第零話 世は泰平なりてこれに至る道
時は寛永年間の秋。
江戸に幕府が置かれ、泰平の世となってから三十余年となった時の話である。
夏の暑さが抜けて稲の収穫が終わり、農作業に追われることも少なくなった頃。
鹿児島の若き侍達 ――薩摩ではそれを「二才」と呼ぶ―― 十数名余りの一党が薩摩国出水郷を訪れていた。
この地に天下分け目の関ヶ原の合戦で槍を振るった生き残りがいると知り
「その時の話を是非にでも直接聞きたい」
と誰かが言い出して
「では皆で行こう」
という話になったのである。
その人の名は中馬大蔵重方と言う。
二才たちはその人を既に亡き君主、島津惟新公秘蔵の人で武功に優れていたと聞いていた。
それ故にどのような大活劇が聞けるだろうか、と心躍らずには居られなかった。
道すがら出会う地元衆に
「中馬大蔵という御仁の家はどちらか」
と聞きながら、ようやく辿り着いたその家は武功に優れた人とは思えない、こじんまりとした屋敷だった。
みすぼらしい板葺きの屋根、風雨に晒されて色の煤けた板塀、多少なり手入れのされた生け垣が隣家との境界を主張している。
「や、これでは大風が来たらなにもかも飛んでしまうのではないか」
誰かが無遠慮に鹿児島を時々襲う台風の心配をしてしまうほどだった。
思わず顔を見合わせた若者たちの中から、年長格が恐る恐る門を叩く。
すると、使用人と思われる中年の女が何事かと訝しみながら出てきた。
「俺たちは鹿児島から来た者共です。こちらに関ヶ原の合戦を生き残った中馬大蔵様がお住まいと聞き及び、是非先の大戦についてお話を頂きたいと参った次第でございます」
「まあ! ようこそようこそ、遠いところからよく参ったものです。どうぞお入り下さいな」
そう言って女は若者たちを館の応接の広間へ案内した。
「呼んできますからね、お待ち下さいな」
そう言って頭を下げると、どことなく急ぎ足で退室した。
若者たちは中馬大蔵が座るであろう座布団を前に、肩が触れるほどに正座して待ち受け、所在無げに部屋を見回す。
外見ほど粗末というわけではなかったが、やはり質素倹約という言葉がそのまま当てはまるような、余計なものが何もない部屋だった。
そこにさきほどの中年の女に付き添われて、麻の袴を身につけた老人が入ってきた。
「やや、これはまた二才ばかりで珍しいものだ」
入ってくるなりかけられた声の大きさに、若者の一人は少し驚き、首をすくめた。
だがその老人に刻まれた深い皺の数、そして皺の深さを見て、噂に違わぬなんと立派な人なのだ、と思った。
「わしも齢七十前にもなると、歩くも難儀、正座するも難儀になってきてな。遠路遥々参った若者たちを前にして無礼で済まぬが、ここに座らせてもらおう」
そう言って柱を手にかけて、おいしょ、の掛け声でようやく座った。
その様子を見守ってから、若者たちの年長格が頭を下げて名乗りでた。
「突然のご訪問の無礼、ひらにご容赦頂きたく。私は鹿児島より参りました新納刑部大輔次郎四郎と申します。本日は武功に優れ関ヶ原の合戦で槍を振るったと聞く大蔵様のお話をお伺い致したく、出水に参った次第でございます」
「おぉ、新納とな。旅庵殿の氏族か?」
「あ、いえ。武蔵守の氏族にございます」
「太指殿の方か!」
そう言って老人はカカカ、と笑う。
だが自らに集まる期待の眼差しを感じて、軽く咳払いをした。
「かの戦の話であったな」
そう言うと、老人は穏やかな笑顔で出されたお茶をすすり、居住まいを正してじっと遠くを見る目つきになった。
「関が原と申すは……」
「……」
「……」
「……」
「……?」
若者たちは、次の言葉を待ったが、いっこうに出てこない。
ふと見上げれば、老人は声もあげずに涙をこぼして拭おうともせず、袴には涙の痕が出来上がる。
若者達はその涙で知った。
この老人が見てきた光景の凄まじさを。筆舌に尽くしがたい難行の数々を。
その涙に誘われて、鼻をすする若者も居た。
「……よく分かり申した。本日は真にありがとうございました」
次郎四郎はそう言って頭を下げると、若者たちは中馬老人の館を後にした。
鹿児島に戻る道を歩きながら、若者の一人が言った。
「戦国乱世を生きた先人の武勲話はこれまで幾度と無く聞いたが、今日の大蔵様の話ほど優れたものはない」
「然り。人づてに聞く話よりも……。何より重い」
秋薫る薩摩路を、口々に今日の老人の様子を語り歩きながら、ふと次郎四郎は言った。
「よくよく考えれば、この道もかつては様々な人が歩いてきたのだろうと存じる。戦に出る者、戦に負けて血を流しながら帰る者。時には野垂れ死んで草木の肥やしとなったやもしれぬ。そういった苦労の末に出来上がった泰平の世の道を、俺たちは今、歩いているのだな」
青空を見上げてさらに続ける。
「俺の先祖は武蔵守忠元公と言って、島津家代々に仕えてとても武功に優れた人だったと聞く。だがさらに遡ったご先祖の方々は大変苦労なさったらしい。聞けば日新公の母君、梅窓様は新納の出で、元は大隅国の志布志にお住まいになっていたということだ」
静かに言葉を繋ぐ次郎四郎を南国の秋風が運んでいく。
これは、戦国乱世を生きた人間たちの物語である。