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戦国島津史伝  作者: 貴塚木ノ実
島津乱れる
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第九話 乱前夜

 時をやや戻し――。

 文明(ぶんめい)六年(一四七四年)

 応仁・文明の乱で日ノ本が諸大名の衝突で荒れる頃、島津宗家十代立久の死去に伴い、これを継いだのが十一代忠昌である。

 しかし以後、文明十六年(一四八四年)の伊作久逸(ひさやす)の乱を始め、分家氏族、国人衆の間で内乱が頻発して、のちに国中騒乱と言われる事態となっていた。


 忠昌は武勇よりも学問を好んだ性分で、乱の鎮圧に追われる一方で明で宋学、儒学を修めた桂庵玄樹を招くなど、学問や文化隆盛に力を注いだが、戦国乱世を治めるには力が足りなかった。

 平穏無事な世であれば何の問題もない、むしろ名君と称されても過言ではなかったが、残念ながらやはり生まれた時代があまりにも悪かったと言える。


 その忠昌が、歴代島津家において類を見ない最期を迎える。


 永正五年(一五〇八年)二月十五日


   願わくば 花のもとにて 春死なむ

    その如月の望月のころ


 西行の和歌を辞世の句として島津宗家の本拠城、清水(しみず)城で自殺。享年四十六。


 若年で宗家を継いでから三十年余りに及んだ治世ではあったが、内乱の絶えない世を(はかな)んでのこととも、気が触れてのこととも伝わる。

 或いはその死をもって臣民を悔い改めさせて内乱を鎮め、三州の平穏を願ったのかもしれない。


 その死をもって願った平穏は、しかしそう長くは保たなかった。


 永正十二年(一五一五年)

 忠昌の跡を継いだ十二代忠治(ただはる)はその七年後、陣中にて二十七歳で急な病を発症して死去。


 永正十六年(一五一九年)

 跡を継いだ弟の十三代忠隆(ただたか)は四年後、わずか二十三歳で流行(はやり)(やまい)を得て死去。

 そして、その後を忠昌の三男、忠兼(ただかね)が十四代当主の座を継いだ。


 このように、島津宗家はわずか十一年の間に当主が三代も移るという異常事態に陥っていた。

 また、その間にも大隅国と薩摩国の境界に接する吉田城の吉田位清(これきよ)や大隅国橘木(たちばなき)城で伊集院為永(ためなが)が謀叛を起こすなど、内乱が相次いでいる。


 永正十六年(一五一九年)に家督を継いだ十四代忠兼はその時十六歳。

 政を執り行うには力不足であったが、自身に放蕩(ほうとう)癖があったことが島津宗家の弱体化に拍車をかけていた。

 また、若き当主を支える直臣も少なく、領国経営は当初から困難を極めた。


 忠兼が最初に頼ったのは、分家衆で最も影響力を持つ薩州家だった。

 薩州家島津忠興(ただおき)は谷山から豊かな穀倉地帯である出水いずみに政務本拠を移して権勢を振るうようになっていた。

 そこに宗家より政務代執行の任を与えたい、という報せが届いて大いに気を良くした。

 忠興は娘を忠兼に嫁がせて縁故関係を強めると、守護代を自負して宗家領地へ積極的な介入を始めた。


 その一方で薩州家の専横を危惧した忠兼は、英明の誉れ高い相州家忠良に直臣の少なさを訴えた。

 また忠良もこれの相談に乗り、伊作、相州家に仕える者やその近縁にあたる者を出仕させ、宗家を補佐するように命じた。


 こうして薩摩国は島津宗家十四代忠兼の治世の元、なんとか命脈を保っていたような状況だった。



 それから六年の時が流れ、忠良が母・常磐を亡くした大永五年(一五二五年)。

 薩州家島津忠興が病を得て三十九歳の若さで死去すると、その後を嫡男実久(さねひさ)が十三歳で元服し、その跡を相続。


 実久は若かったが、十四代忠兼の治世となってからの六年間の慣習として、薩州家が執り行っていた政務代執行を変わらず行っていた。

 この時忠兼は二十二歳になろうという頃であったが、相変わらず酒色に耽っていて実久のような若輩者にも言いくるめられることも多かった。


 また実久の姉が十四代忠兼の正室となっていたことから


「我ら義兄弟にて遠慮はいらぬ」


 と言いのけると、忠兼の守護職を乗っ取らん勢いで権勢を強めていた。

 これに抵抗したのが、忠良の命で島津宗家を補佐していた老中衆であった。


「これではまるでどちらが宗家の当主か分からぬ」


 相州方の老中衆は膝を詰めて島津宗家の今後について話し合う機会が増えていた。


「相州様のご命令とあって宗家に仕えておるが、この六年の間、ご当主がまともに政を執り行っている所など見たこともない」

「これでは宗家はどうなってしまうのか」

「薩州様は若いがどうも傍若な振る舞いが目立って評判は悪い」

「その薩州様はご当主に嫡子がいないことをいいことに、自らを養子縁組させて世継ぎとするように願い出ているようだ」

「なんと! 宗家を乗っ取るおつもりか」

「我が殿のような仁政を敷く方であればまだしも、薩州様のような方が宗家を継いでは先が思いやられるわ」

「しかし薩州様は齢十三と聞くが、ここまで(さと)く振る舞えるものだろうか」

「おそらく裏を引いているのは十三代様の頃の老中共であろうな……」


 十三代忠隆の代までは薩州家出身の老中が大勢を占めていたが、十四代忠兼は忠良に請うて老中を仕えさせると、先代まで務めていた老中の出仕をやめさせていた。

 その元老中は薩州家で禄を得ながら、その境遇に大いに不満を抱いていた。


「養子縁組を許せば我ら相州の出の老中方の勤めも果たせなくなるであろうな」

「……ご隠居いただく他あるまいか」


 誰ともなく頭に思い描いていたものの、口にすることを躊躇(ためら)っていたことを呟いた。


「ご隠居いただくとして、跡目はいかがいたすのか」

「我らが殿のご嫡男、虎寿丸様は薩州様とは齢二つ下ではあるが、学問を修め、政治の理を得ていると聞く。虎寿丸様が跡目を継げば宗家も我らも安泰であろう」

「しかし虎寿丸様に宗家を継がせるとすれば相州家はどうなさる」

「殿には六才になる御次男もおられ、大変壮健であると評判であるので、そちらを相州家を継がせればよろしかろう」

「それで致し方あるまいか……」


 宗家に嫡子がいなければ分家から養子を得て跡を継がせることは何も珍しいことではないし、むしろ分家はそのために存続していると言ってもよかった。

 しかし政務代執行の任を帯びていたとは言え、薩州家実久とその老中方にやり方には反発も多く、さらに宗家の跡目を望むとあっては、乗っ取りという印象を抱かれても仕方がなかった。

 また、宗家に仕える老中は薩州に出自を持つ者と、伊作・相州の出自を持つ者が日頃から反目しあうようなことも多かった。


 こうした宗家内部において出自の異なる老中方の日頃の(いさか)い、十四代忠兼の素行の悪さ、薩州家実久の振る舞いの悪さ、忠良の嫡男虎寿丸が英明の誉れ高かったこと、これらが全て合致して、相州家老中方主導によって虎寿丸を宗家の跡継ぎに据える計画が動き出した。


 大永六年(一五二六年)

 ある日のこと、相州方に与する老中、阿多加賀守が十四代忠兼の元に、虎寿丸との養子縁組の内諾を得るためにお目通りを願った。

 忠兼は盃を片手にこれを許し、謁見する事になった。

 その横には三州守護島津家の守護代である本田紀伊守と、忠兼に仕える数少ない直臣、肝付三郎五郎兼演(かねひろ)が居た。


「揃いも揃って何用か、騒々しい」


 忠兼は酒に当たったうろんげな目つきで一瞥をくれる。

 阿多加賀守の鼻に遠目からでも酒の匂いがついて、一瞬顔を歪めたが、努めて涼しい顔で忠兼の様子を伺った。


「島津家は鎌倉の世に薩摩、大隅、日向にまたがる島津の名を冠する大荘園を賜った惟宗忠久公が御家を起こしあそばれ、以来、室町の世に変わって数々の危難を乗り越え、なお三州の守護を仰せつかって参りました。しかし応仁の頃より世は乱れ、三州に於いては乱が相次ぎ、歴代のご当主は大変苦労なされたことだろうと存じます」


 忠兼の耳にその言葉が聞こえているのか、面倒そうな顔つきで目をつぶる。


「京の者が曰く、現世うつしよは戦国の世にて幕府より預かった守護の役目はもはや意味もなさないも同然であるとか」


 物騒な言葉が出てくるにあたってようやく忠兼は眉間にシワを寄せて目を開け、盃を膝元の盆に戻した。


「なんだ、どこぞでまた異心を抱く不届き者でも出てきおったか。ならば薩州殿と相州殿にそれを鎮めるように命じればよかろうが」


 そう言うと忠兼は盃に酒を継ぎ足し、一気にあおり飲み干す。


「それでございます」


 阿多加賀守はその言葉を待っていたように顔を上げて、ことさら神妙な顔を作って忠兼と視線を交わした。


「先日、薩州様より養子縁組の上、守護職をお譲りいただくような話があったと聞き及んでおりますが、どのような次第となりますでしょうか」

「……養子を迎える考えはなくもないが、あれはダメだ」


 そう言ってまた忠兼は盃に酒を注ぎ足す。


「実久めは若輩のくせに目上を敬おうともしない。俺の室がやつめの姉御だというので『我らは義兄弟だ』とのたまったが、今度は親子とは呆れるわ」

「左様でございましたか」


 阿多加賀守は胸をなでおろした。

 もちろん十四代忠兼も青年となって当主たる責任感も芽生えてきたのか、悩みもあった。


「京の幕府の名も効かぬようになり、俺の力が足りないことは認めざるを得ぬ。しかし薩州実久のような若造にいいようにされるのも気に食わぬ。」


 それを聞いて忠兼の臣下ながら、忠兼の素行の悪さに辟易していた肝付兼演が口をはさむ。


「やはり奥に薩州様の姉君をお迎えしていることで薩州様の言いなりになっているようと思えます。しかし御室に嫡男に恵まれないということは天運が島津宗家を見放しているようにも感じまする」


 対面して座する阿多加賀守が機を得たと言わんばかりに膝を少し前に出して諭すように話を続ける。


(しか)らば、相州はいかがでしょうか。相模守(さがみのかみ)様の善政は鹿児島までよく聞こえるほど評判もよく、そのご嫡男も英明の大器と聞き及んでおります。相州様のご嫡男を養子に迎えれば天の目に止まり、鎌倉以来の御高名も安泰しましょう」


 忠兼は盃を盆に戻してふと考える仕草を見せた。

 忠兼にとっても薩州実久の横暴ぶりには手を焼いていたため、一泡吹かせてやろう、という思惑があった。


「考えておく」


 偉ぶってその場ではそう答えたが、守護代の本田紀伊守も島津宗家を憂いたのか熱心に説得した。

 その結果、その日のうちに養子縁組の内諾は得られたことが阿多加賀守に告げられた。

 それから忠兼は薩州家実久には相談せず、使者に立てさせた。

 虎寿丸を養子縁組の上、守護職を禅譲したい、という報せが忠良の元に届くのはすぐの事である。


 だが田布施亀ヶ城でその使者を迎えた伊作・相州家当主忠良は難色を示した。

 忠良は三十四歳になっていたが、苦労人らしい小じわが口元に目立ち始め、最近は小姓から白髪が増えましたね、と指摘されるのが悩みの種だった。


「虎寿丸はまだ若いし、これまで宗家に手を尽くしてきた薩州殿も黙ってはおるまい」


 そう言うと丁重にお断りする旨の返書をもたせて、使者を送り返した。

 阿多加賀守をはじめ、相州方の宗家老中衆にとっては予想外の返事ではあったが、もはや事態は動き出していたため、その返書の内容を上手く言い換えて忠兼に伝えた。


「どうやら相州様は安心して任せられる後見がおらぬことと、薩州様が異心を抱くことを懸念しているご様子でありますな。いかが致しましょうか」

「実久めが議を言うのは、俺の奥にやつの姉がいるからだろう。嫡男に恵まれない以上は無用であるから、離縁する。そうすれば奴らにこれ以上言われる筋合いもなくなるから、案ずるまでもない。後見は相州殿自ら当たればよかろう」


 上手く乗せられたような忠兼ではあったが、それに気づくことはなかった。

 阿多加賀守はその言葉をそっくりそのまま忠良に伝え、熱心に説得を重ねた。

 また、宗家に出仕させていたその他の老中方が忠兼の振る舞いの悪さをことさら訴えると、忠良も大いに悩んで重ねて断ることもできなくなってしまった。

 そうこうしているうちに十四代忠兼は妻と離縁を申し渡して(いとま)を与える。

 また相州家忠良と宗家の間で虎寿丸養子縁組の話が進み、そして守護職禅譲、政務代執行の任を相州家に移す段取りが進んでいくのだった。


 一方で相州家嫡男の宗家養子縁組、政務代行の任を解かれる話を聞き及んだ薩州実久はこれに激昂し、周囲が止めるのも聞かずに忠兼の元を訪れていた。


「話が違うではないか」


 自分よりも十歳は若い実久に尊大な態度を取られ、忠兼は、さすがにムッとした表情で睨みつける。


「俺は若輩の身ではあるが、亡き父の教えを守り、宗家のために手を尽くしてきた。三州が島津宗家の守護の元で栄えればこそと想い、我に守護職を預からせていただくのはいかがか、と具申したのに、相州の倅を迎えて、さらに姉上を離縁させるとはどういうことであろうか」


 そこまで一気にまくし立てた実久に、忠兼は激しい剣幕を見せた。


「えい、異議を言うな若造が! お主よりも相州の倅が優れている様子だから後を任せると言うておるのだ! 不満ならばお主が優れていることを示してみせよ!」


 実久はさすがの怒気に首をすくめて、一歩下がると平伏した。


「分家風情が出すぎたことを申してしまいました。平にご容赦いただきたく、お許しくださいませ……」


 忠兼は睨みつけた目つきを戻し、落ち着かせるように一呼吸を置く。


「よい。俺も言い過ぎた。薩州殿にはこれからも宗家を支えていただかなくてはならぬ。今日は下がるがよい」


 忠兼は少し乱れかけた衣服を正してそれだけ言うと、実久を出水に帰させた。

 忠兼付きの老中、本田紀伊守は実久が退座するときに険しい目つきをしていたことを見逃さず、これからの島津家を案ずるのであった。


 こうして不穏な空気に包まれながらも大永六年(一五二六年)十一月、鹿児島に忠良と虎寿丸に面通しをするように命を出した。

 そして、虎寿丸の養子縁組、守護職を相州家忠良後見の元に禅譲する段取りが決まっていく。

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