などを聞いて、貴久と家老衆は調達方法や、かけるべき金銭について議論を重ねた。

 また実際に時尭自ら的を撃ち抜くと、木っ端微塵に吹き飛んだ恐るべき威力に一同は大いに驚いた。

 再び使い途や合戦での運用について議論を重ねた。

 そしてまた、大金を渡し、複製を重ねて数を調達するように時尭に命じた。


 なお、複製銃が完成した後、天文十三年(一五四四年)に、島を訪れていた紀伊の根来衆、津田監物(けんもつ)算長(かずなが)に請われて時尭は複製元となった鉄砲一式を贈った。また津田監物もすぐに紀伊へ戻ると、複製するように刀鍛冶衆に命じた。


 種子島に漂着した南蛮商人たちは半年後には島を離れたという。


 また、その後手に入れた火縄銃はいずれ足利幕府へ献上された。

 こうして、南蛮商人より極東の島国にもたらされた火縄銃は、日ノ本では「種子島」と呼ばれて全国に広まっていき、それまでの戦国乱世の合戦模様を劇的に変えていくことになる。

余談だが、西村織部丞時貫の子孫に幕末生まれの西村天囚という人がおり大阪朝日新聞の主筆となった。「天声人語」の名付け親である。

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