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表裏の鍛治師  作者: かきす
第一章「入学編」
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第五話 「驕り高き男」


             ○         ●         ●

   ゆりさんはさすがだ。

   昨日は神秘的に美しい女神のような純粋無垢なお体を

  見たときに、僕の運命の炎は激しく燃え上がりましたが、

  本日間近に感じたあなたはやはり、私と釣り合う唯一の

  女性だと再確認しました。

   大丈夫、不安がらずとも、私が釣り合うと言っている

  のです。何も心配することはない。

   ただ、あの銀髪の男。アレは危ない。アレはゆりさん

  に不幸を招く存在です。アレとはできる限り距離を取っ

  た方が良い。

   もちろん、私がアレを排除します。口先だけの顔も身

  なりも家柄も良くないアレは、顔も身なりも家柄も何も

  かもが完ぺきな私が、颯爽と排除しましょう。

   そして、その暁にはあなたに求婚をいたします

   その時まで安らかに過ごされよ、わが姫。


             ●         ●          ○


 パタン。

 机の上に広げていたメモ帳を閉じ、椅子の背もたれに体重を預ける。そっと目を閉じてさっき見た内容を思い出す。


「……ぁ、ぁあ、たす、けて、……君……君……!!」


 室内で温かい気温のはずなのに背筋が寒い。底冷えする様な寒さに自分で自分を掻き抱く。


(助けて!カキス君!!)


 決して、名前は呼ばない。呼べない。彼は口にしたら絶対に聞き取ってしまう。だから決して口には出さない。


(迷惑をかけたくないから……。また、何処かへ行って欲しくないから……!)


 一人。そう、私一人が我慢すれば良い。例え、どれだけ背筋が凍えるような思いをしても、私が一人で我慢すれば……。


「ゆり、入って良いか?」


「!?」


 急に、助けを求めていた相手からの入室宣言に、慌ててベッドに潜る。


「ゆり? 居ないのか?」


(ど、どどどどうしよう!?)


 返事をしようにも、泣声で何かあったとばれてしまう。


(え、えと、えとっ!?)


 完全にパニックになって頭の中が真っ白になる。


「……入るぞ」


 ついにカキス君が部屋に入ってきてしまう。

 ドキドキしながら布団にもぐっていると、


「ゆり、寝たふりしてるだろ」


 ギシッ、と二人分の体重にベッドが軋む。見えてはいないが、たぶん今、私の体はカキス君に手と腰で挟まれてる。


(ていうか、寝たふりがばれてる~!?)


 自分をよく理解してくれてると、勘違いに近いかもしれない可能性に顔が火照って頬が緩んでしまう。

 恋は盲目。まさにそれだと思う。ただ彼に気付いてもらうだけで、私の心に張り付く霜が全て、溶け失せるのだから。


「これから道場に行くけど、お前も来るか?」


「私、も?」


 何とか普通の声が出せたことに一安心する。


「あぁ。お前を一人にして入ったらラディングがうるさいだろうしな」


「ディングさん、まじめだからね。うん、私も行くよ」


「……なぁ、ゆり。さっき俺に助けを求めなかったか?」


「っ!? ……求めて、ないもん」


 予想外の言葉。そのせいで返答が詰まってしまう。

 バサッ!

 布団を剥がされて覆いかぶされる。


「本当か? 本当に求めてなかったか?」


「自意識、過剰、だよぉ」


 手を押さえられ押し倒された状態で、せめてもの抵抗として顔をそらす。


「自意識過剰でも構わない。お前が泣いているとこを、不安を見逃すよりはな」


「はぅぅ……。ず、ずるいよぅ、そんなところがジゴロって言われるんだよ?」


「……」


 あ、渋い顔になった。

 カキス君は、ふぅ、と嘆息すると私の上からどいてしまう。……少し残念。


「とにかく、何かあったら言ってくれよ?」


「相談は大事だもんね」


「肯定はしないのな……」


「ほら、着替えるから出てって出てって」


 カキス君の背をぐいぐい押して部屋から追い出す。

 バタン。

 扉が閉じて、胸に手を当てる。ドキドキしてて、奥がポカポカしてて、……全身が火照ってる。


「……不安、なくなっちゃった」


 顔が真っ赤になって、ベッドの上で身悶える。


(カキス君はホント、私たらしだよぉ~!!)


        ○              ○           ○


 上が騒がしいのはゆりが悶えているからだろう。正直俺も悶えたい。


(何やってんだかな、俺は)


 らしくないことをしたものだと今更のように恥ずかしさが湧いてくる。


「これから道場ですか?」


「はい、ゆりと一緒ですが」


 上が静かになったので悶え終わったらしい。


「ふふっ。いつも一緒ですね」


「……これ、ルトアさんも目を通しておいて欲しい」


「これは?」


「おそらくその人物がメモ帳を落とした犯人だと思う。……まぁ、主犯格がほかにいるみたいだが」


 ルトアさんに渡した紙にはメモ帳の正体と、それを”意図的に”落としたであろう人物の簡単なプロフィールが書かれている。


「これはまた……」


 書かれている内容にルトアさんは眉を八の字にする。


「今回は、裏工作が必要になるかもしれん」


「カキスさん。口調が乱れていますよ」


「おっと。……まぁ、そんな訳であんまりゆりから離れられそうにないんですよ」


「そうですか、ふふふっ」


 どこかおかしかったのか、上品なしぐさで笑うルトアさん。


「ごめん、待たせちゃって」


 トタトタと、騒々しいようで騒々しくない足音が聞こえる。

 今回のワンピースは、胸下を緑のリボンで緩く縛り微笑ましい胸を強調させている。白のワンピースと相まって儚げな少女に見える。


(見えるじゃなくて本当に儚いか)


「あらあら、とてもお似合いなワンピースですね」


「あぁ、すごく可愛い。抱きしめるか、膝の上に乗せて愛でたいくらいに」


 ゆりの身長が低いこともあって、まるで妖精の様だ。


「カキス君、このワンピース好きなの?」


「ん? なんで?」


「子供の時も全く同じこと言ってたから、そうなのかなって……」


 まったく記憶にない。だが、好みかと聞かれれば好みである。


「さぁな? その服じゃなくて、その服を着たゆりが好きなのかもよ?」


「ふぇっ!?」


「冗談だが」


 二つの意味で|(あるいは一つの意味で)ゆりは顔を赤くする。そんなゆりを宥める意味合いを込めて頭をなでる。一瞬で大人しくなる辺り、ゆりってかなりちょろいのではないだろうか?


「それじゃあ行ってきます」


「……行ってきます」


「ふふっ。行ってらっしゃいませ」


 楽しそうなルトアさんを置いて、俺とゆりはピースを出て道場に向かう。


 ○ ○ ○


「う~む、記憶にないな」


「この服?」


 ワンピースの裾をつまんで広げる。


「あぁ、悪いな。覚えてなくて」


「ううん。六、七年前のことだもん。服のサイズも私自身も大きくなってるから」


 ゆりはそもそも俺が覚えていないと思っていたらしく、特に気にした様子もない。


「それでも、一応な」


「カキス君って変なところで優しいよね、昔から」


「ふっ。アメとムチは使い分けるものだからな」


「……ムチはなくていいよ?」


「そうだな、俺もムチはあんまり好きじゃないからな」


「え、嘘だよね?」


「俺はムチじゃなくて縄で縛る方が好きなんだよ」


「そういう意味で言ってないよ!?」


「ついでにアメが何かというと……おっと、もう着いたな」


「何!? ねぇ、アメは何なの!?」


 アーチ、といった方が正確な門を通り、道場に入ると、聞き覚えのある声と、黄色い歓声が聞こえる。


「ふぅ……」


「「「「キャー!!」」」


「……」


「……」


「やぁ、カキス、水谷さん」


「やっと来たか……」


 最初はコルトに対する歓声かと思ったが、違っていた。

 ど真ん中で素振りをしているのは、入学式でからんできた男だった。

 まさか、一日と時間を空けずに接触してくるとは思わず、反応ができなかった。


(嫌な予感が……)


「コルト。あれは誰だ?」


「イラプド=ハイ先輩、らしいよ? 道場を見学しに来たんだけど、ど真ん中で素振りを始めちゃって困ってるんだ」


「だったらそう言ったらいい。お前の方が女子の取り巻きも多いだろ?」


「最後のは関係ないような気がするよ、カキス君」


 イラプドの周囲にも取り巻きがいるが、服装を見る限り門下生ではなさそうだ。イラプド自身は無駄に装飾の多い道着を着ている。あんなもの、どこで売れているのだろうか?


「実はもう言ったんだよ。そしたら『ある人物を待っているのさ。なぁに、この僕の素振りを見れるんだ。この上ないほど有意義な時間が過ごせるだろう?』て返してきたんだ」


「ある人物、ねぇ……」


 おそらく、ゆりではなく俺のことを指しているのだろう。イラプドの様子からして、「僕のお姫様」とか言いかねないほどに、ゆりに対しては丁重に扱うと思われる。少なくとも、先ほどのことを考えると。そんなやつが、ゆりを雑とも受け取れかねない「ある人物」などと呼ぶはずがない。


(面倒な……)


 はぁ、と溜め息と一緒に気怠さも吐き出す。


「気乗りしないが、行ってくる。ディング、その木刀を貸してくれ」


 ディングから木刀を受け取ると、迷うことなくイラプドの元へ。

 有意義な時間をくれるらしい素振りをやめ、周囲の女子と談笑していたが、近づいてくる俺に顔を顰める。


「ごめんよ。少し彼と話したいことがある」


 わざわざ取り巻きの女子をさがらせて、今この場にいる人間の注目を集める。


「それはそれは。俺は全く話したいことがないどころか、話したくもないですけど」


 精一杯の営業スマイルでさらっと悪態をつく。


「君ごときの意思なんか関係ないんだよ。それより、僕と勝負をしないかい?」


「あれ、さっき俺の意思は関係ないって言ったくせに、俺に対して問いかけるんですか?」


「ふふ、これだから低俗な人間は困る。こちらと同じ言語使っているはずなのにまったく言葉が伝わっていない……。僕は君に勝負するかしないかを聞いているんだよ?」


 それはお前だろう。大体、本当はお前の方が絶対に低俗で汚いゲス野郎なのを理解していない。


「俺がそれに乗って何の得になると?」


「あるよ。僕に勝ったという名誉がこれ以上無いほどの得になる。一生それだけで暮らせるほどのね」


「……」


 もしかしたらこいつはかなりのバカなんじゃないだろうか?もし、本当に勝った名誉で一生暮らせるほどの価値がある男なら、こんなところで遊んでいないだろう。そもそも、そんな大物とは思えない。かなりの小粒感だ。


「……なら、先輩は何の得、いや、何の目的があって俺と勝負しようって言うんですか?」


「君の存在はゆりさんを不幸にする。君は自覚がないようだから優しく聡明な僕が教えてあげよう。そして、僕が買ったらあの子の前から消えてくれないか?」


 イラプドは、すっと俺に木刀の切っ先を向ける。その瞳には、おごりによって裏付けされた自信を感じる。


「ルールは?」


「勝敗は審判の判断に任せる。魔術はありで、能力と魔法はなし。急所もだ。ハンデは……」


「必要ないと思いますよ」


 いつの間にかコルトが赤と白の旗を持って立っている。ギャラリーはすでに壁際で待機してやがる。チラホラと賭けのレートの話が聞こえてくる。


「……確実に楽しんでるだろ、お前」


「久しぶりに君の戦いを見られるんだ。楽しまなきゃ損だよ」


 ウィンクとかされても俺は女子じゃないんだが。


「それでは両者、位置に立ってください。ルールは、魔法、能力、急所はなし。とりあえず二十分勝負で良いですね?」


「ふっ。五分で終わらせてあげるよ」


「だとよ」


 自信満々なイラプドはゆりに熱っぽい視線を送る。視線に気づいたゆりは一瞬で泣きそうになる。すぐにディングがゆりの前に立って視線を遮らなければ声をあげて泣いていたかもしれない。


(なにやってんだか)


 さっさと終わらせたいという気持ちが強くなった瞬間だった。


「用意……始め!」


 バッ!とコルトが勢いよく両旗を振り下ろす。


「まずは小手調べだよ!」


 大股四歩分あった間合いを二歩で詰め、左下から右上へと木刀を振られる。対して早くもなく、重くもなさそうではあったが、一応一歩後ろに下がることによって避ける。

 続けて、肩を狙っての突きを出そうとしているイラプドの懐に潜り込む。同時に、左手で木刀を掴む。


「くっ!? は、離せ!」


 イラプドが引こうと力を入れた瞬間に手を放す。すると、自分の力に引かれて体制を崩すイラプド。

 その間に二歩後ろに下がり、二人して開始位置に戻る。


「小手調べにもならないな」


 ふん、と鼻を鳴らし挑発すると、いけすかに顔がいい具合に憤怒に歪む。

 猛然と木刀を振るが、その全てをギリギリで躱し続ける。さらに顔を歪め、激しさが増すが未だに俺は木刀で受けることもしない。


「もう少しで五分が過ぎるが?」


「こ、のおぉ!」


 大きく叫びながら振られた木刀は唐突に厚みを増し、肩を掠める。掠めただけにも拘らず、じわりと血がにじむ。


「ちっ。そういえば魔術はありだったか」


 魔術は魔法と違い、詠唱を必要としない。木刀の厚みが増したのは、魔術を使ったからだろう。詠唱を必要としなくとも、魔力を使うことには変わりなく、無属性の俺には掠るだけでも軽く怪我してしまう。


「はぁ、はぁ……ふ、ふふふ……。身の程を、はぁ、弁えないからそうなる、んだよ……はぁ」


「息も絶え絶えでいうと、説得力が違いますね。五分過ぎましたけど?」


 一度、勝ち誇った顔をしたが、すぐにまた起こって木刀を振りまくる。どうやら煽られることに耐性がないようだ。


(そろそろ終わらせるか……)


 しばらく躱していたが、少しずつ魔術により傷が増えてきている。

 本当は、開始早々一撃で終わらせたかったが、始める前にコルトが、


「あんまりにも早く試合を終わらせても君の勝ちにしないから」


 といったので仕方なくここまで試合を長引かせたのだ。


「もらったぁ!!」


 ぼー、としていたところに、真上から今までよりかなり多くの魔力を込められた木刀が振り下ろされる!


(しまっ……!)


「カキス君!?」


 ドボンッッ!!!


 鈍い打撃音と同時に木刀が纏っていた水の魔力が水の塊となってカキスを押しつぶす。

 常人であれば滝に打たれる程度の圧力だが、無属性のカキスにとっては、滝に打たれるどころか、上空から水面にたたきつけられるのと同じ衝撃となる。それはもはや、レンガで全身を叩かれるのに等しいほどに。


「お、おい審判!あれは反則じゃないのか!?」


 ディングは、倒れたままピクリとも動かないカキスを指さしながらコルトに抗議するが、コルトは首を横に振る。


「あれも魔術だよ。試合に集中していなかったかキスが悪い」


「そ、そうだよ……はぁ、はぁ、油断、した彼が悪い、んだよ。は、ははは!!」


 息を切らしながら自分の長を確信したイラプドは、酔っているかのように笑う。


「まったくだな」


「ぐがっ!?」


 ズダン!!


 しかし、イラプドの笑いは勝利したと思っていた相手によって中断される。


「油断大敵、ですよ」


 カキスは右腕をだらりと下げ、額から流れる血をぬぐうが、次から次へと流れてきりがないので拭うのをやめる。


「引き分けにしませんか、先輩? 俺は先輩に勝った栄誉なんてたかが知れたモノに興味もないし価値もないと思ってますんで。まぁ、これ以上続けるっていうんなら、それはそれで相手しますけど……次は、気絶するぐらいの覚悟を持ってもらうぞ」


 バヂヂヂヂヂヂヂヂィ!!


 左手に雷の魔力を集めると、魔力が実体化して激しく明滅する。イラプドの顔は恐怖に染まり、歯をガチガチ鳴らすだけで声を出すことも首を動かさない。

 どうあってもプライドが高いということか。


「戦意喪失により、カキスの勝ち!」


 パチパチパチパチパチパチパチ!


 道場のルールなのか、賞賛のつもりかわからないが、ギャラリーは拍手で俺の勝利を祝ってくれる。


(右肩を入れておかないとな)


 あの時、頭に木刀が直撃する事態は避けられたが、それでも右肩に受けてしまって肩が外れてしまったのだ。


「カキ…………!」


「お前すげぇな!」


「右手、大丈夫か?」


「あんた二、三年前にもこの道場に来たことあるだろ!?」


「あぁ! コルトを負かした奴か!」


「コルト先輩にも勝ったんですか!?」


 ゆりが何か言う前に、ギャラリーに囲まれ、あっという間にゆりが消えてしまう。何とかコルトにアイコンタクトでゆりを任せると伝えると苦笑と、


「出血で倒れないでね」


 とだけ返ってくる。

 結局、十分後に出血による貧血で医務室に運ばれてしまっていた。倒れる直前には(正確には倒れながら)イラプドの姿はなかった。


 ○ ○ ○


「カキス君は私を泣かせる使命でもあるの?」


「なんだよ使命って」


 医務室に運ばれ、意識が戻った早々にゆりが涙目で怒っていた。


「君がここに運ばれてからずっと泣きっぱなしだったよ、水谷さん」


「だって、カキス君、すごく冷たくなってて死んじゃうのかと思ったんだもん」


 どうやらかなりの出血量だったらしく、思い出したゆりはまた泣きそうになる。


「悪かったよ。いくらコルトが盛り上げて欲しいって言ったからってあれはやりすぎだった」


 できるならサラサラな髪を撫でてやりたいところだが、ゆりがベッドの右側に座っているので、まだ肩をはめてない右手では無理そうだ。なので、コルトを巻き込む。


「責任転換は良くないぞ」


 だが、カーテンの向こうから聞こえるディングの声に邪魔される。


「お前はお前で何をやってるんだ?」


「リンゴを剥いてもらってるの」


 確かに耳を澄ますと、シャリシャリと皮をむく音が聞こえる。……勝手なイメージだが手を何度も切ってそうだ。


「ゆりがやってないんだな」


「水谷さんに剥いて欲しかったのかい?」


「違う。そもそもリンゴが欲しいわけじゃない。ゆりが何もせず泣いているような奴じゃないだろうから不思議に思ったんだ」


 当然のようにゆりに繋げるコルトにあきれる。どうも、コルトは俺とゆりの関係を勘違いしている気もするし、ワザとのような気もする。


「え、え~と……、私は私で他にあることやってたから……」


 何故、顔を赤くして目を逸らす。もしや……、


「もしかしてお前、冷えた俺の体を人肌で温める、とか言って実行してなかっただろうな?」


「……ようとして、じゃなくて、して、ました、はぅ……」


「耳まで真っ赤にするほど恥ずかしいならやるなよ……」


 ゆりは言葉が切れるたびに、顔、耳、首、とゆでタコのように赤くなっていく。体から、消毒液のにおいに紛れてどこかで嗅いだことのあるような甘い香りがしたからもしやとは思ったが……、服を着た上で行った純粋な医療行為であることを密かに祈るとしよう。


「少々不恰好だが許せよ。……何かあったのか?」


「うんや、何も」


 ちょうど良いタイミングでディングが本当に少々不恰好なリンゴを持ってきてくれた。正直そこまで欲してはいないが、ありがたくもらうことにする。

 ディングは椅子を引っ張ってくると俺の左側に座る。


「まだ顔色が悪くないか?」


「そりゃあ、出血で倒れたんだからな。しばらくは死人のように生活するさ」


「とか言いながら、次の日には生き返ってそうだよね、君は」


「本当に大丈夫? 無理しないでよ?」


「うん、とりあえず左右から喋るのやめてくれ」


 左右両方から話されると首が辛い。ゆりとコルトがディング側に移動してから話を再開する。


「本当に大丈夫だ。俺がいない間にイラプドが接触してくると困るからな」


「その青白い顔ではいてもいなくても変わらないと思うが?」


「そんなことはないさ。今の状態でもお前に負ける気がしないぜ?」


「カキス君、さっき痛い目にあったばっかりじゃない?」


 心配そうなゆりを今度は撫でてやれた。ゆりも安心した様子で、目を気持ちよさそうに細める。


「そうだ、カキス」


「ん? なんだコルト」


「さっきの試合の説明でもしてあげなよ。ディングもいろいろ聞きたいだろうしさ」


「そうだな。ディング、魔法と魔術の違いが解るか?」


 まず最初に、試合の内容でなく基礎の解説をする。


「いや、魔力がエネルギーの一つであることと、それを使って何かをするぐらいしか」


「魔法は純粋に魔力だけを用いるが、魔術は何かに魔力を纏わせる技術だ。コルト、実践」


「了解であります、上官殿!」


 芝居がかった風に言うと、先ほどディングが向いたリンゴの皮を持ってくる。両端を持って伸ばす。


「風よ!」


 小さくも力強く呟くと、緑色の紐の様な物がリンゴの皮を通り、真ん中からぷつりと切れる。


「さっきの緑色のが風の魔力を実体化させた奴だ。特に、道具は使っていなかっただろ?これが魔法だ」


 今度は俺が皮を持つ。


 コルトは人差し指一本だけを立てると、人差し指の側面を風の魔力で作ったカミソリの刃を纏わせて、皮の真ん中をなぞるとこれまた切れる。


「これが魔術。魔法と魔術の詳しい説明はどうせ学園の授業で習うから省くぞ」


 ディングはうなずいてさっきの試合を思い返す。


「違いは理解したが、なぜおまえは掠っただけで血が滲んだりしたのだ?」


「あぁ、それはな……」


「……なるほど、属性の関係というのか」


 すでに魔法と魔術の説明と属性の話だけでに十分が過ぎてしまっているが、これからが本題である。


「それで、だ。俺が最後に奴に何をしたのか見えていたか?」


「……いや、まったく」


「足払いと踵落としで二発KOだ」


 △ △ △


(く、さすがに魔力障壁もなしでバブルプレッシャーを食らったのはまずかったか!)


 痛みはどうとでもなるが、出血が酷い。寝そべっている水溜まりが紅に染まっていく。


(仕方ない、か……)


 右肩は脱臼してしまったが、それ以外はまだ正常に動く。これ以上ここでじっとしていても、出血のせいで回復することはない。それに、やれないことはない。


「お、おい審判……!」


「いや、……」


 都合良く、イラプドがディングとコルトの方をつまり俺を視界から外す。


「流連流……鏡花水月きょうかすいげつの型、其の一『影身えいしん』……!」


 イラプドに気取られないように水音を立てずに俯せの状態からクラウチングスタートの様な前傾姿勢になり、床を足で三回ほぼ同時に蹴る。

 水面の波紋が広がりきるよりずっと早く、イラプドの背後に回る。


「……ははは!」


「まったくだな」


流連流月天脚げってんきゃくの型、其の三『払足雷蹴ふっそくらいしゅう』!)


 左足で右から左へ足を払い上げ、その勢いで自らも飛び上がる。足払いの勢いを飛び上がっても殺さず、そのまま雷の魔力で帯電させた足で、無防備なイラプドの腹へ、流れるように踵を叩きつける……!


「ぐがっ!?」


 ▽ ▽ ▽


「というわけだ。まさか、流技を二つも使うことになるとは思っていなかったがな」


 まさか、というのはイラプドの強さに対してではなく、二年間のブランクに、という意味だ。


「流技?」


「あぁ。俺の流派である『流連流』の……技というか型のことだな」


「んん? お前も誰かに剣術を教えてもらっていたのか?」


「いや、独学だ。一時期、流派の名前を決めないといけない時があったんだ」


 流派『流連流』。今から7年前に親父が着けてくれた名前で、親父は確か「流れるように練る」戦いをしているといっていた。実際、型と型を次々と繰り出し、魔力を練り合わす方が多い。そう考えると納得である。

 我が家、覇閃家は直系の人間は十才になる前に親族から流派の名前を着けて貰う習わしがある。一種の頭首継承の儀の一つで、この儀を境に「若」と呼ばれ十歳になったとき「次期頭首」の資格を持つことになる。


(今の俺に次期頭首の資格があるとは思えないがな……)


 家出の前に親父と交わした約束の一つに、俺が十六歳になるまで覇閃家の権力が使えないが、十六歳になったら次期頭首と正式に認められ覇閃家の権力を親父ほどではないが自由に使えるようになる。といった約束を交わしている。

 しかし、こんな六年もの期間、実家から離れている俺の指示を皆が素直に受け入れてくれる保証はない。……覚悟の上で家でしたのだから当然だが。


「影身を使ったのは分かったけど最後の踵落としは見たことなかったけど?」


「あぁ、激天脚の型の三の型『払足雷蹴』だ。……分かってると思うが」


「もちろん、やたらむやみに誰かに言ったり何かに書き残したりしないよ」


 裏社会に関っている人間としてはできるだけ自らの情報を広げたくない。まったく情報がないのもそれはそれで怪しまれるのである程度は情報を残してはいるが、それでも公開する情報は選んでいる。

 俺の流派の内容はあまり公開したくない情報の一つということだ。


「カキス君は昔から秘密主義だよね」


「大和と違って情報が広まると厄介だからな。……そろそろ帰るか」


「辛いなら僕が負ぶっていこうか?」


「いや、大丈夫だ。それより、コルト」


「ん?」


「今日の夜に、ピース裏の用水路に」


「……了解」


「どうしたの?」


 コルトにしか聞こえないように小声で話していたので、不思議そうにするゆり。


「なんでもない」


「本当は何の話だったんだ?」


「ヒミツ話の内容を聞くのは野暮ってモンだぜ?」


「……悪かったな、野暮で」


「はははっ。それじゃあまた後でね、水谷さん、ディング、カキス」


「うん。さよなら、コルト君」


 ゆりもいい加減コルトに対する人見知りはなくなっているようで、手を振って別れの挨拶をしている。


「うん、また今度だね、水谷さん」


 ゆりがコルトに意識を向けている隙に右肩をはめる。はめたときより、はめた後の疼く様な痛みに顔を顰めそうになるが、これが初めてではないので堪えるのは難しくない。ディングとコルトに見られたが、睨んで黙らせておく。


(ゆりにバレると余計な心配をかけるからな)


 試合で散々心配させてしまったのに、また心配をかけるのは嫌だからだ。


「あ、そうだカキス君」


「ん?どうした」


「えいっ!」


「……!?」


 可愛らしい気合の声と共に俺の右手を下に思いっきり引っ張りやがった。ゆりの力はただの少女の力より弱いぐらいだったが、それでも俺の顔は引きつる。

 ゆりは痛みで顔をゆがめる俺を見てビクッと怯えたように体を震わせたが、すぐに涙目ながらも俺を睨む。


「何か私に言うことは?」


「……いつから気づいてたんだ?」


「えっとね、右側に居た時は撫でてくれなかったのに左側に移ったときは撫でてくれたからかな?」


「お前は昔から俺のときに関しては勘が鋭いよな」


「だ、だって……」


 顔を真っ赤にしてももじもじし始める。


「水谷さん、流されてる流されてる」


「あ、あれ?」


「ちっ! 気づかされたか……」


「すごいあくどい顔しながら舌打ちされた!?」


 はぁっ、とため息を一つすると、ゆりの耳元で本当に言うべきだと思っていることを言う。


「……心配掛けたのとケガしたこと黙っててごめんな」


「……うん、分かってくれてるなら良いの」


「それと、さっきのメチャクチャ痛かったから帰ったら、『お仕置』な」


「え……お、お仕置きってアレ、のこと?」


 一度治まった顔の赤さがまたもぶり返す。一歩、確実に一歩俺から距離をとるゆり。


「何を思い浮かべればそんなに茹でタコのようになるのかな? 前にお仕置きのはずなのに気持ちよくなってたのを思い出しているからか? それとも……」


「あ……あ、あぁ、あの時はカキス君が変なことしたからで……」


「感じてたのは認めるんだな、ゆり」


「ち、違う……もん」


 俯いて顔を隠すが、自信無さげな声でバレバレである。


「あぅ……」


 リンゴのように赤く、大福のようにもちもちな頬を優しく持って、ゆりの顔を上げる。ディングを押してコルトが部屋を出たのを尻目にゆりの顔を見る。

 頬を紅潮させ、瞳は羞恥に潤ませてはいるが、それだけではなく何かを期待しているようにも見える。

 目も頬も唇も、すべてが艶めいていて、純真なゆりを俺がこんなに淫らにした。そう思うと、それだけで普段は絶対に入れないスイッチが、オンになってしまった。


「じゃあ、こんなに顔が赤いのは熱があるからか?」


「え……? あ、う、うん。そうだと思う」


 いつもなら、本当に熱があってもないと言い張るゆりが逃げ道を見つけて認める。その逃げ道は俺の手元に続いているとは知らずに。


「じゃあベッドで休もうか……おっと」


「じ、自分で歩けるから……キャッ!」


 ”わざと”、ゆりとベッドに倒れこむ。ゆりを組み伏せるような格好で見つめあう。


「悪い。すぐどくな」


「ゃ、ん……」


 ゆりの脇腹のすぐ横にある左手を、撫でる様に滑らせてどかす。ワンピースが外界と隔てる布は薄いので、直に触れられるのに近い感覚に、ゆりはゾクゾクする甘い声を漏らす。


「……変な声を出すなよ。もしかしてたったこれだけで感じたとか言わないよな?」


「だ、だってぇ……カキス君がぁ……」


 もじもじと内股をすり合わせ、手で目を隠す。


「人の目を見ないで人のせいにしても説得力がないぜ」


 あえてゆっくりと顔を覆う手をどかすと、潤んだ瞳が数分前と違い確実に何かを期待していると解かる。


「……手、どかしちゃ、やぁ……恥ずか、しいよぉ……」


「俺は手をどかしただけなのに?」


「あ、あんな……風にやったりするからぁ……、私、わたしぃ……!」


 ゆりも俺とは正反対のスイッチが入ってきたのか、どかした手からは先程までの抵抗がなくなり、口はだらしなく開いている。

 ゆりの恥じらいも、形ばかりの抵抗も、最後にはそんな自分を認めた顔も。全てが可愛くて、愛らしくて、最高にゾクゾクして、


(……『お仕置』でもないのにこれ以上やると俺の理性が飛びそうだな)


 本当はもっとメチャクチャにしてやりたい。腰が立たなくなるほど、それこそ、熱が出るくらいの事を。今は何とか抑えられるが、これ以上やったらそうしかねない。だが、そうしてしまってはいけない。

 たとえ、ゆりが俺にメチャクチャにしてほしいと望んでいたとしても、だ。


「……ゆり、放置プレイ、って知ってるか?」


「ふぇ……うん」


 俺の唐突な問いにキョトン、とするゆり。


「今、ここで、お前を縛って置いて帰ったらどうなると思う?」


 数秒、目をパチパチと瞬かせながら考える。そして、思い至ったゆりは一瞬で泣きそうな表情になる。さすがのゆりでも放置プレイは耐えられないらしい。


(いつもこうだと可愛いんだけどな)


 捨てられる子犬みたいな顔のゆりに苦笑する。


「さて、本当に帰るとしようか、ゆり」


「置いて行かない?」


「置いて行くわけないだろ、ご主人様」


「……私はご主人様じゃないよ。カキス君の、最初の友達、だよ?」


「…………はは。そうだな、俺はお前の、最初の友達、だな」


 お互いに笑いあうと、どちらからもなく、手を繋いだ。


「……帰ってから『お仕置』しないよね?」


「もちろん、……するに決まってんだろ?」


「……いっそのこと放置プレイの方が良かったかも……」


 どっちに転がってもゆりにはMな道しか存在しないのだった。

どうも、かきすです。自称ドS変態紳士をめざしております。

 大事なのは、変態、ではなく、変態紳士、です。ダンディズムは重要ですからね。



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