第十話 「異国での休日 前」
今回は最近で考えると、少し長めですね。
「申し訳ありませんでした!」
「……謝罪をするということは、ミスを認めるということですね?」
協会の給湯室のようなところで、俺たちはメイリオから謝罪を受けていた。謝罪の理由は情報に不純物があったことだ。
あれから、俺たちはコルトたちと合流し、襲撃活動を中止。そしてメイリオに事の次第を話したら、頭を下げられることになった。
イスから立ち上がり、腰を折り曲げての謝罪に、ミリアは静かに確認をとる。優しげな、というほどではないが、穏やかな顔をしている。ミリアにはメイリオを責めるつもりがないのだろう。俺も、メイリオを責める気になれないでいる。
「はい。私どもノミスです」
「どうして気づくことができなかったんだ? 昔からあった研究機関だったのに」
最早名前を忘れかけている男子生徒が、素直に自らの非を認めたメイリオに疑問を投げる。
「数年前から彼らの名前がこの町で出ることがなくなったのです。……確認が甘すぎました……」
彼ら、というのはミストレス陣営のことではない。
「でも研究所は変わらずあったんでしょ?」
「ああ。今ある場所からは動いていなかったみたいだ。金がなかったんだとよ」
俺はなんとも世知辛い理由を明かしながら肩をすくめる。よくある話と言ってしまえば、それだけの話だ。
「なら、まだ続けていたかもしれないとは思わなかったんですか?」
「それは……」
最初、俺もコルトが指摘した可能性を考えた。しかし、それを見分けるのは難しいと考え直した。
「ミストレスの研究所の大半は、元からあった研究所を改造したものだ。傍から見た分には中身が乗っ取られているとは思えないだろうな」
節約上手といえば聞こえはいいものの、実際は強盗に他ならない。ミストレスは金をかけずに研究資材を入手しながら、外面を整えているのだ。内部がどうなっているかは覗いてみなければならない。
しかし、本当のミストレスの研究所はかなり厳重なセキュリティが仕込まれているらしい。俺たちは一つ目の時点で”フェイク”に引っかかったが、コルトチームはいくつか襲撃に成功していた。その際の印象を本人に聞いてみると、「手応えのある面白いアスレチックだったよ」とのこと。
コルトは普段の言動から正面から戦う騎士道精神に満ちた奴のように映るが、意外と裏工作が得意というか、妨害工作が好きだったりする。そのコルトが手応えのあると評価したセキュリティは言葉以上に内部をのぞき見るのが困難のはず。
メイリオたちの情報収集班がどこまで優秀かわからないが、そう簡単には忍び込んで内情を盗み見ることができなかったのだろう。それこそ、一度忍び込んでしまえば二度と日の光りを浴びることはできないほど危険さを秘めている。
そういった面で、確認をとるのにも相応以上のリスクを払う必要があったから、混じり物があっても確認できなかったということだ。
「彼の人はそういった面で実に巧妙なのです……だから」
「だから困っていると。なるほどね~」
いつものイケメンスマイルをメイリオに向けながら、他人事のような感想を零すコルト。メイリオを馬鹿にしているようにも見える。向けられた当の本人は表情を変えず、正面からその言葉を受け止めた。
「それで……皆さんにはもう一度私たちにチャンスをいただけないでしょうか? お願いします」
さらりと、短い髪がメイリオの頬を撫でる。イスに座りなおした彼女は、どこまでも冷静な声色で汚名返上の懇願をしてきた。
それに対して俺たちは軽く視線を合わせて小さくうなずいた。
「わかりました。もう一度あなた方を頼ってみたいと思います。ですが、次はありませんので」
「はい……。感謝しますわ、ミリアさん」
ゆったりとした動作で顔を上げたメイリオは、穏やかな微笑みをミリアに見せた。
「では連絡手段ですが……」
「三日後にこの教会に誰かを送る。それまでに進展があることを願っているよ」
俺はメイリオの言葉に言葉を重ね、強制的に話し合いを終了させた。ゆりとコルト以外が驚きの表情を浮かべて俺を見てきたが、すべて無視して席を去った。
「あ、ちょっとカキス……! そ、それではまた三日後に」
「はい。また、三日後に……」
背後から慌てたミリアの声が届いてきたが、俺は歩みを緩めることなく礼拝堂を通り抜ける。途中、イスに座っている無表情な少年がこちらを鋭い視線で見上げてきたが、すぐに逸らされた。
(三日後までに、準備を済ませるか……)
後ろから何やら叫んだり肩をつかんで揺らしてくるミリアを無視し、脳内で三日間のスケジュールを組み立てる。
――その様子を、ゆりが不安げに見ていたことに気づきながら……。
○ ○ ○
「それじゃあ出てくるわ」
「ん、早めに帰ってきなさいよ? いつぞやみたいに傷だらけで野宿して帰ってきたら許さないわよ?」
「何年前のいつぞやだよ……。今日中には帰ってくるさ」
俺はミリアの冗談に思わず苦笑してしまう。五年も前のことをよく覚えているものだ。あの時は確かに、相当やばい状況ではあったが。
今日俺が向かおうとしている場所は、この街から少し離れた山に住むとある魔術師を訪ねることだ。少々遠い道のりではあるが、猛獣はいないと聞いているので足止めをくらうこともないだろう。まぁ、もしそういったのが出てきても足止めになるかどうかも怪しいが。
「じゃあ行ってきます」
「行ってらっしゃい」
五年前のことを思い出す送り出しを背に、俺は一際背の高い木の上に上る。
ヒュオォ……。
(今日は風も穏やかだな……)
地上と違って遮るもののない上空が、一瞬で肌寒い程度の風を俺に巻きつけてくる。比較的温暖気候ではあるが、それでも高度があれば十分空気は冷え込んでいるようだ。
俺は風を引く前に目的地としている小さな山を視界に収める。
「方角も間違っていなさそうだな」
その少し下には数台の馬車が街道を通り過ぎていくのが見えた。よく「街道は盗賊が現れないから安全」と言われたりするが、そんなことはない。連中だってその気になればいくらでも街道まで出張ってくるだろう。それをしないのは、そんなリスキーなことをしなくとも、近道をしようとして森を突っ切る浅はかな商人が絶えないからなのだろう。
「よっ……!」
そんなどうでもいいことはさておき、俺は木の上を伝って森を抜ける。
この辺の森は似たような景色が連なっており、迷子になりやすい。その上、意外と起伏が激しいため体力が奪われていったり、場合によっては先に進めず迂回をしなければならないケースも出てくる。
こうして木の上を伝っていけば余計な迂回をしなくて済む。
(……尾行をされてる気配もないな)
俺はチラリと背後に確認するが、人の気配はない。コルトあたりが興味本位でついてきているかと思ったのだが……今日は大人しくイケメンをしているようだ。
バキッ!
「おっと」
強く蹴りすぎたらしく、足場にした枝がべっきりと折れてしまった。だが、そこから落ちる前に次の足場へ跳躍、することなく枝と一緒に地面へ引っ張られることにした。
森の出口は近く、木の上を飛び移る状態は少々派手だったからだ。
バサッ!
着地した場所は落ち葉が集まっていて、衝撃を殺してくれたが、枯葉が舞い上がって視界を遮ることになってしまった。あ、口に入ってきやがった。
「だ、誰だい!?」
「……ん?」
ぺっぺっと土味の唾液を地面にまき散らしていると、離れたところから若い男の声が聞こえてきた。向こうはどうやら俺が落ちてきた音を聞いていたらしい。警戒心を滲ませた誰何に俺は両手を上げながら返答する。
「ちょっと童心を思い出して木登りをしていたら足を滑らせただけの少年ですが何か?」
「どんな少年だよ!?」
適当な事情をでっちあげると、木の陰から鋭い突っ込みが帰ってくる。
……何故隠れているのだろうか? 第一、隠れているのならこちらに声をかけなければいいのに。
「そちらさんはどうして姿を現してくれないんだ?」
「君は追手じゃないのか……?」
「……いや、違うはずだ。俺は南の山に住んでいる魔術師に会いに行くところなんだ。追手から逃げるために隠れるなら、ここらへんの落ち葉を被るといい。それじゃあ」
男の呟きから面倒ごとの匂いを感じ取った俺は、一言アドバイスを付け加えてからその場を立ち去ろうとする。
が、
「ま、待ってくれ! その恰好は旅人さんだろう? 頼む、助けてくれ!」
未だ木の陰から顔一つ覗かせない男が呼び止めた挙句、無関係な俺に助けを求めてきた。
「残念だが、面倒ごとを受け持つサービスはやっていないんだ。街の警備兵にでも当たってくれ」
木々の隙間から差し込む日差しのまぶしさに目を細めながら、適当に手を振って立ち去ろうとする。俺にとって今日は休日であり、自分のために一日を有意義に使いたい。時間は有限だということは、誰もが知っていることだ。
「あんたの探してる魔術師ってのは、たぶん僕のことだ! だ、だから助けてくれ」
すでに思考は今日の昼飯を何にするかで埋め尽くされていた俺は、すでに一歩を踏み出し二歩目を繰り出そうというところで、男の言葉が耳に入る。
数瞬ほど嘘の可能性を疑ったが、俺は踵を返し男が隠れている木の裏側に顔を出す。
影身を使い一瞬で回り込んだため、急に俺の顔が現れビクッと男は体を震わせたが、すぐに期待の籠った眼差しが俺を貫く。
「追手はどんな奴なんだ?」
「さ、山賊あがりのゴロツキが四人ほどだ……」
「……その程度か。だったら逃げ出したほうが早そうだな」
「は? 華麗に懲らしめてくれたりはしないのか?」
「そうしてもいいんだが、逃げても問題ない相手だったら、無駄に戦うこともないだろう? それとも、末代まで追ってくるような根性にあふれた連中か?」
さっきも言った通り、今日は休日であり、余計な体力を消費したくない。俺はこう見えてもゆったりするのが好きなんだから。
「たまたま因縁つけられただけだけどさ……」
「ならなおさら問題ないだろう。さ、行こうか」
そう言って森の入り口に向かう。男はきょろきょろとあたりを見渡してからようやく前進を晒した。
男の格好は、突然山賊まがいのゴロツキに因縁をつけられたという話が十分理解できる格好だった。見るからに上等な生地を用いられた衣服なのだ。その上、男の見た目は中肉中背で非常に頼りない外見をしていることもあり、そういう連中には狙いやすいターゲットでしかない。
……一応、追われることになった理由を訊くとするか。
「なんで追われることになったんだ? さっきはたまたまって言っていたが」
「買い出しに出かけた帰りで、ちょっと近道をしようとこの森を通ったら突然出てきて……」
完全にさっき俺が言っていたならず者に襲われやすい条件を踏破してくれたようだ。本当に俺が求めている情報がこの男から手に入るのか、不安で仕方ない。
「それは災難だったな。これに懲りたら狙われやすい格好は止めるんだな」
とりあえず、もう一つアドバイスを追加してやった。
「ところで、逃げるって言ってもどうやって逃げるんだい?」
さっくり話を変えた男は身を屈めながら具体的な方法を問うてきた。
「その前に……、どちから逃げてきたんだ?」
俺はその問いに答える前に、男がどの方向から追われているのかを訪ねる。
「あっちからだが?」
指差された方向は、森の奥で街道からではない。
「なら、このまま森の外にでよう。堂々と街道を通って」
「それで大丈夫なのかい? いや、助けてもらっておいてなんだけど……」
男が心配していることはわかる。今は森の中なので少し見逃せば姿をくらませることができたが、森を抜けてしまえば障害物のない見晴のいい草原が広がっている。もし追手が追いついた時に居場所がばれないかを心配しているのだ。
もちろん、そんなことは俺もわかっている。わかったうえで、そこを通る。
「さっき街から馬車が出てくるのが見えた。護衛の姿も、な」
「……なるほど。馬車に便乗すると」
四、五人程度のゴロツキだったら、正式に雇われた護衛二人ぐらいで対抗できる。少なくとも護衛が二人いることが木の上から見えていた。ちょうどその馬車がここを通りかかるので、それに寄生する形をとろうということだ。
まぁ、いくらか護衛料を負担させられるかもしれないが、その時は払ってしまえばいいだけだ。あんまり高額になるようだったら諦めて俺が追い払えばそれで終わりだ。
「そういうわけだ。少々懐が寒くなるかもしれないけどな」
「それは大丈夫だよ。こう見えてそこそこお金には余裕があるからね」
どう見ても金に余裕があるようにしか見えないんだが……本人は気づいていない。
俺は、
「そうかい」
と、どうでも良さそうに返した。
○ ○ ○
幸いなことに、馬車の持ち主は男の知り合いで、タダで乗せてくれた。
「いや~、それは災難だったな」
「あはは、どうも昔から運がなくて」
朗らかに笑っておっさんと会話する男の言葉に俺は色々とつっこんでやりたかったが、知り合い同士の会話に水を差すのも悪いので黙っておく。そもそも、荷台から盗み聞きをしている状態だし。
「今日はどんな用で街に出てたんだ?」
「買い出しです。レポートに集中していたら食べるものがない、なんて状況になってて……」
あはは、と照れ笑いを浮かべる男の表情は柔らかい。
おっさんはその話を聴いて楽しそうな笑い声をあげた。バシバシと力強く背を叩き、男は手を突っぱねてそれを防ごうとしている。本当に、仲のいい二人だ。
「ちょっと邪魔すんぜ、少年」
「ああ、すまない。今……」
荷物を背もたれにしながら盗み聞いていた俺の隣に、鎧を着こんだ青年が腰かけようとする。たぶん、雇われた護衛の冒険者だろう。
「別にどかなくていって。そこまで狭い場所じゃないからよ」
「そうか? ならこのままで」
邪魔かと思ってどこうとしたが、止められた。
「お前はあっちの奴の従者か何かか?」
「従者じゃなくて……客だな。ちょっと、ある噂を聞いて彼の意見が聴きたいんだ」
「ふ~ん……」
青年は俺が質問に答えたにも関わらず、気の抜けた声を返すだけだった。意識のほとんどが俺の装備を見ることに集中してしまっている。
(そんなに珍しい装飾品は身に着けてないはずなんだが……)
今身に着けているのはリベルでは一般的な装飾類ばかりだ。上等かつオーダーメイドされた装備はピースに置いてきてある。なので、何かおかしいところはないはずだが、何が気にかかることがあるのか、何度も視線が上下している。
「……何か?」
さすがの俺でもあからさま過ぎる視線は居心地が悪い。思わず口に出してしまう程度には。
「ああ、悪いな。ちょっとこの辺じゃ見ないマークが刻まれてたからつい……」
言われて、俺は腰に差した短剣を見る。そのグリップには確かに複雑な紋様が刻まれてある。
リベルの街にある装備類は国の決まりである意匠を刻む法律がある。というのも、三大大陸の中央ということもあり、全世界の中心的な目線で見られることも少なくない。
その結果、ブランド意識みたいなものが生まれ、リベル産と偽る詐欺商法が大昔に一度流行ったことがある。その対策として打ち出されたのが意匠を刻みこむというもの。リベル産として店を出す場合、その意匠を完璧にマスターしなければリベル産と名乗ることは許されない。そのことは広く知られているが、意外と実物をみたことがある他大陸の人間は少なかったりする。
そのせいで、この意匠が珍しく見えたのだろう。
「これはリベルで買った装備だからじゃないか?」
「ああ! だからか……!」
そのことを明かすと、青年は納得の声を上げる。わざわざ手のひらを打つあたり、リアクションが細かい。
「やっぱりこの辺りじゃ珍しいのか?」
「そうだなぁ……単純に俺がこの辺りでしか活動していないから目にしないだけかもしれん。ほら、あんまり街が続いてないだろう? 港町からもなんだかんだいって離れてるだろ?」
「まぁ、な」
言われてみればそうだった。港以外で近い街は山を越えた先にしかない。一応小さな集落はあるようだが、人が集まるようなのは近くにない。それだけ、物流に滞りも出れば、人だって流れてこない。
地産地消せざるを得ないってことか。
「見たところ鎧っぽいのはなさそうだが……そんなもので大丈夫なのか?」
青年は俺の格好が山賊等に襲われた時のことを考えて心配をしてくれる。青年からしてみれば、俺は子供に見えるのだろう。一人旅というのは何かと危険が付きまとう。そういう意味では、鎧も必要になることがある。
「素早さを武器に戦うタイプなんだ。だから、余計な重りはつけないようにしてる」
ぐるぐると肩を回してから素早くジャブを繰り返して見せる。シュッシュッ! と息も漏らしてリアリティを補助。
すると、青年は腹を抱えて笑った。
「ぶっ! あっはははははは! なるほどな、確かに細身だもんな。なんだよお前……見た目に反して意外と面白いな」
「本人を前にして意外と、なんてつけるなよ」
俺は気安く肩に回してきた手を払いながらジト目を向ける。……まぁ、普段から仏頂面かつ不機嫌そうに話しているところもあるから否定はできないのだが。
「悪かったって。……でも自覚はあるんだろう?」
「まぁな」
軽く肩をすくめて返せば、青年は愉快そうに白い歯をきらめかせた。
○ ○ ○
数十分後、山の入り口に差し掛かったところで俺たちは下してもらった。馬車の方向が違うし、どうせ途中から徒歩でしかすすめなくなる。おっさんはそれでも行けるところまで送ってくれると言っていたが、元々は盗賊を追い払う目的だったのだ。悔しそうに森に戻っていくのが見えた上、歩かなくてすんだだけでも十分ありがたかった。
「それじゃあ、ありがとうございました」
「おう、また今度な!」
「じゃ、お互いに怪我に気をつけろよ」
「お互いに言っておきながら他人事かよ」
男がおっさんに別れを告げたように、俺も青年に別れを告げる。
ガラガラと荒い道に車輪が悲鳴をあげる馬車が見えなくなるまで見送った後、二人そろって山道を見上げる。
標高はそこまで高くなく、ところどころ尖った形をしている岩石が突き出ている。あれらが落ちてきたら大けがでは済まされないかもしれない。大きな猛禽類が頭上を飛んでいるが、ほとんどが岩に止まって羽を休めている。餌がないのか、休憩所としてだけ利用しているようだ。
これから進む山道は最初だけ広いが、段々と狭まりつつ傾斜がきつくなっていくとはあらかじめ聞いていた。が、俺の想像以上に傾斜がきつい。馬車で送ってもらうことを断って正解だったかもしれない。これでは行きはよくとも帰りが危険だ。
なかなかに生物が寄り付かない場所で、街へのアクセスも悪い。この上に家を持つというのは人気を避けているとしか思えない。
「さ、登ろうか」
「……そうだな」
軽く登ろうなんていう男だが、山登りに慣れていない人間からしてみれば正気を疑うに違いない。俺はこれよりももっとやばい山を登ったことがあるので大した衝撃は受けない。噴火間近の火山の比べればこの程度……あれはやばかったなぁ……。
過去の臨死体験の一つを思い出しながら登り始めてみると、見た目以上に道が荒い。ごろごろと小さくない石が足元を転がっていることや、みただけではわかりづらいへこみに足をとられそうになる。
こんな体力と気力を著しく削られそうな場所で生活をしようと思ったものだ、この男は。
そういえば、自己紹介をしていなかった。
「そういえばまだ自己紹介をしていなかったな。俺の名前はカキスだ」
「カキスね、よろしく。僕は……」
「ブシュトス中位魔術師、だろ?」
「うん。さすがに僕に用があってきているのに、名前を知らないってのはおかしな話か」
ブシュトス中位魔術師。その名は一部界隈では有名な魔術師だ。
日々の生活、特に庶民の生活に即した魔術の開発や改良を専門としており、招待や名前を知らなくとも、技術は日常的に使っている、なんてこともある人物だ。しかし、俺の用はそのことじゃない。
「僕を訪ねに来たってことは、何か生活でお困りごとでも?」
「……まぁ、生活でのお困りごとかな。意見を聞かせてほしくてブシュトス氏を訪ねにきた」
「呼び捨てでいい。……なんというか、いまさら君に下手に出られても違和感があるからね」
ブシュトスは苦笑する。
「なら、遠慮なく。俺はブシュトスのもう一つの研究に興味があるんだ」
ブシュトスのもう一つの研究。それは……。
「……能力のリスクについての研究かい?」
ざりっ……。
一歩先を歩くブシュトスが足を止め、首だけ振り返る。
俺を見る目には、これまでの頼りなさは消えうせ、一部とはいえ世界に名を響かせる男の意思の強さを示す光があった。彼なりに俺を見極めようとしているのかもしれない。
ザザッ……。
「ああ。そのことについてだ」
俺はその脇をあっさりと抜いて緩やかな角を曲がる。段々と道が狭まってくる頃だ。
ブシュトスは拍子抜けしたような顔で俺の後ろ姿を見ていたが、駆け足で俺の隣に並ぶ。
「それで、僕は何について意見を交わせばいいのかな?」
「……俺を含めて異能系の能力者を数人知っている。そのほぼ全員が重いリスクを抱えている」
ゆりはリスクがないという異能といえばそうだが、あれは完全に異能系に括れるとは俺は思っていない。俺の能力『ウェポンバース』はゆりに話していないリスクが大量にある。ゆりには明かしてある「魔力の自然回復障害」も十分重いものだ。
「だから、能力に関するレポートや研究はできるかぎり目を通すようにしているんだ」
例えそれが有名な学者であろうと、無名で滑稽な考えであっても。少しでも可能性があればそれを検証するつもりだ。俺自身も一時期研究に手を出したことがあるが、納得のいく結果は得られなかった。むしろ、時間を無駄にした気さえ今はする。無属性魔法の研究は研究材料も被研対象も自分で済ませられたが、能力に関してはあてにならなかった。
ウェポンバースがあまりに強力すぎるせいで。
「それで僕のことを知っていると?」
「そうだ。でもまぁ、興味が出たのは学界では否定された論文の内容なんだけどな」
つい最近、ブシュトスが出したレポートで世に出る前に消えてしまったものがある。俺はそれを”裏のルート”で入試、その内容がとても心惹かれる内容だった。
その内容とは……。
「……それは『能力のリスク改善の可能性について』というもの、かな?」
カツン。カラカラン……。
ブシュトスが蹴とばした小石は、奈落の底に落ちてゆく。その際に響く音は山々に反響し、されどもただ反響するだけだった。
そのことに虚しさを覚えながら、俺は頷いた。
崖の闇に飲まれて消えた石の姿を追うように……。
○ ○ ○
「はぁーー……。ようやく、着いたぁ……」
「普段からここに住んでる割には、体力ギリギリそうだな」
シュブトスの家はおおよそ八合目付近にあった。家主は玄関前で膝に手をつき呼吸を整えている。
「外に出るのは一か月ぶりでね……。どうも、その間に体力が落ちてしまったようだ」
「一か月って……。そりゃあ食料も尽きるだろ……」
日々研究に精を出している一人暮らしといえども、一か月もの期間であれば食料は底をつくだろう。登っている最中も煩く騒ぐハゲタカみたいな鳥を捕ったとして、どれほど足しになるのやら……。
第一、ブシュトスに弓が使えるとは思えない。魔法を使うにしたって、あれだけ素早く自在に動く標的を射抜くことは簡単じゃない。上手く命中させることができたとして、それが回収できる場所に落ちてくる保障もない。
「じゃあ、そのカバンの中身はまた一か月分の……?」
ブシュトスが背負っているバックパックは見た目にもそこまでの容量があるようには見えない。せいぜい十日分の保存食が詰め込める程度だ。
「いいや? これには数日分の食べ物しか入ってないけど?」
「……死因は餓死か」
「勝手に死因を推測しないでくれるかな!? 僕は老衰で死ぬ気なんだぞ!」
「え? 漏水? おもらしで死ぬってどんな……」
「そんなこと言っていないだろう!? 老化でだよ、老化!」
ちょっとした冗談だったというのに、ブシュトスからは過剰反応が返ってきた。何かおもらしに嫌な思い出でもあるのだろうか? あろうがなかろうがどうでもいいが。
「金に余裕があるならもっと買えばいいだろうに」
「先月はレポートをまとめるのに集中してて、外に出る余裕がなかったんだよ」
ようやく気力が戻ってきたのか、ブシュトスは鍵を取り出し扉を開く。木造の小屋のように見えるが、その下に魔力を感じる。
おそらく上は居住スペースで研究所は地下にあるんだろう。
「しばらくはのんびりと過ごすから、細かく買い出しにいくさ」
少し唇を尖らせながらどさりと背中から荷物を玄関脇に投げ捨てる。
「そうするといい。……老死したいならな」
ニヤッと笑いながら俺も家に入る。
「もうその話はいいよ……。ここにでも座ってて」
案内されたのは小さな個室で、テーブルとイスがあるだけで、他に家具はない。
「この部屋は?」
「相談室みたいなものだよ。コーヒーか紅茶ならどっちにする?」
「コーヒーで頼む」
(相談部屋……ここに人が来ることがあるのか)
ここまでの道程を考えると、それなりに体力自慢でなければ難しい。それでも来るなら、それだけ真剣な顧客ということか。
「はい。それで……能力のリスクについてだったね」
「あぁ……」
差し出されたカップはところどころヒビが入っており、客に出すものとは思えないのだが……。ブシュトスは一切気にせず飲んでいる。とりあえず、カップはテーブルの上に置いておこう。
「君の話を聞く前に……僕の考えている能力のリスクについて話をさせてもらえるかな?」
能力のリスク。直接研究している人間以外は、ほとんどが”そういうもの”として受け入れている。それゆえ、詳しいことは何も判明されず時が流れている。長い長い時間を消費してもなお、そのすべてをつかみ切れていない。
俺が今までに読んできたもので、これだと思うものはなかった。ブシュトスの論文を除いて。
「僕はリスクを一種の”呪い”だと思っている」
呪い。
ブシュトスはリスクを呪いとして受け取っている。ダレから呪われているのかも、ナニに呪われているのかもわからないのに、ブシュトスは呪いだと断言してみせた。
「……力を使用する代償として払うのがリスク、というのが世間一般での見解だったと思うが?」
常識的な話ではリスクは代償であり、俺もそれは一定の同意を示している。だが、どこかしっくりこないところもある。
「そうだね。もちろん、中には呪いとは呼べない効果もある。……だけど、リスクと代償を明確に分ける方法があると僕は考えた」
「確か……『必要なものは代償、必要のないものがリスク』だったか?」
俺は一文を暗唱する。
必要なもの、というのは例えば魔力や肉体の一部などのことを指す。俺のウェポンバースで武器を『創造』する場合、その強さに見合った魔力を消費しなければ生み出されない。いくら脳内でこと細かく描こうが、魔力がなければ実現することはない。
対して、必要のないもの。これはおそらく、俺の魔力回復障害がそれに含まれる。能力を発動するだけなら、魔力が回復できない必要なんてないからだ。
「これは特に異能系の能力に当てはめるとわかりやすい。例えば有名な異能系『白銀の外套』は発動中一切の魔法を通さない。その代り、その場から一歩も動くことができない」
『白銀の外套』は世界に十数人しかいない最上位魔導師の一人が持っている能力だ。今はかなり高齢になり、ほとんど活動していないらしいが、昔はかなり押せ押せ爺だった。
「あの能力のリスクは魔力の全消費と記憶の一部欠落……というのは知っているよね?」
「ああ。おおっぴらに自分の手札を明かす爺さんだからな」
若ければきっと大男だったに違いない。筋肉ガッチリで真っ直ぐな性格……とても最上位魔導師とは思えない人物像である。そんな爺さんの『白銀の外套』は異能系らしく思いリスクを持っている。魔力の全消費は大きな問題ではなく、記憶の一部欠落という部分だ。
魔力がなくなるだけなら魔石から再補充すればいいだけであり、発動中は歩けないだけで体が動かせないわけではない。しかし、記憶の欠落に関してはそうもいっていられない。
彼の弟子が書いた自叙伝には、戦闘中に”魔力の使い方”を忘れてしまい危うく死にそうになったこともあるようだ。
「もしあんたのリスク論に当てはめるとしたら、魔力の全消費は代償で、記憶の一部欠落はリスク……つまり呪いになる」
「そうだ。あれだけ強力な防護結界を張るんだ。魔力がすっからかんになるのも納得がいくだろう? 移動できないのだって、代償だ。自分からは動けないほどきっちり決められた範囲にいなきゃ、その恩恵を得られない」
ブシュトスの言っていることはもっともといえばもっともだ。しかし、それだけではまだ詭弁と評価せざるを得ない。
「それは『白銀の外套』に限って言えばそうだ。だが、それ以外の能力でもそれが当てはまるのか? 異能系はイレギュラーなことが多いし、異能系じゃないにしろ、リスクは存在する」
ブシュトスの理論が全てに当てはまるという確証はない。
「それだけでリスクの招待を見抜いたつもりになるのは早いと、俺は思う」
そこで言葉を切り、湯気のないコーヒーを一口含む。若干甘いのは、砂糖が入っているからだろう。
ブシュトスのカップの中にはすでに液体はない。テーブルに置かれ、本人は両肘を膝の上へ。前傾姿勢のまま俺の言葉に頷いていた。
「そう、そうなんだ。でも、それはこの段階では机上の弁論であって、実験段階じゃない」
「俺が入手できたレポートはそこまでだった。……その口ぶりから考えると、実際に何かしたということでいいんだな?」
”裏ルート”から仕入れたが、それでも破損率がひどく、後半が読めなかった。
「なら、そこからだね」
少し失礼するよ。そういってブシュトスは立ち上がり、部屋を出て行った。次に戻ってきたときには分厚い紙束を持ってきた。ドスンという音がその重量を物語っている。
「それは?」
「実際に僕が解いてきた人たちの記録」
「何……!?」
ブシュトスはさらりとすごいことを口にした。実際に解いてきたのは呪いのことで、呪いとはつまりリスクのことであり……。
「成功、していたのか……?」
その事実を信じられず、俺は目を見開いたままブシュトスを見る。
俺は今日の話をち今後のょっとした参考程度になれば、と思っていた。何かとっかかりでも見つけられれば、回復に向かう可能性が高くなる。それが、まさか実際に成功例があるとするなら……期待できるかもしれない。
(いや、落ち着け。……異能系のレベルのリスクを解除したかどうかまではわからないし、100から0にまでリスクを消したとは限らない)
俺は一度深呼吸してからブシュトスの言葉を待った。
「そう。この研究は成功しているんだ。それは写本で、一番重要な部分は隠してあるから読んでもらっても構わないよ。さすがに持って行かれると困るけど……」
俺は実際に手にとて一枚一枚めくって中身を確認する。外部に見せることを想定してまとめてあるのか、一見してどんな能力者――この場合でいえば患者が正しいかもしれない――かすぐに分かる。
アシスト系、バース系、ウィザード系、アシスト系、バース系、バース系、アシスト系、ウィザード系……異能、系まで……。
俺は一旦その資料を置いて、長い息を吐く。考えの整理と、興奮しそうな気持を鎮める。
「……どうしてこの内容が世に出ていないんだ?」
俺は詳細を聞く前に、素朴な疑問を口にする。
おそらく、レポートを提出した時にはこの結果も記してあるはずだ。俺が入手したレポートは元本と聞いているので、後半部分は学会のお偉いさんもこの結果を知っているだろう。
気に入らないから後半部分を消したのだろうが、その割には動きがない。よくあるのはお偉いさんが部下の研究結果を横取りすることだが、今回はそのよくあることから外れている。
「それがね……」
なにやらブシュトスは苦笑を無理やり顔に張り付けている。
「『こんな内容……奪う価値もない』だってさ。呆れちゃうよね、学会のやり方には。初めから僕の研究結果を盗む気でいたんだから」
やれやれといった様子で肩をすくめるブシュトスの眉間には、深いしわが刻まれている。学会側が研究結果を盗み気いたことを怒っているのではない。研究結果を馬鹿にされたことが悔しくてたまらないのだ。
俺がもしブシュトスの友人であれば、この内容を馬鹿にされるのは悔しく感じたことだろう。俺は苦笑を返し、ブシュトスの苛立ちには気づいていないふりをした。
「ちなみにこれ、方法を教えてくれたりは……」
「しないよそれは!? 企業秘密とさせてもらう。どうせ学会側が発表することを否定したんだから、僕一人で抱え込んでも問題ないだろう?」
「ま、そりゃそうか……」
俺は万が一の可能性を信じて方法を尋ねたが、そう簡単にはいかないみたいだ。その間にも、俺は隅々まで資料に目を通し、持ち前の記憶力を駆使しつつ脳内でコピーを作り上げる。時間があれば、俺なりにアレンジして試してみよう。
まさか、目の前で堂々とコピーと技術改変をしようとしているとはこれっぽっちも思っていないブシュトスは、優雅に茶をたしなんでいる。
普通、これほどの重要書類であればもう少し厳しい管理体制でもおかしくないのだが、懐が甘いのはこの書類の作成の仕方にもあるんだろう。俺は完全なコピーを頭で作り上げているが、メモもなしにこの中身を覚えるには、少々量が多い。しかも、結果だけ見てもあまり意味はなく、過程も含めて重要なので、一部抜粋ではあまり意味がない。
特に、意味が理解できていないならなおさらのこと。
「……なかなかに面白い内容だったよ、ブシュトス先生」
「君……わざと先生なんてつけてるだろ」
バサッ。
ブシュトスの口ぶりからしても重要度が低いと判断して、粗雑にレポートを机の上に放る。頭の中に入れた内容を要約するのは後にするとして、だ。
「異能系の成功例もあるなら話が早く進みそうだ」
「……何かほかにも用事があるのかな?」
言葉では質問をしているが、すでに答えがわかっている。だから俺は、包み隠さず用件を言った。
「今すぐじゃなくてもいい。少しずつでもいい。……金はいくらでも払おう」
「……高くつくよ。君が思っている以上に」
「こう見えても実家は金持ちなんだ。俺個人も、ちょっとした財産を抱えている」
俺はいすの背もたれに全体重を任せ、足を組み替えて”依頼する”。
「この研究の成果を、俺にも示してほしい」
「……いいだろう。具体的な能力の内容とリスクを教えてもらえるかな、クライアントさん?」
そこからは、飲み物を挟む暇もないビジネストークを、日が暮れるまで続いた。
アストラエアの白き永遠をすっごくやりたいんじゃあ~!!!!
中の人が変わってしまったのは残念ですが、それでやる気がなくなったわけではありません。
(ロリ)愛さえあれば!