第四話 「入学式当日」
「うむ。しかと受け取った。道場は朝六時から夜八時まで開いている。いつでも自分のタイミングで来なさい」
「はい!宜しくお願いします!」
師範代室にディングの威勢のいい声が響く。気合十分のようだがいつまでそれが続くのやら。
「君はどうする?入門するかね?先ほども説明したが、この道場は自分の都合で来てくれて構わない。どうかね?」
厳しい顔と硬い言動から厳格そうな性格を思い浮かべたが、どうも柔軟な性格のようだ。……俺の周りの人間が多い気がするのは気のせいだろうか?
「いえ、自分は自分の流派があるので。それに今日はこいつの付添と知り合いに会いに来ただけなんで」
自主性を重んじるこの道場は個人的に好きではあるが、集団で修行するのは俺の性に合わない。
俺の流派は我流で、他と混じることができない。それに、万人に好かれる性格ではない自覚もある。できるだけ面倒はおこしたくない。
丁重に断ると、「そうか……」と残念そうにつぶやくがすぐに話を変える。諦めが良いのは俺が断ると思っていたのだろう。
「その知り合いの門下生を呼ぼうかね?」
「いえ、自分たちで探します」
この道場には過去に何度か連れてこられたので迷うこともない。
「当然のように私も入っていたよな……」
「どうせ暇だろ?付き合えよ」
はぁ、とため息を漏らしたものの、ディングはそれ以上不服を言わなかった。
「それでは失礼します」
二人そろって師範代室を出ると、そのまますぐ横の組手場に一礼してから入る。
近くにいた門下生を捕まえて探している名前を言うと、
「あぁ、先輩なら……ほら、あそこです」
指で示した一角は女子の壁が形成されている。
教えて呉れた門下生に一言礼を言うと、ずかずかとその壁に歩み寄る。
壁の向こうに目的の人物が見えたので声をかける。
「相変わらずだな、色男」
「……カキス?」
女子の壁の間から辛うじて見えていた顔がこちらを向く。
「もらったあぁー!」
女子の壁が厚すぎて見えなかったが、組手中だったらしく、相手が上段から木刀を振り下ろす!
女子たちが、木刀が当たると思い目を閉じる。だが、想定していた音はせず、それどころか、
「カキス!久し振りじゃないか!あ、先輩、休憩しましょう」
当の本人は少年のような屈託のない顔で三年振りの再会に喜んでいる。木刀を一切見ずに指で"挟みながら"。
余裕綽々と言ったその声に、相手の音は舌打ちをしながら荒い足取りでどこかへ行き、女子たちはあっという間に色男を囲む。
「すごかったです!」
「格好良かったです!」
「よければこのタオル使ってください!」
「あ!ずるい!」
「抜け駆けぇ~!」
きゃいきゃいと黄色い声を上げている。
俺は三年経って更に女子の人数が増えていることに苦笑いをしていると、ディングが真顔で一言。
「確かに色男だな」
「だろ?」
ディングも納得したようだ。
「ありがとう。でもタオルは良いよ。汗をかくほど激しく動いてないから」
さらっと聞かれていた乱闘が起こってもおかしくないを事言って、女子たちのテンションをさらに上げる。……あ、目があった女子が倒れた。
すかさず抱き留めるが、逆効果だと思う。
「……本当に相変わらずだな、コルト」
「なんで呆れ気味なんだい?」
「ぎみ、じゃなくて呆れてるんだ」
『コルト・N・ブランゴット』。容姿端麗、明るく爽やかな性格。子どもの頃から神童と呼ばれ、頭も良く、剣の腕も強い。カリスマ性も抜群で、よく女子に囲まれている。
「そんな男だ」
「物語に出てくるような色男だな」
「物語から出てきた、なんて噂もあるくらいだ」
「君ら、息ぴったりだね」
ついでに噂を広めたのは俺である。
「それほどお前は現実離れしているほど美形ってことだよ」
「誰がこんな奴と息ぴったりか!」
見事に息が合っていない。単に、コルトに対して思うことが万人共通なだけだろう。
「ちょっと今更感があるけど、自己紹介してなかったね。僕はコルト・N・ブランゴット。コルトで良いよ。よろしく」
「私はディングだ。よろしく」
固い握手を交わしている二人を見るとこれから公式の試合があるかのようだ。
「にしても、また会えるとはね」
「それは会いたくなかったってことか?」
確かに別れの時にはまた会うとはお互いに思っていなかった。俺は定住すると宣言していたし、コルトも、よほどの事が無ければここを離れないといっていた。
「まさか、また会えてうれしいよ」
「言葉通りに受けとくよ」
自分でも驚くほど自然に、冗談と笑みが出る。三年の歳月が経っているとは思えないほどに、自然な会話が交わされる。
それはコルトも同じ気持ちのようで、白い歯を見せて笑っている。
「でも、なんでまた戻ってきたんだい?」
「あぁ、それはな……」
ざっとここまでの経緯を話す。
「てな感じでボディーガードになったんだ」
「私は騎士見習いだ。師の勧めでこの道場に入門した」
「うん!ディング、よろしく。あ、ぼくの事は先輩と呼ばなくてもいいから」
「承知した、コルト。未熟者なりに頑張ろうと思う」
またもや固い握手を交わす二人。
(あぁ、熱血が二人も……)
これからの学校生活を考えると軽く頭痛がしてきた。
「さて、そろそろ帰るか。邪魔したな、コルト」
これ以上長くここにいると頭痛が酷くなりそうだから。と思ったからなのは秘密にしておく。
「邪魔だなんて、そんな。昔みたいに手合わせに来てくれよ」
「気が向いたらな。行くぞ、ディング」
「お前は一一偉そうだな。それではな、コルト」
「うん、それじゃあ」
爽やかに笑うイケメンに見送られるのはいつまでも慣れない。オーラを背中に感じるからだ。キラキラしたなにか星的なものが背中に刺さる感じだ。
ディングも感じるのか、微妙に顔が渋いが、どうせすぐ女子の壁ができるのでこのプレッシャー(?)はなくなる。
帰るまで終始、微妙に渋い顔で帰る俺たちだった。
「いいやつだとは思うが……」
「ディング、お前はこれから毎回あれに見送られると思うぞ」
「……まさか、あれがあるから入門しなかったとかじゃないだろうな?」
「今日の夕飯は何かな~?」
「こっちを見ろ、おい」
そんなことを話していると、ピースの看板が見えてきた。二人で玄関の前に立ち渋い顔を揉んで解す。
「「ただいま」」
「あ、お帰り~。ばっちり分かったよ、私の能力!」
パタパタとエプロン姿のゆりが走ってくる。
「転ぶな、絶対」
「きゃっ!」
予想通り、つまずいたゆりに手を回して支える。
「えへへ……。ありが、あぅ!」
ついでにデコピンをお見舞いする。
「その話は夕飯を食べ終わってからな」
「わかったけど、なんでデコピンをしたの?」
「お前が可愛いからだよ」
「真顔で嘘を吐くな」
ゆりが反応する前にディングにばらされる。
(可愛いと思うのは嘘じゃないんだがな)
「ゆりさ~ん!手伝ってくださ~い!」
「あ、は~い!……っと」
ルトアさんに呼ばれ走りかけたが、早歩きに切り替える。
「お前は本当にお嬢様に信頼されているのだな」
「なんでそんな感想が出る」
ときどき、こいつの感性が理解できない。今のを見て思うことは仲がいいな、とか。兄弟のようだな、とか。
少なくとも『信頼』なんて大仰な言葉は出ないと思うが。
「信頼してなければデコピン一つで意図が伝わらんだろう?そしてお前も、デコピンひとつで伝わると信頼していたのではないか?」
「……………………」
俺は何も言えなかった。言われて見れば確かにそうだ。それには俺も気づかなかった。でも、それによって何も言えなかったわけではない。
ディングの観察眼と感性に驚いて何も言えなかったのだ。完全に無意識に本質を見ている。俺も直感的に本質をとらえることはあるが、それはいくつかの推測のもとによって、初めてできる。
(どう育てばこうなるやら……)
「そういうお前はどうなんだ?まだ俺を信頼できないか?」
「そうだな……お嬢様がお前を信頼していると分かった時から私はお前を信頼しているぞ」
恥ずかしげもなくさも当然のようにディングは言った。
「その割にはよく睨まれてるが?」
「好悪と信頼が同じじゃないことぐらいお前だって知っているだろう」
「一般人はそんなこと思わないさ」
好きな奴でも嫌いな奴でも信頼は成り立つ。信頼というのは「相手の人間性を信用し行動する」ということ。例え、相手が嫌な奴、気に入らない奴でも、信頼は一応はできる。
(まぁ、だからって嫌いな奴の全てを信頼できるかは別だと思うがな)
確かに思い返してみると、睨まれることはあっても、ゆりとの会話には特に口を挟んでくることはなかった。信頼はしていたということだ。信頼はありがたいのだが……。
「……俺は信頼されるような人間じゃないんだがな」
「ん?何か言ったか?」
「うんや、何も。食器を並べとこうぜ」
「ああ、そうだな」
たぶんディングは俺との精神的距離がまた少し近づいたかもしれないが、俺はそうは思えなかった。今はまだ、なぜそう思ったのかはわからないが。
○ ○ ○
「さ、それで。ゆりの能力はサモナー系列なのか?」
「なんでサモナー系列だってわかったの?」
「前に会ったサモナー系列の能力者と似たオーラを感じたからだよ」
完全に同じオーラでないのは個人差だろう。
「オーラって、お前……」
もはや人間業じゃないな。ディングの呟きは聞こえなかったことにする。
「一番の疑問点はどうなった?」
はっきりと目に見えた変化は胸だけだったが、おそらく、体が"入れ替わっている"。
どちらがゆりの本当の体かわからないが、片方はゆりの体ではないはずだ。あれだけ大きな変化が急に起これば、かなりの苦痛を伴うはずだ。
それがないということは、器、この場合は身体が二つあり、不定期で入れ替わっている可能性が出てくる。
難しい話をゆりに聞いてもさらに難しくなるのでルトアさんにも説明を求める。
「ゆりさんの能力については順を追って説明します」
そういって、昼の時と同じように羊皮紙を広げる。……どこに隠し持っていたのだろう?メイド(店主)は不思議だ。
「まず、サモナー系列の代表、『ビーストテイマー』について、ざっとご説明します。テイマーとついてはいますが、実際は、契約した獣、魔獣を召喚します。契約は対価を支払うか、服従させるかです」
羊皮紙に犬と人間を二組ずつ書き、片方の犬の近くに肉や果物などを書き、もう片方の犬には首輪をつける。
「ついでに補足すると、一般人が契約を結ぶにはそれ相応の手順と場所が必要になる。古代の遺跡や神殿なんかはそのために存在してたんだろうな」
「要するに、面倒な手順を飛ばして契約できるのは『ビーストテイマー』という能力なんだな」
詳しく説明してもこんがらがるだけだろうと、「だいたいな」と答えておく。
「ゆりさんの能力はそれとは似ていながら違いました。ゆりさんは契約を必要としません。普段は使役というのですがゆりさんの場合は、使役と言わないかもしれません」
「どういうことです?契約しなければ召喚できないのでは?」
ディングの言うとおりだ。契約しているから主従関係ができる。主従関係があるから召喚に応じるはずだ。
「方法としては二つ。強制か、協力かだな」
「そうです。無条件でしたがわせる強制か、無条件で助けてもらう協力してもらうかのどちらかです。ゆりさんは協力に近いですね」
契約はお互いの立場が対等ではない。絶対にどちらかの立場が上で、どちらかが下なのだ。契約が二通りの方法があるのはそのためだ。
人間の立場が上なら服従、下なら対価を支払う。なら、強制と協力はどうなるのか?
強制は相手の意思など、圧倒的な力で捻じ伏せ、無理やり働かせる。立場が上などといった次元ではない。実力、魔力、気力が上でも逆らえない。だから強制。人間が神に逆らえぬように、幼い子供が親には敵わぬように。
協力は前二つと大きく違う。今までは対等ではなかったが、協力とは、対等な上で成り立つ。ある意味では対価を払うので、契約といってもいいかもしれない。お互いに相手を求めることを一緒にしあうのが協力だからだ。
まとめると、雇い人と雇い主が「契約」で、国王と奴隷が「強制」で、商人と購入者が「協力」といったところだろう。
ふと、そこでルトアさんの言ったことに感じた違和感を思い出す。
「近い?」
「はい。協力に近いですが、少し違います。何と言いますか……」
そう言って、説明がし難いのか、ルトアさんが言葉を探す。
「……ゆりはルトアさんの説明でどんな契約なのか理解したのか?」
「うん、なんとか。私的には友達になるってことかな?ほら、お友達と話すのに何か支払うのは変でしょ?」
ルトアさんのまじめな説明の流れを、無自覚にぶち壊すゆり。あまりにも感覚的すぎて、ディングとルトアさんはゆりが何のことについて言っているのか理解できていない。この中で一番付き合いが長い俺でも理解に苦しむ。
「あ~……なるほどな。正確には『召喚に応じたものと対話できる』能力か」
「うん。そう。そんな感じだと思う」
ゆりは他二人が何も言わなかったので不安そうだった。
「よく理解できましたね……」
「いや、今のは八割ルトアさんの説明をもとにして考えました」
「私二割!?」
「いや、一割五分は勘だ」
「一割にも満たないの、私!?」
さすがにあれで理解するのは無理がある。
「となると、リスクか。……でも対話する程度でリスクを負うこともないと思うが……」
「ゆりさんの能力にリスクはありません。リスクを必要としない異能でした。おそらくは、ゆりさんが気付かずに能力を発動して、召喚された『何か』がゆりさんの中に入ったのでしょう」
「そんな……お嬢様は大丈夫なのですか!?」
「落ち着け。今のところは命に別状はないし、ゆりの中にいる奴もゆりに対して特には悪意は感じなかったし」
「カキス君、さりげなくすごいこと言わないでよ!?え、え、何?背後霊みたいなのが見えてるの?」
「お前も落ち着け。森の小屋でお前の様子が数秒だけ変だった時があったんだよ。最初は二重人格かと思ったけど……。話から推測するに、一つの体に二つ魂が入ってるみたいだな」
過去にも召喚者が魂を乗っ取られる事件があったが、完全に乗っ取られるまで、魂が同居していたらしい。魂が二つあるのは現実的にない話ではない。
多重人格と魂が複数あるのは大きく違う。多重人格は、主人格と副人格に分けられ、基本的には副人格に多重人格の自覚がなく、主人格の時の記憶を思い出せない。主人格は、好きなタイミングで強制的に副人格と入れ替われる。もちろん、副人格の時の記憶も共有している。
魂が複数ある場合は違い、主人格や副人格に分かれる事が無い。多重人格では、表に出ていない人格は眠っているが、魂が複数ある場合は起きていられる。
多重人格は一つの体を何人もで使っているため、ほかの人格は眠っているしかないが、魂の場合はそれぞれの魂ごとに、「体の記憶」なるものがあり、それによって身体が二つあるのと同じになる。
「たぶん、そのうち目覚めると思うぞ」
「そっか……どんな人かな?男の子かな、女の子かな?」
今はない胸に手を当て、不安そうにつぶやく。
「女の子だったら嫌だなぁ……」
何故だか憂鬱そうだ。
「男性の方より、女性のほうがいいと思うのですが」
「女の子だったらカキス君のこと好きになりそうだなぁ、て思って」
「おいこら、俺を天然ジゴロみたいに言うな」
「みたいじゃないです、カキスさん」
「確かに、ジゴロそうですね、こいつ」
「付き合いの短いディングに言われるのだけは納得できん」
ディングは一週間と共に過ごしていない。だいたい、こいつの前で女子と親しく話していない。……だからといってジゴロを認める気はないが。
「でも、やっぱり女の子がいいかな。知らない男の子が私の中にいるって考えると……」
ゆりはそう言って苦笑する。同棲だから、とかじゃなく、まだ人見知りをしてしまうのだろう。本当は、女子でも困っているのだろう。心の中という、一番自分に近いところに他人がいるのだ。人見知りじゃなくても嫌だろう。
(一応、あいつにも会っておいた方が良さそうだな)
旧友を思い出し学園の方を向くと、窓に人影のような物が一瞬だけ見えたが、すぐに影は消えてしまう。
「今のは……!」
ディングも同じ方を見ていたらしく、窓を開けて左右を確認する。だが、もう人影はない。
「どうかされたのです?」
「……窓に目と耳あり、だったな」
「冗談を言っている場合か?早く先程の奴を追わなければ!」
「追いつけるのか?この街に来たばかりのお前に。それに追ってどうする?」
「そうだが!だが……!」
何か行動していないと収まらないようだ。そんなディングを無視し、窓を閉める。
「ん……?」
「カキス君?」
一度締めたのに、また窓を開けた俺に、ゆりが不安そうに名を呼ぶ。俺は窓枠を乗り越える。そして、地面に落ちているメモ帳を拾う。
メモ帳の表紙には「女」と書かれていて、覗き魔が使っていた物かと中を開くが、中には何も書かれていない。ただ、ネームの所に『ゆりさん』とだけ書かれている。
「ゆり、お前にプレゼントをやろう」
「今、路上に落ちてたよね。それ」
なんやかんや言って、ゆりはメモ帳を受け取る。
「新品のメモ帳?え、本当にプレゼン……あ、文字が浮き出てきた」
「何?」
ゆりはテーブルの上にメモ帳を皆に見えるように広げる。
浮き出た文字は、丸文字のかわいらしいものだが、内容はミミズのように不快なものだった。
「……初めまして、愛しのゆりさん。今日、あなたの裸体を見たとき、運命を感じました。あなたはいける芸術品だ。今は、まだ正体を明かせないですが、ぜひとも運命的な出会いを夢見ていてください……。あなたの思い人より。……私の思い人って!?」
顔、どころか耳まで真っ赤にして体を自分の腕で抱く。俺を見て。
「おいこら、そこの妄想ロリ」
「も、妄想じゃないもん!それにロリ巨乳の時だってあるもん!」
「気にするとこそこじゃなぇだろ!?俺はこんな丸っこい字でこんな内容を書くかよ。お前は今、面倒なことに巻き込まれてるんだぞ?」
「そうかな?」
もう一度メモ帳を読み直すゆり。真っ赤な顔が白から青白くなる。
内容を要約すると、裸体を知らないうちに覗かれ、一方的に両思いだと決めつけられた上、正体がこちらにはわからない。その恐怖にゆりは体を震わせることすら忘れている。ただ、顔を青くするだけ。
そんなゆりに一歩近づこうとすると、ディングが近づくことを阻むように立つ。
「……もう少し言葉を考えたらどうなんだ……!お前はお嬢様を守る立場の人間にも拘らず、なぜ、傷を与えると分かっていながら貴様は……!」
ディングは怒っていた。自らと同じ役割の人間が仕えている主に恐怖を味あわせたことを。表面上は冷静だが、目は怒りにたぎっていた。
その怒りの目を見て俺は、愚直だと感じた。柔軟さの感じられなかったディングの愚直な思いは、ともすれば危険に感じられた。同時に、その愚直さが羨ましかった。
俺にはその愚直さが未だにできてないから。
「うぬぼれるな、ディング」
「何だと?」
「お前は四六時中ゆりのそばにいられるのか?お前はゆりに降りかかる危険をお前ひとりの力で全てをはねのけることができるのか?……俺たちだけが、守る側だけが危機感を持っていればいいなんて考
え、失うだけだ」
「そんなことはない!問題が起きる前に対処すればいいではないか!」
「未来予知でもしてか?……もう一度言うぞ、うぬぼれるな」
「貴様……!」
ディングの考えを、鼻で笑うように一蹴する。ディングは更に熱くなり、固く握られた拳は今にも殴りかかってきそうなほどだ。
反対に俺は、冷え切っている。
言葉を重ねれば重ねるほど、失望していくような感覚に、歯止めが利かなくなる。何故だかそれは、自分の黒い部分が自分に侵食されるようで……。
「カキス君……!」
トン、と胸に小さな衝撃が来て、そのまま強く抱きしめられる。
「ゆり?」
小さな衝撃の正体はゆりだった。ゆりは俺の胸に顔を埋め、一言も発さない。感じるのはゆりの体温と心音だけ。
少しずつ心が熱を帯びていく。少しずつ自分の心臓が動き出す。自分が"生きている人間"だと思いだす。そこまできてようやく、感情が戻ってきた。
「ゆり、もう大丈夫だ」
「本当に?」
「あぁ。あの頃に戻る気はない」
意外と素直に離れてくれた。寂しさを感じたのは気のせいだろう。
ゆりは素直に離れてくれた割に、まだ心配そうに俺を見ている。
安心させるように頭をなでてやる。
「ディング」
「……何だ?」
「俺は、ゆりに自分ひとりじゃ何もできない人間になってほしくない。それと、お前にはもっと経験を積んでほしいとも思ってる」
「……頭をなでながら言われても心に響かないんだが?」
俺が真剣な空気を作ろうと思ったが、ゆりのせいで俺の思いが伝わってないらしい。自分でも説得力がないとは思う。
「……はぁ、まあいい。お前も考えがあってのことだったようだからな」
「悪いな、人付き合いが苦手で」
これではディングの方が大人に見えてしまい、苦笑してしまう。
いい加減ゆりの頭から手をどかす。
「ぁ……」
名残惜しそうに見つめられるとまた撫でたくなるが、ぐっと我慢する。予定ができたので、あまり時間的余裕はない。
「ルトアさん、ちょっと出てくる」
「はい。そうおっしゃるだろうと思いました。天窓のカギは外しておきますね」
ルトアさんは俺のついさっきできた予定を正確にくみ取ってくれた。
「それと、これを……。三年前のものです」
ルトアさんが棚から取り出した袋は口を、呪文が刻まれたブレスレットで縛ってある。袋自体は大きくなく普通だが、ブレスレットのせいで少し不気味だ。
ルトアさんはその不気味な袋を笑顔で押し付けてくる。中身は解っているが、あまり持ちたくない。
「えっと……ブレスレットは?」
「それは蓋の役割をしています。設定したアンロックスペルを唱えればロックが外れます」
紙を手渡され、ためしに書かれているスペルを唱えるとちゃんとロックが外れた。
(中身は……確認するまでもないか)
「今から出るの?」
「あぁ、二人は先に寝ててくれ」
「私も……いたっ!」
「ダメだ。明日は入学式があるのを忘れたのか?」
強めのデコピント口調で先手を打つと、ゆりは一歩下がる。一歩近づくと、一歩下がる。
「……おやすみ」
「あ、うん。おやす……あぅ!」
すぐに油断するゆりだった。
○ ● ●
「いらっしゃ~い」
「……」
「……ン~、あんた何者だい?おいらの情報網に引っかかってないけど」
「これの情報を売ってくれ」
「ヤレヤレ……それについての情報はぁ……と。これだね」
「邪魔したな」
「毎度~。またのご贔屓に~」
● ● ●
コンコン。
「……君か。三年振りだな」
「……」
現在の時刻は午前一時。太陽と人が寝静まり、月と闇が蠢きだす。その時間に行われる会合。国立の学校、デルベル魔学院の第五校長室は、三人しかいないにもかかわらず異様な空気を作っている。
「貴様は三年で老けたな」
「君は大人っぽくなったようだがね」
正確には二人が異様な空気を作っているのだが。
中でも特に異様なのが、先程ノックした少年である。全身黒ずくめでマントまで黒い。その上、顔には黒と赤のとぐろ模様の仮面をつけている。纏う空気を表現するなら、『闇』。ただそこにいるだけなのに、触れたら全てを飲み込まれそうな気がしてくる。周りを飲むわけではなく、ただ、そこに存在するだけ。ただそれだけなのに、引き込まれる。
三人の中で一番、一般人に近い副校長は足に力を入れないと今にも崩れそうなほど、恐怖を感じていた。
「……無理せず座るといい」
そういうと、校長の机の上に座る少年。
「いえ、結構です。私は無理などしておりません」
「……そうか、それで、俺を読んだ用件はなんだ?」
「あぁ、君はこの学院に再入学すると聞いたのでね。まだ垣見がもう一度学生をするとは思ってなかったよ」
「……」
少年は何も言わず。、校長を見ることもなく、聞いている。その表情は仮面に隠されてうかがえない。
「三年前は私の管轄外の所だったが、今回は私の所に来るのだろう?」
「……」
問いかけても少年は何も答えず、ただ、ふん、と鼻を鳴らす。だが、校長は少年の馬鹿にしている態度は目に入っておらず、自分の熱に浮かされている。
「本題はこれからだが……君に頼みがある。私直属の暗部に入ってくれないだろうか?もちろん、金も研究所も用意……」
「断る」
少年は話の途中にも拘らず返答する。冷たく突き放すかのような声に饒舌だった校長も眉を寄せる。
「話はその程度の事か?だったら帰らせもらう」
「待ちたまえ。この私の誘いを断るのか?せっかく私の近くに来れたというのに」
校長は挑発的な言葉で少年を引き留めようとするが、口から出てきたのは傲慢根言葉だった。そのことに当の本人は気づいていない。
少年は気にもせず、扉へゆっくりと歩く。校長は焦りだし、ついには少年に対して脅しをかける。
「調子に乗るなよガキが!その銀髪むしりとるぞ!あぁ!!俺を敵に回して無事でいられると思ってんのか!?」
醜い本性をさらけ出し、口汚く少年をののしる。権力によってどぶ水のように汚れた心を体現している言葉の羅列の数々だった。
少年は立ち止まり、はぁっと嘆息する。少年は初めて好調と顔を会わせる。
「敵に回す?………こちらのセリフだな、それは」
瞬間、少年の纏う空気が一変する。部屋全てが少年の空気に蝕まれる。暗闇が、影が腕を伸ばし、校長と副校長の口をふさぐ。同時に、二人の体の自由を隊まわりながら奪う。
悲鳴を上げたくとも、口をふさがれているうえに、だんだんと黒い腕の力が強くなり呼吸が苦しくなる。
体中を張っている腕も少しずつ溶け合い、体全体を強く縛りだす。
「……!!」
「!!……!……!!」
「……断った理由の一つを教えてやる。今日、俺はお前を始末する依頼を受けている。その依頼主からの伝言だ『用済み』だとよ」
「!!?」
薄れゆく意識の中、校長が最後にみた少年の目は、死を映していた。殺意や憎悪でもなく、闇に飲み込まれて狂った瞳でもない。仮面で隠れて見えないが、その下は無表情で無感情なのだろう。仮面の二つの穴から覗く瞳には死しか移していないのだから。
少年は、校長と副校長が自らが生み出した闇に飲み込まれていくのを無言で見ていた。二人が完全に飲み込まれるのを見届けると、
「……闇にて奢りし者は死に飲み込まれん」
少年はそうつぶやくき、青色の小さな石を取り出し、耳にはめる。そして魔力を込めると淡く光りだす。
「言われたとおり、処理したぞ」
『ご苦労様、コード・アルテミス。すまないね、こっちに来て早々に』
その石は、通話席と呼ばれ、魔力を込めると特定の周波数を発生させ、同種の石がそれを受け取り、目には見えないほど小さなゲートを開く。ゲートは空気の振動、つまり音を伝えることができる。
「かまわん。俺が全くかかわっていなかった屑ではない。それに、表側で行動するのに影響を出しかねなかったからな。お前もそれがわかっていたから俺に殺らせたんだろう?」
『バレバレだったか。まぁ、これからもよろしく』
「あぁ、また明日の入学式でな、"理事長"」
通話が終わると少年は校長室から出る。部屋には誰も、死体もなく、真夜中の静けさに包まれる。
● ○ ○
『新入生、入場』
パチパチパチパチパチパチ!!
会場は拍手の音でいっぱいいっぱいとなり、教頭のアナウンスは聞こえないが、先導する教員の指示で、新入生は席についていく。
その中に、ゆりとディングも含まれているが、銀髪の少年の姿はない。
新入生がすべて着席すると拍手も収まり、代わりに在校生の私語が目立ち始める。それに乗じてゆりとディングがこそこそと話し出す。
「あいつはどこをほっつき回っているのでしょう?」
「ルトアさんは先に行ったって言ってたんですけど……居ない、ですね」
「あいつは自覚がないのか、まったく!」
「この学校は広いから迷子になってたり?」
デルベル魔学院の敷地は町一つ分程の広さがある。理由としては、三大大陸の中心であるリベルにあり、魔法学校にしては珍しく全属性の学科の校舎があるためだ。他にも在学生の研究施設があることも理由の一つだ。
属性ごとの校舎に数字が割り振ってあり、ここは水属性の学生が集まる第二校舎の体育館である。
「ですが、あいつは一度この学校に通っていたことがあったのでは?」
「らしいですね。カキス君は方向音痴じゃないから……ん~、不良さんになっちゃったとか?」
「好き勝手言ってくれてるな、おい」
「あ、カキス君。お帰り」
ゆりは驚いた様子もなく、やんわりとほほ笑む。
「悪かったな先に出て。ちょっと先に来なきゃならない用があってな」
「ううん、過保護にされるより良いし、私とディングさんを信用してくれてたんでしょ?」
六年以上もあっていなかったのに、変わらず俺の考えを全部見抜かれてしまった。俺が何の成長していないのか、ゆりが深く俺を理解しているのか。
「話じゃなくて式に集中しろ」
「もしかして、図星で照れてる?」
なぜだかゆりは嬉しそうな顔をしながら上目づかいで見てくる。本人的には意地悪な感じを出したいのかもしれないが、頭を撫でたくなる様な微笑ましさしかない。
つい頭を撫でようとしかけたが、さすがに人の目があるのでいつものデコピンにしておく。
「あぅ!ず、図星だからってデコピンはひどいよぅ……」
(帰ったら弄り抜いてやる)
決意を新たにすると、壇上では第二校長のありがたみゼロのお話(内容を要約すると『私は校長をやりたくなかった』という話)が終わり、次に壇上に登ったのは、胸のプレートに理事長と書かれた男だった。
「新入生のみんな、入学おめでとう」
男は、式の最中であることを忘れそうなほど、砕けた調子と雰囲気で話し始める。
「魔法が得意な人や魔法が苦手な人もいると思うけど、入学したからには全力で挑戦してみてほしい。僕ら教員はそれをサポートするためにいるんだから。それじゃあ、これで僕のあいさつは終わりだ」
いうだけ言うとさっさと壇上から降りる。新入生は一様にあっけにとられ、在校生は慣れた様子で話を続けている。
「今のが理事長さん?」
「あれがこの学院の長?とてもそうとは思えませんね」
真面目なディングはもっとお堅いお言葉を望んでいたらしい。
デルベル魔学院、学校のほぼトップの役職である校長は数人いるが、この学院の本当のトップは理事長だ。
元々、高名な魔法師だったらしく、国から頼みこまれこの学院を作ったらしい。
「忙しいからだろ。他の仕事もほとんど校長に任せているほどだからな」
「あれ?じゃあいつもは理事長さん何をしてるの?」
「さぁな。魔法の研究でもしてるか、後ろめたいことでもしてるか……。学院の七不思議の一つだな」
「学院の長が謎の一つとは……」
『……以上で入学式を終了します』
終始、私語が絶えない入学式であった。
○ ○ ○
「やぁ、カキス。二度目の入学式、お疲れ様」
「まったくだ。コルトの方は昨日に終わってたんだよな」
式が終わり、人でできた激流をゆりの手を引いてすいすい流れ出ると、コルトが待っていた。珍しく、周りに女子がいない。
コルトは、俺が一度目に入学した三年前には入学をしなかった。本人曰く、「僕は君ほど頭が良くないから」らしかったが、別に、学院の筆記能力でいえば俺と大して変わらない。
「あ……」
ゆりは俺の服の裾をギュッと掴み、隠れようとしかけたが、何とか踏みとどまる。
「その子は妹さんかい?」
「いや、幼馴染の水谷ゆり。今は俺のご主人様だけどな」
「水谷ゆり……です。カキス君はご主人様なんて言いましたけどそんなつもりはなくて……カキスくぅん……!」
「お前、昔より人見知りが悪化してないか?」
「だ、だってぇ……」
ゆりは完全に俺の後ろに隠れてしまい。顔すら出さない。というか、俺の腰に顔をぐりぐりしないで欲しい。いじらしくて抱きしめたくなるから。
「悪いな、コルト。ゆりは一対一の人見知りが激しいんだ。もっと人数が多ければ大丈夫なんだが」
「ははは、気にしてないよ。水谷さん、僕はコルト・ブランゴット。コルトと呼んでくれると嬉しい」な
コルトは持ち前の爽やかフェイスで自己紹介をするが、ゆりは俺の腰しか見えていない。なので、俺が全面的にコルトのオーラを受ける。ゆりとは違う意味で隠れたい気分だ。
「コルトさんも水属性なんですか?」
ゆりはコルトに少しだけ慣れたのか顔だけはのぞかせる。
(その調子で俺に抱き着くのをやめてくれないかなぁ……)
決して嫌というわけがなく、嬉しいのだが何故だか落ち着かない。
「僕は風属性だから第三学生だよ。今日はカキスに会いに来たんだ」
「俺に?何の用なんだ?言っとくが入門する気はないぞ」
「違うよ、理事長がこれを君にって」
コルトが渡してきたのは、研究棟のマスターカードだった。
三年前に俺が使っていたものと全く同じのようだ。
国にとっても重要な魔力研究をするこの学校の研究棟では、特殊なセキュリティを有する。それが、この魔力カードだ。この魔力カードは持ち主の魔力を登録し、カードリーダーに読み込ませると研究棟の扉が開く仕掛けになっている。個人の研究室のロックを外すのもこのカードが必要になる。
三年前に入学した時に俺も研究室を持たされて、ある魔法の研究をしたが、その時にも渡されたカードがこのマスターカードだったはずだ。マスターカードは、研究棟にある全ての研究室のセキュリティをアンロックすることができ、一部の研究者にしか渡されない。
というのも、機密の問題もあるし、このカード自体が希少だからだ。個人カードであれば、それぞれの属性に分かれるのでコストが多少かかっても製造上の問題は少ない。
だが、マスターカードは覇属性から作られるせいで、それを作る職人も、それに魔法をかける魔法師も全くと言っていいほどいない。素材も、国がすべて保管するほど数が少ない。
これを俺に渡してくるということは、公式に俺が仕事に復帰したということでもあり、できれば研究もしろという証なのだろう。
(あいにく、もう研究する必要性がないから研究はしないがな)
「確かに受け取ったぜ」
ゆりが不安そうに俺を見上げている。心なしか、抱きしめる力も強くなっている。
もしかしたら、うっすらと気が付いているのかもしれない。まだまだ俺が裏社会にどっぷりと身を染めていることに。
俺はそれをごまかすように、ゆりに声をかける。
「ゆり、そろそろ放してくれ。人の目も増えてきてる」
そういうと、ゆりは顔を瞬間的に赤くして俺から離れる。今更のように羞恥に縮こまる。
「それじゃあ、俺たちはこれで帰るから」
「うん。また今度ね」
縮こまって赤くなっているゆりにデコピンをして手を引く。が、ゆりは小石に躓き、体勢を崩す。
「あっ!」
いきなり躓くとは思っていなかったので、少し遅れて支えようとした時、目の前に影が割り込んでくる。
影は俺を押すようにどかし、ゆりを抱きかかえる。
「大丈夫かな、とても可憐なお嬢さん?」
「あ……」
影の正体は、二年生の男子生徒で、コルトのような爽やかなイケメンではなく、どこかいけ好かない顔だった。
ゆりはびっくりしたのと人見知りなのとで、反応できずにいる。
そして俺は、支えようとした手をひっこめ、二歩下がる。自分でも無意識のうちに距離を置いてしまった。よくわからない悔しさが胸にあったからかもしれない。
「ふふっ。恥ずかしがらなくていいんだよ。ちゃんと僕と釣り合っているから」
ゆりが俺を探しているのか、目の前の男から逃げたかったのか、顔を左右に動かしていると、男はあごをもち、ついっ、と正面に戻す。
「……あ、の」
「ん?なんだい?」
微笑みかけるその顔を見ていると胸がざわざわする。今すぐにでも蹴り飛ばしたくなってくる。
(いや、それよりもゆりを助けよう)
「代わりに支えてくれたのはありがたいですけど、顔が近いのはどうかと思いますよ、先輩」
「ぁ、カキス……君」
ゆりは若干青ざめていて、目の端にある雫は今にも零れ落ちそうだ。
俺は自分に激しい怒りを覚えた。ゆりが人見知りなのを知っておきながら、ゆりが泣きそうになるまで立ち尽くしていた自分に。
それでも、煮えたぎる思いは表情に出さずにゆりに手を差し出す。ゆりは俺の手を取ってくれた。その手を強く握り、腕を引く。が、腕を引こうにも動かない。男が俺の腕を強く掴んでいるからだ。
「……放してくれませんか?」
「それは僕のセリフだ。君のせいでゆりさんが転んだことを理解していないね?」
男は少しずつ力を強めていく。だが、俺はゆりの手を放すことも、抵抗もしない。
ギリギリと力を強めるが、微動だにしない俺に段々と顔を歪める。
「俺の腕と先輩のプライド。どっちが先に折れると思います?」
「……そうだね、下級生相手に本気になるのは大人げないか」
男はまるで自分が手加減していたとでも言わんばかりに髪をかきあげる。そして去り際に、ゆりに向けてウィンクを残していく。
「……ごめんな、すぐに助けなくて。これじゃあディングにでかい顔できないな」
「そんなことないよ。少なくとも、あたしは助けてくれたことが嬉しいもん」
えへへっ、と笑う顔はまだ青い。
(ほんと、何やってんだよ俺は……!)
深い自己嫌悪に陥る俺を、ゆりは控えめに服の裾を握る。
「ゆり?」
「あの、ね、どうしても責任を感じるなら……抱きしめて、欲しいな」
恥らいながら頬を赤く染め、哀願するゆりは、自己嫌悪なんか一瞬で吹き飛ぶほど凶悪にかわいくて、返事をする目に強く抱きしめてしまった。
「キャッ!い、痛いよ、カキス君……」
ゆりも俺の背に手を回し、更に密着する。
「カキス君の体、暖かくて安心する……」
「そうか、……そりゃあ良かった」
「……うん」
それから数分間お互い無言で体温を分け合っていると少しずつ思考が冷静になってくる。
(……さっきの男、かなりの馬鹿だな。あそこまで正面から来るとは思っていなかったが……これから面倒だな)
ふと、ディングの存在を思い出す。
ディングには式が終わる前に、先に帰れと言ってはいるが、不安ではある。
「そろそろ帰ろう。俺はこの後、ディングに付き合って道場に行かなきゃならない」
「ぅん、そう、だよね。ディングさんが待ってるもんね」
残念そうに身を離し、俺の左手を握る。
「行こ!」
「今度は転ばさないように気を付けるよ」
「よろしくね、私のナイトさん♪」
笑顔のゆりはついつい頭を撫でながら愛でたくなる。
(ロリコン、かもしれないな……)
胸の奥に幽かに宿る思いはまだ、静かに灯るだけ……。